縛ることについて

ついこの間、休止前から私に会いに来ていたキーさんが久しぶりに会いに来ました。
お仕置きをして帰り支度をしていた時の話、そのキーさんは
「京介さんにSMしてって言ったらしてくれるの?」
と聞いてきました。
まぁその子の場合はSM的な行為も他でしてきたこともあり、話題ではそのSM行為の時の話や私が過去にSMをしていた時の話もでてはいたんですけどね。

私はその瞬間に「縛るのは別にいいけど裸はどうなんだろう?」というようなことを考えていて、数秒「うーーん」と唸った後、
「服の上からなら別に構わないけど」
と返答しました。
お仕置き時に縛るわけじゃないし、アフターフォローの一部として緊縛体験もいいかなって思ったんですね^^;
仮に縛ってお仕置きしてくれとの要望があったらどうするだろうというようなことも脳裏に浮かびました。
どうしましょう;;;、まぁそれはケースバイケースで^^;

私は過去にSMの世界にいて一通りのことをこなしているので一応緊縛(縄で体を縛ること)もできるんですね。
そんな話をお仕置き後の会話の中でたまに出ることがあって、そうすると一度は縛られてみたいという人と縛られたいとは思わないという人と両者に分かれるのですが、やっぱり縛られたいと少しは思う人が多いですね。
かといって私に縛ってとお願いしてくる子はいませんでしたけど^^;
まぁそれはやっぱりそういう空気というか雰囲気を私が作っているからでしょうかね、お仕置きにはSM的なことは持ち込まないとしつこいほど言っていますからね。

でも裸になったり、SMプレイに移行しない限りは別にいいんじゃないかなって最近思うようになりました。
体験ですからね、SMプレイはしないのですから、もっと体験したいことはさせてあげてもいいんじゃないかなって思ったんです。
そう、私自身がしっかりとした意識を持ってさえいれば、相手がどんな気持ちになろうとも性的なことは有り得ないのですからね。

キーさんのほとんどの人が自分がМかキーか一度は悩んでいると思います、そして別にキーとМの両方を持っていても問題ないのにМというものに嫌悪している人もいます。
私はそんな悩める人たちに区分けの意味で分かりやすくМとキーの違いを説明してきていますが、実際問題に区分けしきれずに悩んでいるのであれば線引きは必要なく、別にМでもキーでもどちらでもいいと思うんですよね。
お仕置きの時に性的要素を含まないものを好むのか、性的要素を含むものが好きなのかで分ければそれでいいんだと思います。
人間誰でもS性М性は持ち合わせており、そのどちらかが強いかということなので嫌悪することなく、女性という性質からМな性格が多いこともあります。
キーかМか分けようと思ったことでより悩み苦しむ人は、シンプルにお仕置きを受けたいだけでいいと思いますよ。

まぁMだからと言って縛られたいと思うかというとそれも違いますけどね、奥が深いんです。
ま、要望がない限り、私がお仕置きにSM要素を出すことは一切ありませんからご安心を^^



勝手にスパ講座 最終回 「キーとM(マゾ)の違い」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、最終回は「キーとマゾヒストの違い」について考えてみたいと思います。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。
スパ用語、SM用語を簡単に説明してあります。

一般的にキー=マゾヒストと認識しがちですが、これがまた違うんです。
どこが違うかというと、これは捉え方によっても違うのですが説明したいと思います。

まずマゾヒストは屈辱感、被虐感、羞恥感、痛み等により性的興奮を得る性質があるのです。
支配され、奴隷や人形のように扱われたり、からかわれたり苛められたり、言葉責めされたり、そういったことを快楽と認識し心地良さや喜びを感じてしまう人もいます。
この全てに当てはまるのではなく、どれか一つでも当てはまっていれば立派なMだと思います。
羞恥心を煽られ言葉で虐められることで性的興奮を得る、例えそれ以外のことには興味がなくても立派なマゾなんですね。
マゾといってもいろいろな嗜好があり、とくに支配感を求めるマゾはどんな命令でも従うので何でもありがちな目で見られますが、それは一つの例で、Mが全てそうかというとそんなことはありません。
ようは虐げられることによって性的興奮を感じるかどうかなのだと思います。

主従関係を例にとると、支配されることは受け入れることであり、パートナーのどのような理不尽な命令も従わなければならないという被虐感により興奮し、それが達成できたことに更に喜びを感じます。
達成できない場合は躾と称してお仕置きがあり、そのお仕置きでも自分をおとしめて自己陶酔してしまいます。
屈辱を味わうにはやはり性的苦痛が一番なのでどんどんと究極を求めるようになってしまうのでしょう。
そのような屈辱を味わい、拘束され鞭に打たれ言葉で罵られることにより絶望を感じ心の全てを解放するということを望むことがあります。
それをどう操るかがサディストであり、調教であり、絶望の後の安らぎの与え方で信頼関係はより深まります。
ちょっと難しいですかね、かなり一方向に話が進んでしまいました(汗)
これもマゾの嗜好の一つということは理解してください。
いろいろなマゾがいるなかで、ここまでのマゾは数少ないでしょうけどね(汗)
精神的な奥底の部分なのでとても複雑でそれを伝えるのは難しいです。

一方キーは性的興奮の為のお仕置きは一切望んではないんですね。
甘えたい、構って欲しい、見ていて欲しい、褒めてもらいたい、導いて欲しいということが根底にありますが、
駄目なことは駄目としっかりと叱って欲しい、お説教されてお尻を叩かれていることで愛情を得ているんですよね。
自分自身の躾をして欲しいと願うのはそれは愛情がないと出来ない行為だから、それによって大事にされている、愛されていると実感したいというのが深層心理の中にあると思います。
結局お尻叩きの行為は痛いし嫌なのですが愛情を求めて満たされるにはその行為も必要となってくるのでお仕置きを求めてしまうのでしょう。

今の若い子はアニメやドラマ、小説などでお仕置きを目撃する事が多いと思いますが、全てに共通していることは親から子供、教師から生徒への深い愛情から来るお仕置きなわけなのでそれを見てその主人公は愛されているのだと感じてしまい、それが自分に向けられていく事が多いと感じます。
またアニメ以外でも小中学生のときに悪い子達は先生に構ってもらえ叱ってもらえ真剣に向き合ってもらえます。
それに対して羨ましいという憧れを持ちつつ成長して行き、幼少期に得ることのできなかった叱られることへの欲求が膨らみ叱られることを望む結果になるわけです。
だから性欲ではなく真剣に向き合ってもらいたいという甘えの部分であり、これは人間なら誰しも持つ承認欲求でもあるんです。

ただお仕置き時にお尻叩きされることにより性的興奮をするならばこれはマゾの部類になると思います。
性的快楽の為にお尻叩きを望み、その手段として悪いことをして説教されお仕置きをされるのであればそれはマゾです。
流れはスパのキーかもしれませんが求めている先が性欲の部分なので立派なマゾです。

性的快楽のために悪いことをするという設定からのスパンキングは、動機が既にSMであり、マゾヒストの考えであるからです。
Mとキーを区分けしているのはそこの部分が違うからだと思います。
ただ、そこらへんを曖昧になって履き違えているキーさんも結構多いので誤解されてしまうのでしょう。

私が感じるスパのキーさんは性的興奮を目的としていないんですね。
自分自身の戒めの為、自分自身を罰する為であり、優柔不断な自分を正しい道に導いてほしい、悪いことをしたらきちんと叱ってくれる人がほしい、それが目的であり、その罰が体罰でありお尻ペンなんですね。
口で言っても結局は繰り返してしまうので厳しくお尻叩きで罰し二度としないように躾けてほしい。
それが前提にあるのだと思います、そこに至るまでには幼少期の体験がかなり多く影響しています。
そこらへんのキーの資質については次回に書いていきたいと思います。
自分に自信がなかったり、存在を認めてほしかったり、構ってほしかったりと結局は甘えたいということが深層心理にあるんです。

よく相談があるのですが「私はキーなのかMなのか」と悩んでしまう原因があります。
説教してお尻叩きをしていると性的興奮をしているわけでもないのに”アソコ”が濡れてしまう子がいるんです。
キーにとってはそれは屈辱で見てもらいたくない部分なんですね。
カーはそういう場面に遭遇しても口に出さずに”見ない”優しさが必要です。

でもこの体の反応は性的興奮によってのものではなく、安らぎのホルモンの影響によるものです、これは性的興奮と同じ神経伝達物質であるためこのようなことが起きるのですが、刺激によって起こるものではなく、脳内の安定による安らぎから起こるものです。
「罪悪感を解放できた、不安定だった気持ちが安定していく、叱られたことで間違いに気づくことが出来た、そして愛されている」
これも快感なんですよね、性的快感とは違う、精神が安定するような快感。
それにプラスしてお尻を丸出しにされた羞恥心が錯覚となって体の反応に出てしまうこともあるんです。
そしてこの脳内の反応は無意識下なので、止めることが出来ません、よって"濡れる"という形になってしまうんですね。
「キーなのにどうして体が反応してしまうの?」と落ち込んでいる女性はもう悩む必要はありませんよ。
カーはそこで性的興奮として捉え、それを煽るような発言をしてはいけません。
カーとしては禁句なんですね、一気にお説教やお仕置きの陶酔感が冷めてしまいます。
それとお仕置きに慣れていなかったりまだ知り合って日が浅かったりするとかなりの羞恥心が出ます。
男性の前で服を脱ぐ行為は俗にエッチをするときくらいですから体が誤反応してしまうこともあります。
同じドキドキ感で似ているため脳のほうで勘違いしてしまうことがありますから、濡れてしまっても何の問題もないです。
まぁ確かに恥ずかしいのかもしれませんが、それも全て受け入れてくれる相手、こういうことを理解してくれる相手だとすべて身を任せられるのではないかと思います。
決して感じているわけでもなく、マゾというわけではないので安心してください^^

で、マゾとキーの徹底的な違いは性的快楽を求めているか求めていないかの部分だと結論付けたいと思います。
それに加え、叱られるのを求めているのか(こじつけではなく自然な理由で)いじめられるのを求めているのかの意識の違いでしょう。
その深層心理の部分では微妙なところもあると思いますが、考えかたとしては明らかに違いますよね。
なので、恋人同士の俗にラブスパと呼ばれている行為を好むのは”キー”ではなく”マゾ”であり、SM行為だと私は思っています。
恋人同士のエッチありきのスパはSMです。
ただ、お仕置きの後にエッチをしたらSMかというとそうではありません。
お仕置きをして反省をしてそれが全て終わって、仲直り的なエッチであればそれはSM行為ではないと思います。
特に女性はそこらへんを気にしますので男性カーさんは気をつけましょう、切り替えという事が一番大切です。

しかし根底にある精神的なものはキーもマゾも同じで、それは自己表現であり愛情を求める行為であると思っています、自分の居場所の一つであり、安らぎの場所であることには違いがありません。


最後になりましたが、
5回にわたり初心者向けに大雑把な方向性を書いてきましたが、自分の嗜好を再度見つめなおし、自分の性癖や求めているものを再認識してみてください。
これらの違いは明らかな違いですが、実際は些細な意識の違いなんです、だから自分の立ち居地がいまいちよく分からないんですよね。
結局5回とも同じようなことの繰り返しを説明してしまいましたが(汗)

このように極端に結論付けたのも、自分の求めているものを分かりやすく判断してもらう為だったんですね。
安らぎを求めて入り込んだ世界で傷つき不安定になる女性が多くいます、ほとんどがそうなのかもしれません。
まずは自分を守ることを覚えてください、そして安らぎの世界で傷つくことのないようにしっかりと自己防衛する術を身につけてください。
大変に難しいことですが、私が書いた記事からヒントを見つけ役立ててくれればと思います。

勝手にスパ講座 第四回「カーとサディストの違い」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、四回目は「カーとサディストの違い」について考えてみたいと思います。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。
スパ用語、SM用語を簡単に説明してあります。

私は「S」同士の交流は過去にありましたが、「カー」との交流がないんですよね、だからはっきり言って他の「カー」がどういう嗜好なのかよく分かりません。「S」ではなく、あえて「カー」と名乗って区分けをしている以上、Sとは違う、もしくはカー要素のほうが強いと考えているのでしょう。

なお、このブログでのスパについてはSMとはっきり分けている為、性的快感を得るような気持ちでのスパンキングはSM行為としています、ご理解ください。


これまでスパとSM、キーとカー、サドとマゾについて書いてきましたが、スパがディシプリンである以上、カーは自分の価値観を押し付けたり性的要素を少しでも感じさせてしまってはいけないと私は思います。
教育的躾の為にする行為がディシプリンであり、お尻叩きであり、お仕置きなんです。

毎回持ち出しますが、分かりやすい例が、親と先生です。
この親と先生は躾の方法として体罰をしているわけであり、叩きたいから叩いているわけではないんですよね。
叩きたくないけど、体罰によっていい方向に向いてくれればという思いで叩いているんです。
なので理由もなく、叩きたくて叩く加虐嗜好を持ったサドであってはいけないんです。

しかし今のスパというものはキーとカーは「お尻を叩きたい人と叩かれたい人」という解釈になっているのでそこからねじれて真相が見えなくなってきているような気がします。
お尻を叩きたいならそれは加虐嗜好をもった立派なサディストなんです。
本当のカーは「説教好きで一人の人間を良い方向に導き、成長させたい」と考えている人なんだと思いますよ。
他人に対して何の見返りもなくそんなことができる人なんて殆どいないでしょう。
でもぶっちゃけそんなことをいっていても始まらないのでそこんところは少し目をつぶっちゃいましょう。

まあ、殆どのカーがサディストだと私は思います。
それはそれで仕方のないことです、お尻を叩いて興奮してしまっても仕方ありません。
でも、ここが大事なところですが、カーと名乗る以上、お尻叩き以外の行為をしてはいけません。
たった一つの違和感でもある”加虐嗜好”はどうしても抑えることはできません、でもその感情とそれ以外の部分はコントロールはできるはずなんですね。
そういうカーであれば少ないけどまだ人数はいると思います。
まぁ根っからのキーから比べるとはるかに少ないと思いますけどね。

結局カーとサディストの違いは何なのか、カーという考え方が一般的にどこから来ているのか。
カーという位置づけが定まってはいないのでよく分かりません。
それは本人にしか分からないことだし、S要素のないカーがいるのかを突き止めたところでしょうがないのかもしれませんね。
本当のカー、本当のサディストなんてそれぞれの意識の問題であって本人が認識していればいいと思うんです。
ただ何故こういうことを突きつめているかというと、そこまで自分のことを知っておかないといいパートナーとめぐり合えないからです、結局はその二人で作り上げていくのがスパであり、SMであり、それらに決まった形などないんですよね。

結論的にはカーと名乗るならばサディストの部分を相手に見せてはいけない、そしてそれさえ見せなければカーとして成立するのではないでしょうか。
性的要素はもちろん出してはいけません、性欲を煽るようなお仕置きもしてはいけません。
あくまで相手の成長を願うという愛情でお説教やお仕置きをし、教育と躾をし、アフターフォローをしっかりする。
それで満たされるのがカーであって、それで満たされなければ長続きはできません。
私は精神的な部分を探求したいので単なるサディストとは違い、求めている部分が違うので簡単にできますけど、そうでなければカーのほうが精神的に疲れてしまうのではないでしょうか。
ま、本当に純粋なカーさんって難しいのかもしれませんね。

サディストはもう好き勝手やればいいんです、相手を苛め、辱め、征服し、それで満たされて喜ぶだけですからね。
ただそこにはしっかりとした愛情を持って相手に接してあげなければ相手は満たされません。
いくら自分勝手がサディストとはいえ、そこの根本的な部分の愛情だけはしっかりともち、相手を思いやれる気持ちを持って関係を持ってほしいものです。
ま、言葉も含む性的虐待行為で性欲を満たされるのがサディストですからね。

結局はカーでもサディストでも、そしてキーでもマゾヒストでも構わないでしょう。
それをスパの行為に出さなければスパのお仕置きとしては成立するわけですからね。
意識の持って行きようで全ては変わるからです。
でも自分の求めているものや方向性を曲げていたら長続きしないことは明らかです。

だから基本的なことを押さえて、それをお互いに確認したうえでパートナーにならないと、すぐに別れてしまったり、依存してから捨てられたり、途中で違和感が生まれたりと様々な弊害がきて傷つく結果となります。
そうならない為に、探し方や付き合い方のヒントをここから得てほしいと思います。

実は本当のスパとか本当のSMとか、そんなものは存在しません。
二人の心の隙間を埋めあう行為であれば、そして十分な愛を感じられればいいんです、それが本来の目的であって一番大事なことなんですから。
そしてそうなる為にみんな苦しみながら彷徨っているんですよね、
だからこそ初心に戻り原点を見つめられるように、この世界に何を求めているのかを再確認してほしいと願います。

勝手にスパ講座 第三回 「カーとキー、サドとマゾの関係性」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、三回目は「カーとキーの関係性とサドとマゾの関係性」です。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。

まずはスパのキーとカーについてです。
補足ですが、性的要素の一切ない、純粋な根っからのキーとカーについてですからね。

何回かお話していますが、純粋なキーはたくさんいるのですが、純粋なカーは殆どいないのではないかというのが私がいつも感じている事です。

SとMは支配関係で成立しますが、キーとカーはかなり複雑です。
たしかにお仕置きのときはカーが支配をしているのですけどね。

まずスパというものの根本はディシプリンであり、簡単にいうと子供に対しての教育的な体罰、いわゆるお尻叩きをすることを指すんですね、悪いことをしたら罰を与える。
これは相手の価値観ではなく一般的の道徳的な価値観での教育です。

そしてここで違和感が出るのは子供はお仕置きを望んでいないということです。
しかし大人になってからは違いますよね、初回だけでも自分から望んでお仕置きを受けに来るわけです。
でもこれは子供ではなく大人だからと私は解釈しています、自分の悪いところを指摘され、それを直したい。
悪いことをした罪悪感を取り除く為に叱られたい、そしてそれらを繰り返さない為に自らの意思でお尻叩きを望むという真面目な大人の考えがあるからだと感じます。
更に突き詰めると、親や先生がする躾という概念から考えるとカーは本当はお尻を叩きたくないはずなんですね、その子に良くなってほしくて、それで仕方なく教育としてお尻叩きをするのが根本だからです。
でもスパの世界のカーというのは一般的にお尻を叩くことが好きな人なのでこの時点でまた違和感が生まれてきます。
まぁ私の場合はお尻叩きが好きだからカーさん的なことをしているわけではなくて、精神的な部分を感じたいから、そして本当に悪いことに対して痛い思いをしてほしいからという理由からなんですけどね。
お説教やアフターフォローができない状況であればお尻叩きはしませんし、したくないんです。

それと実はスパの世界は、キーが全て支配をしているということなんですね。
あくまで私の考えですよ。
カーは奉仕者でしかありません、キーの要望に応えて叱ってあげ、方向性を見出してあげて、戒めの体罰を科すわけですから、お尻叩きのときだけは支配関係があっても実際は違うんですね。
その奉仕者という一面が私は過去に違和感があり、嫌であった部分でもあるんですけどね。

こう考えると叩くのが好きなのがカーではなくて人を躾けるのが好きなのが本物のカーなんだと思います。
躾けの一環として体罰であるお尻叩きをするということです。
そう考えていかないとスパのキーとカーが成立しません。
本当の意味で親と子のお仕置きを表現するとこのような解釈になり、私もそこをしっかりと形を作り説明したい部分でもあるんです。
しかし実際はお尻を叩くことによって性欲を満たしたいと思う人がカーということが多いので、キーとカーの関係性は難しいんですよね。

またカーによっては性的なことをしたくてスパの世界に入ってくる人がいます。
性的なことをしてくるカーが多いとキーさんからよく聞きますが、それは目的が違うからなんですよね。
カーが性欲を抑え続けられず性的悪戯のような行動をしてしまったり、カーが性欲を解消できなくて辛くなって自ら離れてしまったりするのだと思います。
結局女性が傷つく結果になり誰も信用できなくなり、救いを求めていたはずなのにどんどん悪い方向に落ちていってしまうんですね。

だからキーとカーがパートナーとなることが違和感でありうまくいかないことが多いんだと思います。
それだけ複雑な関係性なんですね。
お仕置きを求める事って子供心には殆どない事だしお尻を叩きたいと思うことも本来のお仕置きとは違ってきますよね、結局はその矛盾点を修復して違和感が出ないように意識を切り替える事が必要になってきます。
キーの心理、カーの心理を読み解くと親子間のお仕置きが無理があると思いがちですが、ただ、カー側の意識の持って行き方次第ではそれは成立します。

それは私が性的欲求がなくお仕置きに取り組んでいるのでよくわかります。
私が求めているものは精神的な部分であり、相手の心を知りたい、そして安定させてあげたいという思いからです。
だから私を必要としてくれる人には魅力や愛着が湧き、なんとか助けてあげたいと親身になってしまうんです。


続いてSとMの関係性についてです。
S=加虐嗜好、支配欲 M=被虐嗜好、服従欲という意味です。
性的嗜好を持たない精神的な部分でのSとMも存在しますが、今回は性的なSとM、俗にいうSMについてお話します。

SとMの性癖は上記のとおりですが、この二人がパートナーとなることにより必然的に支配関係が成立します。
なのでS=支配するもの、M=支配されるものとなります。
支配したい人と支配されたい人というのが正しいでしょうか。

サドは加虐したいわけですからそれをどう表現するかなんですね、私の考えですが、人間として一番屈辱的なことをすることが最大の加虐となるわけですからそう考えるとやはり性的虐待となるのではないかと思います。
精神的に最も嫌なことを相手に強要し、受け入れさせる。
どんな理不尽な命令でも受け入れさせ、行動させ、それによって支配感を味わう、その一つが躾であり、落ち度があればお仕置きという形になるんです。
この逆がマゾであって支配されて追い詰められたいので恥ずかしくて嫌なことでも感じてしまうんですね。
痛みで感じてしまうのはこのようなことを無意識に脳で反応してしまう部分が少なからずあるからともいえると思います。

しかし加虐だからといって暴力というわけではなく、怪我のないように手加減をし、その代わり精神的な部分で更に加虐感を煽っているんですね。
怪我をするようなことを望んでいる人いません、鞭や緊縛等は精神的に加虐し追い込むための一つの道具でしかないんです。
俗に言うハードなSMというのはそういうことを繰り返しやってきた人たちだけのものなんです。
何でハードになるかというと人の欲求には限りがないからなんですね。
欲求が達成できても次にそれと同じレベルでは満足できない、だからもう少し踏み込むみたいな事は日常でもありますよね、それと同じことなんですね。
だからパートナーになったばかりでいきなりハードということは、相手がそれを望まない限りしないのが普通です。
徐々に痛み具合を大きくしていく、自分好みのMにしていくことが調教と呼ばれている行為です。

よくSMは痛いから嫌だという人がいますが、痛みがなくても加虐、被虐は出来ます。
そういう人にはお尻ペンだけでもいいんですね、そのお尻叩きによって、肉体的に反応し、それによって更に精神的に感じることができるんです、だから痛くないSMもあり、叩く行為は精神的高揚を煽る一つの方法として認識されるとSMの理解も少しはできるのはないかと感じます。
そしてそのサジ加減を見れるのがSなんです、きちんとした知識を持ったSならば加減が分かるんですね。
サドとマゾの関係性はお互いの求めている根本が合致してるのでパートナーとして成立しやすいと思います。

ちなみに、ソフトSМと呼ばれているのはより軽い加虐と被虐です、それが羞恥責めであったりラブスパであったりで、無意識ですが、厳密には加虐と被虐の関係として知らないうちに成り立っているものなんです。
だから私から見ればハードもソフトも根本は一緒なんです。

ブログを書いてみて最近思うことは、自分を見つめることが出来るってことです。
こういうことを分析していくと自分のことも気が付くんですね。

どういうことかというと、私は日常では奉仕者なんだと、そしてそれを喜びとしているところ。
精神的に悩んでいたり、落ち込んでいたり、様子がおかしかった知り合いがいると必ず声をかけ話をしています、
そこで相手の気持ちを理解し、客観的に話をし、アドバイス的な物の考え方、いろいろな方向性を話してヒントを与えたりしています。
決して偽善なんかではなく、本心からです。
まあ、その本心が問題なのですが、何度も書いていますが、私は人の心の闇にとても魅力を感じてしまうのです。
不謹慎ですね。
そしてその闇って信用した人にしかカミングアウトしないわけでそれを告白してくれた嬉しさもあります。
何事もなく生活していて数ヶ月してから「あの時はありがとう」といわれた時には私の言動により救われたのかという満足感があり、自分を必要としてくれたことにより私の心の中の隙間に物足りない何かが埋まったような気がします。

だから悩み的なことや間違ったことを正すようなものであれば性欲無しに出来るし、奉仕もしたいと思うようになりました。
実際は奉仕は嫌なのですが、深く考えてみると奉仕そのものだったんです(汗)
奉仕の見返りはやはりその人それぞれの心の闇を覗くことや、信頼してくれることです。
悩みも心の闇ですからね。

過去はSという自意識が強く、奉仕なんてプライドが許さず毛嫌いしていたのですが、それは非日常の自分であって奉仕的な自分を否定したかったんでしょう。
こう考えるとなにか新しい道が切り開かれたみたいな感覚になってしまいます。

また話が脱線してしまいましたが、こんな感じでカーとキーの本来の関係性とSとMの関係性とは全く違います。
難しいのですがこう考えたらどうでしょうか、
普段の日常では親として子供にお仕置きしていますが、それがスパです。
しかしその両親は子供が寝ると性欲を満たすため、セックスに励み快楽を求め合います。
しかしそこの部分は子供には見せない部分で、子供なら親のそういう絡みは想像したくありません。
だからそういう意味でもカーとキーは日常(躾)、SとMは非日常的(性欲)なことでもあると。

前記事と同じような事を書いてしまっていますが、結局はお互いの関係性は意識の持って行き方なんです。
それを双方確認し合っていれば問題のないことです。
ただその意識のもって行き方によってスパ的関係にもなりSM的関係性にもなるってことです。
この根本を理解したうえで自分のこと、自分の求めているものを探す判断基準にしてみてください。

勝手にスパ講座 第二回 「お尻叩き」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、二回目は「スパのお尻叩きとSMのスパンキングの違い」について考えてみたいと思います。
キーやカーなどの簡単なスパ用語はこちらをご覧ください。


スパっていうのはご存知のとおりスパンキングの略語なんですよね、スパンキングというのはお尻叩き、お尻ペンペンの事をいいます。
だからスパのスパンキングはスパンキングのスパンキングとなってしまいちょっとおかしいのですが、この言葉こそがややこしくなる原因なんだと思います。

それでは本題に入ります。
まず純粋派のスパのお尻叩きは躾けによる体罰の事をいいます。
親や先生が行う教育的な指導のための体罰で、虐待的な体罰ではありません。
大人がお仕置きを受けるのには自分の悪い行いを誰かに説教を通じ叱ってほしいというのが前提にあります。
また、不安な自分、寂しい自分、優柔不断な自分を見つめていて欲しいと望む気持ちも含んでいるものです。

その前提の上で二度と同じ過ちをしないようにお仕置きを望むのです。
お仕置きの痛みは恐怖です、痛くて辛いことです。
だからこそ意味があり、同じことをしてしまったらまたお仕置きされてしまうという気持ちから自分を立て直していくのです。
他に、お尻叩きで罰せられることにより、罪悪感が解放され心がすっきりするということもあります。

でも深層心理では構ってほしい、甘えたい、見ていてほしいというところがあるので、無意識に悪さをしたりしてしまいます。
そうなるとお仕置きされたくて悪さをしているんじゃないのって思われてしまう結果になるんです。
そこの部分がSMに通じるところがありMと誤解されやすいんですね。
でも無意識に構ってほしくて悪さをするのは子供がそうであるようにSMを求めているわけではないのです。
大人になるとそういうことを意識できるようになるので「私は変じゃないか」「おかしいのではないか」「Mではないか」と悩むのです。
しかし、大人も子供も同じで、結局は構ってほしいという甘えの部分の欲求や過去叱られてこなかった人の叱られる憧れという部分があるだけで正常な心の動きなんです。
ただ少しだけ、叱られることへの欲求が強いだけで性格的な部分も関係してきます。


で、SMのスパンキングもスパ同様に躾けによる体罰も行います、そしてSMの世界は広く深いのでSMのスパンキングの中にはスパのお尻叩きの要素を全て含みます。
そして教育的な躾もありますが、Sの価値観を受け入れさせる躾もします。
それだけにとどまらず様々な性癖が錯綜してなんでもありなのがSMの世界です。
いくら性的要素や快楽のない純粋なスパのお仕置きをしようとしても一般の人はどうしてもそれを”SM”の括りにしたがるのです。

でもやはりお仕置きを受ける側の意識は全く違います。
Mは人形や物として自分をおきかえたり、存在意義を否定され絶望感を感じたり、支配されている喜びを感じたり、苛められ叩かれている悲惨な状況の自分に酔ってしまったりと、そういう感覚でスパンキングを受けます。
スパンキングを求めるほとんどのMは痛みを快楽と感じたり、痛みを我慢している自分自身に感じたりしています。
また、SMのスパンキングには羞恥的な性的なスパンキングも含まれます。
恥ずかしい行為を我慢させるのもお仕置きであり、性的で嫌な部分も全てお仕置もきだからと片付けてしまいます。

そうなると、スパのスパンキングはSMのスパンキングの一部なの?
となりがちで、そこでまた誤解が生まれる原因なのですが、やはり区分けは必要だと感じます。
なぜかというと、それだったら家庭や学校での体罰はSMプレイの一部ですか?ってなるからです。
そういうことになってくると本当に体罰がなくなるのかもしれませんが、でも気持ち的に全く別物ですよね。
スパの中でもラブスパとか前戯的なスパとかがあって快楽を求めてスパをする人がいて、そういうものがあるからまたまたぐちゃぐちゃになってしまうんですよね。
だから性的な要素のあるラブスパはSMとして認識していくほうが理にかなっているかと思います。

ということで勝手に結論を出してしまいます。
スパのお尻叩きは性的要素を含まない、お説教がありお尻叩きがあり、アフターフォローのある成長の為のお尻叩きがスパのお尻叩きです。
なお、お尻を出して叩いたり立たせたりというのは日常にあるものなので性的要素としません。
つまり親と子供間での日常にある光景のお尻叩きをスパのお尻叩きとします。
そしてそれ以外の性的要素やいじめ、虐待的なスパンキングをSMのスパンキングとします。

まぁ、ぶっちゃけていえば、スパ趣味の人でもSMプレイをしたっていいんですよね、キーとカーはほんとにこのスパの世界とSMの世界を分けたがりますが、その中でもきちんとしたお仕置きの後にSMプレイをしている人も必ずいるわけで、くだらないこだわりを捨てて”これはスパではなくSMだ”と、認識をしていくことが大事なことなんだと思います。
要は意識の問題で、叩く側も叩かれる側もその意識の持っていきかた一つでスパ的でありSM的となってしまうということです。

そもそもキーとMは別物であってどちらか選ばなければならないという事はありません、キーであってMな人もいますしキーであってMじゃない人もたくさんいて、それはどちらでも自然な事です。
そもそもSMは人の性の部分なので孤立しているんです、スパは性ではなく日常生活での甘え方、意識の持っていきかたなのでそれはダブってもいいものなんですよね。
そしてお仕置きを望むからキーというわけではなく、ただの普通の人間なだけです。
わかりやすいようにキーなどとスパ用語を使っていますが、自分を見つめなおしたい、前向きに生きたい、心を安定させたいと思う人がお説教を受けに来る。
ただそれだけなんです、そしてその延長線上にお尻を叩かれることもあるんです。
こういう考え方が健全なのではないかなって思います。

女性であれば出会いは簡単です、でもこれらの認識のずれは必ずあるものです、特に弱い立場の女性側には重要な要素となりますのできっちりとした区分けこそ一番重要なのだと思います。
特に初心者のキーさんにはこの記事を通して自分自身の再認識、スパとSMの微妙な線、そこらへんの敏感な部分を感じ取ってくれれば幸いと思います。

とにかく純粋なスパを好む人が誰しも思っていると思うのですが、スパ=性風俗というイメージが定着してしまっていること、本当にそれは切なく思います。
なんて人間は勝手で、他人のことを深く理解してあげようとしないのか虚しくなります。
こんな世の中だからこそ苦しくなるんですよね。

スパは性癖だと考えてしまいがちですが私は性癖という表現はしたくありませんし性癖ではないと思っています、ただ人より真面目で、叱られることに憧れを持っていたり、叱られることで自分を維持できたり、前向きに生きれたり、心が安定したり、そういう欲求が少しだけ強いだけなのだと思います。
つまりこれは人間ならば誰でも持っている承認欲求であると私は確信しています。
スパに関してエッチな目で見てもらいたくないというのが純粋なキーの訴えでありますが、当然ですよね。

不器用で、ストレスも溜め込み、自分をどう方向付けていいか分からず、正しい道を教えてもらいたくて、間違っている自分を正したくて、、、
日々葛藤している人、苦しんでいる人がいることは事実です。
そんな子達をおとしめるような勝手なイメージは余計その子達を苦しめているんですよね。

純粋なカーという存在を探すためにどれだけ傷ついていることか。
心の闇を抱えている人は本当に切ないですね。
私はそんな不器用な生き方しか出来ない人たち、闇を抱えている人に魅力を感じるんです。

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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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