信頼関係

信頼関係で悩んでいる人、多いですよね。
家族は信頼できるが、他人とは信頼関係を築けない。
逆に他人は信頼できるが家族とは信頼関係を築けない。
更には家族も他人も全てに対して信頼関係を築けない。
ま、どれにしても精神的に辛いのは確かです、自分の心を吐き出せないって辛いものです。

他人との信頼関係が築けず、家族に依存してしまう人は確かに心に傷があり闇を抱えていますが、唯一家族は信頼できるということであれば、まだましなのかもしれません。
ただ通常は生まれてきてから一緒にいる家族と信頼関係を結びますが、それが出来ない人はどうなのでしょう?
他人や友達を信頼し、そっちに居場所を求めれば問題ないように思えますが、それが出来ない人もいます。
家族と信頼関係を結べない人たちはそれで精神的に参り、他人とも信頼関係を築きにくくなることもあるんです。

自分のこと全てを他人に話することは勇気のいること。
それは、その結果しだいでは自分の居場所がなくなってしまい、社会から抹殺されてしまうのではという不安に陥ることに繋がるからです。
そんな時は子供のころの無邪気な自分を思い出し、そのころに戻りたいと願ってみますが、そんなことは妄想の世界でしかありません。

家族の裏切りや、誰も認めてくれない、誰も理解してくれないという心の葛藤、
自分は誰にも必要とされていないと感じる絶望感。
こんなことを毎日毎日考えていたら誰でも精神的におかしくなります。
そしてこういうデリケートな話はなかなか他人には出来ません。
そう日本は特にそういうことを話すとすぐに異常な人扱いしてしまうからです。

好奇な目で見られ、あなたは精神的に異常だと罵られ仲間はずれにされる。
偽善者ぶった人には同情され、普通に幸せに暮らしていて傷みも分からない人に限ってアドバイスをしたがる。
こんな人ばかりの世の中だから余計自分の殻に閉じこもってしまうんですよね。
みんなと足並みをそろえて生活していくにはそういった苦しい部分を隠していくしか方法がないのですが、でもそれでは自分の心が壊れてしまいます。
肉体は、心が壊れても消滅したくても生きています、一瞬のうちに消滅できるのであればどんなに幸せかと考えてしまうこともあるでしょう。

こんな毎日では何かに依存していくのは当たり前のことでそれは人間の本能でもあると思います。
病院にいったとしてもそれは他人には隠していなければならない。
カウンセラーも話を聞いて処方してくれますが、結局は仕事であって本当の意味で向き合ってくれていないのかもしれません、それは金銭という見返りがあるからです
しかしまぁ一つの足がかりとなるからカウンセリング的な場所があるのですが、先生は一生その人たちと信頼関係を結ぶことはしませんよね、結局お金で動いているのですから。
心を開いて楽になり、精神的に落ち着いたとしても自分の居場所がなければまた戻ります。
本当に難しい厄介な問題だと思います。

しかし実際信頼関係を築けている人ってどのくらいいるんでしょうね?
信頼関係=何でも話せる相手という定義で考えます。
こういう究極な信頼関係ってあまりないように思います。
自分の駄目なところ、卑しいところ、汚いところ、腹黒いところまで全てさらけ出して話せる相手なんてそうはいないでしょう。
私はいません。

じゃあ、信頼関係って何なんでしょうかね。
多分、適当なものだと思います。
「お前のこと信頼しているよ」の言葉は心の声に直すと
「お前のこと90%信頼しているよ」なんじゃないかなと私は感じます。
だから人によっては信頼度は変わり20%もいれば50%もいるでしょう。
ま、社交辞令みたいなものでしょう、そんな適当な言葉なんだと思います。
人は傷つくことを恐れ、バリアをはり、最小限のダメージになるように無意識に調節するものです。
100%信頼して裏切られたときに心は壊れてしまいます、それがないように。

逆に言えば、人間関係で心に深い傷を抱えている人は純粋で心から人を信頼できる真っ白な人間なんだと思います。
信頼できるではないですね、信頼できたというべきでした。
しかしその結果深く傷ついてしまい心に傷を負ってしまう、なんという酷く理不尽な世の中なんでしょうか。

でも私はそういう人がうらやましいです、そういう人になりたいのではないんですけどね。
なんでなりたくないかというと、心無い人間に心を壊されてしまい精神が破壊するという恐怖からです。
そこからは未知の領域で、まさに生き地獄ですよね。
しかしそういう純粋な人たちに触れ合うことで私の心も浄化されてくような気がするんです。

100%の信頼関係って理想です、それを達成するためにその部分にだけ非日常の世界があってもいいと思うんです。
逆にその非日常の中でなら100%の信頼関係は十分可能だと思います。
恋愛感情ではなく、それを超越した最上にある信頼関係は無敵だと思います。

自分の苦しさやどうしようもない思いを吐き出し、一人の人間として客観的に見てもらいたくありませんか?
私はそういう世界を作っていきたいと思っています。
私にとってはこれは日常なんですけどね。
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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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