子供の躾け、子育て

子供を教育し躾をし、立派な人間に育てたいというのは誰しも思う親の気持ちだと思います。
それを実現する為には自分が育てられた環境を元に基準を設け、子供と接している人は多いと思います。
また、子育ての本、お受験の本などたくさん出ていますよね、それを参考にしている親達も多いと思います。
それだけ教育熱心、子育てに一生懸命なんですよね。

でも、私が思うに本の知識はなかなか行動にはうつせないと思うんですよね、というよりもそもそも根底にある子育ての心理的要因を理解するには普通にマニュアルを読んでいては駄目なんですね。

私は子育ては心理学であり最も難しい分野だと思っています。
というよりもそのように考えて取り組まないと子供を教育することは出来ないと思っています。
本を参考にするのは大いに結構ですが、その一つ一つの言葉にはとても深い意味が必ず隠されています。
それを言葉として認識するのではなく、心理学的に読み解かなければ全く意味がないんですね。
子育ての本というものはそもそもは心理学の本であり、その深層心理の部分を理解しないと全く役に立ちません。
意味を理解しないで本のまま行動しても子供には真意は伝わりませんし応用が利きません。
だから本のマニュアルを覚えるのは、それについての心理を根底に考えた上でないと意味がないのではないかと思います。

人の気持ちを理解することは心理を読み解くことと同じことです。
自分の価値観で「この子はこう思っているはず」と決め付けるのはとても危険なことであり、親としては様々な要素を想定する必要があります。
子供に関する一つの問題に対して、子供が何でこういうことをしてしまったのか、何を考えているのかということを何通りも考え、それぞれに対応できるようにしておくことが大切です。

悪いことをしたとしても、
「分かっていて悪いことをしたのか、構ってほしくてしたのか、むしゃくしゃしてやったのか、塾や学校のストレスがたまっていたのか、つい軽い気持ちでしたのか、悪気はなかったのか、虐めにあっているのか、精神的に追い詰められているのか、何かの信号なのか」等々
それらを総合して考える必要があります。
その状況により接し方や叱り方は違うわけであって、だからこそ一方的な個人の価値観だったり感情的に怒るということは絶対にやってはいけない事なんですね。
ただ、冷静にわざと感情的にというのは躾の手段ということもあります。
本の内容はこれらのことが根底にあって初めて生かされるバイブルだと思ったほうがいいと思います。

実際子育てっていうのは物凄く難しいことです。
それはいくら心理学を駆使したとしても自分の思うとおりの人間にはならないからです。
自分の方針と違う方向にいってしまったらがっかりする人もいるのでしょうが、それは親の理想でありエゴでしかないと思うんですよね。
本当のところは自分の子供は健康で幸せであればそれだけでいいと思うのですが、そこに親の価値観が入り込み複雑になっていってしまうんです。
だから親としては子供の未来にいろいろな可能性を見出してあげるという考えの下に教育をしていくことこそが大事だと思います。
しっかりとした躾も、お受験も、習い事も、塾も、全て強制だとしても、将来の可能性が広がる手段であると考えているのであればいいと思うんです。

でも期待のしすぎはいけません。
そう、可能性を広げている、選択肢をたくさん与えているだけで、後は子供の人生なのだから、それ以上は望まないことが理想だと思います。
まぁこれは出来そうでなかなか出来ないことですけどね。
過度な期待をすると子供は親の期待のために生きる人生になってしまい、親の期待に沿うことが自分の幸せと感じるようになることがあります。
そうなると挫折にとても弱くなったり、期待を裏切ることは許されないというストレスで精神的に歪む原因となることもあります。
親としては土台造りをしてあげている程度に思っていたほうが自分も子供も気が楽に人生を送れると思います。

私は大人をお尻ペンのお仕置きをして躾をすることがありますが、躾ている大人達を見ていて幼少期の躾や教育がとても重要なんだなってとても感じます。
子供の心理は子供に聞いてもわかりませんが、その子供が大人になれば幼少期の心理をしっかりと理解しています。
そのことにより、親の教育の仕方が子供心にどのように感じていたのか、どのような大人に育ってしまうのかがわかり、それを私は聞き、いろいろな観点から分析すると、親の教育による子供の成長がよくわかるんです。

叱るだけでも駄目、叱らないのも駄目、叩くだけも駄目、叩かないのも駄目。
叱らない、叩かないのはなぜ駄目かというと、そういう教育だと子供はないものねだりで叩かれたい、叱られたいと少なからず思ってしまうんですよね。
友達の話や目撃した光景、またテレビやアニメで叱っているのを見て、そこに愛情というものを感じ求めてしまう部分が少なからず出てきます。
要はその部分の小さな欲求が膨らみ、叱られる愛情というものを求めてしまい、それが成長するにあたりより大きくなってしまうからです。
だからバランスのよい愛情のかけ方が必要なんです。

叩くというのは危険な行為なのでここでいう叩くというのはお尻ペンのことです、お尻叩きですね。
それ以外の場所は感情的に手を出す行為であってお仕置きではなく虐待的行為だと私は思っています。

で、叱られたり叩かれたりされたことがない子供ってそういう場面を目撃するとうらやましく思ってしまうことが多いんですよね。
大人に真剣に叱られている、大人が真剣に向き合ってくれている、そしてそこには自分には向けられなかった大きな愛情があると感じて、だからこそ、その未知な部分を追求し、満たされない部分を補いたくなるんです。

実際叱られたり叩かれている張本人はそんなこと思っているはずもなく、嫌だし、むかつくし、親なんていらないなんて思ったりもするのですが、見ている人は自分がされたことがないからそこに愛情を感じてしまうんですね。

普通の環境でバランスよく育てられた子供やお仕置きを受けてきた子供は、叩かれるのは嫌なことっていう意識があるので、自分の子供には叩かないという考えになり、今それが増えているんですね。
でも虐待的な体罰ではなく、愛情のあるお仕置きの場合はそれがトラウマになっているわけでもないし、親を嫌うなんてこともないし、親が好きだし、愛情も感じていたしという子が多いんですよね。
間違っていることを正されていたわけなので大人になればお仕置きの意味が理解できるようになり、自分のためであり、愛情からだと気がつき、より親が好きになったります。

でも叱られたり叩かれたりの体験をしていない人は、悪戯をしてこっぴどく叱られている人を見たり、アニメやテレビでお仕置きシーンがあるとそこに自分には与えられていない愛情や魅力を感じ、ドキドキするようになってしまうことがあるんです。
いい子でいる子は叱られたいと思っても悪いことや悪戯ができないでいて、勇気を振り絞って些細な悪戯をしたとしても普段いい子でいるからということで大人はみて見ぬ振りをして叱らないことが殆どです。
だからこそいい子ちゃんは特に”お仕置き”に目覚めることが多いのでしょうね。
今は体罰である躾やお仕置きは否定され、いけないこととして世界中に広がっていますが、私はお尻叩きのお仕置きについては愛情表現の一つだと考えています。
それは実際の成長した大人を見てそう思うようになったんです。

今は叱られてきて、お仕置きや体罰を受けてきた子供が大人になり、子供を産んでいます。
過去に嫌な思いをしたからこそ体罰はなくそうと世界中に広めています。
そして叱られたり、お仕置きを経験しない子供たちが今はもう成人になっています、ゆとり世代ですね。
でもその子供たちの一部はとてもとても愛情に飢えていて、その愛情というものは大人に真剣に向き合ってもらうことであり、間違っていることをしっかりと叱られることなんですよね。
だから今まで与えられなかった愛情をお仕置きという形で受け、心の隙間を埋めているというのが現状にあります。
子供のころに甘えられなかった部分を体験したい、そして満たされたいと思ってしまうんです。
人間ならば誰しも持っている甘えたい欲求なんですよね。

そういう子たちがスパ(お仕置き)の世界に入り込むと、本来のシンプルなお仕置きとは違う、作られたスパの世界でのお仕置きの価値観を無意識に植え付けられてしまいます。
昔から興味のあったお仕置きをネットで検索してみるとそこには大人のお仕置きである”スパ”しかないわけでその世界に染まるしか方法がないからなんですね。
だから私は、そういう作られた世界に洗脳され、依存していってしまう子たちに、本来のシンプルなお仕置きを思い出してほしいという気持ちでこのブログを始めサイトでも発信しているつもりです。

お仕置きの世界に入り込むということは一部分の欲求が過度に満たされなかったから起きる現象で、それは人間はないものねだりだからだと思います。
だから均等に愛情を与えることが大切なのですが、そのサジ加減は個性によって違い、とても難しいことです。
ただそういうことも踏まえて、均等な愛情を与える意識を持って子供と接していれば今とは違う新しい子供との関係が築けるかもしれません。

子供のころのいい子はいい子ほど問題があると思います。
いい子だからよしとするのではなく、子供がいい子でいるのであればそれこそ問題だと思って子供を真剣に見てあげてください。
親に気を使っていい子でいる子もいますし、親の機嫌をとるためにいい子でいる子もいます。
そしてそういう子は感情を上手く表現できなくなったり、自分で判断する能力も低くなりがちなので、自分で行動できるような試練を与えることが大事だと思います。
たまに悪いことをするようになったらそれは喜ぶべきことであって、ただ悪いことは悪いと叱らなければなりませんが、それを嫌悪するのではなく、子供の成長という面で安心するという気持ちを持てば苦にならないでしょう。

結局は子育てに正解はないんですよね、その個人の性格もあり、学校の環境もあり、出会った人の影響もあり、親はただ子供の人生のサポート役でしかなく、それを十分に理解して接することこそが子供の為であり、その事を理解して教育、躾、子育てをしていくのが自然だと思います。
あまり周りと比較せず、自分の思い通りになるなんて考えず、一人の個性のある人間として尊重してあげることが大事です。
頑張りすぎず、肩の力を抜いて、何のために子供を教育しているのか、子供ではなく、まず自分を見つめなおすことが一番大切なのかもしれません。
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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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