ゆとり世代の代償

ゆとり教育とペアで使われたスローガン「ナンバーワンよりオンリーワン」
個性を認めあい、自分を大事にし、空気を読み合い、自我を抑える。
順位というものをつけることを極力避け、競争するということを教えず、嫌なことは無理してやることはないと個人を尊重して教育をされて来た世代ってありますよね。
でもそのように育てられたらどういう大人になるでしょうか。
それでも流されずに自分をしっかり持っている人は問題ないですが、競争心や誇りや自分の意思を持てないままに大人になってしまった場合です。

はっきりいって社会人としては通用しません、社会という競争の世界では通用しません。
通用しないから変に個性を大事にしあきらめてしまい、ニートやフリーターが蔓延しているのでしょう。
学校で教えられてきたことが社会では通用しなかったのですから当たり前のことですね。
社会に出たら激しい競争が待っていて競争力をつけてこなかった人たちが脱落していくのは必然でしょう。

オンリーワンとはその分野のナンバーワンじゃないかという解釈もありますが、ようは世界には自分という存在は一人しかいないという意味で世界という分野でナンバーワンということなんでしょうね。
もちろん人間の性格や個性に順位をつけることはできませんからそこから来ているのでしょう。
でも世界で唯一の存在だから競争は無意味ということは間違った解釈でこのスローガンにより弱い人間を育ててしまったゆとり教育は間違っている部分もあるのではないかなって感じていました。

それに、全員が納得のいく生き方なんてありませんよね、会社勤めがいいと思う人、自由業がいいと思う人、働かないで生きていきたい人と様々です。
また自分にとってはなんでもないことでも他人にとっては大きな幸せなことってあります。
不幸なこともそうですね、自分にとっては些細なことでも他人にとっては大問題で精神的に参ってしまうことってあります。
結局そういう人間性に対して、人の価値観に対しては優劣をつけることは出来なくて、そこがオンリーワンなだけなんだと思います。

自分らしく生きるということは自分の幸せを見出すことといってもいいでしょう。
でも自分らしさってなんなんでしょうか。
私も含め、それが分からない人が殆どではないかと思います。
ただ、人間は欲求を満たすことを目的とするというのが根底にあるのだと感じます。
欲求が満たされるから幸福感を感じ精神的に安定し心の健康が保たれるからです。
ただ、心の全てが満たされるなんてことは絶対になく、例え今の欲求が全てが満たされたとしても、今度は新たな欲求が出てきてしまうんですね。
今の人たちは大きな幸せ、仮想の幸せを求めすぎで、些細な幸せに気がつかず感謝できていない人が多いと感じます。
だからいつも何か満たされないと不安になったりするのでしょう。

しかし例えば喉が渇いたときに水を飲みますが、それってとてもおいしいですよね。
そういう細かいことに幸せを感じられたらよりたくさんの幸福感を得ることが出来ます。
でもこういう些細な幸せって、自分がどん底の環境に落ちた時にやっとそこに気がつくという人が殆どです。
どん底や絶望を知らない人、失敗を経験していない人は些細な幸せを当たり前だと感じ、それに対して感謝という気持ちを忘れてしまっているのだと思います。

自分の幸福度みたいなのを測る機械があったとしてその順位はどのくらいでしょう。
今世界の人口は70億人くらいです、その中で比較したら日本人はどんなに幸せかが分かるでしょう。
そして今の生活のありがたみを感じることでしょう。
余談ですが、今の中国の人口は14億人くらいいますが、今から150年前くらいの世界の人口と同じくらいだったんですよ。
急激な人口増加って恐ろしいですよね、少子化は日本特有の問題であって発展途上国では爆発的な人口増加が起こっているんです。

話を戻します
個性を大事に、オンリーワンというスローガンは間違ってはいないのですが、それを拡大解釈し、競争することをやめてしまったことが間違いであり、それを教育してきた教育者達に責任があるでしょう。
もちろんそれでも平和に生きれるでしょうが、今の時代は世界的に競争の社会なので問題なんですね。

更に不幸なことにバブル崩壊後今に至って不景気が続いています、ゆとり教育と負のスパイラルで若者の一部は努力しても競争しても無駄という意識になっていますよね。
今もアメリカンドリームという言葉は死語的になっていますが、日本でも昔は頑張れば報酬として返ってきていました。
しかし、今はどんなに頑張っても報酬としては返ってきませんよね。
そして一部の成功者だけが巨万の富を得て裕福な暮らしをしている。
昔のバブル期はある程度平等に報酬が上がっていました、会社員であれば給料が上がっていきさらに頑張ればそれ相応の報酬がついてきました。
しかし今はサービス残業は当たり前、会社の業績が落ち、そのつけを部下に八つ当たりをし、給料も下がり、悪循環ですよね。
学生生活で競争させ、順位をつけさせることの弊害も確かにあります、ただこういう情勢だからこそ若い者が立ち上がり世の中を自分が変えていくという志を持っていかないと日本は落ちていくだけだと思います。

なんでも人任せ、嫌なことからは逃げ、他人の責任にし、自分を正当化する。
目標をもてないで何のために生きているのかさえもわからない。
命があるから、自分から命を絶てないからなんとなく生きているという若者が多いような気がします。

でも、働いても働いてもそれは生活費で消えていき、将来の貯蓄が出来ない以上、結婚はもちろん、子供も作れない。
そうなると一生貯蓄できずに働くだけの生活、そして老後は絶望的です。
年金も不安定で、もらえるかどうかが分からないような議論もされていて、もらえたとしても生活が出来ない額。
もうこれではどうしようもありませんね。
希望が持てず無気力になってしまうのは必然なんでしょうね、そう思います。

不景気はある程度しょうがありませんが、それを何とかしようとするのが政治です、また、このようなゆとり教育をしてきたのも政治です。
せめて政治の責任で老後の不安をなくしてほしいものです。
そうすればいろいろなことにチャレンジが出来るし何かしらの希望も持てるはずです。
老後が保障されていれば貯蓄なんてする必要がなく、自分がやりたいことに思い切ってチャレンジできます。
例え失敗しても保障があるようなものですからね。
様々な能力を持った日本人がいるのに今はその人たちが舞台に立てず眠っている状態です。
でも老後の生活が全て保障されるなら、消費税が例え30%でも安いと感じます。
そうはいっても現在は政治に対する信用がないのが欠点なんですけどね。

今の若者に希望を持たすような政治、そして希望のある日本になっていければ必ずいい方向に変わっていくと思います。
希望があるから生きがいがあるんですよね、絶望に向けて生きていくことの辛さは耐えられません。
今は絶望の中で生きている人間がとても多いです、それは金銭的にも精神的にもです。
とりあえず老後の金銭面だけでも楽になれば精神的辛さの一部分が解消されるでしょう。
少しでも精神的に安定すれば心に余裕が出来てきます、その中で人の痛みを感じられるような人間を育て、人間味のある暖かい世の中にしていけたら理想だと感じます。

ぐだぐだとくだらない議論ばかりしている政治家や官僚にお仕置きをしたいくらいです(笑)
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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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