カーの魅力

キー(お仕置きされる側)の魅力ってありますよね、それは誰でも理解できると思います、構って欲しい願望、甘えたい願望って誰でもありますし、誰かに真剣に見ていてもらえるって幸せなことですからね。
そして真剣に成長のために叱ってもらえるって前向きな人や完璧主義の人には嬉しいことではないでしょうか。

でもカー(お仕置きする側)の魅力ってどこにあるのか不思議ではないでしょうか。
ディシプリン派のカーとは性的要素を含まないことをいうんですけど、それを同じカーでも理解できない人が多いようです。

そういうS要素があるカーは
性的なことを少しは含まないと面白くないと考えていたり、
性的要素を含まずにスパができるのは本当のカーではないとか思ったり、
そのディシプリン派のカーの存在自体を否定するカーがいることは事実です。
まぁ性的なことを少しでも考えているカーや叩きたいだけのカーであれば絶対に理解はできないでしょうけどね。

キーやカー、スパ等、意味が分からない人はスパ用語を見てください。

また、キーさんの多くは
「性的なことはしないでください」
と前もって宣告して、その条件でパートナーを探すのですが、多くのカーはただ会いたいだけで、とりあえず性的なことを隠して会う人が多いみたいですね。
そして約束どおり性的なことをしないでお仕置きをするのですが、数ヶ月もすると自分の求めていることと違うので離れていってしまったり、性的なことをしようとして拒否されてしまい、それでは面白くないので関係を辞める人が多いようです。
その場合は決まって仕事が忙しいとか時間が作れないとかで自然消滅に持って行くようです。

正当なディシプリン派のお尻ぺんのお仕置きは躾の為にする行為です。
純粋にディシプリン的なお尻叩きを望んでいるキーさんが多いのですが、逆に性的であるSM的なお仕置を望んでいるカーが多く、その両者がパートナーになってしまうことが多いんです。
カーの多くは最終的には性的なものを含むことに魅力を感じている人が多いのでキーさんはそれを見極めて、それを受け入れるのか受け入れないのかという信念のようなものをしっかり持っていないといけませんね。

話が飛んでしまいましたが、カーと名乗る人の多くのカーは、多少なりとも性的な魅力があるから叩くことに魅力を感じる人が多いのが現実みたいです。

で、私が感じるスパ(お仕置き)の魅力っていうのはそのような性的なものを全く求めないんです。
性的なものを求めるのであればそれはSM行為等で吐き出せばいいことで、スパの時はそれは一切必要ありません。
スパの魅力は相手が大人であること、そしてその大人が叱られることを求めているというところにあります。
もちろん叱られる内容には道徳的な正当性があることが条件となりますが。
常識に反する行為、迷惑をかけるような行為はやってはいけないこと、それをしてしまったことに対して叱られ、反省をするわけです。
当然のことながらそれを求めているので正当性さえあれば喧嘩にならない、言い訳や無駄な抵抗をしても、最後には素直にごめんなさいをする。
ようするに聞く耳を持っているんですね、というよりも悪いことを認識しており、既に反省もしているわけです。
私はそういう心の全てを出してくれる行為に魅力を感じています。
近い友達や彼氏、家族にも言えないようなことでも打ち明けてくれる行為。
私を必要としてくれ、お説教とお仕置きによって心が安定し、前を向いてくれる。
私を必要としてくれるからこそ私は相手を好きになり相手のために叱り、前向きに歩いて行ってもらいたいんです。
それが結果私が満たされることにつながります。
お尻叩きは結果論で、こういう精神的なやりとりに私は魅力を感じています。
だからスパの世界観とは違うというか魅力を感じている根底が違うんですね。

日常よくあることですが、正当性があるにもかかわらずそれを主張しても通らない。
間違いであることを追求しても価値観の違いや相手に屈したくない一心で話がかみ合わない。
その結果感情的になって喧嘩をするなんてことは世の中たくさんあります。
それが親子でも恋人でも友達でも他人でもです。
それってもの凄く歯がゆいし理不尽でもあるし、正当性のあることが聞き入れられないって本当に腹が立つものです。

逆に最終的には素直に非を認め、こちらの話を聞き入れられると自分の正当性が受け入れられ気持ちがいいものです。
キーとカーの関係性、魅力の一つはそこにもあり、キーさんは悪いことを既に認識しているので当たり前のことですが理解してくれるんですね、きちんと聞く耳を持ちごめんなさいができる子なんです。
結局はお説教を受けに来ている前提ですから、聞く耳を持っていて話が通じるんですね。

更にお尻ペンのお仕置きを求めているというところも魅力です。
精神的には求めているけど、求めていない自分もいるというところがいいですね。
求めてばかりは困りものですが、そのバランスは難しいのです。
ただ、お仕置きは本当は嫌だという気持ちを持っているというところが大切なところで、そこも魅力です。

私は嫌がって、痛がって、必死になってごめんなさいを連呼する姿に可愛さと愛おしさを感じてしまうんですね(汗)
だからといって虐待的な痛みを与えるのではなく、その人それぞれにあった限界を探りつつ手加減をして痛みを与えます。
痛がって嫌がってごめんなさいをする仕草にとてつもない”温もり”を感じてしまいます。
まぁ本来”痛い”からといってごめんさいを言うのはいけないことなんですけどね^^;

まだ魅力はあります。
子供ではなく大人であること。
大人が子供のようにお尻を丸出しにされてお仕置きをされている、このギャップがとても好きです。
大人ですから子供と違って恥ずかしいという気持ちがかなり強いはずです。
子供に返っているといっても精神的に全て子供に戻ることはできません、そういった部分も人間の素の部分として感じることができるので好きです。

あとはお仕置きのあとのスキンシップも凄く癒され楽しい時間です。
お仕置きで叱り、反抗し、嫌がり駄々をこね、最終的にはごめんなさいをし、お尻を叩かれ、普通だったら嫌われてしまうような行為をしてもお仕置きが終わると甘えてくる。
こちらも相手がきちんと反省できたときには全てを許し受け入れる。
その時に「いい子いい子」と頭を撫でてあげたり、相手が求めれば抱っこをしてあげたり、甘えさせる時間、愛情を感じさせる時間をたっぷりととってあげます。
それは私の癒しの時間にもなり、これは私も満たされることにつながるんですね。

こちら側のお説教に正当性さえあれば厳しくしても嫌われない、そういう前提があるからこそきちんと叱ることができ、お尻ペンができるのだと思います。
好かれようとすれば加減して叱ったり痛くないようにお尻を叩いたりとするのでしょうが、その必要はなく、それも魅力のひとつです。
もしそれで嫌われてしまいキーさんが離れていったらそれはスパ観の違いだと認識できるし、価値観の違うキーさんを追いかけることはしません。
ただ、追いかけはしませんが、戻ってきたら受け入れますけどね。
戻ってくる”しおらしさ”がまた可愛くて、なんだかんだ戻ってくるって嬉しいものです。

でも本当に逃げたいのであれば、自分にあったカーを探すべきだし、私も自分を曲げてまでキーさんの機嫌をとるようなことはしたくありません。

キーさんとはお仕置き以外では友達以上恋人未満のように仲良くしていたいです。
お互いに敬語を使う必要もないし、我侭をいってみてもいいし、それがキーさんの可愛いところだと認識しています。
そういうキーさんと関係を持つことが出来るカーにはまだまだ細かいことになりますが、たくさんの魅力があると私は思っています。
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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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