お尻ペンペンのお仕置きの必要性

お尻ペンはお尻叩きのことで、英語で言うとスパンキングですが、スパンキングという言葉を使うと日本では性的な意味合いとなってしまうので私はスパンキングという言葉は好みません。
また、スパ用語というものも極力使いたくはありません。
ただその言葉を使わなければ通じないこと、届かないこともあるので最低限は使用していますけどね。
少しでも遊び的要素、SM的要素や性的要素が入ってしまうと親と子供的なお仕置きをコンセプトにしている私には違和感が出てしまうのでそういった言葉や雰囲気はもちろん意識でも排除しているんです。
だから私は「SM的なお仕置きやスパンキング」と「ディシプリン系のスパ(家庭で実際あるお仕置き)」をきっちりと分けたいんですね。

私のスパ(お仕置き)としての方向性は性的な要素が全くありません。
それでないとスパ(お仕置き)は成立しないものだと私は思っているからです。


本題に入ります。
お尻ペンのお仕置きの必要性ってあると思うんです。
もしかしたらお仕置きは子供よりも大人の方が必要なのかなと最近感じます。
子供は無邪気に生きている為、我慢をすることはあまり無く、我侭をいい、迷惑をかけ、そして叱られ、いろいろなことを覚えていきます。
そこにお仕置きがあってもなくても善悪というものを覚えていくものです。
ここで大事なことは大人と比べて我慢をしていないこと、つまり大人レベルのストレスを抱えていないことです。
家庭環境によっては強制的に我慢をしたり性格により悪いことができずに我慢し続けている人もいます。
学校などで過度なストレスを抱えている人もいるので全てがというわけではありませんが。
まぁ幼少期の子供というものは我慢しすぎてはいけないと私は思います。
悪戯をし我侭をいい、そして叱られることによって愛情を感じ、善悪の判断をしていく方が精神健康上はいいからです。
そしてそういう愛情を感じられなかった人がスパ(お仕置き)の世界であるお仕置きに憧れや甘えを求めてしまうのだと思います。

大人になるとどうでしょうか。
社会生活は我慢だらけでそれが当たり前であり、周りと比較して我慢比べをしているようなものだと私は思います。
当然のことながらストレスがたまり精神的に不安定になります。
落ち込みたくても周りを気にして明るく振舞ったり、空気を良くしようと努力をします。
ふと、自分の存在は何なのか、存在して意味はあるのか、自分が生きている必要性はあるのかと考えてしまったりします。
何か壁にぶつかった時はもう既にボロボロになっていますが、それを悟られないようにカラ元気になって振舞うしかありません。
大人になるということは我慢することであってそれは自分を出せないことにつながって、それってとても辛いことですよね。

社会的なルールを守って生きているわけですから叱られることもないし、何かをしたって褒められるわけでもない。
また、例え間違っていることをしてもそれを叱ってくれる人がいない、そしてそれを指摘してくれる人さえいない。
叱られたとしてもそれは上司の機嫌や都合での叱りで、決して本人のためではありません。
自分が正しいのか間違っているのか、頼れる人もいないし自分自身で解決をしなければならない。
大人だって人間です、そして人間って弱い生き物なんです。
周りには偽善で取り繕った仲間がたくさんいますが実際は一人ぼっちです。
寂しくて何かにすがりたくてもそれはできなくて、本当は弱い人間なのに強がって生きている人が殆どなんですよね。

そんな時、誰しも思うのは「子供の頃に戻りたい、子供になりたい」
子供のころのいい思い出や子供のころ我慢してたこと、憧れていたこと、やってみたかったこと、してほしかったこと、等々子供に戻りたいって誰しも思います。

そんな中で今のストレスを軽減するにはどうしたらいいでしょうか。
話を聞いてもらうこと、そして甘えることではないでしょうか。
また、自分に無関心というのが一番辛いことですから、駄目なことをしたら叱られる、良いことしたら褒められるということも求めてしまうのではないでしょうか。
無邪気な子供に戻って、やりたいことや我侭を思いっきりして、今まで我慢してきた悪戯をしてみたり、自分の駄目な所を告白したりする。
とにかく本当の自分、隠している自分や願望を出してしまうことこそが大切なんです。

悪いことをすれば当然にお仕置きが待っています。
愛情があり、真剣に見てくれているからこそ叱られる、そこが満たされる部分なのではないでしょうか。
子供に返っているわけですからお仕置きは嫌で暴れたり言い訳をしたりして逃げようとします。
子供に戻っていれば心から泣くことができるかもしれません。
涙を流すというのはストレスを取り除くのに一番手っ取り早い方法です、だから落ちる時はとことん落ちてプライドなんか捨てて本気で泣いた方がいいんですね。
泣く兆候があったら、恥ずかしいからと我慢するのではなくこれはチャンスだと思って思いっきり泣くことをしてみてはどうでしょうか。

反省できたと判断できたらお仕置きが終わります、お仕置きが終わったら今までの悪事はお咎め無しになります。
反省が出来て、もうしないと約束できれば過去のことには一切触れません、お仕置きは責任を取る一つの方法であり罰であり、罪悪感の解放でもあり、罪の償いの方法なんですね。
だからこそお仕置きを終えてからネチネチいうことはご法度なんですね。

いい子になったので膝の上にのせて頭を撫でてあげていい子いい子してあげる。
反省できたのだから思う存分甘えさせてあげる。
大きな愛情の中に包まれている抱擁感はとても心が癒されるものだと思います。

この甘えさせる行為ことこそ、お仕置きの中で一番重要なことと私は認識をしています。
ここで愛情をたっぷり与えてあげることこそ大事なんですね。
それによって子供は嫌われていたわけじゃないと理解し、自分のために愛情を持って叱ってくれたんだと分かり安心できるのだと思うからです。
だから思う存分甘えさせることが必要なんですね、いっぱいお話していっぱい話を聞いてもらうだけでも嬉しいですよね。

お仕置きに憧れを持つ人たち(キーさん)は無意識のうちにこのようなことを考えているのだと私は思います。
ただその過程が分からず、「お仕置きしてもらいたい」と直結してしまうので「自分は変なんだ」と悩んでしまったり、違う路線のSM的なスパンキングに行ってしまったりして傷ついたりもしてしまうんでしょう。
どちらにしてもお尻ペンのお仕置きは本当に奥が深く、大人の精神面を癒すにはとても大切なことだと思います。

だからこそ子供よりも大人の方がお仕置きが必要であって、それによってストレスから解放できれるのであれば魔法の儀式ですよね。
明日からまた頑張ろうという前向きな気持ちにもなるでしょう。

でも、お尻ペンのお仕置きは痛いんですよ、痛いと文句を言ってみたとしてもそれは悪い子であった自分の責任ですから^^;
人間誰でも自分を真剣に見てくれる人に出会えたら幸せなものなんです。
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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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