幸せは幸福感

幸せになりたいというのはみんなが思う願望でもありますが、この幸せって何をもって幸せなんでしょうか。
みなさん幸せになるために努力をしていることはあると思いますが、幸せというのは何かというと、幸せを感じる事=幸福感です。
こんなの当たり前の話なんですが、難しく考えすぎてこんな単純なことに気づいていない人はとても多いようです。

親は子どもの幸せのために学歴重視で勉強をさせたりする家庭もありますが、これはいい大学に行けば、いい就職先があり、それが社会的ステータスを生み、経済的な安定と、それ相応の人と知り合って結婚できるという、幸せの可能性を高くするためのものでしかありません。

もちろんそういった幸せになれる可能性を高めるのはいいことではありますが、勘違いしてはならないのは、それで幸福になれるわけではないということです。
それらが揃っていたとしても、心に幸福感が生まれない限り、幸せにはなれないんですね。

自分の意志や力で生きてこなかったりしたら、生きている実感を感じることはできないし、自分の人生は誰のためのものかと悩み、そういった虚しさの壁にぶつかるのは時間の問題です。

また、自分より優れているであろう他人と比較ばっかして自分をおとしめたりしていたらそれはそれで幸福感なんて感じることはできませんよね。
更には、一つの欲望が叶ったらそれで幸せなのに、その幸せに慣れ、更なる欲望を持ち、その繰り返しをしていると、いずれ叶わない欲望にぶち当たったりして、そうすると満たされなくなり、不幸感を感じてしまうのです。

結局は幸福を感じるのは心の持ちようという事なんですね。
他人と比較するのはしょうがありませんが、その比較の方法を変えていかなければならないし、今ある満足に慣れることなく、絶えず感謝し、初心を忘れない心は幸福感を得る必須条件です。

俗にいう、お金持ちは幸せだと思われがちですが、不幸感を抱えているお金持ちは沢山います。
もちろん心の持ちようで、幸福感を得ているお金持ちも存在していますが、それでも欲に限界が無ければいずれ心は不幸になっていきます。

逆に貧乏は不幸だとされていますが、心の持ちようで金持ち以上に幸福感を感じて生きている人は沢山います。
もちろんお金が欲しいとか、子どもにいい思いをしてほしいとかの欲望はあっても、それを半ば放棄していることによって、今ある幸せを感じることができたりします。

ただし、貧乏でそれを悲観的に捉え過ぎている人はとってもとっても不幸な人といえるでしょう。
何をするんでも自分を卑下し、どうせ私なんかという考え方をしてしまう、そういう性格の人は不幸のどん底に陥ってしまいます。
幸福になりたいのであれば、その部分の心の捉え方を変えていかなければどうしようもないのです。

日常生活ではうまくいかない事ばかりで、心の持ちようといってもそう簡単にはいきませんが、大きな波に飲み込まれようとも、必死にもがいてどこかにしがみき、息苦しさに耐え、なんとか自分を保っている人は多いと思います。
それでも幸福になれるようにするには物事の捉え方を変えていかないといけません。

お仕置きは幸せを感じる方法でもあると私は思っています。
キーさんの心理は、お仕置きで満たされるという単純な発想ですが、そこには奥深い心理的要因が隠されているものです。

ダメなところを叱られる愛情、
それでも見放されずに厳しい罰を与え、与えられる信頼感、
痛いお仕置きにが終われば許されるという安堵感、
その後のスキンシップで、本当に自分のためを思って叱ってくれたんだという嬉しさ、地獄から天国への大きなギャップへの高揚感。

この一つ一つに幸福感があるのですが、更にそれが組み合わさったところに究極の幸福感が生じ、こうしたお仕置きの一連の流れで心が満たされるのです。
これも実は心の持ちよう、捉え方で、お仕置き心理を紐解くとこのようなことになるのでしょう。
だからこそディシプリンスパのお仕置きには、正当な理由が必要で、それに対するお説教、その流れでのお尻叩きの罰、そして許された後のアフターフォローが必須なんです。

心が悲鳴を上げているからこそ、お仕置き欲も強くなってくるのです。
そういった部分を満たすには、自分を晒して、それを受け入れてもらう事、その上で真剣に叱られること、それで前向きに考え方を直し、自分を成長させ、それを自分自身と叱ってくれた相手とで共有する。

単にお尻を叩くという事ではなく、お尻叩きはおまけみたいなもので、こういった心の部分を埋めることが本来のお仕置きだと私は考えています。
このお仕置き行為で一時的に幸福感を感じるのではそれはそれでいいことだと思います、そういう幸福感の受け取り方ができればそれを意識すればいずれ幸福になれる考え方もできると私は思っています。

このように考えるとお仕置きを依頼してもそれは変な行為ではないですよね、少なくても私のお仕置きはそういった考え方の元で構成していますから、お仕置きありきでもなく、対話や心のやり取りが重視なんですね。
幸せになるには心の持ちようで、幸福感を感じること、それを忘れないように日々の生活を見つめなおしてみて下さい^^


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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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