叱ると怒るの違いと叱り方

叱ると怒るっていうのは同義語として扱われることがありますが、私の中では全くの別物です。
怒るというのは感情のコントロールができない怒りのことだと思います。
怒りだとつい愛情を忘れてしまったり、酷い言葉を発したりしてしまいます。
それでは相手に反省を促すのではなく恐怖を植え付ける行為になってしまいますよね。
怒るとは相手のためではなく、自分のためにすることなんではないでしょうか。
ですから私はお仕置きの時には怒ることはしません。

逆に叱るというのは相手に良くなってほしいと願い、善悪を理解させ、本人に反省させるという愛情のある行為だと思います。
なので感情的にならずに冷静に話をする必要があります。
時には声を荒げたり恐怖感を与えたりすることも相手によっては必要です、しかしそれは冷静な上での表現方法であって叱る手段の一つと思っています。
相手に対して成長を願う愛情が込められていなければそれは叱りではないと思っています。
あくまで相手の成長のために、さらに向上してほしいと思う気持ちがあってこそ叱りなんだと思います。
怒るは自分のためですが、叱るは相手のための行為です。
私はお仕置きの場合はこの”叱り”をします。

そして叱り方というのが結構難しいんですね。
ただ単に叱るのは誰でも出来ますが、何故駄目なのかを説明して、それを理解させ、反省させるのは難しいんです。
一つの事柄だけならパッと言葉は出てきますが、世の中無数の罪悪があります、そしてその罪悪の判断にはある程度の個人的価値観もかかわってきます。
道徳的な価値観を元に判断をしますが、理由を説明しても”何故?”といわれてしまえば説明は難しいんですね。
結局は「他人に迷惑をかける行為だから、そして自分も嫌な気分になる、自分がされても嫌でしょ」的なことをいうのですが、それでも”何故”といわれてしまえばもうお尻を叩くしなくなっちゃうんですよね(笑)
でもお仕置きを受けに来る子は、そういう事を言って相手を困らせ、それでも一生懸命に叱ってくれる事に愛情を感じてしまうのかもしれませんね。
ただ、そうであればこちらとしてはいい迷惑です(汗)
結局そういう人を受け止める的なことがお仕置きには必要なので、相手に操られようが、駆け引きをされようが、それはそれなので構わないのですが、まあ、愛情の裏返しで憎たらしくはなりますよね(笑)


叱り方ですが、叱るので一番いけないパターンってあると思います。
例えば

「~に怒られるから駄目だよ」的な。
「バスの運転手さんに怒られるから静かにしなさい」
「お父さんに叱られるからやっては駄目!」

このような叱り方は日常にあふれていますが、叱られるからやっては駄目というのは最悪な叱り方です。
つい口にしてしまう気持ちは分かりますが、教育上はよくありません。
その他にも軽いパターンとして

「ここで遊んでは駄目」
「お行儀よく食べなさい」

これらも普通に使ってしまいますよね、でもその都度でなくてもいいのできちんと理由を説明することが必要です。
子供は何が正しくて何が間違っているか、更に善悪の基準も曖昧にしかわかっていません。
なので大人の常識を子供に理解させるように説明し、その上で反省させないといけません。

大人相手でも同じです。
当たり前のことを説明してあげることによってその理由を再認識することがよくあります。
「何で駄目なの?」「別にいいでしょ」
というのは誰しも心の中にあるのですが、やはりそこは当たり前のことでも説明し、叱ってあげ、過ちを指摘してあげることが必要ではないかと思います。
そして「本当に悪いことをしたから叱られているんだ」ということを実感しさえすれば愛情を感じるのだと思います。

お説教の後はお尻叩きのお仕置きへと移ります。
反省していてもしていなくても悪いことをした代償として、責任を取る一つの手段としてお仕置きをします。
なかなか反省できていない子や素直にごめんなさいをいえない子でもお尻叩きで痛みを感じることによってもう二度としませんという気持ちから反省をします。
体罰を受けたから反省をするというのはどうなのかと反論はあるかもしれませんが、お尻ペンのお仕置きは、その気持ちを引き出す手段であって、その痛さや恐怖によって道徳観を胸に刻み込む一つの方法であってもいいと私は思います。
それによって善悪の判断がつき、悪いことをしなくなるのであればいいと思うんです。
お仕置きしなくてもそれが出来る人、お仕置きがなければできない人、それは人それぞれなのでその個性に合わせたお仕置きをすればいいのではないかと感じます。

お仕置きが終わったらしっかりと甘えさせてあげます。
飴と鞭って言葉そのままですが、厳しく叱ってお仕置きをするわけですが、反省できたあとは相手を暖かく受け入れ、甘えさせ、愛情を感じさせる。
このことが叱るという流れの中で一番重要なことだと私は認識しています。
最後にはきちんとした形で愛情を注ぎこみ、愛情を感じさせてあげる。
ここまでの一連の行為が叱るということであって、そうでなければ愛情を感じることは難しいのではないかと思います。

大人も子供も精神構造は深層心理の中では同じです。
それを大人は今までの経験や作り上げられた常識で、子供のころに感じていた純粋な心を打ち消しているだけなんだと思います。
大人だって叱られることが必要だし構ってもらうこと、甘えることが必要なんですよね。
それが心の健康であり、心の安定につながるんです。
大人でも子供のころの純粋な気持ちに戻っていいんです、
いや、むしろ純粋なころの気持ちに戻る必要があるのではないかって私は思います。
人間にとって、とっても大切なことなんではないでしょうか。
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スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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