歪んだ愛情? 続き

前記事の続きです。

歪んだ愛情というのはつまり、相手を困らせてその反応で愛情を得るということです。
相手が嫌がるであろうことをして、その反応の度合いで愛情の大きさを量り、それが癖になってしまっているのです。
本来それは相手に迷惑をかける行為であり、迷惑行為をして愛情を感じるというのは自分だけ良ければそれでいいという自分勝手な思いにすぎません。

いたずらをして気を引こうとしたり、ひどいことをして面白がったり、ワザと悪いことをして叱られようとしてみたり、嘘をついて心配させたり、無理な事を受け入れさせようとしたり・・・。
結局はそれで相手を試し、それでも見離されないのか、、という賭けにも似た行動ですね^^;

相手に嫌な思いをさせて、それでも構ってくれるというのは、普通に接して感じる愛情の数倍の愛情を受け取れるんでしょうけど、相手を困らせて愛情を得るのは間違った愛情の受け取り方であり、そこが歪んでいるということです。
これに味を占めてしまうと、親や恋人、配偶者には通用しないため、それを得るためにはスパのパートナーに求めてしまい、なかなか離れられなくなってしまいます。

これはお仕置きの関係だからこそこういったことは起こりやすく、恋愛でもない、友情でもないのですが、その中間のイチャイチャ感的な男女の情と、スキンシップによる愛情、そして子供のようなわがままも全て受け入れてくれる心地よさで満たされるというのは、相手に依存する要素が強くあり、知らず知らずのうちにそこに執着してキーを卒業できないという現象が起きている場合もあるんですね。

もし自分の思ったような反応が得られなければ、拗ねてみたり、怒ったりして、それを態度に出してアピールをして、無理やりでも反応してもらう・・・。
相手が反応するまでは、意固地になって口を利かなかったり、その場を動かなかったり、泣いてみたり、物を投げてみたり、叩いてみたりと…。
これでは本物の子供です^^;

前記事に書きましたが、こういう行動は心理的な快楽があります、それは赤ちゃんから大人になるまでに誰しも経験することでもあります。
キーさんの場合はそれが十分に経験できず、そこの部分が満たされていないからこそ、そいういったことを求めてしまうのかもしれませんね^^

どういうことかというと、赤ちゃんは自分の意思を伝えるために泣いてアピールをするものです。
そうしたアピールで反応してくれ、ミルクを与えてもらったり、不快だったオムツを変えてもらったり、そばに来てもらったりと、そこで安心感と同時に愛情を感じていますよね。

そのコミュニケーションを繰り返しながら養育者との愛着関係を築き、絶対的な安心感と自信というものが芽生えてくるものです。
泣いたり大声を出してアピールをすれば面倒を見てくれる、振り返ったら誰もいなくて怖くなり、泣いてアピールすれば駆けつけてくれる。
そういった日々を過ごしていくことで、自分が守られているという実感、そして不安な時に帰れる居場所の確保というものを、心の中で築いていくものなんですね。

それはエスカレートするもので、ワザと泣いて困らせ、それでも面倒を見てくれるというところに心理的な快楽を覚え、甘える快感の一つとして利用し、それによって更に養育者との愛着関係を深めていくのが子供の本能というものです。
困らせても受け入れてくれるのか、それでも愛してくれるのかということを無意識に捉えて、それで困らせてしまうものです。

でもその部分が欠落していたとしたら、またはそういう部分で満たされないで大人になってしまったら、、、
そうであれば、甘えたい、愛されたいという意味で、歪んだ愛情の求め方をしてしまってもおかしくありませんね^^;
その部分の愛情を求める行為としてスパのお仕置きがスッポリと心にはまって、お仕置きに魅了されていくのでしょうしね。

でも困らせて愛情を得ることに執着をしたり、そこにとどまって成長しないままではただのイチャイチャ友達なだけです。
その部分の快楽だけを求めてしまい、そこには男女の情も絡むので、それが依存のように癖になり、更にその行為から抜け出しにくくなってしまうのです。
本来はその部分の欲求を子供の頃に満たし、成長し、その欲求は薄れていくものですからね、そうやってとどまっていないで成長していくのがスパでのお仕置き関係で大事な事ではないかなぁと私は感じます。

そもそも人を困らせる行為というのは、成長するに応じて子供の悪戯や悪さにつながっていくものです。
そこにはスリルとかわくわくするような感覚があり、すなわち楽しさや興奮と同じです。
自分のアピールや悪戯で人が反応し、それを面白く感じてしまう、そういう時期というものが成長過程としてはありますよね。

しかしこういう行動している人は、大人になるにつれて変化してきます。
養育者には何があっても愛されている、見離されない、構ってもらえる、、、そういう確信が得られると愛情の欲が満たされます。
更に成長するにしたがって”道徳観”も身につき、そうして段々と大人になっていくものです。
思春期には更に大きな反抗期というものがあり、それをへて大人になっていくものなんですね。

なので、相手を困らせることに執着して、それを大人になっても求めてしまう人は、子供のころ十分にその部分が満たされなかったということが考えられます。
だからこそ、それをお仕置きに求めてしまうということになるのですが、それはそれでいいんです。
ただ、相手を困らせる行為がエスカレートしすぎると、相手を困らせないと愛情を感じられなくなり、そこまでなってしまう事が問題なんですね。

問題といっても、エスカレートして執着さえしすぎていなければ通常のスパの範囲で収まると思いますが、そういった癖がついてしまった人は歪んだ愛情を求めて、望んだ反応がないと満たされないのでそこは直していかないといけません。
まぁあくまでキーを卒業したいとか、自立したいという人の話ですけどね^^;
相手を困らせることで意思の疎通をしてスパを楽しみたいという人はそのままでも全然かまわないと思います^^;

長くなってしまいましたが、通常は愛は相手を困らせて得るものではありません、困らせて愛を得るのならば非日常に求めるべきです。
ただ非日常だからといってそれにはまりすぎるとその心地よさからなかなか離れられなくなるので気をつけましょう。
相手が優しくて、全て受け入れてくれるからといって、それが快感になってしまっている人は結構いるものです。
暴言をはいて感情的になってしまったり、意固地になって相手が折れてくれない限り拗ねてしまう人、、、そういう態度をとっても相手が優しく構ってくれ、それが嬉しく感じてやめられなくなっていませんか?

困らせなければ愛情は得られないと、”無意識”に行動してしまっている人はしっかりと考え直す必要がありますよ。
そこが自立への第一歩かもしれません。
意識的に非日常だけを楽しんでいる人はそれがストレス発散なんでしょうからそれいいでしょう^^


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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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