お仕置きを求める若い女性が増えているわけとは

このブログを書き始めるきっかけになったのは、お仕置きを求める女性が意外に多いと実感したからなんですね。

その理由は現在はストレス社会であり、叱れない親や教師がたくさんいることだと感じます。
また、ネットという匿名性の高い媒体があるから自分の欲を追求することができる、出会いも簡単に探せる、さらに最近の女性は自分の意見を主張したり表現することができるようになり、心がオープンになったからかなぁとは感じていました。
昔は電車で痴漢に会ったら恥ずかしくて声を出せなくて泣き寝入りだったのが、今じゃ声を上げて痴漢を取り押さえるという女性が多くなったのも立場の変化からだと思います。

しかしそれだけではなく、お仕置きされたいという欲求を抱える人も昔と比べて増えているみたいなんですよね。
最近お話をするようになった女性がいて、この人は20代前半の「キーさん」なんですね。

最近の若い女性にお仕置き好きの子が増えているという話をしている時に彼女は
「ちやほやされて育ってきたせいかなって思うんです、個性やゆとりに重点をおかれていた世代なので、どんな自分でもいいんだよってなんでも受け入れられすぎて、逆にどうしたらいいか分からないというか。だからこそ、はっきりダメって叱られてお仕置きを受けることに憧れるのかなぁって思います」
と答えました。

根っからの”キー”である若い彼女の言葉にはとても説得力がありました。
彼女がいっているとおりで、ゆとり世代の代償なんだと思います。
今の時代、教師の体罰は絶対に禁止です、昔も禁止されていましたが体罰は当たり前でそれに文句を言う人はいませんでした。
今の先生は、生徒や親の顔色を伺い、勉強を教えるだけで躾をしようとしません。
躾をしたとしても生徒に触れることはできません。

家庭でも過保護な親が増えましたよね、逆に虐待する親も増えました。
過保護な親はきちんと叱ることができず、虐待する親は愛情を持って叱ることができません。
虐待までいかなくても、すぐに感情的になってしまい冷静に論理的に説得できない親は多いものです。
そうなると精神的な部分で何かを欲してしまうのでしょう。
根底にあるものは愛情に飢えているということだと思います。

叱られることがなく、のびのびと自分が思うままに生きてきたとしたらこれでいいのかと不安になるでしょう、悪いことをしているのに何も言われなかったら自分が存在しているのか疑問に思うでしょう、本当に愛されているのか不安にもなるでしょう。
駄目なことは駄目なんだよとしっかりといってあげることは大切なことだと思います、あなたがが大事だから叱っているんだよ、ということが本人に伝わればそれが愛情です。
そういう精神の歪みがお仕置き好きの女性が増えている原因の一つなんだと感じます。

スパの世界を知らない人はもちろん、スパをかじっている人でも理解できないことかも知れませんが、根っからのキーはMというわけではないんですよね。
ここら辺のややこしいとこは、昨日の記事で説明してあるので分からない人はみてください。
純粋に悪いことに対して叱ってほしい人が本来のキーであってそれ以外には興味がないんです。
逆に根っからのカーも躾の意味で叩きたくはないけれどもお尻を叩く人なんですよね、それ以外欲求がない。

ただそこに問題があると思うんですよね。
私は思うのですが、根っからのキーはたくさんいるのは分かります、そしてみんな本物です。
でも根っからのカーは存在するのかが疑問なんですね。
根っからのカーがいるとすればキーとカーは長続きしますが、それが根っからのカーでなければ違和感や価値観の違いから別れることになり、キーが傷つく要因となるのです。
実際興味本位のカーが多すぎて「叩きますよ」というのは簡単で、出会い系ののりでどんな人か見てみたいだけの人が多く、そういう人たちはすぐにその行為に飽きて去っていきます、体目的の人もいるでしょう、彼女を探している人もいるでしょう。
そんな自称「カー」に騙されてほしくないんですよね。
ただ、これはカーと会って時間がたってみないと分からないことですから難しいんですが、会う前にこういったことをきちんと確かめることは大事なことだと思います。

親兄弟や先生ではない、第三者が、その人のために間違ったことを正し、お尻を叩くという行為だけをする。
本当は叩きたくないけれどもその子のために心を鬼にしてお尻ペンをする。
それが欲求だといえる本物のカーというのは存在するのか、私は理解に苦しみます。

恋人がパートナーとなったとしても、叱るときにはお尻を出して叩かなければいけない、それは仲のいいときはいいけれど、喧嘩っぽいことをしている時は感情的になるため、そういうことはできないですよね。
実際喧嘩になるような悪い事柄があるときこそ、そのときこそ本当のお仕置きが必要で、本気でお尻を叩かなければならないのに、それができないとしたら本末転倒ではないでしょうか。

でも私の場合はお尻を叩く行為というよりも別のものをより多く求めているから成立しているんだと思います。
それは相手が私に心を見せてくれることなんです。
誰にも言えないことや心の闇を私に打ち明けてくれるということは私を信頼しているということで、それで私は愛情を感じ満たされることにつながります。
愛情を感じれば真剣に相手をを見るので、お説教を通じてダメなものはダメといい、いろいろな選択肢や方向性を話しして少しでも良い方向にいってほしいと思うんですね。
そこで心の安定、心の癒しを感じてもらったら相手も満たされるし、私もより満たされるんです。
そして悪い子であればお尻ペンをしますが、演技ではなく、痛みで素に戻った本物のその人の姿が見れること、そしてそれは他人には見せない本質的な姿だから私はそこに魅力も感じています。
だから俗にいわれているカーとはちょっと性質が違うと自分自身自覚しています。

だから私がもしキーさんと長くお付き合いをするならば、その関係性は友達関係(疑似親子関係)なら可能だと感じます。
友達になるには気があって、話が出来て、人間的に好きにならないと無理ですよね。
でも気が合えば友達として遊びにいったり飲みに行ったり楽しめるはず、その中でリアルに悪いところがあればその場でお仕置きをする。
いちいち会ったからといって理由をこじつけてプレイみたいにするよりも私には一番自然であっているんです。
ま、友達感覚といってもお仕置きのときは子ども扱いにして子供に返ってもらいますけどね。
そこら辺の空気のつくり方はキッチリとしているつもりです。


だいぶ話がそれてしまいました・・・。
いつものことですが(笑)

とにかくストレス社会、叱れない親や教師、過保護や放任主義など、それらとゆとり教育などがあわさり今は自由すぎて子供たちが何が正しいのかという判断もできないんだと思います。

ほっとかれている子の寂しさ
感情的に叱られている子の叫び
放任で自分が愛されているのか不安な子
自分の存在意義を主張しても反応がなく折れてしまっている子
叱られたことがない子の切なさ

これらを感じている人はとにかく多いし、このような環境で育てている親もかなりいると思います。
世の中的に許しすぎ、自由すぎるから誰かに叱って欲しいとお仕置きを求めてしまうのかもしれません。
自分で自制できない人はたくさんいます、叱られて気持ちを立て直すことができるならば勇気を持ってそのような環境に触れてみることもいいのではないかと思います。

お説教やお尻叩きをお仕置きという形で表現していますが、結局は愛情です。
愛情表現の一つにお尻叩きがあり、愛情を持って叱られた経験のない人たちはお仕置きに憧れを持ちます。
元を正せばお尻を叩かれるのではなく、人間の心を求めているだけだと私は思います。
真剣にその人に向き合えばそれで満たされることです。
それに気づくまではお仕置きを経験し続ければいいと思います、そしていずれ愛情の受け取り方や与え方に気がつく時が来るでしょう。
私はそう思います。
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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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