子供になりたい大人と子供の心のままの大人

人間って誰でもストレスが溜まっていたり、社会に出て疲れてたりと何かしらの苦労を抱えていますが、そんな中で一瞬でも子供に返りたいと思っている人が多いですよね。
それがお仕置きに関係あってもなくてもです。
ま、社会生活でストレスがたまったり、心の中で葛藤をしたりってよくありますよね。
そんな状態で、自分の弱い面を出すことができなかったり出せる相手がいなかったりすると心が悲鳴をあげて心の行き場がなくなってしまうこともあると思います。

そんな時に子供に返って甘えたいって思ってしまうんでしょうかね。
子供に返りたくても意識は大人であるのが普通なのですが、意識も子供な人も中にはいます。
本人は大人としてしっかり行動しているつもりなのですが自然と子供みたいなところが出てしまうんですね。
まあ、そんなことが垣間見れる出来事が先日ありました。

お仕置き関係の子をある博物館に連れていったときのお話なのですが、その博物館には歴史的価値のある物が展示してあってちょうどその時間、その展示物について講義するというアナウンスが流れて人が集まっていったんですね。
みんな遠慮をしているのか一番前の真ん中の席だけは空いていて、私はそういうところも座っちゃう人なので特等席に座らせてもらいました。

その展示物の話はおいといて、ま歴史にまつわる話で、いきなりゴールデンウィークの話になったんですね。
そこでこんな質問をされたんです。

それではみなさんに質問です
4月29日はなんの休日ですか?
5月3日は?
5月4日は?
5月5日は?

と。
さすがに5月5日はこどもの日ですね。
5月3日は???憲法記念日だったっけかな?とその時考えたのですが、自信がなく口に出ませんでした。

あ、でここからです。
講師の人が「4月29日は何の日でしょうか?」と会場の人に聞いたんですね。

私はその子に「みどりの日だろ?」と自信ありげにいったのですが、その子は「え、昭和の日じゃないの?」といい、いつも自分に自信ない性格なのに妙な自信を醸し出すので、私も休日の呼び名が変わったって聞いたような気がしてきたんです(汗)

で、講師が「それじゃ、29日が昭和の日だと思う人手を挙げてください」といったんですね。
で、その子はその講師を一点に見つめて手を挙げたんです、まるで学生のような感じで。
私は「おいおい、普通手なんか挙げないだろー」と心の声で青ざめつつ、恐る恐る後ろを振り返るとやっぱり手を挙げている人はほとんどいない、いても50代、60代の年配の方のみ。
そう、こういうのって小さい子供か年配の人しか手なんか挙げませんよね(笑)
答えがわからないという人もいるでしょうが例え答えが分かっていても恥ずかしくて手を挙げられない^^;

まだまだ続きがあります。
講師が「じゃあ、みどりの日だと思う人手を挙げてください」と続けていったんですね。
するとその子は私に
「手あげないの?」といってきたんですね(笑)
まさかそこを突っ込まれるとは思ってもみなかったので笑いそうな顔をこらえながら思わずその子を見つめてしまいました。
そのときに私の口元はニヤニヤとしていたと思うのですが、それをみてその子は首をかしげていました。
そのアイコンタクトで空気を読める人は気がつきそうですがまったく理解不能で私のこと「変な人」って思っていたのかもしれませんね。

ま、確かにみどりの日だと思ってはいましたけどね、学生じゃないんだから手を挙げなくたって怒られるわけじゃないし、正解したからってどうなるわけでもないし、逆に知識をひけらかしているようで恥ずかしくないですか?

結局29日は昭和の日だったわけです。
で、5月4日はみどりの日になってたんですね。
前までは国民の休日という日だったんだと思いますけど、カルチャーショックでした、時代について行ってない(汗)

まだまだ終わりません(笑)
その流れで水族館も行ったのですが、イルカのショー兼イルカの生体の説明みたいなことをしていてまたしても問題が出たんです(笑)
あ、その時も一番前の真ん中の席が空いていてそこに座りました、まぁそこは水がかかるかもしれないということでみんな避けていたのかもしれませんが。
イルカの生体の質問(5問くらい)に対してもやはりこの子は相変わらず手を挙げていました(苦笑)
そして結構な観客がいたのでたしかに手を挙げていた人もいたのですが、やはり子供か年配者。

その子は後ろを振り返ることなく自分が正解だと思う質問に手を挙げていたのですが、頭の中では全員が手を挙げているものだと思い込んでいるのでしょう(笑)
みんなが手を挙げていないのを知っていてあえて手を挙げているのと、それを知らないでみんな手を挙げていると思い込んで手をあげているのとは全然違いますからね。
子供は無邪気に大きい声で答えを口で言っているのですが、これって手を挙げるのとあまり変わらないなぁと考えながらその子の無邪気な姿を見ていました。
「なーに?」と聞くので含み笑いで「なんでもない」と答えて。

こういう子供のまま大きくなったような女性もいるんですね、子供に返ろうとするのではなく、根が子供だからそうする必要なく、でも仕事とかの時は必死に大人になろうとするみたいな感じです。
ま、私はそれにたいして口に出していうことはなく、呆れながらも可愛いなぁと思っていました。

人間は大人になるに連れて純粋な心を忘れていくものですが、子供に返ってみるからこそ純粋になれることもあるのではないでしょうか。
それによって社会生活に疲れはてた自分を浄化できる、リフレッシュできることにつながるのだと思います。
子供に返ることこそが、唯一自分を吐き出せる空間であり居場所である場合もあります。

お仕置きは自分を見つめなおすこと、そして甘える事という感じで表現されていますが、そうではなく子供に返ることが大きな魅力なのかもしれませんね。
敵ばかりの社会に立ち向かいボロボロになりながらも必死に戦っている毎日。
精神的に疲れ理解してくれる人も殆どいない、注意されても心のない怒りでありイジメでもある。
誰でも弱い自分がいて、その部分を出したくても吐き出すところなんてどこにもない。

そんな人たちが弱い自分を出せる、ストレスをすべて発散できる相手を必要とし、その相手の下で子供に返ることにより社会生活を維持できる。
それが結果的にお仕置きを求めるという形に直結してしまっているのかもしれません。
それはそういう過程があり、それを極限に突き詰めていた結果ではないかと改めて最近感じています。
他人には見せたくない部分でも唯一の存在の人に対してだけにはそういう部分を見せれれば幸せですよね。
見栄やプライドの塊まりを砕いて楽になりたいと願っている人は今の世の中たくさんいるのではないかと感じています。

そういう子はお仕置きという行為を乗り越えて一度対話をしてみることをお勧めします^^
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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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