すぐに人のせいにしてしまう人っていますよね。
私はまず人のせいにはしないタイプなので、その違いってどういうところからくるのかなって少し考えてみました。
性格が悪いと一概にはいえないですし、病んでいる人や鬱っぽい人がそうなる傾向があることもあるしで前から気になってはいました。
私の場合ですが、どんな失敗であってもどんな黒歴史だろうと、どんなにネガティブな事でも、それは他者が介入していても自分の責任において起きたことだし、それによって必ずプラスの材料を拾う癖があるので、人のせいにするどころか、”あいつのおかげ”と思うことが殆どです。
もちろん感謝の意味での”あいつのおかげ”ではなく、いい教訓になって経験値があがったという皮肉の意味ですが^^;
私はこんな感じですが、いろいろな人の話を聞いていると単純に物事の捉え方や考え方の違いとは違うように思うことがしばしばあったんですね。
人のせいにしてしまう”癖”はあったとしても、それが性格というのも少し違うようにも感じます。
ちなみ冗談で”人のせいにするのはコミュニケーションの一つでもありますからそれは除外して、そうではなく半分でも本気で”人のせい”にしていることを議題としています。
子供のころを思い出してみると”人のせい”にして叱られるようなことを回避するということは普通にありましたよね。
自分では背負いきれないからこそ他の人に責任をかぶせてしまう。
大人から見るとバレバレな嘘も多いですけどね(笑)
それがうまくいくと、誰かのせいにすれば助かるというようなことを無意識に覚えてしまい、自分で抱えきれないような時にその事実をすり替えることをしたりして、それが癖となってしまうことも有りうるでしょう。
ちょっと分かりやすい例を挙げると、子供が前日に「朝6時に起こして」と親に頼んだとします。
翌日親は6時に起こしたのですが、子供は二度寝してしまい大事な用事に遅刻してしまいます。
このうような場合、どういうことになるでしょう。
おそらくだいたいの子供は、遅刻したのを親のせいにして親に八つ当たりをして怒りをぶつけるでしょう。
「なんでちゃんと起こしてくれないんだ!」って。
まぁ家庭によっては親に反抗なんて許されないという家庭もあるので全ての家庭に起こりうるわけではなく、子供が親に甘えられるような一般的な家庭の例として捉えてください^^;
でもまぁこんなことはよくある話ですよね。
朝に約束通り起こしてもらったのですからあとは自分の責任ですし、それもわかっているはずです。
そもそも起こしてもらうこと自体ありがたいことなんですからね。
100%自分が悪いとわかっていながらも大事な用事に遅刻してしまう事実を受け入れられない。
自分を責めてみても苦しくなるだけなので、親のせいにして自分の辛さから逃れようとする心理なんですよね。
仮に自分の心が強ければ自分の責任だと思えるはずですが、追い詰められて余裕がないような場合は自分への怒りを他者に向けるしかなくなります。
これは辛さを解消しようとする心の動きといえます。
そういう癖がついたまま大人になると、それを親友や彼氏、旦那さんや自分の子供など、自分の甘えを出せる親しい人を対象として相手のせいにしてしまうことになりうりますが、これは単なる八つ当たりでしかありませんし、大人になったら通用しないことです。
そうはいっても普段人のせいにしない人でも自分一人で抱えきれなくなった時には人のせいにしてしまいがちですし、相手にそれを伝えなくても心の中でそう思うことは誰でもありますよね。
そうやって人のせいにしてしまうのは、負の感情を受け入れるだけの強さがない時で、つまり心が弱い時なんでしょう。
更にはどんな些細なことでも人のせいにしてしまう人っていますよね。
それが癖になっている人っていますが、普通なら受け入れられるような失敗や嫌な事にすら耐えられない、それはとても精神的に弱い人だといえると思います。
つまり心の弱さというのが”人のせい”にする大きな原因であるということだと思います。
だからこそ余裕のある時には人のせいにはせず、嫌な事を自分で消化できるんですよね。
本当に些細で自分で消化できるような失敗なら、人のせいにしないで自分の責任とするはずですからね。
ただ厄介なことは、人のせいにしてしまうのは意識的ではなく、無意識にそうしていて、それが自己欺瞞に陥りやすいので怖いんですね。
(※自己欺瞞とは間違っていると知りながら、正当化していくうちにそれが本当のように思い込むこと。自分の心をあざむいてくこと)
そして心を病んでいる人や精神的に弱い人に”強くなれ”といっても無理なので、そこは難しいですが、このような意識を持っているだけでも随分と変わるのではないかと感じます。
自分のマイナス部分を受け入れられない人は、人のせいにして回避しようとするので、そうであるなら依存型ともいえます
自分のマイナス部分を受け入れられる人は、人のせいにはしないので自己解決型といえると思います。
人のせいにした時点で成長は止まりますが、心が弱くなっている時は人のせいにすることで心を軽くして自己防衛しているので、それは自分を守るための手段としてしょうがないことだと私は思っています。
それが病気ということもあるでしょうし、病気じゃなくてもそれに相当するほどショックが強ければ一時的に心が弱くなってしまい、それはどうしようもないからです。
人は失敗を繰り返し、後悔したり、教訓にしたりして成長していくもので、私のお説教の根本はそこにあります。
精神的なダメージや金銭的損害、裏切りや失敗など、そこからは必ず人生においてプラスの部分があるはずなので、本来はそこを教訓とすれば心の成長につながるんです。
何でも人のせいにして失敗したという負の感情のままでいると、自身が成長するチャンスを逃している事になります。
また、人のせいにする人と一緒にいると、負の感情が移ってきますし、ましてや自分のせいにされるのなら、できるだけ一緒にいたくないと思いますよね。
それにマイナスなことを人にアピールし続けていると、どんどん人が離れていってしまいます。
最終的には友達も恋人もできず、孤立して生きていくことにもなりかねません。
私の場合はこの活動を通してそういった話は聞き入れますから私に対してはそのような事を言っても構いませんし、むしろそういった場所でもありますからね。
といってもマイナスな感情の捉え方や今後の考え方はアドバイスし、今は心が弱っていて無理でも、力がついてきた時には克服できるようにサポートするという気持ちで接しています。
人によっては心が弱り切っていて、アドバイスをも辛く感じてしまうかもしれませんが、私の活動はお説教してお仕置きをするということなので、そこは蓋をしておきたいところにも焦点を当ててアドバイスはしています。
その話は無理ということであれば触れませんけどね、そういうことでなければ成長に向けて話をしていきます。
それは、それがカウンセリングであり、お仕置きに通じた私のしたいことでもあるからです。
また、人のせいにしてしまう人は感情的になると攻撃的に相手を責めるようにもなります。
誰でもそんな人は相手にしたくないでしょうが、相手の立場になり、そこまでなるのには相当辛く、自分で抱えきれなく、心がとても弱くなっているということを理解してあげることをしてみると相手への見方が変わります。
その上で冷静に諭していくことが必要じゃないかと思います。
心が弱っている時には聞く耳も持てない、そういうことを知っていればいくら人のせいにしたり攻撃してきたりしても、とてつもなく心が辛いからそう解釈してしまうんだと思えます。
こういったことを考えていく中で、私も捉え方を変えて、相手の辛さをまず理解していこうと思うようになりました。
相手は喧嘩を売るというのとは違います、辛いから楽になりたい、辛さから逃れたい、そういう気持ちから無意識に出る行動です。
そういう人の思考回路を改善するためには自分を振り返ることができる心のゆとりが出来た上で、客観的に思考の歪みを訂正させて、自分の意識を変えていく作業が必要となります。
だいぶ長くなって少し小難しくなりましたが、結論は人のせいにする人は精神的に辛く、生き辛いんだということです。
私の活動はただ単にお尻を叩くだけではありません、それを目的に楽しむという趣旨でもありません。
悪い事の罰としてのお仕置きは成長のためのお仕置きです。
だからこそカウンセリングを重視にして、本当に直さなければならないことをメインにして、その為の罰がお尻ペンペンなんですね。
要望によってお仕置きをしていますから、その動機やスパに対する捉え方は気にしませんが、一応私がしたいことはリアルで悪い事、直さなければならない事、律したいことに対して真剣に向き合い、成長につながる、その為のお仕置きです。
人によっては遊びの延長線上でお仕置きを依頼する人もいますが、それはそれで要望なので構いません。
そうじゃなくて真剣に相談したい人や直したい人、そのことでお仕置きを受けたい人にはいいのではないでしょうか。
まぁ私もいろいろなことを考えて真剣に、親身にお仕置きを捉えているということです^^
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