親友とは

前記事の続きです。

友人ということに対しての補足です。
そもそも友人(親友)というのは、自分に何かをしてくれる相手ではなく、自分が何かをしてあげたいと思う相手でなくてはうまくいくものではありません。
友人は待っているだけではできませんし、構ってちゃんのように何かをしてくれないと友人と思えないような受け身な考え方ではなかなか友達はできませんよね。

そして何か喜ぶことをしてあげたとしても、そこに見返りを求めてしまってはそれは本当の意味での好意ではなくなってしまいます。
もちろんその好意には通常はちゃんと好意で返ってくるでしょうが、それがなかったからといって過度に気にするようではいけません。

また、その好意は物や言葉だと思い込んでいる人はいますが、好意とは相手の誠意や気持ちであって形はどうでもいいわけです。
たとえ毎年くれている誕生日プレゼントがもらえなかったりとか、何かしてあげたことに対してのお返しが無かったりとかしても、必ずしも相手に気持ちが無いわけではない場合は多いものです。
結果的に物に執着してしまうと、物で友人を見てしまうようになりかねません。

ただ、そうはいっても自分自身としては相手に何か返すことを心がけるようにする、それはもしかしたら相手が同じように悲しい気持ちになっていることもあると考え、そこは敏感に対応してあげることは必要でしょう。
相手がどうとかではなくて、自分自身は見返りを求めず、何も返ってこなくても気にしない、そして何か好意をいただいたらそれを言葉や形にしてしっかりと返すということは心掛けるべきだと私は思います。

単純に相手が好きだからしてあげる、それだけでいいんです。
それに対してお返しがなきゃおかしいとか嫌な思いをするのであれば、それは好意の押し売りでしかありません。
また、「嫌な思いをしている私の気持ちをわかってくれない」「察してくれない」と思って拗ねてしまうようなことはよくありませんよね。

もし自分が嫌な思いをしているのなら優しく言葉で伝える、そうする事で相手がどうしてそのような言動をしたのかがわかり、結局は相手の気持ちを勘違いして解釈していてたなんてことはよくある話です。
勝手に妄想して悪い方向に解釈してしまう癖がある人というのはマイナス思考であり、そういう人は要注意ですね、これではなかなか親友はできませんし、異性ともうまくいきません。

相手の気持ちは勝手に自分で決めつけないで、その都度気になったところはサラっと本人に聞いてみる、そうすればほとんどの場合は、大したことがなかったとわかってホッとして、負のオーラはなくなり、正のエネルギーが出てきます、そんなちょっとしたことで精神は立ち直るんです。
だから自分を察してと受け身になったりとか相手の気持ちを勝手に決めつけるようでは幸せにはなりにくいわけです。

良い人を演じてしまう人という話から親友論になってしまいましたが、人間関係において見返りを求めたり被害妄想的に悪い方向に解釈してしまったりという人は心が病みやすく、ストレスも溜めやすいものです。
良い人を演じてしまう人は、断ることが困難で、嫌われたくない一心で自分の意見を言えないケースが多くあります、意見を言えないからこそ不快に思ったことを相手に気軽に聞けないでいて、そのまま悪い解釈をして抱え込んでしまうんですね。

そういう人は良い人であることを一度止めて、自分の意見をいえるようにすればいいのですが、それはなかなかできませんよね。
でも思い切って少しずつ自分の意見を言うことを実行してみたら、自分が思ってるほど人はなんとも思ってなかったと感じたり、自分の意見を言えたことでストレスが軽減したと実感したという人はいます。

なので、できないながらもそういう努力はしてみる価値はあるはずです。
それでも自分を変えられない人は多くいて、だからこそ辛いのですが、実際そうさせているのは自分が作り上げたキャラのせいであって、そのキャラを変えないとなかなか自分を変えることは難しく、結局は現状のままになってしまうでしょう。

まぁ私はズバッと断れますし、なんの躊躇もないんですけど、いろいろな人の話を聞いていると断れない人って本当に辛い思いをしているんですよね。
断りたくても断れない人にしか理解できない辛さというのは私もいろいろな人の話を聞くうちに知ったのですが、そういうことを理解できない人がいるので、単純なアドバイスだけじゃ余計辛くなってしまいますよね。

ま、でもそこを少しでも気持ちが楽になればと考えてみました^^;
勇気をもって練習だと思って少しずつ自分の意見を言っていき、成功体験を積んでいきましょう^^



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良い人を演じてしまう人

良い人を演じる事って誰しもあることですが、それが過度であると、他人の頼みを断れなかったり自分の意見をはっきり言えなかったりして、結果的に自分が嫌になって心が窮屈になっていくものです。
特に良い子を演じているキーさん的な性格の人や、人の評価を気にしてしまう人、人の顔色を見たり他人の機嫌を損なわないように気を使ったりする人は、自分の意見を言いたくても言えないなんてことがありますよね。

ここでいう良い人というのは、自分の意思に反したとしても我慢して人に良い顔をしてしまう人のことです。
例えば、どこかに誘われたりお願い事をされたりした時に、本当は嫌なのに断れずに良い顔をして言いなりになってしまうような感じです。
これは断れない性格の人も含めてそうなのですが、もし断ったとしたら嫌われてしまうとか、不快に思われるんじゃないかとか、流されやすかったりとか、相手の気持ちが過度に気になってしまうからでしょう。

ただ、人間誰しも嫌われたくないと思うし、人に好かれたいと思います。
問題なのはそれが強すぎるためになかなか断れずに良い顔をしてしまうことなんですね、そしてそういう自分が嫌になり、心がモヤモヤとしてどんどんと生きづらくなっていくのです。
こういう性格は女性に多いのですが、それはおそらく女性は優しさがあり、人に尽くすことが良しとされている日本だからこそなんでしょうね。
特に若い女性は大人しくて言いなりになっている方が可愛いとされたりするので余計でしょう。

しかし本当に嫌なのに断れないということが何度も続くと、次第に心が辛くなっていくものです。
自分の意見も言えない自分自身も嫌だし、だからと言って嫌われて孤立するのは怖いし、結局はそこから抜け出せないで悶々としてしまうんですね。
そうなると心には負のオーラばかりが宿ってしまい、その都度落ち込んだり悲観的になったり消えてしまいたくなったりしてしまいます。

逆にいうと、そういう性格の人だからこそ、周りも気軽に頼みごとをしたり誘ったりするわけで、それで好かれたりすることももちろんあるでしょうけど、利用されているということもあるかもしれません。

ではどうしたらいいのでしょうか。
どうしても断れない人に「自分を守るためにも断ったほうがいい、思っているほど他人は他人を気にしてないものだから」といったところで、断れる性格にはなかなかなりませんよね^^;

でもその事で心が病んでしまったらどんどんと負のオーラが溜まっていってしまいます。
なのでこのような考えはどうでしょうか。
もう良い人を演じている自分を嫌悪するのではなく、良い人を演じられる自分をプラスに考えて正のオーラを出していく方にシフトしていく。
無理やり感満載ですが、自分を犠牲にして人のために何かをしてあげるというのはなかなかできるものではないですからね、そういうことをできる誇らしい人間ということです。

断れない相手なら、その人を友人と思って接する、友人には何かをしてあげたいと思うものですから、そうやって思い込めばそこまで落ち込む必要はないし、自己満足でもいいのでその人に何かをしてあげたという気持ちで自分を満たしてみたらどうでしょうか。
んーー、それをするから落ち込むのに、逆転の発想過ぎて無理があるかもしれませんけどね、一度試す価値はあるかもしれません。

この友人と思うことに対しては補足もあるので、それはまた次回書いていきます。
ま、どうしても断れない人というのは、何をアドバイスしたとしてもどうしても断れないですからね^^;
そういう人はどのように気持ちを切り替えていくか、負のオーラを最小限に、更に0に、もっと言えばプラスに転じさせるように持っていきたいですよね^^


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お仕置きで濡れる事

女性キーさんはお仕置きのことを考えたり、小説を読んだり、理想のシチュエーションを妄想したりすると、自然に濡れてしまうケースって結構あって、その事で悩んでいる人は多いものです。
そもそもお仕置きを考えているなんて人には言えないし、仮にキーさん友達がいたとしてもそういったことは聞きにくく、自分だけじゃないか、私だけ変じゃないかと1人だけで抱え込んでしまうんですね。

自分は変じゃないかと思うのは、一般的に濡れるというのは、エッチなことを考えたり、実際にエッチな行為をしている時に起こる現象だと解釈されているからです。
ディシプリン派のお仕置きは、性的な要素が一切ない、エッチでもない、正当な理由があっての躾としてのお仕置きであり、それを純粋に求めているのに、それで濡れてしまうということは、自分はキーではなく、Mなのではないか、私だけ特別なんじゃないか、と悩んでしまう要素なんですね。

しかし、それは特別なことでもでもなんでもなく、キーさんであれば当たり前のことです、それはM的な要素が一切ない根っからのキーさんであってもです。
もちろん濡れない人もいますが、そっちの方が少数ですから、そういう意味でも気にしなくて全然大丈夫です。

キーさんであれば
「お仕置き」
「お尻ペンペン」
「お尻出しなさい」
というような言葉に、萌えたりドキッとしたりと何かしらの反応をする子は多いですよね。

「悪い子はお尻丸出しにして真っ赤になるまでお尻ペンペンだよ、お仕置きするからこっちにきなさい」
こんな言葉を聞いたり読んだりすると、なんだか恥ずかしくなって、条件反射的に体の奥がゾクゾクとして、考えないようにしたとしても頭から離れなくなります。
こういうドキドキはキーさんだからこそ起こる現象ですが、エッチなことじゃないのに濡れてしまう脳回路はドキドキしてしまっている時点で出来上がってしまっているのです。

とにかく性的ではなく、エッチでもないのに濡れてしまうことに対して、自分だけが変だということはありません、それだけは認識しておいてください。
実際のお仕置き時に濡れてしまうと、勘違いされたり誤解されるんじゃないかと抵抗があったり、気まずい気持ちになってなかなか踏み込めない人はいると思いますが、私はそういう現象は脳的によく理解しているのでその心配はいりませんからね。

キーさんの場合は濡れたからといっても全てにおいて発情しているわけではないし、エッチをしたいと思っているわけでもありません。
そのように誤解をしてしまう男性は多いですが、それは女性の脳や濡れる仕組みをよく理解していないからなんですね。

以前も濡れることについて何度か記事を書いていますが、性的なことでなくても濡れることは女性にはあることなんですね。
それが性欲として体が反応して濡れていたとしても、妄想していることが性的なことではなければ、セックスという意味では発情しているわけじゃないんですね。
叩かれて追い詰められる描写で背徳感を感じ、興奮しているわけじゃないのになぜだか濡れているということも起こります。
その要因は背徳感からくるものですし、そういった現象が起きる人も当然いるわけです。

まぁそういうこともしっかりと理解しているカーさんじゃないと、安心してパートナー関係にはなれないでしょうし、勘違いされたまんまだと価値観の違いを生み、意思の疎通もなかなかできないことにつながります。
これは一般的には理解されていないことなので、悩んでいる本人も戸惑って誤った認識をしてしまう人もいますし、なにより男性自身が理解できないことでしょう。

とにかく「濡れるからM」ということはありません、濡れてもキーさんだし、そこに仮に性欲を感じていてもキーさんです。
Mとキーさんの思考回路は違いますが、境界的にいうとかなり微妙な違いですから難しいところではあります。
でもMに対して違和感を感じているのであれば、それはMではなく、キーさんということでいいでしょう。

何度も言っている通り、Mだけの人、キーだけの人、Mでキーの人と様々いますから、そこは別に気にしなくていいと私は思いますけどね^^
Mというのは被虐欲を持っている人をいい、叩かれたりいじめられたり恥ずかしめられたり、そういったことに性的興奮をします。
その一つでも興奮するのであればM気質があり、お仕置にそれを求めているのならM的といえるでしょう。
でもそうでないのならキーさんだし、キーとMと両方を持っている人は多くいるものですからね。

どうしてエッチなことではないのに”濡れる”という体の反応が生まれるのか、気になる方にはお会いした時に直接説明しますので、気軽に依頼でもしてください。



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子供へのお仕置き(体罰)について

先日「体罰禁止法制化」という記事を書きましたが、その関連として子供に対してのお仕置き(体罰)について考えてみたいと思います。

”お尻ペンペンのお仕置き”と”体罰”って何か違うような感覚ってありますよね。
スパの世界でのお尻ペンペンのお仕置きは何やらファンタジーの世界のようですが、体罰というと少し暴力的な印象を受けてしまいます。
ただ、当たり前のことですが、お尻ペンペンのお仕置きは体に罰を与えているので立派な体罰なんですね。

キーさんの中では”お仕置きやお尻ペンペン”というワードでキュンとする人は多いのですが、”体罰”というワードではそうでもありません。
それはおそらく”お仕置き”やお尻ペンペン”というのは家庭的であったり愛情があるように感じますが、”体罰”というと愛情がなく、少し暴力的な印象を受けるからでしょう。

まぁ暴力的なことや虐待的、SM的なお仕置きを好む人もいますからそういう人は”体罰”でキュンとくるのでしょうけど、家庭的なお仕置きを好む人は”体罰”というワードはちょっと怖く感じてしまうでしょうね。


前置きが長くなってしまいました^^;
そういうわけで「”お尻ペンペン=体罰”」ということで、実際の子供ににこの体罰をすべきかどうか、禁止したほうがいいのかどうかについて考えてみたいと思います。

私はこの活動を通して、子供の頃に親からお尻ペンペンのお仕置きを受けてきた人ともお話をしてきましたが、ほとんどのみなさんは口をそろえてお仕置きは恐怖であったし、手加減なしで叩かれてメチャクチャ痛かったと話しています。
しかし、大人が子供に思いっきり力を込めて叩いたらどういうことになるか、お尻の状態も併せて話を掘り下げていくと、実は手加減して叩いていたということがわかってきます。
しかし子供は痛みに敏感だし、恐怖だし、そこで手加減なしで叩かれたと感じ、それがトラウマになってしまっている子も実際にいるんですね。

つまり大人が子供に対して家庭的なお仕置きをしたとしても本気で手加減をしないと、当の子供にとってはそこには愛情がなく、ただの暴力的な体罰としか受け取りません、そこが怖いところなんですね。
大人の意識と子供の捉え方が違っていたら、親の意思はどうであれ、子供はただの感情的な暴力や虐待にしか感じないということです。
それは実際の子供は、キーさんのように妄想上でのお仕置きイメージが存在していないわけで、そんな子がお仕置きを受けたらそれは辛いことです。

キーさんは幼少期くらいから家庭的なお仕置きに憧れたり興味を持ったりして、大人になってスパの世界を知りますよね。
その状況でスタンダードなお仕置きを受けると、そこにイメージしたような愛情を見出せるのでお仕置き行為が成り立ちます。
そこが実際の子供との大きな違いで、子供自体がお仕置きを求めていないし、その上で力をもって体罰を受けるという形ですからこれはスパのお仕置きではありえないことです(本気で嫌がったとしてもお仕置きを求めてカーさんと会っているため)

それでは実際に子供にお仕置きをして家庭的な愛情を示すにはどうしたらいいでしょうか、それは可能なのでしょうか。
私が考えるに子供をお仕置きするとしたら、親が冷静に諭すように悪い事を説明し、説得し、その上でかなりの手加減をして、痛くない程度の軽めのペンペンをする、その後は抱きしめて「もうするんじゃないよ」と全てを許し、スキンシップを十分にして、「あなたをこの世で一番愛しているよ」というような言葉をかけてあげるようにすれば、叱られた内容にも納得し、愛情を感じられると思います。

かなりの手加減とは、軽めにペンペンと叩く程度で、それはお尻を丸出しにする必要はなく、服の上からでもいいし、お尻ではなく頭や手をペンペンでもいいわけです。
子供は叩かれるまでは恐怖を感じるかもしれませんが、叩かれた後にはスキンシップや言葉掛けで心地よく感じられるのであれば、愛情を感じ、それならば子供に対する体罰はいいのではないかと思います。
まぁでもこの程度で体罰と認定されたら困ってしまいますけどね^^;

体罰をする親はだいたいは感情的に手を出すという人が多く、そういう人が冷静に諭すようなお説教をして、しかも軽めにペンペンができるかは疑問が残るところですね。
これができる親というのは、そもそも”優しい親””叩かない親””感情的にならない親”にだけできることで、子供の頭をなでて褒めて育てるのと同じように、お仕置きもその一環として扱える親にしかできないのではないかと思います。

それが子供の感じるであろう愛情のある家庭的なお仕置きでしょう。
私もお仕置きをするときに感情的に怒ることはありません、この活動だからこそ感情的にならずに冷静さが保てるのかもしれませんし、そもそもキーさんなので、もうちょっと厳しく、もうちょっと痛くとエスカレートしていくものですから、子供が感じる家庭的なお仕置きと、キーさんが感じる家庭的なお仕置きは厳しさや痛さという面ではだいぶ違ってくるのです。

まぁそれでも実際に普段の家庭の生活の中で、感情的にならずに冷静に諭すようにお説教をして、軽くペンペンをしていくなんてことはそういう性質を持っていない限り難しいでしょうね。
そしてここまで虐待的な親が植えてきた以上、子供に対する体罰は禁止にすべきでしょう。
手加減できなかったり感情的になってしまうことは躾を超えた虐待ですが、法律ではそこの明確な線引きができませんから一律禁止にせざるを得ないでしょう。

禁止になったらその抑止力で、ある程度は虐待的や暴力的な体罰は少なくなっていくでしょうね。
その代わり手加減をした、体罰とはいえない軽い軽いペンペンは増えていくかもしれませんね。
それが実際の子供にとっての愛情のある家庭的なお仕置きです^^

しかしそこから一部の人はキーさんになり、そんなお仕置きでは物足りなくなり、欲求によってもっと痛く、もっと厳しくと追求していくかもしれませんね^^;
結局は、大人のキーさんでも、ただの子供でも、お仕置きの厳しさや強さの加減次第で、愛情のある家庭的なお仕置きは感じられるのではと私は思いますけどね^^;



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Q&A 体罰禁止法制化

コメントから来た質問です。
質問があると記事も書きやすいのでスパ関係でも日常のことでもなんなりと質問してきてください^^
なお、質問はコメント欄からお願いします。


Q.
世間で、体罰禁止の法律化など言われていますが、お尻を叩くのも体罰ですよね?
もう大人ですが、お仕置きに憧れる私からすると、法律化によりお仕置きという存在がより現実でなくなるような気がして残念に思ってしまいます。
その点、京介さんはどのようにお考えですか?よかったら教えてください。

A.
そうですね、お尻を叩くのは立派な体罰ですね。
今現在は親権者には”懲戒権”というものがあり、それは「親権者は子の利益のために教育上必要な範囲内で懲戒することができる」という法律上の権利で、その懲戒のやり方については明記していない為、体罰で躾をしてもおとがめなしなんですね。
仮に過度な体罰だったり虐待行為であっても、うまくごまかされたり、躾の一環と言い切られてしまうと、証拠がない限り家庭内にまで立ち入ることが難しく、そのため処罰できないケースが多く以前から問題視されていたわけです。

最近子供が虐待された上で死亡するというニュースが話題になり、それがきっかけで法整備をということになったようですが、私的には親の体罰を禁止するというのはさすがにやりすぎのような気がしていました。
軽くでも叩いたら法律違反ということになるわけですから、いくら罰則規定は設けないとしてもこれは他人ごとではないですよね^^;

また、今現在でも軽いのも含めると体罰をしている親権者は多くいると思いますが、それは手加減の上での教育上の躾であり、虐待でないケースが多いはずです。
ただそこは過度な虐待との線引きが難しく、そうであるならば全て禁止にしてしまおうという結論になってもしょうがないのかもしれません。
感情的になって怒ったり、物を投げたり、理不尽なことで叩いたり、自分の機嫌によって怒ったりというのも虐待的ですが、これは毎日の生活の中で子供を育てていれば誰でも起こしてしまう可能性のある、人間ならではの押さえられない感情でもありますよね。

まぁでも今の世の中的な流れからするとこれもやむを得ないというか、感情を抑えられなくなる人が最近は増えてきてますからね。
それはストレスからきていると思いますが、昔に比べ心療内科や精神科にかかる人、精神疾患になる人も増えてきていますし、その関係で休職する人も増えているので、やはりそういう状況だと自分の感情をコントロールするのが難しく、そうなると法制化も致し方ないのかなぁと思います。

ちょっと話が難しくなってしまいましたが、質問者さんの
「法律化によりお仕置きという存在がより現実でなくなるような気がして残念に思ってしまいます」
ということに関してですが、
もし体罰禁止が法律化したら、アニメのお仕置きシーンは法律違反となるのでそこは自粛となっていくかもしれませんし、子供向けの絵本にも影響が出てくるかもしれませんね。
もしそうなったら残念に思う人は多いかもしれませんが、それによって日常での不意打ち的なドキドキやキュンキュンがなくなるのでそれはそれでいいのかもしれませんけどね(笑)

子どもへの体罰が法整備されたとしたら体罰は減っていくでしょうが、決してなくなることもありません。
体罰は少なくなるでしょうが、叩く代わりに言葉の暴力や感情的でヒステリックな怒りが増えていくことになるでしょう。
そういう育てられ方になっていくとこれまで以上にキーさんは増えていくんじゃないかと私は思います^^;




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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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