人間力
まぁ私の言っている「人間力」というのは、単純に言葉そのままで「人間としての力」であって、それは勉強の能力ではなくてコミュニケーション能力はもちろん、挫折や辛いこと、不幸を乗り越える力であり、一人で生きていける力のことを言っています。
前記事に書いた「挫折に弱い人」はこの人間力を身につけていくことが必要だと思います。
人間は何が一番嬉しいことかというと、それは脳が幸福感を感じる事であることは間違いありません。
人の悩みには、失敗、挫折、不幸な事、対人関係とありますが、その時に気持ちをどうやってコントロールするかが重要です。
物事の捉え方や考え方でプラスに考えて気持ちを切り替えてみたり、考えてもどうしようのないことを考えないようにしたりと、人間力のある人はそれをうまく消化できるから幸福感も感じやすいんです。
また人間の悩みの大半は対人関係だと言われていますが、その中で大切なものはコミュニケーション能力です。
世の中には理不尽なことはいっぱい存在します、小さい頃はそんなことは教えられていないので、理不尽な仕打ちがあると当然大きなショックを受けます。
そこから立ち直り、またショックなことがあり、その繰り返しでどんどんとストレスに耐性をつけていって人間力をつけていかなければ不幸を引きずってしまいます。
また、ストレスに対して耐性をつけると同時に、理不尽な人や理不尽なことに対しても柔軟に対応できる術を身につけることも必要で、これも人間力です。
小さい頃からずっと親や先生に、正しいことをしていれば間違いないと教えられていたのに、時には正しいことをつき通すといじめられる原因になったり、孤立してしまったりと、小さい頃に教えらてきたからこそショックも大きくなるものです。
もちろん正しいことは正しいので曲げる必要はないのかもしれません、ただし、自分を守るためにも、ある程度は融通をきかせて理不尽なことにも従ってみたり、譲歩してみたりという、ある意味の屈辱感も仕方がないことでもあるのです。
正しいことだから曲げたくないと突き進んで、その結果孤立しても、信念を通せたという意味で幸せを感じられるのなら突き進んだ方がいいに決まっています。
従ったり、譲歩することは屈辱だけど、突き進む辛さ、孤立する辛さの方が耐えられないのであれば不甲斐ないですがそうすべきだと思います。
これをしたとしたら嫌悪感はあるでしょうし、道徳的にも人間的にもやっていることはおかしいのですが、自分は生きていてどっちが幸せを感じるのかを天秤をかけてもいいのではないでしょうか。
結局人間の世界は影響力がある人が正しくなる傾向があり、それは本当におかしいことです。
影響力のある人が「白いものを黒」と言ったら黒なんですね、もし白と言ったら理不尽な扱いを受けてしまう。
これをくつがえすには更なる影響力のある人が「これは黒ではなく白」と発信しなければならず、結局は影響力の戦いになるんです。
この不条理は、子供の世界でも大人の世界でもどこでもあることで、本当はそれは人間としてダメなことと分かっているはずなのに黙認されている事実で、そいういう理不尽な事が一番の心が病む原因でもあります。
ま、「影響力がある人には逆らわない方がいい」なんて悪魔に魂を売るような事は学校では決して教えませんが、人は少なからず、そうやって自分を守ってたくさんの嘘(思っていても言わないことを含む)をついて生きているわけで、それはなんでかというと孤立したり辛い思いをしたくないからです。
また、理不尽なこと代表としてイジメの問題です。
いくら「いじめはダメ」と教わってきても子供時代には必ずイジメはあるものです。
そして「イジメはダメだよ」と教えている大人の世界でもいじめは必ずあるんです。
その中でも、自分の我を通したためにイジメられた、正しいことだからと突き進んだからイジメられた、影響力のある人に逆らったからイジメられた、というようなことであれば、自分の立ち位置を把握して、理不尽なことにも柔軟に対応するコミュニケーション能力である程度は対処できるものです。
もちろん長い歴史の中で、理不尽なことには絶対に従わない人は存在するわけで、それを通したばかりに処刑されたり、命を奪われてしまったり、孤立してしまったりという人はいて、そういう人はそういう信念のもとに行動しているので、死を選んだ方がましだ(死んだ方がまだ幸せだ)と判断した人もいるはずです。
そこまで潔い人は本当に尊敬はしますが、本人はそれでよくても家族や親友、恋人はとても苦しみますから、そう考えるととても複雑ですね。
私の場合はどうするかというと、ほぼ自分の信念を貫き通しますが、協調性が関与している場合においては理不尽なことに譲歩することはあると思います。
ただ、これは今の自分だからですね、過去を振り返ると、そうではありませんでした。
ま、私が書いていることはそういう選択肢もあるということで、自分が少しでも幸せに感じるためには、柔軟に対応したほうがいいし、それも人間力であるということです。
信念をつき通すといって頑張っても、それが原因で心を病んで精神疾患になってしまって一生影響してしまいます。
そういう人はたくさんいますが、それがその人にとって幸せならいいのですが、結果としてはそうではないはずです。
精神が破綻する可能性があるのなら、他の少しでも幸せになれる選択肢を選ぶべきで、それで誰かが犠牲にならないのであれば構わないと思います。
そしてこのような人間力があれば一人で生きていく力ができ、自分のやりたい人生を送ることもできるのです。
自分のやりたいことをする、それが自分の人生を生きる条件だと私は考えています。
人間の命には限りがあって、それは生物に共通していることです、そして人間だからこそできるのは、自分の発想で人生を決められるし、変えられる、すなわちやりたいことができる能力が備わっているということです。
そして人間は何を一番手に入れたいかというのはおそらく共通して「幸せ」という幸福感だと思います。
その幸福感が何かというのは、心とか物とか仕事とか人脈とか地位とかお金とか、それは人それぞれです。
ただ、親が「幸せになるから」とレールを敷き、言われた通りにする人生は、他人の人生を生きているのと同じで、いつか他人の人生を生きてきたことに気づいた時に、待っているのは不幸のみです。
人生を生きるというのは自分のやりたいこと、自分の決めたことをする事であると思います。
そして人生において”生きている実感”をどう感じるかが大事なんです。
だからこそ生きているうちにやりたいことをやればいいんです。
最終的な幸福とは自分の人生を自分の思うとおりに生きる事をまずしなければ手に入らない、そう私は思っています。
自分に自信がない人、何も決められない人、親や周りに流されてしまっている人、、、
自分を見つめて自分の人生を考え直すことも必要だと思います、もうすでに社会人になってしまった人、これから社会に出ようとしている人、まだまだ間に合います。
自分の本質とは何か、何を人生に求めているか、その部分を探すお手伝いもしていますからね^^
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