映画「ボスベイビー」

柄にもなく、付き合いで「ボスベイビー」という映画を観てきました^^;
ま、以前も「美女と野獣」というどちらかというと子供向け(?)の映画を観たのですが、 今回の「ボスベイビー」も考えさせられるものがありました^^;
やはりなんでも観てみるものですね、付き合いで自分の好みでないものを観るのもいいものかもしれません^^

この「ボスベイビー」ですが、単なるコミカルな映画なのでしょうが、私的にはとても切なく心を揺さぶられました。
まぁ最終的にはハッピーエンドなんですけど、そこに至るまでの前半の経緯は心が引き裂かれるようでした^^;

まぁ簡単いうと、弟が産まれるのですが、当然赤ちゃんであるため、両親は赤ちゃんに付きっ切り。
それまで両親を独り占めだったお兄ちゃんは一気に疎外感に苛まれます。

映画を観ていると現実離れしているようですが、嫉妬したお兄ちゃんの家族に対する心の葛藤というか、そこからくる被害妄想的な空想の世界のようにも受け取れます。

私のところに来るキーさんの中にもお姉ちゃんだからといって、母親に十分に甘えることができずに育ってきた子は結構いるものです。
まだまだ幼いにもかかわらず、妹や弟に母親をとられ、強制的に自立させられ、それによって甘えることを我慢して育ち、それで心が欠落し、精神に歪みが生じているケースもあります。

お姉ちゃんとして当たり前のように育てられると、お姉さん的な性格になるように、本人は寂しさなど感じない無自覚な子も当然いるのですが、大人になってから寂しさに気づく子もいますし、甘え方が分からなくて素直になれなくなってしまった子もいます。

そういう経験があったり、弟もしくは妹がいる人には共感できる部分が大いにあるのではないでしょうか。
全ての愛情を受けいていた子が、ある日突然その全ての愛情をとられてしまうのは、小さいながらに気が狂うような悲しさがあるでしょうね。
子どもの子育てもそうならないように、赤ちゃんに手間をかけるのはしょうがないのですが、その分お兄ちゃんやお姉ちゃんにはそれ相応の言葉がけをしていくのは大切な事です、それは手間のかからない言葉をもちいた愛情ですからね^^

まぁコミカルチックでブラックな部分もある映画ですが、深読みしすぎなのでしょうか、私はなにやら切ない映画のように受け取ってしまいました^^;
映画はいろいろな刺激をもらえていいものですね、人間にとって大切な何かを教えてくれるような映画はとても心に響きます。
そういうのが私の好きな映画です^^


当サイトへは下記よりお入りください。
PC版    お仕置きの部屋
スマホ版  お仕置きの部屋
モバイル版お仕置きの部屋

インスタ
https://www.instagram.com/kyosuke295/

いい子を演じる辛さ

いい子を演じている人って、いい子といわれている人達の中のほとんどではないかと私は思っています。
まず”いい子”というのは自己評価ではなく他者評価なわけですから、いい子と呼ばれている子たちは間違いなくいい子なんです。本人の心で悪い子と思っていても、他者がいい子と判断したならそれが評価となるんですね。

しかしいい子といわれている子たちは決まって「私は本当はいい子じゃない」といいますよね、それは自己評価です。
その自己評価と他者評価のズレが生じると、自分が過大評価されていると感じ、自己嫌悪に陥ることもあります。
それはそうですよね、自分のことは自分がよく分かっているわけで、明らかに他人が思っている自分は違うわけですからね。
それが”いい子を演じている”ということです。

いい子を演じているのにはそれぞれ理由があります。
「心配をかけたくないから」「感情的に怒られるから」「期待されているから」「見捨てられたくないから」「褒められるから」「周りが嬉しそうな顔をするから」「反発できないから」「嫌われたくないから」「親を助けたいから」等々。

でも最初は些細な気持ちでいい子な振舞いをしたとしても、それが当たり前となり、いい子のレッテルを貼られてしまうと、その呪縛から逃れることができず、面倒くさいことや嫌な事、反発したいことがあってもそのキャラから抜け出すことができず、結果いい子を演じてしまう傾向にあります。

本当はいい子じゃないし、出来も悪いと本人は思っています。
それでも周りの期待に応えようと精一杯背伸びして頑張ってクタクタなのに、更に期待されるからもっともっとしなければならない。
これが続くのは辛いし苦しいし、本当の自分をわかってほしい、本当の自分を出して楽になりたいと、そんなことではどんどん心が重たくなっていくでしょう。

すべて投げ出したいと思ったり、このまま消えてなくなりたいと思ってもそうはいかず、演じることを自分でもやめれず、本当の自分をわかってくれる誰かを探し続けてさまよっているように感じます。
表の自分と裏の自分とがいて、それがどっちかわからなくなったりして、本当の自分がなんなのかよくわからなくなって苦しんでいる子もいます。

いい子を演じるということではなくても、一般社会でのことで、一度信頼されて何かを任されたとしたら責任をもってやらなければならなくなったり、出世して部下を持ったら上司としての立場を演じたりとかってありますけど、それと似たような感じでもあると思います。

別の例でいうと親の器が無くても子供が産まれれば親を演じなければなりません、最初から親の器のある人なんてそうはいませんし、誰でも子育ては初めてで素人ですから、やはりそれは子どものために自分を封印して親を演じていかないといけませんよね。

しかしこれらの例は大人になってからの試練なので何とかなるでしょうが、いい子を演じている子は幼少期から演じているわけですからそこから歪みが生じてくるはずです。
幼少期に周りの期待に応えようといい子になろうとしていたら、その時期に必要なわがままや本心をだすこと、また、反発や冒険心を養うことができないまま大人になってしまうので、それは不健全な成長なんです。

幼少期から背伸びして良い子してれば疲れてしまいます、それだけの演じる力がついてない時点でそんなことしていたら無理があるし、気づいたころには辛く、自分が自分ではないと感じて、自分が根っからの良い子だったらよかったのにと思うようになるでしょう。

先日「嘘の許容範囲」というブログを書きましたが、それは幼少期に我慢して、甘えることやわがままをだす経験をしなければ、健全な心の成長ができず、心の認知が歪んでしまうというような記事です。「嘘の許容範囲2」
いい子を演じてそれが苦悩に思ってしまうというのもそれに関連していることだと思います。

同じように悩み苦しんでいる人は沢山いると思います、本当の自分を出したいけど身内や友達には話せない、そういう人がいたら私が話をききます。
一度吐き出してスッキリしたい人は沢山いるはずです、そういう人はサイトの方から気軽に連絡してみて下さい。

ここの活動のメインはお仕置き活動ですが、話を聞くだけのカウンセリングもしていますし、お仕置きに全く興味がない人でもたまに連絡が来ていますので、そこら辺は気にせず連絡してみて下さい。
そういう人にはお仕置きをすることはありませんからどうぞ心配しないでくださいね^^


当サイトへは下記よりお入りください。
PC版    お仕置きの部屋
スマホ版  お仕置きの部屋
モバイル版お仕置きの部屋

インスタ
https://www.instagram.com/kyosuke295/

嘘の許容範囲 2

日常生活で人と関わるにあたっての必要な嘘でも、罪の意識を感じてしまう子、そこまで偏っていなくても、そういうことを少しでも考えたことがある子は、どうしてそこまで偏った思考になってしまったのか、それは真面目でいい子なキーさんに見られがちですが、その背景には何が隠されているんでしょうか、というところの続きですね。

そういう思考に偏り過ぎている子もいれば、少なからずそういった事を考えてしまう事もあるという子もいますし、度合いは違えど真面目でいい子を演じてきた子はそのような傾向があるのではないかと感じます。

優しさのための嘘でも
気遣いのための嘘でも
空気を読んだ嘘でも
心で思っていることと違うことをいったりしても

どんな理由があったとしても”嘘”をついてしまったというくくりで考えてしまい、他人を騙しているという罪悪感を感じ、偽りの自分を演じていることに虚しさを感じたり、心が苦しくなってしまうようです。
本当の自分を吐き出したい、本当の気持ちを伝えたい、そういう気持ちが心にあるのは事実です。

それじゃそれを言えるのかといえば、それは100%NOです。
なんでかというと、それがマナーでもあり、礼儀でもあり、なによりコミュニケーションには必要な事だということは誰よりも理解しているからです。

もっというとその根底には、自分勝手になりたいわけでもないし、場の空気を乱したいわけでもない、相手を傷つけたいわけでもない、そう思っているので言えないのは当然のことです。
じゃあなんで・・・・、とここから先は堂々巡りとなって、永遠と続くループとなっていってしまいますよね・・・。

本当の心はどこにあるのか、偽りの自分を演じたくないのも本心、しかし他人に迷惑をかけることは絶対にしたくないのも本心、そうなると、出口のない迷路のように答えがみえてこないのですが、少し角度を変えてみると隠れている本質がみえてくるのではないでしょうか。

本心はどっちなのか、本当はどう考えているのか、その本心は

自分を偽りたくないというのが実は本心で、それに付随して
本当の自分をわかってほしい
自分勝手でもいいから全てをさらけだしたい
わがままをきいてほしい
そんな私でも認められたい、そういう自分も含めて愛してほしい、それでも見捨てない無償の愛がほしい
というのが根底にあるんだと思います。

しかし、それを周りの人たちに向けてしまいたいと思うのは錯覚で、その向ける相手は実は親に対してということもあるのでしょう。
親に対してといっても今現在の親ではなく、幼少期の時の親にです。
幼少期に満たされなかった部分を、無意識に周囲の人に向けてしまっている、そういう思考になってしまっていると考えると、二つの相反する考えは矛盾ではなくなり、ストンと心に落ちていくような感覚になるのではないでしょうか。

どうしてそういう思考になってしまったかというと、それは幼少期に我慢してきたことが原因だと思います。
理由は様々で人によって違いますが、一般的には小さい頃にわがままをいったり、自分のしたいことをアピールするのは当たり前の行為で、それが健全な子供の心なのですが、その心を抑圧してしまったからでしょう。
理由としては

様々な環境から、両親に心配や迷惑をかけたくないと強く感じて自分を出さなくなってしまう
親の言動から、わがままをいったり、期待を裏切ったら見捨てられると思ってしまい、親のいいなりになってしまう
自分の下に妹や弟がいるから母親を譲らなければならない思い、甘えられないのは当然と思ってしまう
家族をバラバラにさせないようにと幼いながらに強く感じて、親の機嫌を取る為に必死に自分を偽ってしまう
幼少期に感情的に怒られ続け、そうならないようにと心を抑圧して我慢するようになってしまう

このような様々な理由やきっかけで良い子を演じてしまうことが多いでしょう、そうではなく、根っからの性格からそのように行動してしまう子も実際にはいます。
もちろん性格的な面もあり、同じ環境でもそうならない子はいます。
なのでこういう状況にない人には理解できないかもしれませんし、逆にこういう思いをした本人なら理解はできるでしょう。

本当はわがままを言ったり、自分の意見を言ったり、意思表示をしてありのままの自分をさらけ出したかった。
でもそうできなかった幼少期の満たされない思いは、記憶には残っていなくても心の中では消えないものです。
自分を偽って、本当の自分とは違う良い子を演じてること、それが母親や周囲に嘘をついているという認識になってしまいます。
でもそのように育ってしまうのは当然のことのように思います。

本来これは立派な気遣いの嘘(ついていい嘘)であって、子どもは幼いながらも葛藤して、自分や家族を守るために必死に気を遣っているものです。
しかし幼少期に自分を偽ること(嘘)が日常になっていたら、「本当の自分を偽っている」「周りを騙している」と思うのは当然のことでしょうね。
なぜかというと、我々は大人だから嘘は必要だと冷静に判断できるからであって、幼少期の子どもはその判断能力が欠けているからです。

特に子供の頃は嘘はいけないことだと教え込まれ、嘘つきは泥棒の始まりとか、地獄に行くよとか、狼少年の話とか、そうやって嘘はいけないと純粋に育てられます。
しかしまだ心も知能も成長初期なので”いい嘘”だとしてもひとくくりの”嘘”と認識してしまっても不思議ではありません。
だからこそ気遣いの嘘だとしても大人になった今でも罪悪感が残ってしまうのでしょう。

通常は子供の頃は嘘は悪いことと教えられていても、それから幼稚園(保育園)小学校、中学校、高校、大学、社会人と上がるごとに、気遣いのためには、そして他人と仲良くしていくには、つかなければならない嘘というものは必要だと学んでいきます。
気遣いの嘘や自分の思いと違うことを発言するのは、悪い嘘とは全く違う絶対必要枠であることは無意識にわかっていくことで、それが健全な成長過程でもあるんですね。
それが幼少期に抑圧された環境で過ごすと、良い嘘だとしてもマイナスの形で認識をしてしまうのはよくわかる気がします。

補足でいうと、正義として認識していたものが実は建前だったとか、大人の汚い世界を目の当たりにしてショックを受けたりとか、ある程度は世の中の嫌な部分も含めて受け入れなければ普通の精神状態での生活はできませんよね。
それを幼少期にぶち込んでしまったら間違った認識になるでしょうし、正常に認識をするには長い学生生活を経て、社会人になってと、長い年月をかけて少しずつ力をつけ身につけていかなければなりません。
それをいきなり幼少期にぶち込んでしまうのは、体力のない幼児に50㎏の荷物を乗っけるようなものです、当然つぶれてしまいますよね。

まぁだからこそ幼少期の教えを未だに信じているような真面目な不器用な子はとても生きづらい世の中なのでしょう。
でもそういう心は必要ですし、私はとってもとってもそういう人を尊敬をしています。
そして私を含めた臨機応変に心を対応できるような器用な人は、自分の心を守るためにそういった純粋さをどこかに置いていってしまったんでしょうね・・・。

真面目で不器用な子はそれができない、尊敬に値しますが、そういう子たちは生きるのが辛いという変な世の中です。
ま、話が少しずれましたが、気遣いの嘘は絶対に必要なので、罪悪感を感じてしまう人はそういう認識に変えていきましょう。
気遣いの嘘という人間関係には絶対に必要な技を幼少期に取得していたというだけの話です、こういった背景を振り返ってみて考え方を変えていきましょう。
罪悪感を抱える必要はありませんよ^^

ちなみに普通の人は気遣いの嘘については、罪悪感を抱えるどころか、嘘という認識はないし、大げさにいうなら相手に気を遣えた自分の広い心に満足しちゃう人までいますしね(笑)
認識が全く違うものなんです。

ただ、良い嘘、悪い嘘の基準も判断も範囲もそこは微妙に違うもので、そこでトラブルもあることも事実です。
そこは人それぞれの価値観や思想によって変わりますので、ここで書いた話は「一般的な範囲での良い嘘」ということですからね^^;


当サイトへは下記よりお入りください。
PC版    お仕置きの部屋
スマホ版  お仕置きの部屋
モバイル版お仕置きの部屋

インスタ
https://www.instagram.com/kyosuke295/

嘘の許容範囲

嘘には、「ついていい嘘」と「悪い嘘」とがあると思いますが、その境界線は人それぞれであり、その人の価値観によっても違うものです。
でもキーさん的な真面目なタイプの子の一部は、一般的には良い嘘といわれるものであったとしても、”嘘”をついているという行為で罪悪感を抱えてしまう子もいます。

それは自分を偽わって、周りを騙している、本当は良い子じゃないのに良い子のふりをしているという罪悪感です。
その度合いは人それぞれですが、それが極端になってくると生きるのがとても辛くなっていくものです。

人間は他人への気遣いのために些細ながらも嘘をついて生きているものです、これはほぼすべての人間がそのようにしているはずです。
逆に嘘をつかないで正直に自分の思いを発信していたら、ただの自分勝手な変わり者としてみられ、社会から孤立してしまうでしょう。

人は気遣いのために日常的に些細な嘘をついているわけですが、でもその嘘が自分を苦しめてしまうという人もいるんです。
かといって本心を言うと相手を傷つけてしまう、、、だから本心を隠して取り繕ったことを言うしかない、、、、、だけどそれが人を騙しているようで苦しい、、、、、、と、そこから逃げ出せないジレンマに苛まれ、そうなるととても生きるのが窮屈になってしまうようです。

つかなければならない嘘は普通にあるものです。
相手への優しさのためにつく嘘も確実に必要なものです。
周りの空気を読んで、みんなに合わせるためにつく嘘も大切であり、それがコミュニケーション能力というものでもあります。

このように、日常生活で自分が他人と接する以上、どうしてもつかなければならない嘘というものがありますが、そういった必要な嘘でも、大きな意味合いとしての「嘘」とひとくくりにしてしまい、他人を騙していると罪の意識を感じてしまうようです。

そこまで偏っていなくても、そういうことを少しでも考えたことがあるキーさんは結構いると私は思っているんですけどね。
どうしてそこまで偏った思考になってしまったのか、その背景には何が隠されているんでしょうか。

そこら辺のお話は次回に持ち越しします^^


当サイトへは下記よりお入りください。
PC版    お仕置きの部屋
スマホ版  お仕置きの部屋
モバイル版お仕置きの部屋

インスタ
https://www.instagram.com/kyosuke295/

手首の痛み(診断結果)

なんか今回の件で、コメントやらメールやらでいろいろとお騒がせしてしまいました^^;
診察に行ってきました。


ドクターには、前回の手術のことも話し、症状を詳しく話し、
そして診断は、、、

なんと想定外の



ただの「腱鞘炎(けんしょうえん)」だそうです^^;

いやいやいや、、、
「腱鞘炎になることはしてないですよ!」といってもドクターは「これは典型的な腱鞘炎ですよ」と・・・。
考えてもそのような行為はしていないので、「仮に腕枕でも腱鞘炎になりますか?」とちょっと恥を忍んで聞いてみたものの
「それで腱鞘炎にはなりません」とバッサリ^^;

「パソコン等で指を酷使しているとかありませんか?」と聞かれるのですが、そんなことはないし。
スマホ依存でもないし、スマホ操作も無理なタッチはしていないし…。
私は腫瘍が原因じゃないかと思っていたのでずっと首をかしげていて、納得のいかないような顔をしていると、
「重いものを持ったり握力を使う仕事とかはないですか?」と

そんな仕事はしていないし・・・。

あ?思い当たる節が・・・。
話が少しさかのぼるのですが
去年の11月頃にお笑い系のテレビ番組で、鉄の棒にぶら下がって何分耐えられるかというようなことをやっていたんですね。
足にはバンジージャンプのゴムひもがつけられ、手を放してしまうと、バンジージャンプと同じで、真っ逆さまに谷底へ落ちてしまうというものだったんです

あまり詳しくは見ていなかったのですが、要は、そういった究極の状況であればぶら下がっている記録は伸びるのかどうかという検証のような感じだったと思います(違っているかもしれませんが)

それでだいたい1分くらいでみんな限界が来て谷底に落ちてしまうのですが、それを見て、私だったらどうなんだろう、もし万が一本当にそういう状況に遭遇した時に命を守れるのかなぁと思い、「ぶら下がり健康器」のようなものにぶら下がってみたんですね^^;

そうしたら30秒くらいで限界に達してしまい、自信喪失・・・。
これは鍛えなきゃいけないと思って、それからは毎日40秒ぶら下がり、1分のインターバルをあけて40秒ぶら下がり、それを毎日3セットやり始めました。

そのうち最後の3セット目はできるだけ長くぶら下がろうということで頑張り、最高で1分20秒までぶら下がることができるようになったんですね。
最後の3セット目は、既に握力も相当やばい状態の中、限界を超えるまで必死にぶら下がっているので(笑)
終わった瞬間はもう握力を使い果たして、5,6秒はしかめっ面状態なくらい握力を酷使していたんです…。

腱鞘炎の原因はこれです(笑)

1月中旬くらいからはやらなくなったので、そんなことは忘れていましたが、それを思い出しその事をドクターに告げると
「握力使って腱鞘炎になることはあるので、そうでしょうね」
と淡々と説明。

ということで単なる腱鞘炎でした^^;

キーさんの「腱鞘炎でしょ」というアドバイスがそのままだったんですね。
イラッとしてお説教してしまいましたが、この結果を聞いたらその子はなんて思うのでしょうか・・・^^;

頑張りすぎて体を壊すなんて、年齢を感じますしね、情けない結果となってしまいました。
腫瘍がどうのこうのと余計に心配させてしまって、反省です・・・。

ま、安静にしていれば治るということだし、実際の生活には何の支障もないし、もちろんお仕置きにも何の影響もなく平手でビシバシ叩けるので、今回は健康体だったということで結果オーライですかね^^;
お騒がせしました・・・。



当サイトへは下記よりお入りください。
PC版    お仕置きの部屋
スマホ版  お仕置きの部屋
モバイル版お仕置きの部屋

インスタ
https://www.instagram.com/kyosuke295/

手首の痛み

ここ3週間ほど手首の筋が痛くて、最初はすぐに治ると思ってほっておいたのですが、さすがに3週間過ぎても何の回復もないと不安になるものですよね・・・。
しかもその部分を痛めるような行為はしていませんしね。
まぁ、しいていえば平手でのお尻ペンくらいなのですが^^;

この痛みを説明したキーさん達も、みんなお仕置きが原因じゃないかというのですが、平手でお尻を叩いても痛くはなくて、手首を縦方向ではなく、横方向に曲げると痛いので、お尻叩きが原因ではないはずなんですね。
原因がないとなると思い当たるのが一つだけあります。
ちょっと暗いお話になりますが・・・。

過去のブログにもチラッと書いたのですが、私は過去に手首に腫瘍ができて手術をしたことがあったんですね。
その時は手術で腫瘍を摘出して病理検査をしない限り、良性か悪性(癌)かわからないということで、その時は死も頭によぎったのですが、結果良性の腫瘍で、その後の再発もなく一安心だったのですが・・・。
その時の様子を書いたブログはこちら

今回は急に痛みだし、その痛みは治まることは無く、同じような痛みが続き、多少なりとも回復するならいいのですが、少しずつ痛みも増しているような気がして、もしかしてこれはその再発か・・・。
そうなるとまた手の切断ということまで考えてしまいます・・・。
まぁ痛みは全く同じ場所ではなく、微妙に場所は違うんですけど、そこに関連して転移したのかとか悪いことばかり考えてしまいます。

一番に考えたのは、お仕置きは左手一本でできるかなということでしたが(笑)
でも本気で切断を考えるとかなり精神的にこたえます。
と、そんなことを考えていたらかなり心配になってきたので早急に病院に行くことに決めました。

で、何人かのキーさんにはその痛みの症状を伝えたのですが、一人の子に
「これは完全に腱鞘炎(けんしょうえん)だよ(笑)」といわれたんですね。
その子は音楽をやっていて、その関係で腱鞘炎になったそうなのですが、その時と同じ感じらしくて、軽い感じで笑いながら言い切ったんですね(怒)

私は腕を切断したらどうしようとまで深刻に考えたいたのに、その子のあっけらかんとした言い草にちょっとイラッとしてしまいました^^;
しかも、腱鞘炎になるようなことは一切していないし、平手で叩いても痛くないからそれが原因ではないし、ある日起きたら急にしびれるような痛さになったので、私は腱鞘炎はありえないと思って、その子に
「医者でもないのに診断するような言い方はやめなさい!」
「腱鞘炎になるようなことをしていないのに腱鞘炎の訳ない!」
とお説教をしたらその子はシュンとして「ごめんなさい」と・・・。
まぁ、反省したようだったので許してはあげましたけど^^;

しかしながら手首の心配のあまり、自分に余裕がなくなっていたのか、感情的になってしまったようです(汗)
10年前の手術でしたが、その病院にはカルテも残っているそうなので、早急に診てもらってきますね^^

ま、今のところはお仕置きには何の影響もありませんのでそこはご心配なく^^;
ただし暴れるのは押さえつけるだけの余力がないので勘弁です。

結果はまた報告します^^


当サイトへは下記よりお入りください。
PC版    お仕置きの部屋
スマホ版  お仕置きの部屋
モバイル版お仕置きの部屋

インスタ
https://www.instagram.com/kyosuke295/

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

カレンダー
02 | 2018/03 | 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリ
月別アーカイブ
プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QR
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示