「子の心、親知らず」 その2
親と一緒にいるのは苦痛でしかないのに、親には良い子のふりをし続けているケースは意外と多くあり、その親自身子供とはとても良い親子関係が築けていると思い込んでいるのですが、実際は違うというかなり恐ろしい現状があるというお話でした。
そんな子供達は成人してどういう気持ちでいるのか、どう親と接しているのかということが今回の本題です。
成人して親と同居しているケースもあります、普通に考えたら家を出ればいいのにと思うのですが、親に反対されるのが分かっているからそれが言い出せない、というよりもそれさえも言い出せない子もいるんですね。
また一人暮らしを許してくれて別で暮らしている子達や結婚して別々に住んでいるケースもたくさんあります。
それでも年末年始や一般的に言われている帰省時期には必ず顔を出すのはもちろん、そういうことがなくてもたまに会いに行ったりしたりします。
いや、それは当たり前のことだし、親孝行だし、とても素晴らしいことなんですけが、親に会うことがとてつもなく苦痛であるなら会わなければいいと思うのですが、それができないんです。
たまに家に帰らなければ親に叱られたり、嫌味を言われたりする、そうなると嫌われる、見捨てられる、家族の輪を乱すという恐怖心があり、辛くても会いに行ってしまうようです。
また、反抗できなかったり決断ができないので、他の選択肢や考え方自体が分からないということもあるんですね。
親不孝な話ですが、本来親子関係が強固なものであれば親の所なんかに帰らなくてもある程度は平気でいられるものです。
「便りがないのは無事な証拠」と、ことわざがあるように、成人した大人は、楽しかったり忙しかったりすると、親よりも優先したいものができ、「実家に帰らなきゃな」と思っていてもつい先延ばしにしてしまうものです。
2年、3年帰らなくて、そのことに多少の罪悪感があっても、親を後回しにしてしまう人は多くいます。
でもそれが良い子を取り繕っている子にはできないんです。
親の期待を裏切ること、親に叱られるであろうことをすることができないんですね。
成人しても子供のまま、そういう心理状態になってしまっているんです。
もしそんなことをしたら、それこそ見放されてしまうかもしれない、家族がバラバラになってしまうかもしれないと不安になり、子供の頃同然、全てを支配されてしまっているんですね。
子供時代に何があったのかは様々なケースがありますが、その殆どは体罰のような虐待ではありませんし、むしろそうでないケースの方が圧倒的に多いんです。
まぁこれは今回のテーマ(子の心、親知らず)だからこそですから、体罰的な虐待なら親は子供の心を少なからずわかるわけですから当然ですね^^;
そんな様々なケースがある中、共通して言えることは子供は親に愛されるために頑張って努力し続けているということです。
親の期待に応える、それをすれば愛情がもらえると思って必死に頑張る。
親の敷いたレールをそのまま突っ走るのもそうです、勉強していい成績を取るのもそう、良い学校に入るのもそう、反抗しないのもそうです。
反抗しないのが行き過ぎて反抗期すら知らないというケースが殆どかもしれません。
親の期待する良い子でいれば褒めてくれるし、愛情を貰えると思って頑張り続けますが、その愛情はいつまでたっても手に入りません。
なぜかというと、その親たちは子供がいくら頑張っても、その子供の”心の部分”を満たしてあげることに対して軽視してしまっているからです。
勉強や躾を重視し、学費や経済的に支援してあげているというだけで満足してしまっているのでしょう。
もちろん、それはそれで大きな愛情ではありますが、子供の心を埋めるものでは決してありません。
大切なのは”体”と”心”のスキンシップです。
頑張っていたり、良い子していたら、その都度抱きしめてあげればいい、そういう”体”のスキンシップが欠けているんだと私は感じます。
子供を信じてあげる事、子供の話を真剣に聞いてあげること、傷ついた時にはどんなことでも味方になってあげること。
そういう”心”のスキンシップが欠けているんだと思います。
精神論も行き過ぎで、何事も頑張れ頑張れというだけでは人間の心は維持できません、悩みや愚痴、そして心の傷はしっかりとケアしてあげる。
子供を信用すること、しっかりと話を聞いてあげること、そして抱きしめてあげること。
これが愛情の中で一番大切なことなはずです。
でも「そんなことでくじけるな、負けるな、そんな子は知らない」と突き放し、それの限界点が分からずに教育して取り返しのつかない精神状態へと追い込んでしまう。
でも親はそれは精神を鍛える手段であり、子供を幸せにするために必要なことでそれが愛情と考えているんですね。
だから子供はいくら頑張っても認めてもらえないという絶望感を感じ続け、親に背くことを恐れるんです。
そして親の気に食わないことをすると一番欲している愛情を受け取れない・・・・、でもいくら良い子でいても自分の求めている愛情を与えてもらえない、そんな心情でいるから親と一緒にいると苦しいし、それでも離れられないでいるんだと思います。
離れる決断ができないといってもいいかもしれません、全て親が決めてしまって、良い子でいるためには従うのが一番で、だからこそ反抗もせず、自分で決断する能力に欠けてしまう事にもつながるんです。
親は何とかできなかったのでしょうか、心と体の愛情を与えることはできなかったのでしょうか。
子供たちは実は必死のSOSを発信しているのですが、それに親は気が付かない、もしくは大したことないと判断してしまう。
でもこれだけは断言できます。自分にとっては小さな悩みでも、その人にとっては生死にかかわる悩みということは普通にあることなので、悩みの大きさは個人の価値観で測っては絶対にいけません。
だからただ真剣に子供と向き合って話を聞くだけでいいと思います、傷ついた心をケアしてあげればいいと思います、嘘つき呼ばわりされたりいじめられても子供の言うことを信じて応援してあげればいいんです。
そういうケアがないから子供は親から何かしらの屈辱を受けたと感じ、それが心の傷となってしまうんです。
と、そうやって成長してしまったわけなので、そんなことをいまさらグズグズ言っていても過去は変えられませんよね^^;
ま、通常は親と話し合うのは必要ですが、それができないから難しいことなんですけど、頑張っても話ができないのであれば、これまでのことを受け入れるしかありません。
受け入れるという本当の意味は今の苦しい状況と同じではなく、親といても苦痛ではなくなる、もしくは少しは薄れるということです。
苦しんでいては受け入れるとは言い難く、これまでと何ら変わりはないですからね。
まぁ私がそういう子たちにいつも言っていることは、間違いなく愛情はあったということです。
心と体の愛情を与えられなかったのは、親はそれよりも躾や学業、経済的な支援という愛情の方が大切と思っいたんでしょう。
自分の人生での失敗や後悔という経験をいかし、あらかじめレールを敷いてみたり、物事を決めつけてみたりして子供には不自由な思いをさせたくないという愛情。
はたまた自分の夢を子供に託したり、自分が幸せと感じることをしてあげることが子供の幸せと思い込むそういう愛情。
子供にとっては迷惑なことですが、これも立派な愛情には変わりありません。
本当に愛情が無かったら、そんな育て方はしないし、支援もしないはずですから。
親も人間です、全てをわかるわけもなく、子育ては素人ですからね、人間心理もわからないだろうし手探りで必死だということは理解しなければなりません。
そういう子供たちが満たされなかったのは、心と体のケアやスキンシップという愛情ですけど、それでも親は子供に対する愛情はあったんだと理解することで受け入れる。
他人の家庭を比較せず、他の家庭の愛情を欲しがったりうらやましがったりをしない。
自分の理想の愛情ではなくても自分の親はその親なりの愛情表現をしてくれたという事実を受け入れてみてはどうでしょうか。
そして自分が経験した愛情不足は、付き合った相手側には与えてあげる、また子供ができたらその子供には与えてあげる。
そういう経験をしたからこそできることでもあります。
負の連鎖はもうおしまいにして、これからはその経験を活かし、幸せを与えられるようなれればいいのではないでしょうか。
今まで満たされなかった愛情不足を埋める場所はどこにもないかもしれません、でも自分の思いを吐き出す場所、願望を叶える場所、満たされなかった愛情を感じられる場所を少しでも感じたいのならば私はいつでも待っています。
力が及ばないこともありますが、このブログに共感できるのであれば少なくても他の人よりも気持ちは理解していることになると思います。
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