私自身の事

私はこのような活動を通じていろいろな方と接し、いろいろなお話をしてきました。
その中で私は、お説教はもちろんのこと、相手に対しいろいろな選択肢を提案してあげたり、物事の捉え方や見方を変えるアドバイスをしたり、何が幸せな事なのかを考えさせたり、客観的で広い視野で説明したりと、とにかく相手の抱えている焦燥を少しでも軽くし、前を向けるようにさせてあげたいという気持ちで真剣に向き合っているんですね。

それで、このブログやメールのやり取り、そしてサイトの中で、私は私の価値観や方向性を持って活動しているので、これらを見ている方は私についてどういう印象を持っているのかなぁと、たまに考えてみたりします。

人にお説教をし、悪いことを注意したり罰したりしているのだから、それこそ善人であると思われているのかなって思うんです。
プレイとか遊びとかではなく、人に対して真剣にお説教をしてお尻叩きのお仕置きをするのですから、それこそ品行方正でなければその資格はないと思う人が大半なのではないかと私は感じるんですね。
それはそうですよね、自分ができていないことを他人に注意をするほど滑稽なものはないし、説得力の微塵もないですから。

で、私はたまに、このブログやメールのやり取りなどを読み返してみることがあるんです。
そうすると、「この人立派なこと言ってるなぁ、さぞかし立派な振る舞いをしているんだろうなぁ」なんて客観視して思ったりすることもあるんですね(笑)
じゃあ、実際はどうなのか、というお話をちょっとしてみようかなって思います。

正直言って私の過去は裏も表もあっていろいろな経験をしてきました。
裏というのは悪い部分で、学生の時に悪いことをしたことがあるし、成人になっても悪いことを考えたり、したりしたことがありました。
きっとその内容を聞いたら人によっては許せない、腹立たしい、ふざけるな、と思うだろうと思います。
実際私は遠い過去に戻り、心から謝りたいと思う人も何人かいるし、そのことで人生をやり直したいという気持ちもあります。

でもそれは私自身がその罪から逃れるためのもので、恐らく相手の為に謝るというよりも自分が楽になりたいから謝って許してもらいたいという自分本位な考えから来ているのかもしれないと思ったりもします。
だったらその罪悪感を一生背負って後悔して生きていくのが私自身の罪の償い方なのかもしれないなって思うんです。
実際当人に謝ったとしても気が済むのは私だけかもしれません、それは相手は大人なので言葉では許してくれるだろうからです。

私の場合、好奇心旺盛でいろいろな世界を見てみたいというところがあって、それでいろいろなことを経験しいろいろな人と出会い、そこには良い人も悪い人もいました。
良い人でも悪い人でも私はその心に興味があり、なんで良いことをするのか、なんで悪いことをするのかということをいつも追及していて、それが今のいろいろな人の気持ちになって考えられるという基礎になっているんじゃないかなとも感じます。

性的な部分もそうですね、過去にちょっと触れたこともありますし、過去に書いた記事がグロすぎるために後になって削除した記事もありましたが(汗)
私は性的にも好奇心旺盛なところがあって、何でか惹きつけるものを感じ、若いころにSMの世界に入り込んだんですね。
好奇心だけは人一倍ありますから一通り全て(身体改造は除く)のことは経験してきたのではないかと思います。

あまりにも追求しすぎた結果なのか、私のSM観というのは肉体的な快楽(セックス)ではなく、精神的快楽の追求だったことに気が付いたんです。
肉体的快楽(セックス)は精神的観点からみると気持ちを盛り上げるための一つの行為にすぎないんです。
私はその精神的な部分が満たされる方が肉体的快楽よりも遥かに上の方にあり、恐らくそれは究極に追求していけば誰しも必ずたどり着くものなのではないかと思っています。

それで、そこに気が付いた瞬間に肉体的快楽を追求する人たちであふれているSMの世界には私の求めているものはないなと考えるようになったんです。
もちろん肉体的快楽である性欲に関してはSM的な事で吐き出していますが、精神的なものを追求することについてはSMの世界では表現できないと悟ったんです。
そこからSMよりは健全であるスパの世界に入り込んだのですが、最初の私はやはりキーさんはMの卵だくらいにしか思っていなかったんですね。

M女よりは性的なことに対しては奥手なのでそれで満足していましたが、なかなか私の支配下にすることができず葛藤していて、そんな時に出会ったキーさんの純粋さに、キーはMではないとやっと認識できたんですね。
私は当初キーはMであると思っていたのですが、キーでMじゃない人も存在していることを知って、その時に支配下に置こうと思っていたことが無意味とわかったんですね。
そこから新しい世界を発見したみたいな新鮮なものを得た気がしました。

「だから支配できなかったんだ」
「そういう純粋な子供みたいな心を持った大人がいるのか」
と、カルチャーショックを受け、そこからキーさんに対しては支配という概念が消えました。
キーさんのような性格の人は、私が失ってしまった大事な何かを埋めてくれるような気がして、そこからキーさんと関わりたいと思うようになって、それが現在も続いています。

それで私は、精神的な部分のやり取りができるこのお仕置き活動をしていきたいと思い、本当にシンプルな、本来の親から子への家庭的なお仕置きに限りなく近い世界を作り上げようと思って今に至るんです。
だから私が今していることはスパと呼ばれている、勝手に作り上げられた世界のお仕置きとは根本のところで違うのではないかと思っています。
とはいっても検索で引っかかるようにとスパ用語なんかはちゃっかりと借用してしまってますけどね(笑)

こういう方向性なので、私は性的なものをお仕置きに持ち込むことは許せないんですね、そこはキーさんと合致しています。
そして私は私のしているこの一連のお仕置き行為は、とても神聖で人間の心を正常に保つには必要なものだと思っています。
だからこそ性的なものをお仕置きに持ち込んでこの神聖な行為を汚したくないんですね。
そういう理由だから私が持ち込むことも一切ないんです、性欲を満たすのであればスパではなくSMで吐き出せばいいだけですからね。

例えば、普通の夫婦が子供の前ではセックスはしませんよね、しかし夜になれば子供に隠れてセックスをします。
それもある意味、日常と非日常です。
非日常とは子供に胸を張って見せられない、性が絡む後ろめたい行為、もっといえば子供に隠れて淫らにあえいでいる行為です。

一方、大人が子供にお仕置きをするのは日常であり、そのときに性欲なんてあるわけがありませんよね。
私はそれと全く同じなのでお仕置き時にお尻を丸出しにしたとしても性欲は微塵もわかないんです。
つまり日常がキーさんとのお仕置きであり、性欲なんて湧きません、そして非日常はSM的な事をして性欲を満たしているということです。
ちょっと赤裸々にお話しちゃいましたね^^;

また、それに関連してもう一つ踏み込んだお話をします。
私が精神的に切り替えている証拠として、私はお仕置き中にあそこが勃ったことがありません。
決してインポではありませんよ、元気です(笑)
親が子供にお仕置きをするのにあそこが勃つことはあり得ないですよね、つまり興奮していないということです。
これは私のところに来る子たちに子供にするような家庭的なお仕置きをしている表れなのではないかなって思います。

まぁ、こんなんで良い事も悪い事も、ノーマルもアブノーマルも体験し、その行く先でいろいろな人と出会い、私の精神的な構造ができあがってきたんじゃないかなって感じます。
そういう一連の事柄が、「どんなことを聞いたとしても引かないし動じない」という根拠の一つであると思います。
人間は悪いことをしますが、どんなに悪人でも確実に純粋な部分や善の部分があるというのを私は知っているんです。

話を戻しますが、
だから私にお説教の資格があるのかと問われたらそれはないのかもしれません。
でもこれだけは言えると思うんです。
悪いことを経験して今は正しいことをしたいと思っているからこそ、正しい人の気持ちも悪い人の気持ちも理解できる。
悪いことを経験したからこそ、もう二度と悪い事はしたくないと心から思える。
悪いことを正当化するつもりはありませんが、そういう経験があったからこそ分かることもあるんです。

また、心理学やマニュアルでは説明できない微妙な心の部分は、良いも悪いもいろいろな経験や様々な人間関係があったからこそ分かる部分があると思うんです。
本の知識では人の心の奥底まではわかりません、あくまで表向きの心しかわかりません。
でも私自身は、心理学やマニュアル本では解明できないようなデリケートな部分も対話によって分かり合えるような気がしてます。
それはこれまでの経験や人間関係があってこそ身についたものでもあるんです。

過去は消すことは出来ませんが、過去の解釈は変えることができると思うんです。
それはこれからの生き方や姿勢であり、これまでのことがあったからこそ今の私がいるということなのです。
私の一番好きな言葉で大事にしているものがあるのですが、それは

「これからがこれまでを決める」

という言葉です。
これまでどんな過ちを犯してしまっても、どんなに悪いことをしてしまっても、その解釈は、これからの生き方で変えることができると思うんですね。
これまでの罪悪や罪をマイナスのまま抱えて成長せずに終わるか、その経験をプラスにして成長につなげるか、その差で今後の人生は大きく変わるはずだと私は思ってます。

過去は変えることは出来ませんが、それを糧にこれからいい人生になれば過去の解釈は変えることができる、つまりそれが”これまでを決める”ということなんだと思います。
これは私のところに来る子たちにも共通することで何もいつまでもウジウジしていることはないんです。
お尻叩きのお仕置きを受けて償い、前向きにこれからをよくしていけば、これまでの人生の質が決まるんです。

辛い思いをしたからこそ得られるものが大きいんです、それを大きなプラスにするか、後ろ向きにマイナスにしてしまうかでその人の人生は大きく違うものになります。
起こってしまったことは変えることは出来ませんが、それはこれからの生き方で良かったんだって変えることができるんです。
それを悪い結果として残すか、良い結果にして成長につなげるかはその人自身の問題で、私はその手助けをしていきたいと思うんですね。

当然のことながら私は現在は悪いことはきっぱりと卒業して、心身ともに品行方正でいますし(笑)、その生き方をずっと続けることによってこれまでの過去の解釈が決まるんだと思って全うに生きています^^
まぁこんな私ですけどお話ししてみたいという方は連絡してみてください。

流血事件!

活動再開して初のお仕置きが去年の12月31日でした。
まだあまり日にちがたっていないのですが、それでも何人もの人をお仕置きをしました。

お仕置きは、まずは平手でお尻ペンペンをするのが私のスタイルです。
私が活動復帰して平手でのお尻叩きでとても衝撃だったのが”手が痛い”ということでした^^;
とにかく痛い、涙が出そうなほど痛い(笑)
以前はいくらでも叩けたし、お尻ペンをやめるタイミングは疲れた時か汗が止まらなそうな時でした。
ところが今は”痛い”痛すぎる・・・。

でも私自身のプライドから我慢して叩きます。
涙が出そうでも叩き続けます、きっと涙目になっていたのでしょうね^^;
これじゃどちらがお仕置きを受けてるのかわかりません。
今はホントに痛いのですが、いずれ私の手も元に戻る日が来ると信じて、今は手の修行と捉えて頑張っています(汗)

そんなある日、いつものように痛みをこらえながらお尻を叩いているとお尻から血がにじみ出てきたんですね。
お尻叩きはやりすぎると流血することもあり、それはその人の皮膚の強い弱いも関係してきます。
私は自分との痛みと戦い、痛みを我慢して一生懸命に叩いていたので、それでお尻から流血したと思っていました。
でもそんなことは今まで一度もありません、私の場合、道具を使ったとしても、流血する前にはやめてしまうので、これまでのお仕置きでは流血するということはありませんでした。

私は心の中で、
「ここまで威力があって、強烈なお尻叩きをしていたのか、どうりで痛いはずだ」
なんて思いながら叩いていたのですが、なにか様子がおかしいんです。

違和感を感じて手のひらを見ると、なんと、流血は私の手の平からのものだったんです^^;
そういえば前日の平手でのお尻叩きの後に、手のひらに血豆ができていたことを思い出しました。
要は単にその血豆が破れて血が出てしまっただけだったんですね。

ということで、手も痛いし、流血はしているし、すぐに平手のペンからケインでのお仕置きに変え、何事もなかったかのようにお仕置きを終えました。
そしてまた次のお仕置きの時にも同じように流血をしたんですね。
結局完治する前に平手でのお尻ペンがあるのでなかなか治らないんです^^;

そんな中、服を着てのお仕置きをすることがありまして、その子は白っぽいスカートをはいていたんですが、服の上からとはいえ、平手で強くお尻ペンをしたらきっとまた流血して洋服に血がついてしまうと思い、その子に対しては流血しないように軽めに、そして短めにお尻ペンをしました。
そして、早々にケインに持ち替えてお仕置きをしました^^;

ところがその子は後日、平手が痛くなかったということを感想を書いて私に送ってきたんです。
まぁその内容については私のサイトにアップしてありますので興味ある方は覗いてみてください(お仕置き後の想い「こずえ」)

さすがに「平手でのお仕置きは我慢できるくらいの痛みだった」なんて言われたら、もう鍛えるしかないでしょう!
一日も早く昔のような手のひらに戻るよう、そして平手でも十分に痛いということを分からせるためにも、更に精進して暮らそうと心に決めたきっかけでもありました^^;


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パートナーのくくり解消

今回、活動再開にあたって、以前よりも更にこの活動に力を入れていきたいなっていう思いがあり、
それで考えた末、私のお付き合いのある、全てのパートナーとの関係を解消することにしました。

このことを告知するかどうかについては少し悩みましたが、活動の趣旨を考えた結果、このブログで報告することにしました。
幸い、パートナーたちは理解を示してくれたので、私もホッとしているところです。

パートナーとして特別な事というとそんなにはないのですが、例を挙げると
○日にちや時間を優先する
○施設使用料や食事代、遊び代等は私が払う
○私の理想的な躾をする(品格や気遣い等の私の価値観)
○相手が嫌がっても私のしたいことをする(性的な事はしません)
くらいですかね。

パートナー解消の大きな理由としては、パートナーだけ施設使用料を貰わないで、パートナー以外には徴収するということが不公平であるし、私としてはそれが嫌だからです。
活動再開してからは施設を借りて、それに関連する費用も毎月一定額かかるようになりました。
なのでその費用の一部を依頼してくれた人から徴収し、足りない分を私が補填する形をとっていきます。
私が全ての金額を負担していくのは長い目で見ると予算不足になり長く活動はできないのでそのような形をとることにしました。

ということで、今後はパートナーとして優遇していたような事項をすべて廃止し、パートナー以外の人たちと同じようにお会いすることにしました。

今までと変えた事は、
○会う時は依頼という形をとり、みんなと同じに先着順で日時の確保をし、決められた時間内でしか会わない。
○必ず施設使用料を徴収する。
○予約時間以外の私のプライベートな時間では合わない。
○食事、遊び等をする場合は予約時間内に限り、私が金銭を支出するようなことはしない。
です。

こういう形であればパートナーとはいえないですからパートナーである必要性はなくなり、解消するに至りました。
今まではパートナーとは丸一日時間をとるような形をとっていましたが、このように平等にすることで私が対応できる間口が広がるので、今後は依頼を断ることも減るはずです。

1人でも多くの人と会い、悩みや相談に乗ったり、お仕置き欲を解消してあげたり、キー卒業に向けてお手伝いをしたりと、そういう活動にシフトチェンジしていきます^^
また、このようにすることによって誰に対しても平等公平になるので私も活動しやすいし、利用する人も余計な気を使わないでいいような気がします。
ということでパートナー解消に関しては今後の活動の趣旨を考慮した上で決断しました。

元パートナーの方々にも協力を得られ、更に今後の活動を応援してくれるとのことだったので、とても助かりました、いい子です^^
この話を切り出すときには心苦しかったのですが、しっかりと理解してくれ、その気持ちから私も心機一転この活動に取り組んでいこうと、たくさんのエネルギーと元気をもらいました。

今後はスパのパートナーは作りません、誰でも利用できる居場所として活動をしていきます。
このシステムを利用するのはもちろん、私自身を利用してもらってもいいんですからね、欲求が膨らんだ時、キーを卒業をしたいとき、悩みがある時、どうしようもない思いを抱えているとき、そういう時に私を利用して心を静める、そういう気持ちをなんとかできたらと思います。

お仕置き観 (補足)

前記事 「お仕置き観 3(完)」 で、私のお仕置き観として、活動の目的は「キーからの卒業」であるということを書きました。
少し反響があったのでその補足です。

普段、私の元には、お仕置き依頼とか、相談事とかのメールがほぼ全てを占めているのですが、この記事を書いた直後からこのブログ記事に関して、何人もの人からメールを頂きました。
私側ではなく、キーさん側から、「キーの卒業」についての共感メールを頂いたことに対してとても嬉しく思いました。
それは、私自身の想いだとはいえ、これが一方通行の想いであればそれは私のしていきたいこととは違ってくるからです。

やっぱりキーさんであれ、同じような性格や環境にいる人でもあれ、なんとか今の自分から脱却しなきゃいけないんだという気持ちは強くあり、前を向こうと”もがく”姿勢があるんだなって、声に出さなくても前を向きたいって思っているんだなって感じました。
でもこのように思うのは一部の人であって、まだまだお仕置きを楽しみたい、ずっと必要としていたいという人は存在していてそれはそれで私はいいと思います。
将来にわたってもキーから抜け出す必要がないと思っているのならそれが正解だからです。

人によっての価値観は違います、私が言いたかったことは「きっと苦しむんじゃないのかな」ということであって、実際は苦しむ人もいるし、それで人生を謳歌できる人もいるはずです。
だからお仕置きの世界に身を置く、もしくはSMの世界に身を置く、そう決めたのであれば、それはそれで最高の人生の選択だとも思います。
その価値は人それぞれだからです、そういう選択をしっかりできていることが人生において必要だからです。

それに関連して皆さんが不安に思っていることや勇気がないことで吐き出せないという人たちの為にもう一つ私のお仕置き観をお話ししたいと思います。
これもパートナー的な人にはいつも言っていることだし、不安に思って私に聞いてくる人や、それが不安で本心を言えないという人には必ず伝えることです。

まぁブログにも書いたことはありますが、
私はどんなことを打ち明けられても絶対に「引いてしまうことはない」ということです。そしてそれは断言できます。

実際カーさんに引かれたのがトラウマになっているとかいう話は結構聞きます。
私のところに来る人は、パートナーがいる人やパートナーでなくても定期的に会っているカーさんがいる人なども来ます。
そんな人達は、好奇心の追求という人もいますが、だいたいは「お付き合いのあるカーさんには言えないから」という理由が多いのです。

私は「なんで言えないの?それを言うためにパートナーを探したんじゃないの?」
と聞きますが、やはりその人との空気感というのも一つの理由だし、初めに隠してしまって今更言えないというのもあるし、これだけの重い話は絶対に引かれるから言えないということもあり、また、どんどん成長しなきゃいけないのに成長していない自分を見せたくないという理由もあるようです。

確かにそういうことは普通にあることで、相手を好きになればなるほど、信頼関係が強ければ強いほど自分のダメなところが言いにくくなります。
私も実際にそうさせないように意識的にしているのですが、それは相手の感覚なので私にはコントロールしきれません。
で、なぜか私にはそういったことを話してくれて、それはそれで私の満たされることの一つなんです。

私が絶対に引かないと言い切れるのは私にとっての価値観として、相手が言いにくければ言いにくいほど私は嬉しいんですね。
人が真剣に悩んでいることに対して、嬉しいと言うと語弊があるのですが、要は人に言えないほどのことを、”私にだけは”お話ししてくれるという信頼がそこにあるからです。
だから私の場合、その内容が重ければ重いほどその人に興味を抱いてしまうのです。

嘘の告白も同じです、普通嘘をついて後からばれたら怒るのでしょうが、私の場合、後からばれたとしても、その嘘の告白が言いにくければ言いにくいほど、私が傷つくことよりも相手の勇気の方が断然レベルが上であると思ってしまうんです。
「よく言えたな、普通は言えないことだぞ」と
「嘘を思わずついちゃうことは誰でもある、だけどそのあとが大事、後になってもいいから私には必ず正直に言うんだぞ」というような感じのことをいつもいっています。
そして「そういう関係でないと私の存在理由がないのだから」とも言って聞かせます。

そう、嘘がある時点で私は必要がない存在へと落ちてしまうんです。
それはなんでかというと、相手の心の負担を少なくするために私がいるのであって、嘘というストレスによって、より心が重くなるのであれば、私は存在しない方がその子の為だからです。
つまり、その存在は私でなくてもいいということになってしまうんですね。
だから何のために私のところに来るか、というのはそういう時にこそ考えさせています。

例えば、例えばの話ですが、
「殺人を犯してしまった」
と告白されたとしても、私が引くことは一切ないでしょう。
これこそ完全に重いこと、まぁ重いことの種類は違うのかもしれませんが、普通は引いてしまうでしょうね。
でも、私はそれでも引くことはない、むしろその子の心を助けてやりたいと思うのです。

私はその子の正直な心を分かっているからこそ、罪の種類は関係がないんです。
人は誰しも、そのおかれた環境により大なり小なり過ちを犯します。
そして私が受け止める人の悩みや罪というのは、大きい小さいは関係ないんです。
その人にとって大きな悩みであれば、他人から見てどうでもいい悩みでも、それは間違いなく大きな悩みだと思っているからです。

話を戻しますが、そういう大きな過ちを犯してしまった人は、そこで大事なことに気が付くものです、もし気が付かなかったら私が気づかせます。
それが人間としての成長につながり、そのことをもし前向きに、プラスに考えることができればそれでいいと私は考えています。
過去は変えられませんが、その心の重荷をプラスに変えて成長することさえできれば過去の解釈は変えられます。
それによって生き方を変えられるからです。

「良い子じゃなくても」「駄目な自分でも」「悪いことをしても」「味方がいなくても」
”私はずっとあなたの味方だから安心していてほしい”
”聞く耳を持ってさえいれば私はあなたの味方だから”
と、私は背中で伝えているつもりです。

そんなことがあったとしても私は強制的に警察に引き渡すことはしませんし、誰かに言うこともしません。
私は私が決めた守秘義務という縛りがありますから誰にも言うことはありません。
もちろん、相手の気持ちを聞いた上でゆっくりと対話をします。
それは、今後のことをよく話したり、どうすべきかを話したり、選択肢を与えたりはしますが、最終的にはその人の判断に委ねるはずです。

私の元には公に名前を出したら分かってしまうような人なども来たりしています。
どんな有名人であろうが、セレブであろうが、そして普通の人であろうが、私は全て、私の胸の中にしまう事しかしません。
どんな人でも人間です、心は弱いものです、自分を強く見せなきゃいけない環境や世界にいる人ほど弱さを見せられずに苦しんでいるものです。
そういった人たちへの居場所として私は「信頼」というものを一番大切にしています。

補足のお仕置き観になりましたが、このようなことを不安に思っている方もいるようなので少し詳しく書きました。
貴女の心が少しでも楽になれば私の存在も無駄ではなかったのだとわかります。
私のしていることは無償の愛といえど、闇を打ち明けてくれることや信頼を置いてくれることが私の報酬であり見返りなのかもしれませんね^^;



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お仕置き観 3  (完)

ここまで書いてきて振り返ってみると、
私はキーさんをキーさんでなくすための活動してる、みたいな話になってますね(笑)

そういうことでもなく、結構みなさんキーであることを悩んでいたり、こんな欲求なくなればいいのにと思っている人が大半だからそこを何とかしてあげたいと思っているだけです。
女性だからこそ、人にはいえないお仕置きに惹かれてしまい、酷い時には日常生活に支障が出てしまうくらいにお仕置き欲求に翻弄されてしまったりするのでそれは悩んでもしょうがないですよね。
しかもなんでお仕置きにドキドキするのか、それさえも分からなければとても辛いことでしょう。

だからどうしても卒業したいと願うキーさんにはお尻ペンペンのお仕置きからは、”いずれ”は卒業してもらいたいんです、それが私のお仕置き観です。
いつまでにというわけではないのですが、50歳、60歳になってもお仕置きを求めていては相手も見つからないでしょうし、心が苦しくなるのが目に見えています。
そういう訳でいずれは卒業して欲しいんですね。

私はいつもみんなに背中で語りかけています。
「叱らなくたって、お尻を叩かなくたって、愛されるし、見放さないんだよ」
「失敗しても悪さをしたとしても、無条件に愛されるし、見放すことなんてないんだよ」
「お仕置きがなくたっていくらでも甘えられるんだよ」
「弱みを見せたって嫌わない、そんなことで嫌う訳がない、だから弱みを見せたっていいんだよ」
「何もできなくたって、何も取り柄がなくたって、ダメなあなたでも、それでも見捨てることなんてない、愛されるんだよ」

このような当たり前のことを当たり前のように感じてほしい、これは特別な事なんかでもなんでもないんだよって気づかせたい。
そしてその愛情をあなたの大切な人や愛する人に私のような行動をもって伝えていってほしい。
それが特別ではなく、それが正常なんだってことを分かってほしい。
そう語りかけながら愛情を注ぎ、お仕置きをしています。

仮にキーを卒業し、巣立ったとしても、お説教がほしかったらいつでも私はお説教します、愛情の再確認をしたい時、甘えたい時はそうすればいいんです。
その時にはお仕置きやお尻叩きへの欲求は一切なくなってるのかもしれません、それでも私が悪い子だと判断したら叩くとは思います^^;

えっ!?それじゃいつまでたっても卒業できないって?
そうかもしれませんね(笑)
でも多少残っているであろうお仕置き欲求はどうしようもありませんし、たまに依頼をしてお仕置きを受けるでもいいのではないでしょうか^^

まぁ実際問題卒業出来るかどうかというよりも、今の何かしらの欲求を満たすこと、十分に味わっておくこと、それが大切なことではないかと思います。
だから卒業なんて考えずに、お仕置きに依存していても、そうでなくても、お仕置きという行為自体に興味を持っているのであれば、ノーマルの人でもキーさんでもMさんでもまずは思い切って体験し続けることだと思います。

欲求を我慢し続けることで歳をとってから爆発するということの方が怖いことですからね。
そうならないように、今のうちに存分に欲求を満たしたり、お仕置きライフを楽しんだりしたほうがいいと思います。
これらが私のお仕置き観であり、根底にあることです。




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お仕置き観 2

私のお仕置き観、前回の続きとなります。

私のお仕置きはシンプルに親が子供にするようなお仕置きです、それを前提にしているからブレないお仕置きができるんだと思います。
そして私がいろいろな人たちをお仕置きする目的は何か。
以前にもブログに書いたことがありましたが、似たようなことをもう一度書かせてもらいます。

私の場合、お仕置きをする目的の一つにキーであることからいずれは卒業してもらいたいということがあります。
卒業とは、お仕置き欲があったとしてもお仕置き相手を探すまでではなくなるということです。
キーさんの中にはお尻ペンペンのお仕置きがないと愛情を感じられなかったり、満たされない気持ちになる人がいますよね。

でもそのままお仕置き欲がおさまらないと一生カーさんを探し続けなければなりませんし、それは不幸の始まりでもあります。
今はそれでいいんですよ、それで満たされて心が安定するんですからね^^
でも年齢を重ねれば重ねるほどお仕置きには年齢のこともあって違和感が出るでしょうし、またパートナー自体に巡り合う可能性も低くなります。

そしてパートナーがいなければ、一生苦しい思いをして生活していかなければならないんです。
そのうちスパのパートナーはどうしてもできないので諦めて、SMの掲示板で探したりする人もいます。
追い詰められると欲求だけが暴走し、そういう人はもう誰でもいいからお尻を叩いてほしいというところまでになってしまうんですね。
だからこそいつかは卒業してお尻叩き以外で心が満たされるようになって欲しいんです。

結婚相手がカーさんでもお仕置きは徐々になくなっていくものです、それはスパパートナー同士が付き合うとほとんどのカーさんがお仕置きをしなくなる傾向にあるからです。
キーさんは幼少期からの欲求があるので根強いものがありますが、カーさんはそういう根強い欲求ではないので、キーさんのようなお仕置き欲とは違う種類の欲なので付き合うとお仕置きがなくなっていくのでしょう。
でもキーさんは欲求がおさまらず、お仕置きがないと他を探すことにもなり、やはりそうであるなら卒業したいと思う人は卒業した方がいいのではないかと感じます。

だから私はまずは、お説教、お尻叩き、甘える時間等の一連のお仕置き行為で、キーさんが欲していた愛情をたくさん満たしてあげたいんです。
それと同時にしっかりと対話をすることも大切です。
欲求というものは満たせば満たすほどんどん薄れていくものなので、我慢するよりも満たしてあげた方がいいんですね。

お仕置きは遊び的にならず、イチャイチャのし過ぎのようにお仕置きとは関係ないもので満たすようなことは避け、ガチで悪いことを叱り、真剣にお話をすることによって、日常の関係になっていきます。
そうしていくことによってお仕置き行為でしか愛情を認識できなかった心を徐々に変えていけるのではないかと感じるんです。
叱らなくたってお尻を叩かなくたって見捨てないし愛されるということは間違いのない事実なので、まずはそこの部分の認識をしてもらいたいんですね。

そういった愛情表現の受け取り方さえ変えることができれば何か変わるのではないかと思います、だからこそ心の対話を私はとても大事にしているんです。
お尻ペンペンという魅力は一連の愛情表現にあるのですが、その愛情表現はお尻ペンペンが無くても成立するということを認識させ、飽きるほどお尻ペンペンしていけば薄まっていくはずです。
そういう健全なお仕置きを続けていけば卒業につながると思います。

実際キーさんを卒業したからといって私とは無縁になるわけではありません。
いつまでも私のところには居場所を確保しておきます。
お仕置きがなくてもお仕置き理由がなくても私のところに来たっていいんです。
私はそのように思っています。

ちなみに卒業を考えていない人もいますから、それはそれでいいんですよ、この活動の一つにキーさんの卒業の支援もはいっているということですから。
自分が満たされるものがお仕置であるならば、一生それを追い求めればいいですし、パートナーがいなくなっても何か他のお仕置き欲の満たし方を見つければいいんですからね^^
実際恋愛もそうですよね、年齢が高くなればなるほど難しくなって、それでも一人で生きている人はいますが、違う方法で満たしているわけですし、恋愛を卒業する必要もないんですからね^^



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お仕置き観 1

先日2年半ぶりにお仕置きをしたのですが、実際問題、これだけ長いブランクを埋められるかという思いはありました。
しかしやってみると以前と何も変わらずに話ができたので少し意外でした。

この2年半の間、私もいろいろな経験をしたこともあり、焦燥に駆られている人たちの気持ちが更にわかった気がしました。
なので今までの私と比べ、より深い心の部分で相手と通じ合えているような気もします。
2年半のブランクで感覚が鈍ったということはなく、むしろ細かいところの感覚が研ぎ澄まされたような気がします。

昔、SMでのお仕置きをしていたころから私は、お仕置きをしたいからお説教をするという逆転的な発想でお仕置きをしていました。
しかし、今回のお仕置き、そして活動再開してからの様々な方とのメールのやり取りを通じてそれが変化していることに気が付きました。

それはお尻叩きという行為は私にとって、あってもなくてもどちらでもよくなっているということなんです。
あってもなくてもどちらでもいいというのは、仮に相手が「明日はお仕置き無しで」となった時に話だけでもいいということです。
それではお仕置きがなくて何をしたいのかというと、それはその子のために話をする、それは成長の為であったり、悩みのアドバイスであったり、自己分析のお手伝いだったり、性癖の話だったりと、そういう話だけでも十分なんですね。

ただ、そこで悪いことが発覚したら当然罰したいと思いますし、痛みで懲らしめたいと思います。
お仕置きはしたくなりますが、事前にお仕置き無しということを聞いていれば、しないでも全然かまわないんです。
当日だとそれはお仕置き逃れの言い訳とも取れるので無効ですけどね(笑)


お会いしたらまずは対話です、対話によりある程度相手を把握出来、反省内容も根掘り葉掘り聞いたら、次にお説教になり、なんで悪いことなのか、どうしてやめなければならないのか、どうやって直していくか、ということを話し、納得させなければなりません。
私の場合は、一方的に理由を述べて叱るのではなく、根本から直すために相手を説得するようにお説教をするんです。
私の考えを聞かせ、それに対して相手の想いを聞き、根本の考え方を正していくという感じです。

対話とお説教があればそれだけでしっかりと反省でき、”明日からちょっと頑張ってみようかな”という気持ちになるのではないでしょうか。
それが続くかどうかは別にして、大事なことはそういう意識になれたかどうかということなんです。

人によって顔に出やすいタイプもいますが、最初に会った時の顔と別れるときの顔が全然違うことがあります。
緊張しているとかそういう問題ではなく、体から出るオーラのようなものが顔から出てくるんですね。
そういう子を見ると私もエネルギーをもらえるんです^^

そしてお仕置きです。
このお仕置きは事前にいっといてくれれば無くてもいいのですが、基本的には悪いことをしたらその償いの為の罰は必要だと思っているので、痛みをもって清算させたいと思っています。
悪いことをしたら罰を受けなくてはなりません、その罰はお尻叩きであって、痛みをもって懲らしめたいと私は思ってしまいます。

悪さや罪悪感というものは反省したからなくなるというものでもありません、それは真面目で不器用な人ほど強く思うものです。
さて、それでは何をもって清算をするか。
自分では裁きはできませんよね、だからといって他人から何かしてもらうにもそんな施設はありません。
だからこそ、その場でお尻叩きのお仕置きをして心に残った罪悪感や罪を愛情を持って清算してあげるんです。
お仕置きで全て清算したら、最後の仕上げある許しとスキンシップをし、優しい言葉をかけ対話する、それで完結しますよね。


しかし、本心で、お尻叩きが必要ないという人であればお仕置きをしなくても私は大丈夫です。
そういうこともあって、私のサイトではお尻叩きのお仕置きのないカウンセリング部屋という項目を新設したんです。
この開設にあたっては、お尻叩きのお仕置きはなくてもいいという、私の気持ちの表れでもあります。

実際はそのような人にも間口を広げただけで、お仕置きに依存している人やお仕置き欲の強い人でも、キーさんでも、Mさんでも、心の闇をどうにかしたい、ぶつけたいという気持ちがあればどうぞ利用してください。

また、私の接し方のコンセプトは”家族的”です。
そこらにあるカウンセリングルームやクリニックのようなドライな雰囲気ではなく、言いたいことやわがままを自由に言えるような雰囲気を作るように心がけています。
少しずつでも信頼を深め、全て包み隠さず話をしてほしいですね。
嘘を前提であっても心からすっきりすることはないでしょうからね。

でももし言いたくないことがあれば、「言いたくない」「今は言えない」「後で言うから」といってくれればいいんです。
なんだったら「別に」でも「忘れた」でも構わないんです。
嘘をつくことだけは避けてもらいたいと思います。

人は一つの嘘をつくとそれに付随して7つの嘘をつかなければならないといわれています。
その7つの嘘に更に嘘は重なり、とんでもないことになっていきます。
そうなってくると嘘で塗り固めた関係となり、それでいいなら私も嘘って知らないで話をきいているのでいいですけどね・・・。
でも私はそれは嫌です。すべて赤裸々にその人の事を知りたいし、そうであるからこそ本気でそして親身にその人と向き合いたいと思うんです。

ちなみに最初についた嘘は、例え些細な嘘でも、くだらない嘘でも後で撤回しづらいものです。
だからこそ、”ちょっと言いたくないから嘘ついちゃおう”と思ったときは必ず逃げ道を作っておいてほしいんです。
そうしておくことで後になって言いたいときに言うことができるんです。
後になればなるほど嘘を告白できない辛さは強くなりますからね。

もし頑なに話すことを拒否するならば、私はそこを強く追及したりしません、そのことを今後一生私に言わなくてもそれはそれでいいんです。
なんでかというとそこに嘘は存在していないからです。
私が恐れていることは、私との間に嘘が混在し、それによってその人にとっての唯一の居場所をその人自身で汚してしまうことなんですね。

汚すというと大げさかもしれませんが、やはり私との間に嘘があると罪悪感が付いて回ったり、心の真実を告げることができず、せっかくの居場所なのに心が晴れなくなってしまうことにつながるんです。
だから嘘をつくんではなく言わなきゃいいだけなんですね。
もし今後私のところに来ようと思っている人がいるのならば、このことだけは頭に置いといてくださいね。

ずっと嘘をついてて、かなり経ってから「実は・・・」といってくる人がたまにいますが、そうしたとき私は嘘は悪いことだけど、それを告白した勇気は凄いことだし、それについては私はすごく嬉しいし、褒めてあげたいと思うくらいなんですね。
だから嘘の告白で呆れるとか見放すとか怒るなんてことは絶対にないので、そこは信頼して後からでも告白してほしいと思っています。

2年半ぶりのお仕置き

あけましておめでとうございます。
早速ですが、年も終わりの大みそか、2年半ぶりのお仕置きをしてきました。

本人の感想及び私のコメントはサイトの方に後日アップしますのでここではちょっと別の話を。
今回Y子さんに会ったのは初めてだったのですが、その際の雑談でのお話です。

実は私、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!絶対に笑ってはいけない24時」という番組にほんのチラッと出演したことがあるんです。
雑談中の何かの話題のとき、流れでそういう話になり、

「その番組見たことある?」 って聞いたら
「ある」 って答えたんですね。なので続けて
「5年前くらいでこうこうこういう感じの企画だったんだけど」と聞いたら
「見覚えある」 って答えたんですね。

さすがに5年前だし5,6時間ぐらいの番組だから、そんな細かいところまで覚えているはずないと思いつつ聞いたので、私としてはびっくりというか、なにか目に見えない縁でもあるのかなとか心の中で思ってしまったんです^^;

「じゃあYは私の顔みたことあるってことだな」
って話で私自身ちょっと盛り上がってしまったのですが、その後お仕置きが終わり別れてから家に帰り、あることに気が付きいたんです。

というよりもある重要な事実を見落としていたんですね。
それは家に帰ってテレビをつけた時にちょうど「ガキの使い」が流れていた時に気が付いたんです。

みなさんはきっと気が付いていますよね、しかし私は2年半のブランクのせいか、不覚にもまるっきり気が付きませんでした。
Y子さんがなぜ「ガキの使い」を見ていたのか、そしてそれを細かく把握していたのか・・・。

そうです、その答えは「お仕置きのケツバット」です(笑)
偶然でも何かの縁でもなんでもなく、単なる彼女はお仕置きに憧れている子であるために、興味シンシンに、また、よこしまな動機も含めて目をキラキラさせて見ていたのでしょう。
まぁ、本人にこの話はしてないですし、確認もするつもりはありませんが、もう私の中でそのように解釈してしまってます(笑)

そんな基本的な事も気づかずに話を終わらせてしまった自分にちょっと不完全燃焼です。
ブランクで勘が鈍っているのかな?
あ、念のためいっておきますが私はお笑い系の仕事でも番組制作者でもありませんからね。

ま、そんな感じで一年を締めくくりました。
2年半ぶりのお仕置きをしてみて感じたことは私の場合、やはり対話があって初めてお仕置きという行為に移れるのであって、単なるお尻叩きは興味ないんだなっていうのを再認識しました。

しかもおそらく対話が8割お仕置きは2割程度の割合かもしれません。
なんだったらお仕置き無しで対話のみでもいいくらいです^^
それくらい対話を重要視しています。
ただ、お仕置きが2割といっても手を抜くわけではありません、しっかりと罰は受けてもらいますからね^^


「お仕置きの部屋」、サイトを再開しましたのでご覧ください。
近日中に「お仕置き後の想い」に「Y子」をアップします。

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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