お仕置きの受けさせ方 (心構え)

お仕置きの方法や姿勢などはいろいろな好みもあってよく話題にもあがりますが、お仕置きを受ける側の心構えって触れることはあまりありませんよね。
あまりというよりもほとんどといったほうがいいでしょうか。
まぁ最初にお仕置きをするときにお仕置きする側がそういった話はするんでしょうが、それが表に出てくる事はあまりありません。

お仕置きをするにあたって、どのようにお仕置きを受けさせるべきかという心構えはみなさんしっかりと話はしていると思いますが、極端に分けると二通りだと思うんです。

一つ目は悪い事をした罰なのだから痛くても我慢して耐える、耐えることで反省の姿勢を見せる。
二つ目は嫌がって抵抗してもいいけども言葉や態度で反省の姿勢を見せる。
まぁ理由なしという人もいますしお説教なしという人もいますがそれは論外ということで^^;

一つ目は抵抗や嫌がるという事は反省していないとみなされ、悪い事への罰なのだからお仕置きは受けなければならないもの。
我慢できてこそ反省しているとみなされるので必死に我慢して耐えなければお仕置きは終わりません。
ある意味儀式的なお仕置きであり、ある意味では先生と生徒のような上下関係の体罰的なお仕置きだと思います。

また、これにプラスして自分から「お仕置きお願いします」を言わせたりとか、自分でパンツを下ろしてお仕置きの体勢をとらせるとかいうこともさせる場合がありますよね。
耐えるのが基本なのでお仕置き中はあまり会話もなく、本当にこれは罪の償い的で懲罰的な重い雰囲気なんですね。
まぁ自分でした事にはお尻ペンという形でしっかりと責任を取らせる、そして耐えなければ反省とみなされないということなのでそういう心構え、心の持ちようが必要になってきます。

ただこれは痛みを意識的に排除しようとして頭を真っ白にしたり無にしたりするので本来の痛みをそこまで感じないという難点もあるみたいです。
痛いのは痛いのですが、意識的に痛みを麻痺させてしまい痛みの限界点を超えてしまうので、しっかりとお尻の状態を見ていないとお尻に傷が付いたり流血してしまったりということも起きてしまうこともあるので注意が必要だと思います。


二つ目は、嫌がっても抵抗しても構わない、それを押さえつけてお尻ペンをする。
これは日常的な日本の子供に対するお仕置きの雰囲気ではないでしょうか。
日常的といっても現在はほとんどお仕置きはないようですね、少し昔の日常です^^;

でもこれって、本気で抵抗されるとかなり疲れるんです^^;
本当にお仕置きが嫌で逃げたい気持ちがあるから、たとえ悪いことをしたとしても素直に受けたくないんですね。
だから「ごめんなさい」とか「反省した」という言葉で許してもらおうと頑張るのです。
まぁでも悪いことをしたらお仕置きと決まっているのでお尻ペンするのですが、嫌々してしまうところが子供っぽくて可愛い面もありますよね、過度な抵抗は困りものですが^^;
でもそうしているとお仕置きが終わらないし、最悪回数も増やされるという事にそのうち気がつくんです。

結局は静かに我慢して耐えていたほうが早く終わったのにっていう結果になるのですが、学習能力が不足しているのか、毎度毎度こんな事を繰り返すみたいなところがありますよね(笑)
これの利点は、嫌がって声を出したり逃げようとする意識を持っているので痛みもより強く感じると思います。
痛いから嫌だという意識でより痛みを感じるのであって、耐えるお仕置きと違い頭を無にすることはあまりないのでより痛みがリアルに感じることができると思います。

さて、私はどちらのタイプかというと、それはどちらもです(笑)
というか、中間というべきでしょうかね。
そもそもこの二つは極端に分けたものなので、だいたいの人はその中間でお仕置きをしていて、そのどちらの度合いが強いかというところだと思います。

私がどちらの度合いが強いかというと、それは二つ目で説明した抵抗して嫌々するほうの度合いが強いですね。
でも最終的には「反省しているならしっかりとお仕置きを受けなさい」という言葉が出て耐えてもらいますけど^^;
その方が人間の感情ややり取りを感じる事ができて私は好きなんですね。

一つ目の「ただ我慢して受けるだけ」のお仕置きは極端になりすぎると人間味がなく奴隷や人形のようで嫌なんですよね、物を叩いているようでなにかしっくりときません。
最終的に人間同士のやり取りの過程があって我慢させるのはいいんですけどね、最初から暗い感じでお尻を叩いてお仕置きを受けさせるような儀式的なのは好きではありません。

なので私の場合は最初は嫌がったとしても、途中から我慢して耐えさせるという雰囲気に持っていくという感じですかね。
まぁどういう形にせよ、相手には愛情を持ち相手の事を想ってお仕置きをすることは前提です。
真面目にお仕置きを受けるような真っ直ぐな考えの人は私は好きなので愛情がもてるんですよね。

余談ですが、私は初対面でのお仕置き前には「暴れても泣いても嫌がってもいいから自分の気持ちを全て出しなさい」というようにしています。
しかしそれも最近になってどうかなって考えています。
体力のある子が限度を超えて嫌がるとそれこそ真冬でも汗だくになって本当に大変なんですよ・・・。
だから基本は耐えることを前提にした上で抵抗させようかなって多少の路線変更を考えています^^:

なんで路線変更しようと最近思ったのか、、、そのお話は次回にでも…。


キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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