良い子と悪い子の理不尽な扱いの差

良い子とは社会のルール、親や先生の言うことを聞く子、悪い子とは社会のルールを破り親や先生の言うことを聞かずに反発する子という解釈でお話します。

良い子と悪い子ってどちらが良いかと聞けば皆声をそろえて”良い子”と答えるでしょう。
でも良い子であっても、良い子であることを褒められるってあまりないですよね。
逆に悪い子が少しいいおこないをしただけで手の平を返すくらいに褒めますよね。
この差っていったい何なんでしょう。

電車で席を譲ったり、優しい言葉をかけたり、ちょっとした手伝いをしたり、見ず知らずの人を助けてあげたり、いろいろと親切なことはありますが、風貌が悪い子がそんなことをすると「いまどきの若い者も捨てたものじゃない」と絶賛されてしまいます。
企業の成功者、芸能人等の様々な著名人も昔少しぐれているとものすごく持ち上げられますよね、よくぞ立ち直ったって。
悪い子っていうのは好き勝ってやって、我慢することなく回りに迷惑をかけて、自分の立場を訴えるために自己を主張し行動しているだけなんですけどね。

かたや良い子はそれらを我慢して生きてきている、その我慢をすること自体、普通では出来ないことだってあまり皆さん気付いてないように思えてなりません。
子供時代に必要ないたずらや反抗的行動さえも我慢して、良い子でい続けてしまうことの弊害に気がついていないのではないでしょうか。
ちなみに良い子によっては、我慢するって事は本当はいい子じゃないんだと思っていたりもします。

で、子供が成長過程で誰しもぶつかる思春期ですが、この時期に反抗期とかもあります。
そしてこの時期あたりにこれまで純粋な気持ちで教えられてきた”綺麗事”が現実社会では矛盾があると肌で感じたりする時期とも重なります。
しかしそれを認めることはまだ精神的に未熟で不器用すぎる子供には到底出来ません。

そのうち全てを否定的に捉えるようになり、親や教師等大人に反抗したり、支配から抜け出そうと思う人もいます。
親から離れ、社会的にも経済的にも自立していくにつれそういう気持ちは解消していきますが、それまでの間はとても不安定な精神状態であることは間違いありません。
そこからもがく為に悪い子となったりもするんですね。

でもだからといって悪い子がより褒められることがあってはいけないと思うんですよね、良い子こそ、その時期を耐えて頑張ってきたのですからね。
良い子だって悪い子だって精神的に強い弱いはあります。
悪い子になったのは家庭環境や友人関係のせいにして、それはあたかもしょうがないように認知をしてしまっては良い子がかわいそうで仕方がありません。

良い子だって悪い子と同じ環境である場合はたくさんあるのですからね。
学校でも社会でも悪い子はほんの少しの良いことでたくさん褒められるのに、良い子はそれよりもより良いことをしても当然の顔をして褒めてくれないことが多いですよね、本当に理不尽だと思います。
良い子は本当に切ないですね。

悪い子は若いときにストレスを発散してすっきりして精神的に悩むということは少ないです。
他人に迷惑をかけてきたのにのうのうと生きてストレスもあまり抱えず過ごしますよね。
でも良い子はその悪い子達に迷惑をかけられながらも必死に耐えてストレスを抱え込み精神的に悩むこともあったでしょう。
そして成人してからもそれを抱え続けてしまう人もいるくらいです。

だからといって悪い子になってストレスを発散し、人に迷惑をかけていいことなんてないですが、成長過程では反抗期があるからこそ人間の成長があるので、そこはとても難しい問題だと思います。
それと良い子は我慢して悪いことをしてこなかったということではなく、悪いことをしたくても出来ないという良い子も多いようです。

結局は良い子が良い行いをしても当たり前と捉えられて褒められない傾向にあるのは、大人が悪い子や落ちこぼれを救うことに情熱を注ぎすぎているからなのだと思います。
それは悪いことではないのですが、真面目に良い子でいる子達にも同じくらいの情熱を注いであげなければならないはずです。

悪い子から立ち直ったといったからといって立派でもなんでもないんですよね、それが当たり前のことで、過去は悪い子で悪いんですから。
それよりも良い子であった人をより褒めるべきなんですよね、よくぞ我慢して生きてきたって。
そうやって見てあげないから良い子は自信というものがもてないことがあるし、情熱を注がれてこなかったので自分の正当性や方向性もわからなくなってしまうこともあると私は思います。

そしてなにより構ってくれることへの愛情、叱られることへの愛情にも触れてみたくなるんだと思います。
そこにはとっても暖かい何かが隠されているのではないかと想像し妄想しているからです。
手間がかかる子ほど可愛いといいますし、実際そうなんですけど、でもそれって自分が手間をかけ、苦労したから自分で自分を褒める自己満足の何者でもないと思うんですけどね。

世の中って本当に理不尽なことばかりだと感じます。
叱られたことがない人、叩かれたことがない人、感情的にしか怒られてこなかった人。
こういう人たちは温かみのある叱りに憧れがあるんですね、遠い過去に置いてきてしまったその部分の欲求が果たされていないんですよね。

真剣に向き合い真剣に叱ることは構ってあげているということで、甘えさせている行為です。
その未知なる部分である愛情に触れてみたいと感じている大人はたくさんいますし、なんら異常ではないんです。
人間誰しも持っている欲求ですからね^^

ですから自分を無理やり”お仕置き好き”と当てはめる必要はなく、ただ単に愛情を受け取りたい、甘えたいという気持ちが強いだけだと、心の中でわかってくれればと思います。
少なくても私はそういう人たちを理解し受け入れることをしたいと思っていますからね^^

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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