教育のための体罰は善か悪か

最近お受験に熱心な教育ママさんが増えていますが、それと比例して子供を叩くことは悪いこと、してはいけないことという風潮が広がってきています。
まあそれは日本だけではなく世界的に広がってきていることで「子供を叩くこと=悪」ということが常識になりつつあります。

私立の幼稚園、小学校、中学校に入学させる為に子供の自由を奪いって躾や教育をする人もいますが、それがどれほど大変か、もしかしたら子供よりも親の方が遥かに大変なのかもしれません。
子供の自由を奪うことはそれが子供の為であり、将来のことと思ってやっていることですが、その信念が揺らぐ時もたまにあるでしょうね。

幼児教育の一環で塾に通わせることも多いと思いますが、そこで子供が叩かれたりすると過保護な親は悩んだり塾をやめさせたりしようとしますが、それはどうなのかなと考えさせられます。
また、躾をしたり勉強を教えていても子供が中々理解してくれない、言う事を聞いてくれない、集中してくれない等の要素が重なると体罰反対派の親でさえつい手が出てしまい叩いてしまうこともあるようです。
そういう人は自分を責め、後悔して罪悪感にさいなまれたりします。

子供を叩くことや体罰って悪でありしてはいけないこととなっていますが、果たして本当にそうでしょうか?
虐待的な体罰、理不尽な体罰、躾以外の体罰、感情的な体罰は私も絶対にあってはいけないと思います。
しかし、冷静に加減をした体罰は必要不可欠な行為だとも思います。

ここではこの体罰をお仕置きといい、お仕置きはお尻叩き、お尻ペンのこととします。
ただ、この叩く加減は普通の人間では難しく、つい感情的になってしまったり愛情がゆえに虐待的になったりととても危険な行為だとは思います。
だからこそ「体罰は駄目」としているのかなぁと感じたりします。

子供のことを絶えず考えている真面目な親達の殆どは「体罰が悪いことだからそれはしない」と心の中で決め事をしています。
でもそれがゆえに言う事の聞かない子供に腹を立て、ストレスがたまり感情的に怒ってしまう、更にはつい手が出てしまうことがよくあります。

そういう親達はその感情的な行為が子供の心にどれだけの傷をつけているかあまり分かっていないのでしょう。
感情的に言葉で叱りつけるよりも冷静な体罰の方が子供の心に対して負担が少ないはずです。
そして感情的な怒りは冷静なお仕置きであるお尻叩きとは比べようがないくらい「悪」だということは間違いありません。

感情的になってしまってはそれは憎しみだし子供もそこからは愛情を感じることはできません。
しかし冷静な体罰であるお仕置きのお尻ペンはその行為の方法や、やり方によっては一つの愛情表現に変わり、子供と親の信頼関係が深くなりえる行為だと思います。
つい感情的になって子供に手を出して後悔している方たち、また感情的に怒ってしまう方たちに「お仕置きの仕方」を分かってもらえたらなって感じます。

その前に、
愛情表現ってそれこそ無限にたくさんありますよね、その中でも表裏のどちらも愛情という面があるんです。
その一つが「叩くこと」と「叩かないこと」なんです。
しつこいようですが、ここでいう叩くとは”お尻を叩く”という意味でお尻ペンのお仕置きのことです。
そしてこれは虐待的要素を含まないようなきちんと加減をしたお尻ペンのことです。

普通に考えたらお仕置きしないほうが子供は愛情を感じると思ってしまうでしょう。
手を上げず大切に育てたからといって愛情で満たされていると思うことは考えが浅はかです、それこそ自己満足の世界ですね。
実はお仕置きをされたことがない子供にも不満要素があるんですね。

このブログでも何度か書いていますが、いい子で真面目な子を持つ親は自慢の子供と思っていますが、実はそれは親のご機嫌伺いの為であったり、怒られるのが嫌で仕方なくだったり、親の喜ぶ顔がみたいという切ない思いだったりで親の思うとおりに過ごし、いい子でいることが自分の中で楽で、そういう歪んだいい子ちゃんなことが多く見られます。

子供がいい子だと嬉しいのは親だけで子供は子供らしさである自由を奪われ、子供のときに発散すべき欲求を我慢してストレスを溜めて成長してしまいます。
それによって自主性を奪われてしまうという弊害もでてきて、自分では何も決められない、そして子供のころに味わえなかった叱られるという行為を求めてしまいます。
叱られたいというのは甘えたいというのと同じ意味で、思いっきり子供に戻って好き勝手して真剣に叱られることで心から愛されているって感じたいということです。

叱られたいが為にする悪戯、構ってほしいからする悪戯って子供にはあって、それに応えてあげるのが親で、子供は勇気を振り絞って悪さをすることもあるという事を分かっていてほしいです。
でもいくら悪戯をしても、叱られるという形の愛情が得られないと本当に愛してくれているのか不安になり、その不安が更なる不安を呼び、それによって満たされなくなってしまうという面もあるんですね。

叱られることは大人が自分に真剣に向き合ってくれていると無意識に思っているものです。
そんな子達は幼い頃から”叱られること”に魅力を感じるようになってきてしまうんですね。
早い子では幼稚園くらいでその魅力に取り付かれ叱られたいという欲求が膨らんでいきます。

そんな中でテレビ番組やアニメ、絵本などでお仕置きシーンがあるとなにやら温かいものを感じ、一気に引き寄せられることで、お仕置に対してドキドキとして惹きつけられるというケースがキーさんには多いんです。
身近な人がお尻を叩かれているのを見てしまうこともそうですが、大人が真剣に向き合ってぶつかってくれている、真剣に叱ってくれているんだと愛情を感じ羨ましく思ってしまうんですね。

自分が叩かれたことがないからこそ思う”妄想”なのですが、「お仕置き=構ってもらえる=甘えられる=愛情のある行為」
と認識してしまいますし事実それは間違いがないことです。
だから叩かれることで愛情を感じるし叩かれないことでも愛情を感じるということがあるんです。

私は活動を通して悪い子にお仕置きをしていますが、お仕置きの世界に入り込んでくる子は、そういう環境で育ってきた大人が少なからずいるんですね。
実際にそうやって育てられた子供が大人になった姿を私は見て実感しているのである意味”心理学的統計”であると思っています。

今の若い子達で男女問わずお仕置き願望がある人は昔と比べ非常に多いと私は思います。
それはゆとり教育の代償であったり、学校での体罰禁止の徹底、家庭での体罰の自粛等が重なって自分を真剣に叱ってくれる存在がいないというのが根底にあるのだと思います。
お仕置きの世界に足を踏み入れる勇気のある女性はほんの一部で、本当は物凄く多い隠れキーさん(お尻を叩かれる側)が世の中にはいると私は思っています。

そういう子たちがお尻を叩かれることやお説教自体を求めているのは、深層心理の部分では自分を見てほしい、構ってほしい、甘えたい、ということを求めていてそれで”愛情”を感じ、心が満たされることにつながっているんだと思います。
これは無意識な部分なので自分で分かっていない子がほとんどで、だからこそなぜ自分がお仕置きにドキドキしてしまうか悩んでしまうんですね。

叩かれている自分を妄想したり小説を読んで快楽を感じてしまうのは、お説教やお仕置きで温もりや愛情を感じたり、許されたり甘えることによって心が満たされるからだと思います、快楽を感じるといってもそこに性的要素はなく、ないからこそ快楽を感じるわけです。

お仕置きに興味ない人にはこういう気持ちは理解できないでしょうが、全くの方人で一切構ってもらえないで育ったら気持ちは理解できるでしょうし、そうであれば誰しもお仕置きを望み、そしてそれが心の安定につながると思います。
自分の事を見てもらい、悪いところがあったら指摘してほしいと願う人ならばお仕置きは必要でしょう。
だから私はお仕置き好きな子という枠ではなく、お仕置きは人間には必要な心のケアであり心の癒しであり、心の安定であると思っているんです。

結局お仕置きに憧れを持つ子たちは子供心にこのようなことを思っていて、その欲求が破裂しそうになってお仕置きの世界に入り込んでいるわけでが、そのような心境の時にたまたまアニメや絵本などのお仕置きシーンを見てしまったり、学校や日常でお尻叩きを目撃してしまったりすることで、全てがリンクし、脳裏にお仕置きが刻み込まれて頭から離れなくなることがほとんどです。

かなり話がそれてしまいましたが、感情的に子供を叱りつけてしまう方、つい手を出して後悔してしまう方、罪悪感にさいなまれている方、その方たちに正しいお仕置きの仕方を教えたいと思ってしまいます。

「お仕置きは良い行為だ、正しいことなんだ」といっているわけではありません。
しかし感情的に怒鳴ったり、つい手をあげてしまっているということを前提に考えれば、それらの行為はマイナスであることに間違いはなく、それに比べお仕置きはプラスな行為だと思います。

お仕置きの方法はいたってシンプルな流れです、
その方法は次回に。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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