世間から見たキーさん

お仕置きの世界を知らない一般の人から見たキーさん(お仕置きにあこがれを持つ人)ってどんな感じなのでしょうか?
このお仕置きとは、性的なことはない家庭的なお仕置きのことをいってます。

キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください。

つい先日とある普通の掲示板で「お仕置きしてください」という書き込みを見つけました。
それはスパやSM関係の掲示板ではなく、普通にネットを見ていたら目撃したので新鮮さを感じて閲覧しました。
それは知恵袋系の掲示板だったのですが、そこで更に「お尻ペン」「お尻叩き」「お仕置き」「お説教」等の用語で検索をしてみると、類似した書き込みが結構でてきたんですね。

まぁ出会い系やパートナー募集掲示板での「お仕置きしてください」はスルーしますが、そうではない一般的な掲示板で目撃したのがとても新鮮で、興味深く見てしまいました。
まぁ私はスパの掲示板も一切見ないので驚いたのですが、皆さんは当たり前のようにご存じかもしれませんね^^;

書き込んでいる人は自分がキーであることを認識していない人が多く、それはキーという存在を知らないだけだと思うんですが、おそらくMと思い込んでいる節がありました。
まぁそれはMという言葉しか知らないからだと思います。

「叱ってください」「お仕置きしてください」の書き込みに対してその返答はというとそれはそれは酷いもので。
スパやSM系の掲示板ではないから一般の知識の人が多いと思うのですが、もうそれは変態扱いでしたね。
知識はないといっても誰しもSMの雰囲気は知っているわけで、返答はもうSMの世界のみでした。

「はずかしめてあげるよ、いじめてあげるよ」みたいな、羞恥責めや快楽責めを加味したスパンキングをするみたいな返答しかありませんでした。
お仕置き依存症の悩み相談でもマゾ扱いで皆さん書き込みをしていたんですね。
私も口を挟みたかったのですが(笑)過去の書き込みだったので助け舟は出せませんでした・・・。

しかしこうやって一般的な立場に立ってみると、いくらディシプリン派のキーを名乗ったところで一般から見るとただの”マゾ”としか認識されないキーさんに切なさと悲しみがこみ上げてきました。
SMの世界のサディストたちの多くも、キーという孤立の存在を認めていなく、マゾの部類だと認識している人が多いんです。
ようはマゾ要素が十分あり、調教次第では立派なマゾに育てられると思っているのでしょう。

確かにマゾヒストという用語自体の解釈からいうとスパモードの時はマゾヒズムということは間違いないのですが、SMという世界観では明らかにSMのマゾではないんですよね。
これはサディストでも理解できる人があまりいないくらいなので、一般的には無理なのでしょう。
行為そのものは同じでも意識の持ち方や取り組み方が全く異なるのでディシプリン派のキーはお仕置き中に限ってはマゾではないんですよね(Mとキーの両方を持ち合わせている人は別です)

要は一般的に叱られたい人がいること自体理解できない人が多いのでしょう。
でもそれは叱られることが嫌なことだと思い込んでいるからだと思います。
逆に叱られたことに良い思い出を持っている人も実際いますし、叱られたことがない子は悪戯をしてまでも叱られてみたいと思ってしまうんですね。
それは叱られるという世界がどんなことか実体験したことがなく、それが大人が向き合ってくれる愛情の手段だと無意識に思ってしまうからでしょう。

なぜお仕置きを求めるかというと、アニメや絵本の影響が大きいですが、それも含めて過去に他人が叱られているのを見てそれに愛情が注がれていると感じているからですし、実際愛情は注がれています。
だからこそ叱られることに憧れてしまったりしてその延長線上にお尻叩きがあるだけなんです。

自分が駄目なところをしっかりと叱ってほしく、それにはきちんとした理由があって初めてお仕置きが成立するわけです。
それは幼少期の欲求なのですが、その時にお尻を丸出しにされた恰好を見て恥ずかしさや背徳感を感じて、その衝撃で脳裏に刻み込まれてしまうことがきっかけでしょう。
そしてそのまま満たされなかった欲求が大人になってでてしまっているわけです。

ディシプリン派のキーさんでもお仕置きで快楽を感じます。
お説教の時、お尻を出されるとき、お尻を叩かれる瞬間、お尻を叩かれている時、お仕置きを受けた直後の甘える行為、そして家で一人になってそれを思い出した時等、様々な瞬間に心の快楽が出ています。
快楽といっても様々で精神的な快楽でもあり、人によっては性的快楽に感じてしまう人もいます。
精神的か性的かというのは心の問題で紙一重なところがあり、そこがキーかМか悩んでしまう部分だとは思います。
それでも小説や動画を見たり妄想したり、お仕置されたことを思い出している時は少なからず性的な興奮を覚えてしまうものです。

心理的な話をすると実は意識の持って行きようではそれは性的快楽にも変わることもあるし性的快楽と感じないということもあります。
”マゾではなく根っからのキー”という人は、深層心理で純粋な子供のままの脳の持ち主なんだと感じます。
なので性的快楽としてお仕置きを受けようとは考えないし、単純に欲求を満たす手段として捉えているものです。
そこに被虐を求めたり性的快楽を求めていないのであれば俗にいうSMの世界のマゾでは決してないんです。
なのでそういうキーさんを変態マゾのように扱ってほしくなく、あの掲示板の書き込みはとても悲しかったです。

こういうことは世界中で一般常識になってくれるといいんですけどね(汗)
Mという言葉はほぼ100%の人が知っているでしょうが、キーということがはほとんど知らない用語です。
そしてまだまだ1%もディシプリン派のキーさんの気持ちを理解できる人がいないであろうことは悲しい事実です。

私にとってお仕置きは日常です、キーさんにとっては非日常ですが、いつの日かキーさんも日常のこととしてお仕置きを受けられるように普通の事となっていくことを願っています^^;
少なくとも私は日常ですし、私と対話してからのお仕置きはおそらく日常の一部として認識できると思います、それはそれだけナチュラルでシンプルなものだからです^^

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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