世間から見たキーさん

お仕置きの世界を知らない一般の人から見たキーさん(お仕置きにあこがれを持つ人)ってどんな感じなのでしょうか?
このお仕置きとは、性的なことはない家庭的なお仕置きのことをいってます。

キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください。

つい先日とある普通の掲示板で「お仕置きしてください」という書き込みを見つけました。
それはスパやSM関係の掲示板ではなく、普通にネットを見ていたら目撃したので新鮮さを感じて閲覧しました。
それは知恵袋系の掲示板だったのですが、そこで更に「お尻ペン」「お尻叩き」「お仕置き」「お説教」等の用語で検索をしてみると、類似した書き込みが結構でてきたんですね。

まぁ出会い系やパートナー募集掲示板での「お仕置きしてください」はスルーしますが、そうではない一般的な掲示板で目撃したのがとても新鮮で、興味深く見てしまいました。
まぁ私はスパの掲示板も一切見ないので驚いたのですが、皆さんは当たり前のようにご存じかもしれませんね^^;

書き込んでいる人は自分がキーであることを認識していない人が多く、それはキーという存在を知らないだけだと思うんですが、おそらくMと思い込んでいる節がありました。
まぁそれはMという言葉しか知らないからだと思います。

「叱ってください」「お仕置きしてください」の書き込みに対してその返答はというとそれはそれは酷いもので。
スパやSM系の掲示板ではないから一般の知識の人が多いと思うのですが、もうそれは変態扱いでしたね。
知識はないといっても誰しもSMの雰囲気は知っているわけで、返答はもうSMの世界のみでした。

「はずかしめてあげるよ、いじめてあげるよ」みたいな、羞恥責めや快楽責めを加味したスパンキングをするみたいな返答しかありませんでした。
お仕置き依存症の悩み相談でもマゾ扱いで皆さん書き込みをしていたんですね。
私も口を挟みたかったのですが(笑)過去の書き込みだったので助け舟は出せませんでした・・・。

しかしこうやって一般的な立場に立ってみると、いくらディシプリン派のキーを名乗ったところで一般から見るとただの”マゾ”としか認識されないキーさんに切なさと悲しみがこみ上げてきました。
SMの世界のサディストたちの多くも、キーという孤立の存在を認めていなく、マゾの部類だと認識している人が多いんです。
ようはマゾ要素が十分あり、調教次第では立派なマゾに育てられると思っているのでしょう。

確かにマゾヒストという用語自体の解釈からいうとスパモードの時はマゾヒズムということは間違いないのですが、SMという世界観では明らかにSMのマゾではないんですよね。
これはサディストでも理解できる人があまりいないくらいなので、一般的には無理なのでしょう。
行為そのものは同じでも意識の持ち方や取り組み方が全く異なるのでディシプリン派のキーはお仕置き中に限ってはマゾではないんですよね(Mとキーの両方を持ち合わせている人は別です)

要は一般的に叱られたい人がいること自体理解できない人が多いのでしょう。
でもそれは叱られることが嫌なことだと思い込んでいるからだと思います。
逆に叱られたことに良い思い出を持っている人も実際いますし、叱られたことがない子は悪戯をしてまでも叱られてみたいと思ってしまうんですね。
それは叱られるという世界がどんなことか実体験したことがなく、それが大人が向き合ってくれる愛情の手段だと無意識に思ってしまうからでしょう。

なぜお仕置きを求めるかというと、アニメや絵本の影響が大きいですが、それも含めて過去に他人が叱られているのを見てそれに愛情が注がれていると感じているからですし、実際愛情は注がれています。
だからこそ叱られることに憧れてしまったりしてその延長線上にお尻叩きがあるだけなんです。

自分が駄目なところをしっかりと叱ってほしく、それにはきちんとした理由があって初めてお仕置きが成立するわけです。
それは幼少期の欲求なのですが、その時にお尻を丸出しにされた恰好を見て恥ずかしさや背徳感を感じて、その衝撃で脳裏に刻み込まれてしまうことがきっかけでしょう。
そしてそのまま満たされなかった欲求が大人になってでてしまっているわけです。

ディシプリン派のキーさんでもお仕置きで快楽を感じます。
お説教の時、お尻を出されるとき、お尻を叩かれる瞬間、お尻を叩かれている時、お仕置きを受けた直後の甘える行為、そして家で一人になってそれを思い出した時等、様々な瞬間に心の快楽が出ています。
快楽といっても様々で精神的な快楽でもあり、人によっては性的快楽に感じてしまう人もいます。
精神的か性的かというのは心の問題で紙一重なところがあり、そこがキーかМか悩んでしまう部分だとは思います。
それでも小説や動画を見たり妄想したり、お仕置されたことを思い出している時は少なからず性的な興奮を覚えてしまうものです。

心理的な話をすると実は意識の持って行きようではそれは性的快楽にも変わることもあるし性的快楽と感じないということもあります。
”マゾではなく根っからのキー”という人は、深層心理で純粋な子供のままの脳の持ち主なんだと感じます。
なので性的快楽としてお仕置きを受けようとは考えないし、単純に欲求を満たす手段として捉えているものです。
そこに被虐を求めたり性的快楽を求めていないのであれば俗にいうSMの世界のマゾでは決してないんです。
なのでそういうキーさんを変態マゾのように扱ってほしくなく、あの掲示板の書き込みはとても悲しかったです。

こういうことは世界中で一般常識になってくれるといいんですけどね(汗)
Mという言葉はほぼ100%の人が知っているでしょうが、キーということがはほとんど知らない用語です。
そしてまだまだ1%もディシプリン派のキーさんの気持ちを理解できる人がいないであろうことは悲しい事実です。

私にとってお仕置きは日常です、キーさんにとっては非日常ですが、いつの日かキーさんも日常のこととしてお仕置きを受けられるように普通の事となっていくことを願っています^^;
少なくとも私は日常ですし、私と対話してからのお仕置きはおそらく日常の一部として認識できると思います、それはそれだけナチュラルでシンプルなものだからです^^

良い子と悪い子の理不尽な扱いの差

良い子とは社会のルール、親や先生の言うことを聞く子、悪い子とは社会のルールを破り親や先生の言うことを聞かずに反発する子という解釈でお話します。

良い子と悪い子ってどちらが良いかと聞けば皆声をそろえて”良い子”と答えるでしょう。
でも良い子であっても、良い子であることを褒められるってあまりないですよね。
逆に悪い子が少しいいおこないをしただけで手の平を返すくらいに褒めますよね。
この差っていったい何なんでしょう。

電車で席を譲ったり、優しい言葉をかけたり、ちょっとした手伝いをしたり、見ず知らずの人を助けてあげたり、いろいろと親切なことはありますが、風貌が悪い子がそんなことをすると「いまどきの若い者も捨てたものじゃない」と絶賛されてしまいます。
企業の成功者、芸能人等の様々な著名人も昔少しぐれているとものすごく持ち上げられますよね、よくぞ立ち直ったって。
悪い子っていうのは好き勝ってやって、我慢することなく回りに迷惑をかけて、自分の立場を訴えるために自己を主張し行動しているだけなんですけどね。

かたや良い子はそれらを我慢して生きてきている、その我慢をすること自体、普通では出来ないことだってあまり皆さん気付いてないように思えてなりません。
子供時代に必要ないたずらや反抗的行動さえも我慢して、良い子でい続けてしまうことの弊害に気がついていないのではないでしょうか。
ちなみに良い子によっては、我慢するって事は本当はいい子じゃないんだと思っていたりもします。

で、子供が成長過程で誰しもぶつかる思春期ですが、この時期に反抗期とかもあります。
そしてこの時期あたりにこれまで純粋な気持ちで教えられてきた”綺麗事”が現実社会では矛盾があると肌で感じたりする時期とも重なります。
しかしそれを認めることはまだ精神的に未熟で不器用すぎる子供には到底出来ません。

そのうち全てを否定的に捉えるようになり、親や教師等大人に反抗したり、支配から抜け出そうと思う人もいます。
親から離れ、社会的にも経済的にも自立していくにつれそういう気持ちは解消していきますが、それまでの間はとても不安定な精神状態であることは間違いありません。
そこからもがく為に悪い子となったりもするんですね。

でもだからといって悪い子がより褒められることがあってはいけないと思うんですよね、良い子こそ、その時期を耐えて頑張ってきたのですからね。
良い子だって悪い子だって精神的に強い弱いはあります。
悪い子になったのは家庭環境や友人関係のせいにして、それはあたかもしょうがないように認知をしてしまっては良い子がかわいそうで仕方がありません。

良い子だって悪い子と同じ環境である場合はたくさんあるのですからね。
学校でも社会でも悪い子はほんの少しの良いことでたくさん褒められるのに、良い子はそれよりもより良いことをしても当然の顔をして褒めてくれないことが多いですよね、本当に理不尽だと思います。
良い子は本当に切ないですね。

悪い子は若いときにストレスを発散してすっきりして精神的に悩むということは少ないです。
他人に迷惑をかけてきたのにのうのうと生きてストレスもあまり抱えず過ごしますよね。
でも良い子はその悪い子達に迷惑をかけられながらも必死に耐えてストレスを抱え込み精神的に悩むこともあったでしょう。
そして成人してからもそれを抱え続けてしまう人もいるくらいです。

だからといって悪い子になってストレスを発散し、人に迷惑をかけていいことなんてないですが、成長過程では反抗期があるからこそ人間の成長があるので、そこはとても難しい問題だと思います。
それと良い子は我慢して悪いことをしてこなかったということではなく、悪いことをしたくても出来ないという良い子も多いようです。

結局は良い子が良い行いをしても当たり前と捉えられて褒められない傾向にあるのは、大人が悪い子や落ちこぼれを救うことに情熱を注ぎすぎているからなのだと思います。
それは悪いことではないのですが、真面目に良い子でいる子達にも同じくらいの情熱を注いであげなければならないはずです。

悪い子から立ち直ったといったからといって立派でもなんでもないんですよね、それが当たり前のことで、過去は悪い子で悪いんですから。
それよりも良い子であった人をより褒めるべきなんですよね、よくぞ我慢して生きてきたって。
そうやって見てあげないから良い子は自信というものがもてないことがあるし、情熱を注がれてこなかったので自分の正当性や方向性もわからなくなってしまうこともあると私は思います。

そしてなにより構ってくれることへの愛情、叱られることへの愛情にも触れてみたくなるんだと思います。
そこにはとっても暖かい何かが隠されているのではないかと想像し妄想しているからです。
手間がかかる子ほど可愛いといいますし、実際そうなんですけど、でもそれって自分が手間をかけ、苦労したから自分で自分を褒める自己満足の何者でもないと思うんですけどね。

世の中って本当に理不尽なことばかりだと感じます。
叱られたことがない人、叩かれたことがない人、感情的にしか怒られてこなかった人。
こういう人たちは温かみのある叱りに憧れがあるんですね、遠い過去に置いてきてしまったその部分の欲求が果たされていないんですよね。

真剣に向き合い真剣に叱ることは構ってあげているということで、甘えさせている行為です。
その未知なる部分である愛情に触れてみたいと感じている大人はたくさんいますし、なんら異常ではないんです。
人間誰しも持っている欲求ですからね^^

ですから自分を無理やり”お仕置き好き”と当てはめる必要はなく、ただ単に愛情を受け取りたい、甘えたいという気持ちが強いだけだと、心の中でわかってくれればと思います。
少なくても私はそういう人たちを理解し受け入れることをしたいと思っていますからね^^

お金と生きること

この不景気の中、みなさん生きる為に頑張って働いていますよね、でも少ない給料で貯蓄も出来ず、将来も不安でただ生き延びるだけのために働いているみたいな人が多いように思います。

今度、国民年金の支給年齢を68歳にするという案がでています、70歳という案もあります。
でも、若い時でさえ就職が難しいのに60歳を越えて68歳まで働くことって出来るのでしょうかね。
働くことが出来たとしても給料なんて今より少ないでしょう。

支給年齢引き上げの理由は少子高齢化と平均寿命が延びて年金の維持が出来ないということですが、いくら平均寿命が延びたからといっても高齢者が生活できるだけの収入で働ける環境がなければ生きていけません。
以前は60歳から支給されてきた年金ですが、それは定年退職の年齢と同じであり理想の形でしたが、今は定年退職の年齢はそのままで支給年齢だけ遅れていますよね。
まあ、一部優良企業では定年退職の年齢を引き下げていますが、それはホンの一部であって普通の企業は60歳定年です。

定年から68歳までの8年間どうやって生きていけばいいのでしょうか?
体もガタがきているので若い時よりも生活費は必要になります、仮に生活費を月15万円と想定した場合、8年間で1440万円が必要です、たった15万円でも8年間にしたら1500万円くらいなんですね。

また、会社員や公務員は国民年金のほかに厚生年金等に加入しているので年金が支給され始めたらそれで生活が成り立つのかもしれませんが、そうでない人は国民年金の月66,000円のみです、貯蓄も出来ない現状でこれはもう絶望と捉えるしかないですね。
更には国民年金さえ払えない人もいるのが現状です、今の生活にいっぱいいっぱいで1ヶ月15,000円ほどの保険料すら払えない人もいるんです。

まぁ、これから十数年後どうなるかは先が見えちゃっていますよね、結局は国がそういう人たちを助けることになり、それに対して税金を使い、保護するのでしょう。
政治家や官僚、それをサポートする人たちって生活が安定しているから国民年金しか加入できない人の生活が分からないと思うんです。
そういう生活を選択したお前らがいけないんだ的な考えだから弱者のことを考えられないんだと思います。
政治家が国民を想っているなんていってもそれは中間層に対してだけですよね、政治の議論やテレビでの討論を見ていても会社員や自営業者を中心に話が進んでいるのが現状ですから。

本当に生活ができない、働けないとなって、これでは死んでしまうというようになったら国はその人に生活保護を認定するでしょう。
生活保護費って国民年金の支給額より多いんですよね、自治体によって違いますが。
でもそれなら国民年金を払わない方がいいってなってしまってもしょうがないです、こんな世の中ですから。
結局は税金で処理をしてしまい、それがまた国民の負担になってしまいます。

なんで今の政治家や官僚達は”今”だけを乗り切ろうとするのでしょうか。
結局は国民が反発し、支持率が落ちるのが怖いだけなんでしょう、だから消費税も上げられない。
国民も政治家以上に愚かですよね、”今”も大事ですが、先の事も考えてそういう政治家を選ばないと。
でも結局政治家は国民のことを想って、国民の言いなりに”今”をしのいでいるだけなのかもしれません。

たしかに生活は苦しいですが、この環境は変わることはありません、景気がよくなるなんて仮想です。
だったら先を考えなくてはならないと思うんです。
今が大変だから消費税増税反対ではなく、将来はもっと大変になるから消費税も含めもう少し身を削る覚悟でないと将来の生活は破綻しか待っていないでしょう。

生活保護費が莫大に増え、不正受給も増え、問題になり、審査を厳しくすると餓死者がでてまた問題になる。
こんなことはもう今から分かりきっていることですよね、今の生活も大切なんですが、それだけではなく、将来の生活のことを政治家も国民も真剣に考えていかないと大変なことになるなって感じます。

こんな日本に嫌気がさして海外に移住しようかなとも思いますが、言葉が通じないのと寂しいってのがあってなかなか決断できません。
お仕置きに憧れを持っている人達を2,30人ほど引き連れて海外に移住だったら面白いかもしれませんね。
賛同者がたくさんいれば本気で考えますよ^^;
一緒に住んで悪い子にはお仕置き付です(笑)
2,3ヶ月くらいの生活は面倒見るのであとは現地で仕事をして生計を立てていきましょうかね^^

お金って生きるのには必要ですが、労力にあった報酬がほしいものですよね。
苦労しても苦労しても給料が少ないではなく、そういう公平性があればみんな貧乏な暮らしはしないですむと思います。
苦労しても給料がない人と楽して大金を得る人の労力としての不平等性が解消できないかなって感じます。

大金は要りません、普通の生活をしたい人は普通の仕事をすればいい。
貧乏でいいなら仕事を減らせばいい。
贅沢をしたければたくさん働けばいい。
そんな選択が出来る公平性のある仕事が理想ですが、これは現実味のない理想ですよね。

ゆとり世代の代償

ゆとり教育とペアで使われたスローガン「ナンバーワンよりオンリーワン」
個性を認めあい、自分を大事にし、空気を読み合い、自我を抑える。
順位というものをつけることを極力避け、競争するということを教えず、嫌なことは無理してやることはないと個人を尊重して教育をされて来た世代ってありますよね。

でもそのように育てられたらどういう大人になるでしょうか。
それでも流されずに自分をしっかり持っている人は問題ないですが、競争心や誇りや自分の意思を持てないままに大人になってしまった場合です。

はっきりいって社会人としては通用しません、社会という競争の世界では通用しません。
通用しないから変に個性を大事にしてあきらめてしまい、ニートやフリーターが蔓延するこにもなっているのでしょう。
学校で教えられてきたことが社会では通用しなかったのですから当たり前のことですね。
社会に出たら激しい競争が待っていて競争力をつけてこなかった人たちが脱落していくのは必然でしょう。

オンリーワンとはその分野のナンバーワンじゃないかという解釈もありますが、ようは世界には自分という存在は一人しかいないという意味で世界という分野でナンバーワンということなんでしょうね。
もちろん人間の性格や個性に順位をつけることはできません。
でも世界で唯一の存在だから競争は無意味ということは間違った解釈でこのスローガンにより弱い人間を育ててしまったゆとり教育は間違っている部分もあるのではないかなって感じていました。

それに、全員が納得のいく生き方なんてありませんよね、会社勤めがいいと思う人、自由業がいいと思う人、働かないで生きていきたい人と様々です。
また自分にとってはなんでもないことでも他人にとっては大きな幸せなことってあります。
不幸なこともそうですね、自分にとっては些細なことでも他人にとっては大問題で精神的に参ってしまうことってあります。
結局そういう人間性に対して、人の価値観に対しては優劣をつけることは出来なくて、そこがオンリーワンなだけなんだと思います。

自分らしく生きるということは自分の幸せを見出すことといってもいいでしょう。
でも自分らしさってなんなんでしょうか。
私も含め、それが分からない人が殆どではないかと思います。
ただ、人間は欲求を満たすことを目的とするというのが根底にあるのだと感じます。
それは欲求が満たされるから幸福感を感じ精神的に安定し心の健康が保たれるからです。

ただ、心の全てが満たされるなんてことは絶対になく、例え今の欲求が全てが満たされたとしても、今度は新たな欲求が出てきてしまうんですね。
今の人たちは大きな幸せ、仮想の幸せを求めすぎで、些細な幸せに気がつかず感謝できていない人が多いと感じます。
だからいつも何か満たされないと不満が出たり不安になったりするのでしょう。

しかし例えば喉が渇いたときに水を飲みますが、それってとてもおいしいですよね。
そういう細かいことに幸せを感じられたらよりたくさんの幸福感を得ることが出来るでしょう。
でもこういう些細な幸せって、自分がどん底の環境に落ちた時にやっと気がつくという人が殆どです。
どん底や絶望を知らない人、失敗を経験していない人は些細な幸せを当たり前だと感じ、それに対して感謝という気持ちを忘れてしまっているのだと思います。

自分の幸福度みたいなものを測る機械があったとしてその順位はどのくらいでしょう。
今世界の人口は70億人くらいです、その中で比較したら日本人はどんなに幸せかが分かるでしょう。
そして今の生活のありがたみを感じることでしょう。
余談ですが、今の中国の人口は14億人くらいいますが、今から150年前くらいの世界の人口と同じくらいだったんですね。
急激な人口増加って恐ろしいですよね、少子化は日本特有の問題であって発展途上国では爆発的な人口増加が起こっているんです。

話を戻します
個性を大事に、オンリーワンというスローガンは間違ってはいないのですが、それを拡大解釈し、競争することをやめてしまったことが間違いであり、それを推奨してきた教育者達に責任があるでしょう。
もちろんそれでも平和に生きれるでしょうが、今の時代は世界的にも競争の社会なので問題なんですね。

更に不幸なことにバブル崩壊後今に至って不景気が続いています、ゆとり教育と負のスパイラルで若者の一部は努力しても競争しても無駄という意識になっているひとが多いですよね。
今はアメリカンドリームという言葉は死語的になっていますが、日本でも昔は頑張れば報酬として返ってきていました。
しかし、今はどんなに頑張っても報酬としては返ってこない傾向にもあります。
そして一部の成功者だけが巨万の富を得て裕福な暮らしをしている事実もあります。

昔のバブル期はある程度平等に報酬が上がっていました、会社員であれば給料が上がっていき、さらに頑張ればそれ相応の報酬がついてきました。
しかし今はサービス残業は当たり前、会社の業績が落ち、そのつけを部下に八つ当たりをし、給料も下がり、悪循環ですよね。
学生生活で競争させ、順位をつけさせることの弊害も確かにあります、ただこういう情勢だからこそ競争力をつけていくのも大切な事だと思います。

なんでも人任せ、嫌なことからは逃げ、他人の責任にし、自分を正当化する。
目標をもてないで何のために生きているのかさえもわからない。
命があるから、自分から命を絶てないからなんとなく生きているという若者も増えているようです。

でも、働いても働いてもそれは生活費で消えていき、将来の貯蓄が出来ない以上、結婚はもちろん、子供を持つのも不安になるでしょう。
そうなると一生貯蓄できずに働くだけの生活、そして老後は絶望的です。

年金も不安定で、もらえるかどうかが分からないような議論もされていて、もらえたとしても生活が出来ない額。
もうこれではどうしようもありませんね。
希望が持てず無気力になってしまうのは必然かもしれません、そう思います。

不景気はある程度しょうがありませんが、それを何とかしようとするのが政治です、また、このようなゆとり教育をしてきたのも政治です。
せめて政治の責任で老後の不安をなくしてほしいものです。
そうすればいろいろなことにチャレンジが出来るし何かしらの希望も持てるはずです。

老後が保障されていれば貯蓄なんてする必要がなく、自分がやりたいことに思い切ってチャレンジできます。
例え失敗しても保障があるようなものですからね。
様々な能力を持った日本人がいるのに、その人たちの一部は舞台に立てず眠っている状態です。
でも老後の生活が全て保障されるなら、消費税が例え30%でも私は安いと感じます。

今の若者に希望を持たすような政治、そして希望のある日本になっていければ必ずいい方向に変わっていくと思います。
希望があるから生きがいがあるんですよね、絶望に向けて生きていくことの辛さは耐えられません。
今は絶望の中で生きている人間がとても多いです、それは金銭的にも精神的にもです。

とりあえず老後の金銭面だけでも楽になれば精神的辛さの一部分が解消されるでしょう。
少しでも精神的に安定すれば心に余裕が出来てきます、その中で人の痛みを感じられるような人間を育て、人間味のある暖かい世の中にしていけたら理想だと感じます。
まぁ口でいうのは簡単ですけど、実行するのは大変な事ですからね^^;

しかしぐだぐだとくだらない議論ばかりしている政治家にはお仕置きをしたいくらいです(笑)

カー失格!?

本当のカーってなんなんでしょうね。

キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください。


私のお仕置き観は親から子供への躾です。
それを基本に全てが自然な形で展開していくわけなのですが、
一つだけ引っかかることがあるんですよね。

親は子供に善悪の判断をさせ、いい子になってもらいたいからお仕置きをするんです。
悪い子だからお尻を叩くのであって、決して叩きたいわけではありません。
いい子でいることを望み、いい子でいればお尻ペンをしなくてすむんですよね。
でも相手が本当にいい子になってしまったらお仕置きの関係はどうなっちゃうのでしょうか?

私はリアルで悪いことをしない限りお仕置きはしません。
だからいい子でいるとお仕置きが出来ないんですよね。
いい子でいるように躾をしているのに、実は悪いことをすることを望んでいるのかもしれない自分。
更に重症なのは軽めの悪いことではなく、重めの悪いことを望んでしまっているのかもしれないということ。
そうすることによってきつめのお仕置きが出来るからです。
でもこれって矛盾ですよね。

今いい子でいれるのはお仕置きのおかげだからといって、「今後もいい子でいられるように戒めのお仕置きをします」的なお尻ペンをするのは簡単ですが、これはお仕置きの世界だから許される行為なのかもしれませんが、実際の子供からしたら理不尽ですよね。
まあ、そこは子供ではなく、大人だから受け入れるのでしょうが、普通に考えちゃうとおかしいですし、私は相手に悪いところがない限りお仕置きをする気にはなりません。

私は悪いことをした相手に対して反省の意味と懲らしめの意味でお尻ペンをし、痛がって嫌がりバタバタする様子を見たい、最終的にはごめんなさいをいわせたい、それで懲らしめているという実感がより湧くんですね。
だから心の中にはそういう痛がる姿が見たいという気持ちがあるんです(悪いことをした子に対してだけです)

しかし、これってもうサディスト的な発想のなにものでもありませんよね。
でもその素の反応が可愛くて可愛くてしょうがないことも事実なんです(汗)
どういう感覚なんでしょうかね、好きな相手だと余計にそういう反応を見たくなるし、なんならもっと痛くしてみるとかしたくなるんですよね^^;

そしてそのために悪さする事を望むなんて躾としても人間としてもはあってはいけないことです。
それこそ私のほうがペンですよね(笑)
これが私がこだわっているお仕置きの自然の流れに逆らう唯一の障害です^^;
障害といってもそんなそぶりは相手には一切見せていないので私の心の問題なだけですけど。
相手に伝わらなければセーフですよね?

そういう心の内面を相手に見せたら違う雰囲気になってしまいますからね。
いい子でいることはいいことなのですが、心の中ではいつもいい子でいるとつまらないなーって思っちゃうこともあるんです。
相手を見つめ、その子を成長させていかなければならないのにこれじゃカー役としては失格じゃないかってたまに思うことがあります。
まぁ私はお尻を叩きたいという趣味を持っているわけではないし、お尻好きでもないので自分をカーさんとは思ってないですけどね^^;

でも一部のキーさんはお仕置きをされたいからわざと悪さをするのってたまにありますよね、でも私の場合はそれとは全く意味合いが違うんですよね。
構ってほしいから悪戯をするっていうのは自然流れです、これは子供でもすることで怒られてもいいから構ってほしいという気持ちからくるものです。
親はそんなことも知らず、悪戯に対して真剣にお尻ペンをしますよね。

お仕置きの理由なんて探そうと思えば探せるわけですが、本物のカーというものはそもそもお尻叩きを望んでいないのかな?
親は子供に対してお尻叩きを望んでいないことを考えるとそういう結論になりますが、カーさんからお尻叩きを省いてしまったら意味がありませんね、もともとお尻を叩きたい人をカーさんというんですから(笑)

とにかく私の中には親のように躾のために親身に叱って悪い事の罰としてお仕置きをしたいという面と、それとは別物でサディスト的な部分もあって、それは痛みで懲らしめて痛がる反応見たいという面です。
まぁそんな雰囲気は出しませんし伝えもしないので、結局はキーさんと私の需要と供給が合えばいいことなんだと思いますけど^^;

まぁそうやって考えるとスパの世界でいうカーとしては失格なのかな?って思ってしまうこのごろです^^;

まさかのキー初体験!?

先日まさかな出来事がありました。

思い返してみれば子供のころ布団叩きでお尻を叩かれたことがあるような気がしてます。
小学生の頃ですが、私は悪さばかりしていたので布団叩きで叩かれことがあったような、ないような、記憶が定かではありません^^;
でも成人してからはそんなこと忘れてましたしまさかそれを思い出させるような出来事が起こるとは。

ちょっと事故とかいろいろあって最近腰が悪かったんですね、今まで腰痛なんて殆どなくていたって健康体だったのですが。
それで損害保険絡みということもあって、整形外科に行くことになったんです。
待合室でかなり待たされて、やっと呼ばれたかと思ったら診察前にレントゲンを撮ってきてくださいといわれ移動。
そこでもかなり待たされました。

ようやく呼ばれて、レントゲン室に入ると私はベルトをしていたので気を利かせて
「ベルトとりましょうか?」
といったのですが、
「こちらではずしてもらいますから結構です」
とレントゲン技師に言われ「???」な状態でレントゲンの台の上に仰向けに寝かされました。

そしたら一言
「ズボンを膝まで下げてください」と言われました
一瞬「えっ!?」と頭が真っ白になりましたね。
そういうことを全く想定していなかったので、つまりベルトは金具だから取るとしてズボンは脱ぐ必要はないと決め付けていたんです。
でも今考えるとチャックの部分が金具だったんですよね(汗)

私は別に脱ぐのは全然平気なんですよ、今までも検診でパンツ姿になったり、腸の検査もしたことあるし、温泉でも銭湯でもどこでも私は比較的恥ずかしくない方なんです。
趣味で草野球をやっているのですが、着替えはもちろん野外です、普通は上だけ着替えて次は下を着替えるみたいな人が多いのですが、私は面倒な時は全部脱いで周りにいろいろな人がいるのにパンツ一丁になってたまに仲間に突っ込まれてしまうくらい平気なんですね(汗)

そのとき初めて分かったのは、それは想定しているからであって、何も考えてないでその状態にさせられるって結構恥ずかしいものっていうことです。
しかも膝まで下ろすなんて中途半端で情けない・・・。
一応指示通り、ズボンを膝まで下ろすとタオルをかけてくれ膝を曲げるように指示をされ撮影。
次に横向きにという指示、お仕置きの姿勢ではあまり見かけない形ですが、こういう形で叩くこともありえるのでなんかお仕置きをされる側のなんともいえない気持ちが少し分かったような気がしました。

なんというかズボンを膝まで下ろしている中途半端さがとても恥ずかしいんですよね、
そんな格好するなら初めから入り口でパンツ一丁になったほうが全然いいです。
しかもレントゲン技師が女性だったらまだ良かったのですが男性だったので嫌でしたね。
なんで女性ならいいんでしょう?(笑)
ということでみんなお仕置きのときに自分でスカートをまくれない理由が少し分かった気がしました^^;

しかも自分でパンツを下げるなんてとても勇気がいるし恥ずかしいことなんですね、しかもそのパンツが中途半端に膝にかかっている状態・・・。
私だったら耐えられないかもしれません(笑)
さすがに抵抗するのが分かります、その恥ずかしさも嫌なのに、自分からその格好になってしまったらもうそれがお仕置きの始まりを意味しているのですからね。
一生懸命に言い訳してお尻ペンを回避しようとする気持ちがなんかわかったような気がしました。

でも

それが分かったからこそお仕置きの楽しみも増えたような気もしています。
精神的な状態が更に見えたような気がしたからです。
今までははっきりいうとまあ、恥ずかしさも少しはあるだろうけど気持ちの殆どがお仕置き逃れでイヤイヤしているだけと思っていましたからね。
まぁ情けない格好でお尻ペンされている屈辱感がお仕置きには必要なのかもしれません。

女性の皆さん、整形外科は打撲でもでも捻挫でも必ずレントゲンを撮る所です。
診察を受ける際は金具のない服装で行きましょう、恥ずかしい思いをすることになりますよ。
脱いでくださいといわれたら金具がついていないことをアピールしましょう(笑)

まぁ結局はキー初体験ではなくて、キーさん側のお仕置の雰囲気を初体験したってだけの話でした(笑)

正しいお仕置きの方法

前記事のつづきでお仕置きの方法を説明したいと思います。

まず、お仕置きであるお尻叩きは体罰という意識よりもコミュニケーションツールという意識を持つことが大切です。
怒りをぶつける行為ではないということは認識してほしいです。

子供を叱るのに感情的になったり理不尽なことをいってしまったり無視をしたり、子供を精神的に追い詰めるような行為をするのであれば、それは絶対的な”悪”です。
そして、その”悪”をするならば、愛情のあるお仕置きは”善”であり、愛情表現の一つになると思います。

また、感情的になってつい手が出てしまったというのは”悪の中の悪”であってそれは虐待的行為でもあり絶対にやってはいけない事です。
正当な理由があり、それを子供に説明でき、そして冷静にお尻を叩ける人だけお仕置き行為をしてください。

○叩く場所
叩く場所は”お尻”だけです。
他の場所を叩いてはいけません。
なぜお尻かというとお尻は肉付きがよく、多少力が入ってしまっても体の中では一番安全な場所だからです。
ただし尾骶骨があるお尻の上部は確実に避けてください、骨が直にあるので危険です。
頭はもちろん危険ですが、他の部分も骨が直接あり、皮膚が薄く、また心臓の近くなども危険ですからそういう考えからもお尻が安全な場所といえます。

更にお尻を叩く利点としては”冷静になれる”ということがあります。
感情的になるとやはり頭や背中、手やほっぺたを叩いてしまいますが、お尻を叩くにはそれなりの準備が必要です。
服の上からお尻ペンをするにしても一瞬その体勢にさせるまでにタイムラグがあります。
その間に一呼吸できるため多少は冷静になれることがあり、その間に本当に正しい理由で叩こうとしているのかという判断も出来たりします。

また、パンツを下げてお尻を叩く場合でも、嫌がる子供のパンツを下げるのは時間のかかるものです。
その時間で感情的になった心を静められることもできるでしょうし、きちんとお尻を叩く目的が頭にあるのでその時点でつい手を出してしまうことが少なくなり、しっかりと冷静になって加減してお尻ペンできる準備ともいえます。

○正当な理由
お仕置きをするには正当な理由が必要です。
子供が自分で悪いことをしたと認識できる理由であり、それが親だけの価値観であってはなりません。
ただ、家庭の教育方針の一環で親の価値観を植えつけているのであればそれはしかたがないですが、それならば子供にしっかりと説明をして説得させておく必要があります。
正当な理由がないお仕置きは虐待と同じで子供は愛情を感じることはありません。

ただし、正当な理由だとしても子供が納得していない場合、親の勘違いの場合、子供の勘違いの場合のお仕置きはとっても危険な行為です。
そのことによって子供心に傷がつき、一生を左右するトラウマにもなりかねないからです。
なので100%確信できる理由でない限りはお尻叩きはするものではありません。
また、お仕置き理由が家庭の教育方針である場合、そこが子供に通じるかが微妙なのでとても難しいとは思います。


○お説教(お仕置きの始まり)
子供が悪いことをしたり、言う事を聞かなかった場合、まず子供の意見を聞いてあげてください、なぜ悪いことをしたのか、何故いうことが聞けないのか。
子供はなかなか理由をいえないで黙ったりしてしまいますが、誘導尋問的なことはせずしっかりと子供の言葉で告白させることが大切です。
これは根気の要ることですが、自主性を育てるにあたり大変重要なことです。
絶対に怒鳴ったり感情的にならず冷静にゆっくりと話すことは絶対条件だと思います。
そして黙っていれば済む、正直にいわなくても大丈夫という考えを植えつけないように注意が必要でしょう。


○お説教(意図説明)
悪いことや親が子供にしてほしくないことには必ず理由がありますよね、子供にはしっかりと理解できるようにその理由を説明し、理解させないといけません。
「駄目なものは駄目」という説明は絶対にしてはいけません。
「あなたのためにしていることだから」なんてことも駄目です。
子供は子供ながらに「自分(親)のためでしょ」と考えていますからね。

子供の為にしていることは間違いないのですからそれを具体的に説明しないと子供は理解しないのです。
だからこの”説明”という作業はとても難しく、しかしこれができたら一番のお仕置きの難関をクリアすることとなります。
子供に納得させるのは結構難しい作業で、道徳的に悪いことだったらある程度説明はつきますが、それでも”なぜ駄目なの?”と聞かれると説明ってとても難しいものなんですよね。
だから仮にその理由が分からなければ「自分で考えてごらん」といい、その時に自分自身でも必死に考えたりするのもいいでしょうね。

しかし教育的なことは正当な理由というよりも家庭の方針ということがあるので、いつ聞かれても応えられるように夫婦で話し合って子供が納得できるような理由を前もって考えておく必要があるでしょう。
「あなたのためだから」「駄目だから」「怒られるから」「常識だから」という叱り方は絶対に駄目でもっと掘り下げてそれはなぜかということを説明しないと子供は理解できずにお仕置きを受けることになるのでそれは悪いお仕置きです。
子供はそんな親を自分本位な感情をぶつけているだけと感じ、心を閉ざすきっかけとなる場合があります。


○お尻叩きの姿勢
お説教が終わったらその子供の反応を見てお仕置きをするかどうか判断してください。
事の重要性によって決めてもいいですし、子供の反省態度を見て決めてもいいと思います。
また悪い事、言う事を聞かなかった場合に必ずすることに決めてもいいでしょう。

理想の姿勢は膝の上にうつぶせに子供を乗せ、そのままお尻を叩きます、子供が逃げようとしてもその姿勢ならば抑えることが簡単に出来ますし、なにより体が密着しているので温もりを感じ愛情を感じやすいということもあります。
注意点は子供がお尻をかばって手を出してくることがあるのでそれを想定しながら叩くことです。
暴れて手をお尻に出してきたら、もう片方の手でその手を握っていれば阻止できます。
間違って出してきた手を叩かないように注意してください。

また、うつぶせにした時に服の上から叩く場合と、お尻をむき出しにして叩く場合とがありますが、お尻をむき出しにした方が痛みは強く感じます。
そしてその方がお尻が赤くなったりするのが見えるためダメージも掴みやすいでしょう。


○お尻叩きの回数
これは決める必要はありませんが、一回だけというのもありだと思います。
最初は軽く一回だけ、同じことを繰り返したら強めに一回だけ、次は二回、、三回と増やしていくのが子供には有効かもしれません。
人として絶対にしてはいけないことをしてしまった場合、それを分からす為には強めのお仕置きをしたり、そのしたことによって強弱をつけることは必要だと思います。
子供に対しては道具を使用せずに平手でのお尻ペンが理想でしょう。
最後に子供にこれからどうしたらいいのかを口頭で言わせごめんなさいを言えたらお仕置きは終わりです。


○アフターフォロー
お尻ペンのお仕置きの後の一番重要な時間です、それは甘えさせる時間です。
普通の子供ならばその時には涙を流して泣いていると思います。
そして痛さがゆえに怒りの中でごめんなさいというだけかもしれません。

しかし開放され抱きしめられたときにはその怒りは飛び、親の愛情を感じて受け入れるでしょう。
お尻ペンのお仕置きが終わったら必ず抱きしめて頭を撫でてあげててください、時間は無制限で子供が甘えたいだけ甘えさせてあげることが重要です。
そして子供が話したいことがあれば聞き、子供に話したいことがあったら愛情を持って話をしてあげましょう。

そうすることによって子供は普段の生活では味わえないような愛情を感じます。
「自分は嫌われて怒られたわけではないんだ、自分を必要としてくれているから、愛されているから叱られたんだ」
と感じさせることがお仕置きの仕上げとして一番大切なことです。
これを失敗するとお仕置きの効果は半減します。

どのように声をかけどのように子供と甘える時間を接するのかはそれぞれの関係性で変わってくるでしょうが、子供を思う気持ち、大切さは必ず伝えてあげましょう、そしてそこで親子関係や信頼関係を作っていくことも出来ると思います。
ただしそこで言ってはいけない言葉があります。

それは子供に対して謝ること。
「叩いてごめんね」「厳しくしてごめんね」的なことですね。
謝るなら叩かなければいいと子供は思ってしまいます、謝るのというのは悪い事をしたときですからね。
お仕置きをするにはその理由に正当性があることが条件と書きましたが、これらの言葉はその正当性が揺らいでしまうので思っていても口に出してはいけません。

子供が泣いても痛いと訴えてもそれは「悪い子だから痛くしたんだよ、そうやって一つ一つ分かっていけばいいんだよ」と心を鬼にして返答するようにしたほうがいいでしょう。
子供は親の心を読み解くのがとても上手いです、躊躇していたり迷っていたりしていたらすぐに見透かされます。
叩くと決めたなら堂々と自信をもって接する、それが子供の為であり自分自身のためでもあると思います。


簡単に説明しましたが、これらがお仕置きの一連の流れです。
正当な理由があること、なぜ駄目なことか理由を説明すること、手加減してお尻を叩くこと、しっかりと反省の言葉を言わせること、そして最後に一番大事な甘えさせることで完了です。
ちょっとコツをつかめばとてもシンプルでやりやすいことだと思います。

怒りは感情的なことであり自分の為にすることです、しかし叱りは声を荒げず冷静に話をすることで相手のことを思っての行為です。
子供を叱るのに感情的な叱りはよくありません。
体罰がなく感情的に怒らない教育はとても根気の要ることで普通の人間にはとても難しいことです。

今現在私は大人へのお仕置きをしていますが、その大人に対しても全く同じ考えでお仕置きをしています。
大人でもしっかりと駄目なことは駄目って叱ることは必要で、そういう愛情に飢えている人たちは結構いるものです。
お仕置きは痛いものなのでお仕置き自体は嫌なのですが、本気で向き合ってくれる人を求める気持ちからお仕置き欲が膨らんでしまいスパの世界に入り込んでしまうのです。

お仕置きに憧れを持っている人は、愛情を持って叱られることに喜びを感じています。
その方法としてお尻ペンのお仕置きに魅力を感じているんですね。
学校でもどこでも誰かが真剣に叱られているのを見て「羨ましい」と思ってしまい、その心の裏には自分にはされたことのない愛情表現というものがとても強く印象に残り、その積み重ねで成長し叱られる愛情を求めてしまう子もいます。

真剣に叱ってあげないと叱ってほしい欲求が強くなるものです、感情的に叱ったり叩いたりしてしまっても同じで、愛情を持って冷静に叱られたいという欲求が芽生えたりします。
そんな時にお仕置きシーンを目撃すると心にスッポリとはまってしまい、そこからお仕置き欲に翻弄されることになるので、まぁ悩ましいことでもありますね^^;

教育のための体罰は善か悪か

最近お受験に熱心な教育ママさんが増えていますが、それと比例して子供を叩くことは悪いこと、してはいけないことという風潮が広がってきています。
まあそれは日本だけではなく世界的に広がってきていることで「子供を叩くこと=悪」ということが常識になりつつあります。

私立の幼稚園、小学校、中学校に入学させる為に子供の自由を奪いって躾や教育をする人もいますが、それがどれほど大変か、もしかしたら子供よりも親の方が遥かに大変なのかもしれません。
子供の自由を奪うことはそれが子供の為であり、将来のことと思ってやっていることですが、その信念が揺らぐ時もたまにあるでしょうね。

幼児教育の一環で塾に通わせることも多いと思いますが、そこで子供が叩かれたりすると過保護な親は悩んだり塾をやめさせたりしようとしますが、それはどうなのかなと考えさせられます。
また、躾をしたり勉強を教えていても子供が中々理解してくれない、言う事を聞いてくれない、集中してくれない等の要素が重なると体罰反対派の親でさえつい手が出てしまい叩いてしまうこともあるようです。
そういう人は自分を責め、後悔して罪悪感にさいなまれたりします。

子供を叩くことや体罰って悪でありしてはいけないこととなっていますが、果たして本当にそうでしょうか?
虐待的な体罰、理不尽な体罰、躾以外の体罰、感情的な体罰は私も絶対にあってはいけないと思います。
しかし、冷静に加減をした体罰は必要不可欠な行為だとも思います。

ここではこの体罰をお仕置きといい、お仕置きはお尻叩き、お尻ペンのこととします。
ただ、この叩く加減は普通の人間では難しく、つい感情的になってしまったり愛情がゆえに虐待的になったりととても危険な行為だとは思います。
だからこそ「体罰は駄目」としているのかなぁと感じたりします。

子供のことを絶えず考えている真面目な親達の殆どは「体罰が悪いことだからそれはしない」と心の中で決め事をしています。
でもそれがゆえに言う事の聞かない子供に腹を立て、ストレスがたまり感情的に怒ってしまう、更にはつい手が出てしまうことがよくあります。

そういう親達はその感情的な行為が子供の心にどれだけの傷をつけているかあまり分かっていないのでしょう。
感情的に言葉で叱りつけるよりも冷静な体罰の方が子供の心に対して負担が少ないはずです。
そして感情的な怒りは冷静なお仕置きであるお尻叩きとは比べようがないくらい「悪」だということは間違いありません。

感情的になってしまってはそれは憎しみだし子供もそこからは愛情を感じることはできません。
しかし冷静な体罰であるお仕置きのお尻ペンはその行為の方法や、やり方によっては一つの愛情表現に変わり、子供と親の信頼関係が深くなりえる行為だと思います。
つい感情的になって子供に手を出して後悔している方たち、また感情的に怒ってしまう方たちに「お仕置きの仕方」を分かってもらえたらなって感じます。

その前に、
愛情表現ってそれこそ無限にたくさんありますよね、その中でも表裏のどちらも愛情という面があるんです。
その一つが「叩くこと」と「叩かないこと」なんです。
しつこいようですが、ここでいう叩くとは”お尻を叩く”という意味でお尻ペンのお仕置きのことです。
そしてこれは虐待的要素を含まないようなきちんと加減をしたお尻ペンのことです。

普通に考えたらお仕置きしないほうが子供は愛情を感じると思ってしまうでしょう。
手を上げず大切に育てたからといって愛情で満たされていると思うことは考えが浅はかです、それこそ自己満足の世界ですね。
実はお仕置きをされたことがない子供にも不満要素があるんですね。

このブログでも何度か書いていますが、いい子で真面目な子を持つ親は自慢の子供と思っていますが、実はそれは親のご機嫌伺いの為であったり、怒られるのが嫌で仕方なくだったり、親の喜ぶ顔がみたいという切ない思いだったりで親の思うとおりに過ごし、いい子でいることが自分の中で楽で、そういう歪んだいい子ちゃんなことが多く見られます。

子供がいい子だと嬉しいのは親だけで子供は子供らしさである自由を奪われ、子供のときに発散すべき欲求を我慢してストレスを溜めて成長してしまいます。
それによって自主性を奪われてしまうという弊害もでてきて、自分では何も決められない、そして子供のころに味わえなかった叱られるという行為を求めてしまいます。
叱られたいというのは甘えたいというのと同じ意味で、思いっきり子供に戻って好き勝手して真剣に叱られることで心から愛されているって感じたいということです。

叱られたいが為にする悪戯、構ってほしいからする悪戯って子供にはあって、それに応えてあげるのが親で、子供は勇気を振り絞って悪さをすることもあるという事を分かっていてほしいです。
でもいくら悪戯をしても、叱られるという形の愛情が得られないと本当に愛してくれているのか不安になり、その不安が更なる不安を呼び、それによって満たされなくなってしまうという面もあるんですね。

叱られることは大人が自分に真剣に向き合ってくれていると無意識に思っているものです。
そんな子達は幼い頃から”叱られること”に魅力を感じるようになってきてしまうんですね。
早い子では幼稚園くらいでその魅力に取り付かれ叱られたいという欲求が膨らんでいきます。

そんな中でテレビ番組やアニメ、絵本などでお仕置きシーンがあるとなにやら温かいものを感じ、一気に引き寄せられることで、お仕置に対してドキドキとして惹きつけられるというケースがキーさんには多いんです。
身近な人がお尻を叩かれているのを見てしまうこともそうですが、大人が真剣に向き合ってぶつかってくれている、真剣に叱ってくれているんだと愛情を感じ羨ましく思ってしまうんですね。

自分が叩かれたことがないからこそ思う”妄想”なのですが、「お仕置き=構ってもらえる=甘えられる=愛情のある行為」
と認識してしまいますし事実それは間違いがないことです。
だから叩かれることで愛情を感じるし叩かれないことでも愛情を感じるということがあるんです。

私は活動を通して悪い子にお仕置きをしていますが、お仕置きの世界に入り込んでくる子は、そういう環境で育ってきた大人が少なからずいるんですね。
実際にそうやって育てられた子供が大人になった姿を私は見て実感しているのである意味”心理学的統計”であると思っています。

今の若い子達で男女問わずお仕置き願望がある人は昔と比べ非常に多いと私は思います。
それはゆとり教育の代償であったり、学校での体罰禁止の徹底、家庭での体罰の自粛等が重なって自分を真剣に叱ってくれる存在がいないというのが根底にあるのだと思います。
お仕置きの世界に足を踏み入れる勇気のある女性はほんの一部で、本当は物凄く多い隠れキーさん(お尻を叩かれる側)が世の中にはいると私は思っています。

そういう子たちがお尻を叩かれることやお説教自体を求めているのは、深層心理の部分では自分を見てほしい、構ってほしい、甘えたい、ということを求めていてそれで”愛情”を感じ、心が満たされることにつながっているんだと思います。
これは無意識な部分なので自分で分かっていない子がほとんどで、だからこそなぜ自分がお仕置きにドキドキしてしまうか悩んでしまうんですね。

叩かれている自分を妄想したり小説を読んで快楽を感じてしまうのは、お説教やお仕置きで温もりや愛情を感じたり、許されたり甘えることによって心が満たされるからだと思います、快楽を感じるといってもそこに性的要素はなく、ないからこそ快楽を感じるわけです。

お仕置きに興味ない人にはこういう気持ちは理解できないでしょうが、全くの方人で一切構ってもらえないで育ったら気持ちは理解できるでしょうし、そうであれば誰しもお仕置きを望み、そしてそれが心の安定につながると思います。
自分の事を見てもらい、悪いところがあったら指摘してほしいと願う人ならばお仕置きは必要でしょう。
だから私はお仕置き好きな子という枠ではなく、お仕置きは人間には必要な心のケアであり心の癒しであり、心の安定であると思っているんです。

結局お仕置きに憧れを持つ子たちは子供心にこのようなことを思っていて、その欲求が破裂しそうになってお仕置きの世界に入り込んでいるわけでが、そのような心境の時にたまたまアニメや絵本などのお仕置きシーンを見てしまったり、学校や日常でお尻叩きを目撃してしまったりすることで、全てがリンクし、脳裏にお仕置きが刻み込まれて頭から離れなくなることがほとんどです。

かなり話がそれてしまいましたが、感情的に子供を叱りつけてしまう方、つい手を出して後悔してしまう方、罪悪感にさいなまれている方、その方たちに正しいお仕置きの仕方を教えたいと思ってしまいます。

「お仕置きは良い行為だ、正しいことなんだ」といっているわけではありません。
しかし感情的に怒鳴ったり、つい手をあげてしまっているということを前提に考えれば、それらの行為はマイナスであることに間違いはなく、それに比べお仕置きはプラスな行為だと思います。

お仕置きの方法はいたってシンプルな流れです、
その方法は次回に。

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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