親と子の支配関係 「お仕置き」

子供は親に支配されている、前記事に書きましたが、その支配の中にお仕置き行為がある家庭も存在しますね。
お仕置きを喜ぶ子供なんていません、そして悪いことをした子供を親は抵抗を許さず叩きます。
子供は逃げたくてあがいても親の力に屈服するしかなく、受け入れることを強要されます。

正当性のあるお仕置きは、まず愛情があること、感情的でないこと、そして正当な理由があること。
きちんと説教をし、手加減してお仕置きをし、反省させ、理解させる。
これがあれば私は虐待とは違うと思います。

逆に正当性がないお仕置きは、感情的になる、愛情がない、理不尽な理由、物を投げつける、暴言、足を使う、強制的に返事をさせる、育児放棄、無視、等々。
これはお仕置きではなく虐待だと思います。

最近はお仕置きという名の体罰はやってはいけないこととなりつつありますが、私は教育には必要ではないかと思っています。
子供は好奇心が旺盛で、赤ん坊のときはどんなに危ないものでも手で触ったり口に入れたりしてこれが何であるか認識します。
成長した子供もまだ分からない事だらけなのでいろんないたずらをして、それがどういう世界なのか、そしてどこまで許されるのかを探求しているのだと思います。

そして口で叱ってもなかなか分かってくれません、そこまで説得力のある人間はそうはいないし、説得力があったとしても子供が素直にいうことを聞くとは限らないからです。
口では分かってくれないからお仕置きをする。
これは仕方のないことだと思います。

説得の仕方が分からない、口でうまく説明できない、そういう人ほどお仕置きという形で教育をしてしまうんでしょう。
でも愛情のあるお仕置きは子供を正当な道へ導くための手段なんですね。
ただ、前記事で触れましたが、未熟な親が増え、教育の心理学的な部分を分かっていない親が多いので、子供を正当な道へ導く言葉のチョイスには間違いが多く、それが困った問題なんですけどね。

最初にお仕置きを喜ぶ子供なんていないと書きましたが、実はそんなことはないんですね。
実際には構ってほしいというサインであることもあるんです。
意識的にも、そして無意識にも、わざと悪さをして自分に目を向けてもらいたいというのがあるんです。
まあ、それはみなさん、なんとなくは分かりますよね。

私の実体験です。
水商売をやめて九州の友達夫婦のところにいったときのことです、1週間ほど世話になるつもりでいったのですが、その間、なんと喧嘩して奥さんが出て行ってしまったんですね、結局そのまま離婚したんですけど・・・。
で、友達は小さいながらも割烹料理屋をやっていて、しかも2歳(男)と4歳(女)の子供もいてどうにも回らない状況だったんですね。
私は特に次の仕事も決まっていないし、料理も教えてもらいたいというのがあって、「俺が面倒みようか?」ということになり、なんとそのまま1年間同居していたことがあるんです。

私はその子供に対して、駄目なことは駄目と叱り、自分の子供のように接していました、それは友達も知っていたし感謝してくれていました。
子供の眼力は凄いです、大人が少しでも油断をすると言うことも聞かず小ばかにします、逆にきちんと接していれば一目置くんですね、人間のずる賢い部分がこういう小さいときから出来てくるんですね^^;

まあ、私はも昔は子供嫌いだったこともあり、下手に遊んでしまうと後が大変ということは分かっていたのでそういうメリハリをつけて接していました。
褒めるときには本当に些細なことでも大げさに褒めて、叱るときにはわざと怖い顔をして「駄目だよ」って感じで。
おかげで演技力が付きました(笑)

2歳(3歳になっていたかな?)の男の子が困ったいたずらをすると私は
「こらー、悪い子だなぁ、こっちきなさい!」
といって、膝の上でお尻を丸出しにして、軽い音が鳴る程度に叩くんですね、もちろんまだ3歳くらいなので泣く様な叩き方はしないし、私も冷静で楽しんでいたんですけどね。
そうするとお姉ちゃんのほうが、弟とまるっきり同じいたずらをするんですよね。
しかも私のほうを見ながら満面の笑みで^^;

シカトしていると、「ねー○○にもして」っておねだりするんですよ、だから同じようにお仕置きしてあげていました(笑)
このお姉ちゃんは弟がお仕置きをされると必ずこういう態度をとっていました。
お仕置きでなくても私が弟を構うとやきもちを焼くのか、すぐに来て弟を私から奪おうとするんですね。

可愛いから、何度かなんですが、ちょっときつめに叩いたことがあって、そんときは子供だから泣いちゃうんですよね(私は可愛い子をいじめたくなってしまうタイプなので…)
「お兄ちゃん嫌いー、もうお兄ちゃんなんて大っ嫌いだからねーだ」と(私はお兄ちゃんと呼ばれていました)
必死に泣きながらしゃべる姿がとても可愛くて、それが癖になって、その子には申し訳なかったんですが、たまーにそんなこともしていました。

そんな泣くようなことがあっても次の日にはまた同じことの繰り返しなんです。
だからお仕置きという嫌な方法だとしてもどんな形でも構ってほしいんだなって、このときからそう感じ、子供の切ない気持ちを実感していました。

この兄弟は母親が出て行った次の日から一切母親の話はしませんでした、子供心に父親に気を使ったのか、幼い心に何かを言い聞かせたのかはわかりませんが、凄いなぁと感じました。
そしてこのお姉ちゃんは弟思いのしっかりした子で自分のわがままも言わず、山登りも何をするにも弟を助けてあげて、精神的にはかなり大人な子だったのですが、母親がいなくなってしばらくして弟が母親の元に行ってしまってからは物凄くわがままになって自分が自分がと本当に聞き分けのない子供になってしまったんですよね。
子供の頃に付く心の傷って本当に恐ろしいものだなと感じたのはこのときが初めてでした。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

カレンダー
06 | 2011/07 | 08
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
カテゴリ
月別アーカイブ
プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QR
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示