親と子の支配関係「生誕編」

親と子供との支配関係について書いてみようと思います。

こんなことあまり考えないことですが、子供って親に支配されているんですよね、
親は子供を育ててるっていう感覚はあるものの、支配しているとは意識していないものです。
子供ももちろん支配されたいという願望は自意識としてはありません。

人はこの世に誕生した瞬間、生きようとして泣きます、肺呼吸をしなければ死んでしまうことを本能で分かっていてそれを取り込む方法が泣くこと、初めて体験する呼吸です。
一説には
「この絶望の世界に産まれてしまったから泣き叫ぶ」
という話がありますが、それもなるほどと思ってしまいます、確かに泣き叫んでいますよね、呼吸とは違うような感じがしますし。
それにおなかの中はとっても居心地がいいそうです。

その後赤ちゃんは生きるために母乳、もしくはそれに代わるものを与えられる。
無意識の中の本能の部分で、母親がいないと生きていけない、絶対的な存在だということはこの瞬間に既に植えつけられているのかもしれません。
そう、親がいないと生きていけない。
授乳を卒業しても自分で食料は調達できない、真冬の寒いときでも真夏でも自分では何も出来ない、親がいなければ死んでしまう。

そういうことが何年も続いたら親に依存するのは当然のことでしょう。
幼稚園くらいになれば自分で食料を探して自分で食べることは出来てもそれは親が用意した食料です。
外に出て一人で暮らしていけるかというと無理ですよね。
そんな親に依存した生活がだいたい中学生くらいまで続くのが一般的です。

どんな親であったとしても、子供はその親を受け入れなければなりません。
育児放棄、虐待、過保護と様々な環境があります。
どんな親でも子供にとっては絶対的な存在で、生きていくには必要な存在なんですね。

でも親も人間です、完璧ではありません。
育児放棄や虐待、過保護、にみられるようになかなか子供の気持ちを分かってあげれない。
どういう育て方をしてもそれを”躾”という言葉で片付けてしまいます。
躾という難しい教育を子供を育てたことがない未経験者が自分だけの感覚で子供を支配してしまう。

広い視野で子供を見てあげれなかったり、子供の心理をよくわかっていない親は多く、それは本当に恐ろしいことだなと感じます。
子供をペットや人形のように扱い、躾とは関係なく可愛がるだけ可愛がって叱ってあげられない親、また逆にただ自分のいうことが聞かなかっただけで感情的に怒鳴りつける親がそれなりにいるんです。
それは間違いだと気がつきつつも自分を変えることができないでいる人がほとんどでしょう。

人間的に未熟な人、精神的に幼い人、人の痛みを分からない人、個性を受け入れない人。
こんな人ってこの世の中いっぱいいますよね、周りにも必ずいるはずです。
でもそういう人たちでも結婚し、子供を産み、子供を育て、支配してるんですよね。

どう思いますか?
こんな人が子供を教育して育てられるの?っていう感じの人が周りにいませんか?
まだ結婚していなくてもいいです、思い当たる人がかなりたくさんいるでしょう。
でもそんな未熟な親だったなんて子供が分かるはずもなく、どんな親でも自分には絶対的な存在と認識してしまうんです。
社会一般の評価はかなりの低レベルでも子供にとっては世界で一番の親になってしまうんです、少くても子供に自我が芽生えるまでは。

子供は家庭がどんな過酷な環境でもそれを受け入れそれが普通なんだと言い聞かせ、生きていく術を身につけていくものです。
そんな子供には家庭に逃げ場所なんかなく、誰にも相談できず毎日が地獄なんですね。
虐待系の場合は刑務所より酷く、自宅に軟禁され捕虜や奴隷のような生活を強いられることもあるでしょう。

でも人間の脳はそれに対応しようと反応して順応してしまうんですね、少しでも自分が楽に生きられるようにと無意識にです。
そしてあまりにも絶望感が続きストレスが続くと脳内ホルモンのバランスが崩れ感情のコントロールが出来なくなってしまうことに繋がります。
感情のホルモンってあって、通常は怒りや恐怖の感情と安心感がバランスをとって調整しているんです。
だから怒りっぽい人やおとなしすぎる人っていうのはちょっとだけバランスが悪いんですよね。

もっと過剰にストレスがかかり続けると自分では感情のコントロールできない体になってしまいます、脳が無意識に守ってしまうんですね。
ストレスは人によって感じ方が違いますが、真面目な人や純粋な人は素直に受け入れてしまうのでダメージが大きいんです、逆にいい加減な人や器用な人はそれを回避しやすいんです。
本当に皮肉なものですよね。
精神的に辛いことって、その出来事自体では比較は出来なくて、その人の心の繊細さのところなんですよね。

そこまで辛いことが家庭内であっても親に依存してしまっているからそれを受け入れなくてはならず、絶望の日々を送らなければならないんです、他の選択肢がなく、仮にあったとしても今まで依存してきた子供には行動ができません。
ここまで酷くなくても親子関係がギクシャクしたり子供が心に傷を負ったりするのは、親が子供の気持ちを理解することができないか、それができても子供より自分が大切だからでしょう。

それに自分の子供だからといっても所詮人間に全てを見通す力なんてないんですよね。
自分の心だってあやふやにしか分からないのに自分の子供の心の中まで完全にはわかりません。
それを理解しようと必死に子供を見つめ顔色や行動の変化、言葉の変化で何かを掴み取るしかなく、それを実行している親は理想の親と言えるのではないでしょうか。
まぁ親といっても普通の人間なので、しょうがない部分はありますが、子供を産むのならばある程度の心理学的な知識を持って育てていかないと精神的に歪んでしまう子供がたくさん出てきてしまうでしょう。

そして親も完璧ではない、間違いはある、それを子供に理解させ、些細なことでも間違ってしまった行動は、きちんと子供に謝ることが必要ではないかと思います。
そういう人間臭さを出していけるのが本当の親子関係であり温かい家族なんじゃないかなぁと感じます。

子供は親のペットでもなければ人形でもありません、親が思うように育てたいというのは親のエゴであって、そういう親の子供は、親の期待のためだけに人生を送ってしまうことになってしまう場合があります。
子供のことを思っての行動ですが、それは自分に当てはめての価値観であって強制することではありません、選択の余地を与えなければそれはエゴと呼ぶべきと思います。

しかし、子供は親に依存してしまっているので親の期待に応えることが自分の幸せと感じてしまう人もいます、そしてその狭間で葛藤している子供達がいて、そしてそのまま成長した大人もいます。
子供の世界は家庭と学校だけ、他に目を向けられません、学校に行くまでは家庭が全世界なんです、そして学校に行くようになっても家庭と学校の関係者が全世界なんですね。

学校に居場所を求めてもいじめや裏切りがあればその絶望感はこの世の終わりくらいに感じるでしょう。
もう死ぬしかないと自分に言い聞かせ、それでも死ねない。
生きたい、死にたくない、死にたい、生きたい、、、その繰り返しの毎日を送っている人もいます。

少し話が飛んでしまいましたが、支配をするということは愛情がないとしてはいけません、そして相手もそれを受け入れる気持ちがないと成立しません。
支配というとニュアンス的に違和感がありますが、要は親の支配下で自由に人間らしく愛情のある温かみのある生活や教育をということです。

甘えさせる愛情、叱る愛情、叩く愛情、これらをバランスよく相手に伝わるように育てていくことが大事で、その中でも全てにおいてアフターフォローが大切なことです。
叩く愛情とはもちろん手加減をしたお仕置きのことですが、そこにアフターフォローがあるならば私はとてもいいことだと思っています。

ただこれは子供のためのお仕置きであって親の怒りの矛先や感情的な親のためのお仕置きであるならば絶対に手をあげてはいけません。
そしてお仕置きとして叩く場所はお尻に限ります、頭はされる方も見ている方も愛情は感じませんから効果的なのはお尻のみです。
見た目というのは実際には肉体的なもので、お尻は体の中でも一番安全な場所だからです。

最後に愛情がない支配関係というは、昔のアフリカやアメリカ、欧州で奴隷制度があった頃の奴隷と同じです。
愛情とは相手に伝わらなければ愛情とは言わずだからこそアフターフォローが大切なんです。
叱ったりお仕置きをした後はしっかり甘えさせることです。
何のために叱ったのか、何のために叩いたのかを説明して、あなたが大事だからということをお話する時間が必要で、それができないのならば叩くことはしてはいけません。

大人のお仕置きの世界である非日常は、そういういわゆる”愛情”で満たされたい人の居場所としても必要ではないかと思います。
過去の子供時代に叱られる愛情が欲しかったという人や甘えたかったという人はたくさんいます。
それを今でも引きずりそれを求めてしまう大人が意外にも多いんです。

信頼して、全てを曝け出して、心を解放して楽になる、愛情を持ってお仕置きされ、甘えることによって喜びや愛を感じる。
今の日常では体験できないであろう、深い信頼関係の上の愛情というものを非日常の一時でも体験することが出来れば今とは違う何かが起こってくるかもしれません。

何かを探している人、変化がほしい人は、一歩踏み出してみないと何も始まらないということを認識しなければならないと思います。
大人でも子供に返ってお仕置きを受ける事は何ら変なことではないんです。
それで前向きになれれば、何か吹っ切れて前に進めればとてもいいことです。
心の問題、精神的な問題を抱えている人は特に必要です、細かいことで悩んでいる人、すぐに自己嫌悪してしまう人は一度お仕置きされてみることを真面目に考えてみたほうがいいかもしれませんね。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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