信頼関係→裏切り→絶望

ブログを書き始めてまだ日が浅いのですが、何故自分は他人の心に興味があるのかを考えるようになりました。
心の中身を覗いてみたいんですね。
以前までの私は心の中身に”興味がある”としか考えていなかったのですが、何故興味があるかまでは考えていませんでした。
今回ブログを書いたのは人生初のことなので、そういった部分でも自分を見つめることができているんだなと感じ、少しだけ嬉しくなりました。

心の闇を抱えている人の殆どは「人間関係」で傷つき苦しんでいます。
まあ、事故や災害、その他でも原因はあるのですが、人間関係がもたらす精神的な苦痛は誰しも経験しているのではないでしょうか。
また、自分が頭で考えている常識と今の自分の行動に格差があり心の中で葛藤したりする人もいます。
様々な要因があって自分の心を安定させる手段を持たない人は精神的にボロボロになり、生きていくことに疲れてしまいます。
それは人からの裏切りや仕打ちによって絶望を感じ続けると脳内に異変が起こってくるからです。

でも生きている、苦しみながらも消えてしまいたいと思っていても肉体は動き続けている。
そういう葛藤やひたむきさとか一生懸命なところ、そして本能的な欲求や行動のような人間臭さが私は凄く好きなんですね。
そしてそんな人たちの心を少しでも満たしたり癒してあげられたらと私は思っていて、少しでも気持ちが楽になってくれるとそれで私も満たされることにつながるんです。

まぁ自分で言うのもなんですが、私自身凄く冷めています、何があってもすぐに気持ちの切り替えをし、動揺しないようにしてしまいます。
よくテレビで見るのですが、身内が死んでしまったときの感情的に乱れた姿、韓国人なんかが特にすごいのですが、あの体全てを使って泣く姿、あれを見る度に私もああやって感情を表に出せる人間になりたい。
と思ってしまいます。
実際はしたくても出来ないんですけどね。

だからそういう人間臭さや一生懸命に生きている人には、私に欠けている部分がそこにあるのか、凄く魅力を感じてしまうんです。
しかしその中に駆け引きや嘘、打算等があると一気に冷めてしまったり、嫌悪を覚えたりしてしまいますけどね。
相手を思ってついた嘘はしょうがないと思います、でもそのことについて例えば私が「正直に教えてくれ」といった時に相手がどうでるか。
「実は。。。」と本心を教えてくれると、とても嬉しいんですね、そのことで私が傷つくとしても正直に言ってくれた勇気についての方が勝りめちゃくちゃ嬉しいんですね、そしてそういうところで人に好意を持ちます。
そこが私の変わったところです(笑)

そう、相手の人の心の中身は全て知りたいんですよね、それが私を傷つける内容だとしてもそれを知りたいし、それをきちんと教えてくれた人には怒りなんてなく、逆に感謝をします。
それだけ人の心の中身が知りたいんですよね^^;

で、最近ブログを通じいろいろな人と接し、気が付いたことがありました。
それは何故私が心の中身や闇を求めているのかという根本的な問題のヒント的なことです。
結局は私も裏切られ、絶望を体験し、おそらくそれが原因で今の冷めた自分が出来上がったんじゃないかと感じたんですね。
いや、実際は最近感じたのではないんだと思います。

その絶望したことに対して現実はこういうものだと解釈をし、
「これからは自分を傷つけないために世の中はこういう目で見よう」
という感じで何かあるたびにそのことを思い出し、比較し、自己防衛して生きてきたような気がします。
そう。トラウマですね。

私の場合、刹那的な絶望だったため病的にはなりませんでしたけど人生観が変わったといっても過言ではありません。
何故今頃そのことに気が付いたのかというと、それはトラウマではなく、”教訓”だと思っていたからです。
でもそれによって自分の感情を無意識にコントロールしてしまう人間になってしまったのだからトラウマと呼ぶべきでしょうね。
つまり、私も心の闇があったんですね、これが心の闇とは考えもしなかったのですが、ここでいろいろな人と知り合い、自分を見つめているうちに気がついたという感じです。

中学3年、その当時の先生像というのは絶対的に信頼できる存在として認識されていました。
父兄が文句をつけに来るなんてことは殆どなく尊敬され、体罰も一任されていた時代です。
今まで大人たちが子供に言い聞かせてきた言葉、今もきれい事の代名詞として使われていますが、(この時点でトラウマ出てますね(汗))
それを純真無垢に信じていた私がいました。

そしてそれに向かって人生最大の努力をしてました。
勉強というものではなくまぁ他のことで誰にも負けていない自負がありました。
2年間ですが、死ぬ気で頑張りました。

そして中3の夏。
裏切りです、
その言葉がきれい事だったということを思い知らされました。
そして絶望。 

それからは自分の心が苦しい思いをしないように、傷つかないようにと冷めてしまいました。
人も信用できないようになってしまいました、とはいっても99%は信用しているんですよ、でもどうしても1%は信用していません。
それがどんな人でもです。
そしてその1%があるから傷つかないですんでいるんでしょう。
でもこういう私みたいに切り替えが出来ない人は実際いますし、そういう人はものすごく苦しんでいますね。
居場所も吐き出す場もない人は病的になってしまうでしょう。

結局私が心の闇に興味があるというのは自分と同じく絶望を知っている人と何かを共有したいからなのかもしれません。
そういう人となら分かり合えるかもしれないと。
熱い人間になりたい、がむしゃらな人間になりたい、一生懸命な人間になりたい。
でももうなれない。
だったらそういう人の心を一時的でも吸収して自分を浄化したい。
そのことで少しでも気持ちを楽にしてあげられるものならそうしてあげたい。

そんな気持ちなんだと思います。
もともとSっ気があるので、支配や管理という意味で人に興味があるのも否めませんが、私のすることで相手が満たされ私も満たされるのであればウィンウィンの関係ですよね。

それがお説教やお仕置きを通じて実現させ、最終的にはそういうものが無くても満たされるような関係になる、それが私がしていきたいことなのかなと思いました。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

カレンダー
06 | 2011/07 | 08
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
カテゴリ
月別アーカイブ
プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QR
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示