交通事故目撃

昨日車を運転中に交差点でバイクと車の事故を目撃しました。

原付バイクが直進しているところ車が右折をしてしまい正面衝突。
そのまま右折した車はバイクの運転手を車の下に巻き込み10Mほど進んで縁石にぶつかり停車。
この瞬間私はもう即死だと思いました。
事故現場から停車位置まで血が線のようについていました。

車を運転していたのは50代くらいの女性、バイクの運転手は30代くらいの女性でした。
小さい交差点でしたが、近くには家も店もあり、すぐに数人が駆けつけました。
私もすぐに車を止めて救助に向かいました。

女性は車に挟まれて動けません、意識はあるものの頭からは相当な血が出ています。
男数人で車を持ち上げましたが女性を引きずり出すくらいに車を上げるのは不可能でした、逆に少し持ち上げ無理でまたおろす、そうすると下敷きになっている女性の負担が更に大きくなります。

また人数もまだ少なかったので車を全員で持ち上げたとしても女性を引きずり出す人手が不足しており、救急のプロでもないので人の配置の指示なんかもできるはずもなく、救急車の到着を待つことにしました。
10分後、救急車が到着したましたが、レスキュー隊はきていません。
そんな中、一人の若者が自分の車の中からジャッキを持ってきてくれ、それで車を持ち上げることに成功。

救急隊員が下敷きになっている女性の足を引っ張りタンカに引きずる。
下はコンクリートの地面なので頭は地面にこすり付けられて引きずられています。
タンカに乗せると救急隊員の指示で私も含む男数人でタンカを持ち上げ、救急車に入れ込む用の滑車の付いたタンカに移動しました。

ジーンズは破れ、服も破れ、額もぱっくりと切れていました。
道路には近所の主婦が持ってきたであろうタオルが置いてありましたが血で染まり真っ赤でした。
救急隊員は女性に話しかけ意識の確認をしていましたが、昨日はかなりの炎天下、湿度も気温も高く、それなのに炎天下の下で話しかけていました。

たまらず私はしゃしゃり出て「せめてそこの木陰まで移動したらどうですか?」というと
隊員も我に帰り、太陽を見上げながら「そうですね」といい少しだけ移動しました。
そんなことしなくてもすぐに車に乗せればいいのにと思いながらも見ているとしばらくは外で話しかけていて、やっと救急車に乗せました。

しかし警察は遅い。
救急車が到着してから10分くらいたってやっと警察が到着、そしてレスキュー隊も到着。
警察くらい救急車の前に来れるだろうと思い、文句でもつけてやろうかと思いましたが・・・。
その後、パトカーが到着、事故処理の警官であったためやっと現場の片付けに着手しました。

交差点ど真ん中に放置してあったバイクやメット、破片にチョークで印をつけ、その後、集まった一般人数人で破片等を歩道に移動させました。
車のとおりもまあまあある道路で間接的な事故が起きてもおかしくない状況だったのでこれで一安心です。
その後、目撃者や当事者の聴取が始まり、手伝うこともないのでそこを後にしました。

しかしまだ救急車は停車したままです。
救急車というのは事故現場に到着し、患者を救急車におさめてから病院を探すため、受け入れの病院がなかなか見つからないのでしょう。
その間も患者の頭からは血が流れ続けているのだと思うといたたまれません。

その女性は必死に生きようとしている、流れ出る血にびくびくしながらもきっと救助してくれた人達や救急隊員に感謝をしているでしょう。
これからの手術やリハビリに何らかの感情を抱き、自分が生きていた、そしてこれから生きていくことを認識し実感していくのでしょうね。
それによって自分の存在意義、使命感、罪悪感などを考えるのかもしれません。

この女性はこの事故によってこれからの人生に変化が生じるでしょう、今後、この事故で死んでいればよかったと思うか、生きていて良かったと思うかはわかりませんが、少なくてもこの事故によって歯車が変わる可能性は大きいでしょう。
でもこれも宿命なのかもしれないですよね、どのようなことがあってもそれを現実に受け入れることが一番重要で自分と向き合うことで前に進めるのではないかと思います。

どんな結果になっても前向きに生きてほしいです。
一生懸命に救助活動をしてくれた方々には人間の温かみを頂くことができました、困った人がいたら助けるという当たり前のことが当たり前にできない世の中になりつつあるような気がしていたので少し心が救われた気分です。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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