キーとカーとお仕置きと私 

私はスパ系のサイトやブログというもの全くといっていいほど見ません。
何故かというとそこからは何かを得ることも勉強になることもあまりないんじゃないかなって思うからなんです。
そこで何かを学ぶなら全く別の視点で関連したことを学ぶ時間に使った方が有意義だからです。

こんなことを書くと私は頭が固い頑固者で何も受け入れないように思われるかもしれませんがそうではありません。
悪い事があったら罰を与えて痛い思いをしてもらう、その元には精神的な癒しや心の成長があり、人の心に焦点を当てているので、スパ関係のサイトやブログよりも心理学的な読み物を優先してしまうんです。

何よりも実際の対話やメールのやり取りでいろいろな人達と関わって、そこで日々自分のスキルを上げるように吸収しています。
なので、スパ系のサイトやブログでの他人の話やお仕置きの仕方などはあまり意味のないことなんです。
といってもキーさんが過去にされたお仕置き方法を「これはいい!」と参考にしたことはたまにありますけどね^^;

まぁそもそも私はスパマニアでもないし、お尻ペンペンするのが好きというわけではないんです。
だから動画や小説を見ても興奮しないし、それを見たいとは思わないんですね。
家庭的なお仕置きを好んでいるのはそういう理由では全くないんです、お尻を叩きたいだけで活動しているわけじゃないんです^^;

それに私はリアルに親が子供にするお仕置きを実践しているので他から得る必要はなく、単にお説教をしてお仕置きをしてアフターフォローをするだけなので、その方向性は変えようがなく、そこはもうできあがったものなんです。
私が成長しなければならないことはお仕置きの探求ではなく、人の心をもっと知り、その人達が楽に生きられるようにしてあげられるスキルを身につけることなんです。
だからサイトやブログを見ること自体、私には必要なく興味もないことなんですね。
まぁそうはいっても関わった人のブログはその人を理解するためにも読んだりしますけど。

こんな私ですが、つい最近、キーさんについてちょっと検索して調べてみたんです。
そうすると結構ブログを書いている人が多くて、それも1年以内に書き始めた人が多かったです。
まぁパートナーと別れては新規につくり、別れたら閉鎖してってことが多いのでそれは当てにならないかもしれませんが、間違いなく昔よりもキーさんがかなり増えていることは間違いないです。

ブログの内容はそれぞれサラっとしか見てませんが、私はその内容よりもプロフィール的なことに興味があってそっちを見てしまうんです。
だけど残念なことにそのプロフィールを省く人が多くていまいち楽しめませんでした^^;
ブログの内容は作り上げられたものが入り込んでいますが、プロフィールはその人の生きてきた人柄みたいなものが少なからず感じられるからそこに興味が出てしまうんです。

で、昔から感じていましたが、キーさんって妄想の塊な方が多いですよね(笑)
昔はそういうのに違和感を感じてちょっと避けていた部分がありました。
でも、最近私自身がブログを始めて、お仕置き関係の記事を書いたりしていると自分でも気が付かなかった何かを感じ始めたんですね、
それでキーさんとも会話する機会も増えて、更に感じてきたわけですよ。
純粋なキーさんは可愛いって。

何でそういう目で見れるようになったかというと、私は過去支配関係にこだわっていた時があって、それがあってこそ自分が楽しめるという感じがありました。
だからそういう支配関係的な目でキーさんを見ていた部分があったんです。
支配関係って結構重くて、非日常なことなので今度は日常というものがなかなか出せないんですね。

そこは割り切ってお仕置きの時だけ非日常を演出する関係もあるのですが、それは私には出来なくて会った日はずっと非日常なんですね。
まあ、それはそれでいいのですが、こっちも気分がのらない時とかあるわけで、それが続くと面倒くさくなったりしてしまうんですね、特に仕事やプライベートで忙しいときなんかは。
結局放置してしまって、強い子は耐えられるのですが、心が不安定な子は離れていきます。

でも支配関係のない場合はそれは非日常ではなくて、日常なんじゃないかなって思うようになったんですね。
以前記事に書いたように私は日常でも友達にお尻叩きをしているからなんです(笑)
それってもう既に非日常の楽しみではなくて、日常の楽しみなんですよね。

そういう場面に出くわしたときにしか出来ませんが、何か悪い事があったら仲のいい友達のお尻を叩く、もしくは叩くふり、だけの行為が凄く楽しいんですよ。
まぁそこはカー目線ではなく、S目線での行為になっていましたが…。
でもこんなことは今まで考えたこともなかったのですが、スパのお仕置きって私にとっては日常の行為だったということです^^;
つまり、支配関係にこだわりを持つ必要はなく、普段仲良くしている子がいけないことをしたらお尻をペンペンする、それだけなんです。

これまでは非日常の中でほんの少し日常が混じっていた事を、今度は日常の中でほんの少し非日常が混じるという感じですかね。
支配関係だけに捉われていたのですが、キーさんとの関係性は支配関係とは違い、多少の上下関係はあってもお互いに対等な立場で話ができる関係性だなと感じます。

子供のように、イヤイヤして、我侭を言って、お尻を丸出しにされて、お尻を叩かれ、ごめんなさいをいい、反省をする。
キーさんとは、対話やお仕置きによって話を聞き入れることのできる、そして躾がいのある可愛い子だなと感じるようになったのは事実です。
叱りつけるという事はその子のことをよく分かっていないとできないことです、そういう意味では信頼関係のある深い間柄なんですよね。

あと、私は一生懸命な人が好きで、葛藤している人とかも好きで、そして何よりも私を必要としてくれる人が好きなんですね。
仮に、私が凄く好きになった人がいたとしてもその人が私を必要でないと思ったのならばその瞬間私の気持ちは冷めしまうくらいなんです。

これ何なんでしょうね?
心の闇だと思うのですが、必要としてくれる人にしか魅力を感じないんですよね。
例えば付き合っていて大恋愛をしていたとしても、彼女が好きな人が出来て別れたいといった場合、私は彼女がそれで幸せになるのならばそんなに悲しくなりません。

感情が人と違っておかしいのか自己防衛しているのか分かりませんけど・・・。
私が必要でなくなったとしても私はその人が幸せになるならば嬉しい気持ちになるんです。
第一にその人の幸せを望んでしまうからなんですけどね。
でも私自身、必要とする人間がこの先現れるのかどうか、これは心の問題かもしれませんね^^;

スパ的、SM的な世界に何を求めているのか

「スパやSMに求めているものは何か?」
実はパートナー選びや悩んでいるときにはこれが一番重要なんですね。

ある程度経験のある人であればだいたい何を求めているかは自分で把握できていますが、さほど経験のない女性は心の深層の部分で本当に求めているものが何かということは自分でも分からないということが多く見受けられます。
どういうことかというと、自分の求めているものがただの妄想や憧れだけの世界であったということもあり、実際体験してみたら何か違うと感じることが多々あるからです。

経験のあるなしに関わらず、求めるものの定義づけが自分自身できちんと把握出来ていない女性は多く見られ、最終的に傷つく結果になるのです。
興味深いのは何年もその世界の道を歩んできていて、今になって初めて自分の求めるものが分かったという実例も珍しくないということです。
心の深層世界では自分でも理解できない複雑さが存在しているってことなんですね。

家庭的なお仕置であるディシプリンスパに求めるものは大きく分けて
1、恋愛
2、家族愛
3、友情
4、それ以外からの愛情

という形になるでしょう。
もちろんこれ以外にもあると思いますが、だいたいはこの範囲に収まるのではないかと思います。


SMに求めるものは大きく分けて
1、恋愛
2、恋愛兼主従
3、主従
4、欲求処理

という形になるでしょう、この中には普段からそのような関係性を維持する者と、プレイの時のみその関係を構築する者がいます。
主従とは「主と家来」「主人と従者」「主となるものと従となるもの」と辞書では出てきますが要は、主(ご主人様)と奴隷の関係をさします。

一番難しいことは、自分自身の求めることは分かったとしてもパートナーが同じ嗜好を持った人なのかどうかが分からないことです。
分からないというのは、パートナーとなるときは男性は嘘をつくことが多く、女性に合わせながら口説くので本当の心が分からないという意味です。
更に興味本位だけでスパやSMという行為をしてみたいだけの人も多いんですね。
風俗遊びと同じ感覚でスパやSMに関心を持っている男が多いということです。

こんなことだから真面目に取り組んでいる人の品位!?が落ちちゃうんですね(笑)
女性より男性の方が圧倒的に人数が多いと思われていますが、実際はきちんとした嗜好や知識のある男性は女性よりもかなり少ない気がします。
知識というのは道具の使い方という事だけではなく、パートナーに対しての躾け方や接し方、愛情のかけ方等も含めてです。

男の中には「風俗の金を浮かしたい」「セックスフレンドが欲しい」「面白そうだから変態と出会いたい」という考えの人が悲しいことにとても多く存在するのです。
そういう男に捕まってしまうと、結果的に関係は破綻し、のめりこんだ女性は深く傷ついてしまうのです。

スパの世界は特にですが、性的要素が一切ない関係を求めているディシプリン派の女性が多いので、もっとパートナー探しが大変で求めているものが違うという例が多くなります。
実際問題本物のディシプリン派のカーが非常に少ないということです。
興味本位だけのカー(実際はカーではなかった)が多すぎることが原因で長続きしないことが多いんです。

そりゃ、性欲のある男ですから、女性の生尻を叩くだけでも興味は湧くでしょう、くだらない風俗にはまっている男は大勢いるのですから。
例え、本物のカーと名乗る者がいたとしても、その人が偏見なく幅広い視野を持っていなければ自分の価値観を押し付けるだけの心の小さい人なだけです。
また、自分が気に食わないことを説教し、それを相手に強要する人はただの我侭な精神年齢の低い大人です。
これらはキーさんからしてみたら本物のカーではないですよね。

そして恋愛や性的要素を全く求めていないキーさんもいることを理解していないカーさんがいますね。
エッチ目的の。
擬似恋愛的で精神的なつながりの部分があるのも確かですが、そこでパートナー同士の違和感が生まれてきてしまうんですね。
まあ、特にスパに関しては非常に難しい関係性だと思います。

二つに共通している恋愛に関してはいつかは破綻をします、パートナー的な関係で結婚までするパターンはそれなりに聞くこともありますが、お付き合いをして別れのないカップルなんて例はほんの一握りです。
ほとんど破綻するというのは寂しいですね、こんなの前提では付き合うことはしませんけどね。

なぜ破綻しやすいかというと、恋愛というものは見返りをどうしても求めてしまいがちで、気持ちが相手に通じなかったということが続けば自然と不平不満が出てしまいます。
また、駆け引きという裏の部分を出してしまうことで相手を試し、その反応で勝手な判断をしてしまいがちです。
そしてパートナーに対して、不平不満が出たり、疑心暗鬼になってしまった場合、別れるかどうか必死に考え、誰しも悩みます。
別れたいのに相手が好きだから別れられないという心の葛藤はよくありますね。

スパやSMの関係性の場合、相手に精神的に依存してしまっているのでより離れられないのです。
こういう世界の特殊な関係上、「パートナーとしてワザとやっているのか?」「他と比べて私が甘いだけではないか」「他の人はどうなのか」等、いろいろと悩みます。

そこで貴女が考えなくてはならないことは貴女はこの世界に”何を求めていたのか”ということなのです。
そこで初めて本来の求めているものを見つけることが出来るかもしれません。
「キーとして」「Mとして」ではなく貴女の求めていることを追求すればいいだけなのですから。

苦しいのだったら別れればいいのです。
その基本的なことに支障をきたしているのであればその先は全く意味がないのです。
別れられないのをこの特殊な世界のせいにして、自分の辛さから逃れようとしているだけなのかもしれません。
愛していれば別れはとても辛いもの、いくら愛想を尽かしても別れのときはとても辛い。

しかし、何を求めてこの世界にいるのかをまず思い出してください。
それでも結論が出ないのが恋愛であり、世の中で一番厄介な代物なんですけどね^^;
「求めているものは何か」
これは自分自身が行き詰まった時に一番大切な要素です。
いつか訪れるはずの最大の難関のときに必要なんです。

その時に冷静に対処できるように今からでも心の整理をしてください。
こういった世界に足を踏み入れる女性は不器用な人が多く、深く依存しやすく、そして深く傷つく女性がとても多いんですね。
それを防ぐためにも、和らげるためにも自分自身をしっかり見つめて何のためにこのようなことを望んでいるのかを絶えず考えるようにしていないと、いつか自分を見失ってしまうのです。

少し極端すぎるお話ですが、こうやって頭を切り替えて考えないといつまでも答えは出ないんです。
やはり人間ですから求めていることなんて曖昧でよく分からないという事が多いと思いますが、
ただ根底にある”愛情”がほしいということだけは共通していますよね。

みんな愛情を欲しているんです。
私が今まで言ってきたことは極論かもしれません、しかし、極論で考えなければ答えなどいつまでたっても見つかりません。
何を求めているか曖昧でも、何をより多く求めているかは分かると思います。

別れの時は深く傷つき、人間不信に陥り、悩み、とてつもない辛さが生じます、そして答えを見出すことが出来ず、長い期間、喘ぎ、苦しむことになるのです。
その時に極論で物事を考えれば判断材料になると思うんです。
初めと今とで求めていることが違うということはよくあります、でもそれを認識し受け入れることが大切です。
自分の変化を受け入れた時、ふと気がつく人生の折り返し地点に成りうることもあるんです。

人は長い人生の中で価値観が変動することはよくあることです。
そして、だからこそ絶えず今の自分を見つめることが大切なんです。
自分が出来上がった人間などと決して思っていはいけません。
絶えず新しい自分を見出すことが、更なる新しいものを生み出すからです。

悩んだときは原点を見つめなおし、そして今の自分を見つめてみてください。

繰り返す ” 虐待 ” 離婚 ” 躾 ”

虐待する親に育てられた子供は、親になったときに自分の子供に虐待をしてしまう傾向にあります。
これは虐待に限ったことではなく、離婚した親元で育った子供も親と同じ離婚を繰り返す傾向があります。
そして虐待まで至らない躾も、感情的になって叩かれて育った子供は、親になると自分の子供にそれを繰り返してしまう傾向にあります。
これは統計上の話で必ずしもそうではないのですが、同じことをしてしまう人が多いんですね。
これは遺伝という曖昧な言葉で片付けられてしまっていることもありますが、そうではないはずです。

どこかに居場所を求め続け、いつまでも満たされないような人は心に闇を抱えてたり愛情に飢えていたりします。
そして親からの愛情という面で満たされていなかった人が結構多いんです。
愛情=過保護ということではなく、過保護だったからこそ愛情に飢えているというケースもあるんですね。

自分がされてきて一番嫌だったこと、そしてそれは絶対に繰り返さないと心に誓っているのですが、ある限界を超えてしまうとそれが出てきてしまう。
それは子供の頃に植えつけられてしまった間違った愛情表現から来るものでしょう。
子供に手を出したくないと思っていたとしても他の方法での躾け方が分からない、口で言っても聞いてくれない、感情的に大声を出しても聞いてくれない。

そうやって自分のキャパシティーを越えてしまうと、親に受けてきた、自分では絶対にしたくない行為に走ってしまいます。
何故かというとその行為が一番傷つくし、傷つくということは相手が重く受け止めるということに繋がるからです。
そしてその行為は、言う事をきかすには一番効果があると自分自身分かっているからです。
だから親にされて嫌だったことを無意識に実行してしまうことにつながるんです、そしてそれが歪んだ愛情表現になっているのかもしれません。
無意識に行動してしまうため、親と同じ行動をとってしまった自分を後になって責めて自己嫌悪に苦しむ結果になってしまいます。
しかしこれで子供が言うことを聞いたとしてもそれは恐怖での反応であって心から理解したわけではなく、子供心に”怨”が残ってしまいます。

私の見解ですが、子供の悪い行動に対してはそのことを自分で考えさせ、冷静にしてはいけない理由を説得をし、その上で時には体罰も必要だと思います。
体罰といっても叩く場所は「お尻」でしょう。
頭を叩く場合は本当に手加減をして軽い気持ちでやらなければ危険です。

お尻叩きも手加減は必要ですが、感情的にならず愛情を持ってすれば効果があると思います。
そこには何が必要か、愛情と冷静な感情、子供が納得の行く理由と親の説得力です。
そして子供が理解して反省した後はアフターフォローとして甘える時間をたくさんとってあげないといけません。
それは”あなたが大切だから”という愛情を伝えなければ子供には愛が伝わらずお仕置きが逆効果になってしまうからです。

離婚もそうです、そういう愛情表現を子供の頃に強制的に受け入れなければならないのです。
離婚となると一般的な幸せな家庭とは違う環境になってしまいます。
そして子供は親に依存してしまっているため、親のためにこれは正しい選択だと心に刻んでしまいます。

頭の中では離婚は駄目なことと思っていますが、心の中では親のために、そして自分のためにどこか正当化しているところがあり、そこが原因なんだと思います。
それに、離婚に対する抵抗感が一般より低くなってしまうので我慢する限度も低くなってしまうのかもしれません。
これが絶対に繰り返さないと決めていても繰り返す由縁だと思います。

また、似たようなお話ですが、
愛情を持って躾をされていない子供はどうやって自分の子供を躾けたらいいのか分からないものです。
父親がいない子供は父親の愛を知らない、だからそういう子供が父親になっても子供への接し方が分からないんです。
母親にしても同じことがいえますよね。
知識として頭で教えてもらうのと、精神的に植えつけられてきた現実とは違います。
みなさんは知識として頭に植え付けられている正当なことをしようとしますが、ある壁を越えてしまったときに精神的に植えつけられていたことが出てしまうというケースがなかったでしょうか。

ドラマやアニメを通じて一般的に幸せな家庭と呼ばれているものは単なる理想であって、みんなそれを実現しようとしますが、頭だけで分かっていても体験的に植えつけられてきた精神的な部分では理解していないため、違う行動をとってしまうんだと思います。
自分の心に聞いてみればみなさん少しは心当たりがあるのではないでしょうか。
そしてその理想の家庭像からかけ離れてしまうような現実の不幸な家庭の話は、他人には伏せてしまうため表に出てこない。
だからこそ、他人の家は問題がないように見えて幸せに見えるだけなんです、てもどこの家庭でも何かしらの不満を抱えているものです。

叱られるのが分かっていても、自分の好奇心のために行動できる子供は、将来自分からいろいろなことにチャレンジできるようになるので自立もできますが、親に指図され反抗することなく育った子は自分で判断して行動するという能力に欠けてしまいがちです。
それは自分の意志で動こうとしても親に否定され、叱られ、その圧力に負けてしまい行動ができないためです。

それが子供時代当たり前になっているので自発して行動することをいつの日か諦めてしまいがちなんです。
子供は生きていくために、心を楽に生活していくために、親に従い、親の顔色を伺い、親を満足させる。
それが使命となってしまって本来の自分を形成することを放棄してしまっている人が今の時代結構多い気がします。
そしてどんなケースであれ子供心に不満がある、それを満たされたい。そう思うんですね。

幸せな家庭って本当にあるのでしょうか?
それって世間で作られた架空の世界なんじゃないかとも思います。
そんなに完璧な親なんて存在しないと思います。
幸せな家庭というものを実際に覗いてみるとどれだけ悲惨な光景が待ち受けているか。

普段はおとなしそうな奥さんでも、子供に罵声を浴びせたり男口調で怒鳴り散らしているなんてざらにあります。
個々の家庭にしか分からない苦悩や試練があるんですよね、完璧な人間なんていないのですから。
そこに理想の家庭像みたいなものが存在しているからどうしても比較してしまうんです。
でも比較対象が作り上げられた架空のものなのでどんどん満たされなくなる原因になると思います。

人って比較することで他人との優越をつけたがるんですね、そして良い面は表に出しても悪い面に対しては他にはそれを見せないように生きています。
更に視野を広げると、日本は海外から比べると幸せすぎる国です、その幸せすぎる国の中でも、幸せを比較してしまいます。
比較しだすと他人より不幸だと思った場合、精神的に辛くなる人が増えていくことは間違いないんです。
しかも今の幸せからレベルを下げることはできなくなってしまうので、経済も心も今以上にならないと不幸に繋がるでしょう。
そういう傾向をなくしていきたいと私は思っていますし、そういう精神的な部分をケアしたくてお仕置きに取り組んでいる面もあります。

人それぞれ痛み方や感じ方は違います、でも日本で不幸だと思っている人でも、仮に他の国へいったとしたらどんなに幸せか、どんなに満たされているかを実感できるかもしれません。
そういう気持ちを持って生きていけば自分の苦しみも軽減できるのではないかと感じます、そう、ある程度のことは心の持ちようなんです。

しかしここは日本、そして傷ついてしまったものはもう取り戻せません。
ただ、「愛情」というもので全ての感情をコントロールしてしまう、この精神的なものは凄く偉大で、しかし逆に恐ろしいものだとも思います。

こんなことを考えていると最近思うことがあります。
少子化を防ごうとしていますが簡単に子供を産んでいいものかどうか。
未熟な親が多すぎるこの世の中で、更なる犠牲者(子供)を出していいのか。
そんなことが心配になるこのごろです。

初めの題名と話がそれてすいません。
それぞれに違う面があり、細かい心の部分は様々なものがあるのに総論で書いてしまいました。
ただこのようなことで大人になって苦しんでいる方は自分を責めずに自己防衛の手段だったんだと思ってください。

児童は被害者ですが、親自身もまた被害者でもあったわけで繰り返したくないこともしてしまうという二重の苦しみでしょう。
自分を理解し、そして少しずつ自分を変えていく努力をしていってほしいです。
そしてその姿はきちんと子供に伝わるはずです。

子供に愛情が伝わらなければ愛情とはいいません。
叩いても怒ってもいいです、少なからず微塵の愛情は感じさせてあげることが大事です。
感情を出して子供の前で泣いてもいいでしょう、親として意地を張らず、親も失敗することを子供に教えていくことも大事なことです。

そして時には子供に謝る勇気も必要です。
もっと気楽に、そして広い心で人と接することができるようになりましょう。
そうすれば子供も親の苦悩を理解してくれるようになりますからね。

愛情を求めていたり甘えることをしたいと思っている人はほとんどだと思います。
愛情の表現もその人により違いますが、全ての人に共通していることは愛情と甘えたい欲求なんだと思います。
甘えるということは人と触れ合い、相手が自分に対して反応してくれるという広い意味です。
愛情によって何か足りないものを補おうとしています。
その何かを探し、彷徨い、傷つき、それでも生きていき、自分の本当の居場所を求めているのかもしれません。

人間って本当に切ない生きものだとつくづく感じます。
でもそんな切ない人間が私は好きです。

お仕置きパートナーの探し方

パートナー探しってとても難しいものです、出会うのは簡単でも続けることは難しい。
何でか分かりますか?

簡単に出会い、そして相手に依存し、捨てられ、心に深い傷を負ってしまう女性が多いですね。
スパ的なパートナーやSM的なパートナーのお話になりますが理想のパートナー探しって本当に難しいんですね。
長続きしないのは「求めているものが違う」という理由が殆どでしょう。

女性の脳は自分の欲しているものを追求する過程で相手の人間性や信頼度を重視し、パートナーをこだわりながら探します。
自分の欲求に本当に正直なのでどういう行為をしたいか、またはされたいかという形がはっきりしていて、それを受け入れてくれるパートナーを選びますがその前に人としての中身を重視します。
ただ、その重視している部分が容姿だとすると失敗につながることが多いのかもしれません。

それで女性の場合、探そうと思えばいくらでも声がかかるのでその中で厳選して選べるんですね。
ただ、なかなか自分に合うパートナーが現れなくてつい妥協してしまうことがあるんです。
SM的な嗜好のカーさんもいるのでスパの場合はなかなか出会いは難しく、そのうち早くお仕置きされたいという欲求に負け、多少の妥協をするのですが、それで失敗する場合が多いようです。

一方男性の脳は探す過程などどうでもよく、その場しのぎの欲求を得られればそれでいいという直接的な欲求が強く働きます。
目的が性欲の処理であれば、それが満たせるなら性格や人間性、容姿などは後回しで、とりあえずパートナー関係を結んで欲求を満たし、もしそれよりも理想の人が現れたらそっちに乗り換えるというパターンが多いでしょう。

要はセックスが出来れば、性的な事が出来れば誰でもいい!という感じも含まれるので一度会って処理出来たらもう会わないとか、何度か会って相手に飽きたら音信不通とかになることが多いんです。
まぁ最初から体目的であれば、それが理想の相手でない限りすぐに関係は終わってしまいます、そしてそういう関係を持つために嘘をつき近づくという人は普通にいるので要注意です。

まぁ浮気でも風俗でも出会い系でも男は皆そうですよね、生殖本能があり、とりあえず性欲が解消できれば心の中身はどうでもいいんです、特に性的欲求の場合は。
そしてそれに拍車をかけるように、出会い系のような出会いでは、男は女性を選べないんですね、絶対的に数が違います。男性の数が圧倒的に多いのに比べ女性はわずかしかいないから選ぶことができず、会話が出来ただけでも大収穫なのでそれを逃さないように必死になるのである意味しょうがないことかもしれません。

だからそういう出会いで女性と関わると何が何でも付き合いたいと思い、嘘をついてまでも女性に近づきパートナーになろうとします。
女性を理解した振りをして、言葉巧みに優しくし、女性の求めている理想を共感し、そして口説き落とす。
もう嘘をついている時点で求めているものが違いますよね。^^;
でもどうしてもパートナーがほしいのでそういう行為に走ってしまい、依存だけさせといて飽きたら別れるとか音信不通とかにして女性を傷つける結果となります。

そいういう男の多くは「とりあえずお尻を叩いてみたい、女の子と出会いたい、エッチしたい、アブノーマルなことをしてみたい、ご主人様になってみたい、そういう女を見てみたい」的な感じです。
数ヶ月間は興味本位で嘘を突き通してもやはりフェチ的な行動には飽きてしまう、それで捨ててしまうという結果になるんですね。

お仕置きに出会いを求める男性でも、実はSM的な嗜好があり、それがSだとしてもカーだとしても、自分の求めているものを隠して女性と付き合う男性は確実にいます。
そうなるとやはり価値観や嗜好が違うので長続きしませんよね、そして大事なことは、女性はこういう男性がいるという認識でいないと騙されてしまう、そして傷つく、ということです。

女性は基本的に相手の男性の言葉を信じるので、嘘を見抜けないのも当然のことで、男性の言葉に騙され、男性の優しい言葉や厳しい言葉、しぐさ等にはまっていき、深く依存していくことに繋がります。
ただそれも数ヶ月たっていくうちに少しずつ違和感に気が付き、それに対して心の葛藤が繰り返されます。
結局依存しているので正常な判断ができず、別れたくないという前提が崩れず、自分の我侭と思い込み、自分を責めたりもします。

しかしここまで好きになってしまったらどうすることも出来ず、パートナーを信じるしか楽になる道はない、それはそこまでの関係になってから捨てられたらどれほどの傷になるか計り知れないとわかっているからです。
ただ一方、傷を広げないためにも違和感が生じたときに離れていく女性もいます、その人たちは自己防衛に優れていますが、ちょっとしたことで裏切ってしまったという自己嫌悪に悩まされ自分を責めたりすることもあります。
しかし、それは正しい行動なんだよと、よく自分を守ったねと、私はその女性達を褒めてあげたいですね。

相手の心の中身を読み解くのは不可能です、ただし、出会ってパートナーとして付き合う前に、そういう根底の話はきちんとしておくべきなんですね。
例えば、自分の求めていることをいえば、嘘つき男はそれに合わせて「俺そういうの好きだよ」といいます。
その特性を利用し、逆に自分の嫌いな行為をいくつか小出しにいってみたらどうでしょうか?嘘つき男は「俺そういうの好きだよ」というはずです。

そういう形でパートナーを品定めしていくのも一つの方法ではないかと思います。
そして自分の求めているものと相手の求めているものがほとんど一致したときに
「実はこういう理由で逆のことを言っていました、ごめんなさい」
これで全ては片付きます。
ま、一つの提案であってこれを実践させたこともないんでアドバイスにもなりませんが・・・。

よく「MのくせにSを選ぶなんて何を考えているんだ」と言う人がいますが、Mだって選んでいいんです、厳選していいんです、そして選びきった人を信じてその人に支配されればいいんです、そこからがスタートなんですから。
キーさんにしても同じです、最初はどんなにえげつなくても厳選しなくてはなりません、選びきってパートナーとなったときからがスタートなんですからね。

でもこの求めているものって自分でよく分かっていない人も確かに多いんですよね。
頭では分かっていても心では分かっていない。
何となくは分かっているけどなんなんだろう、スパのお仕置きの世界ってどんなのが普通なのかって感じで。
ただ叩かれたいからではなく、なぜ叩かれたいかということまで知らないと何を求めているかは見えてきません。
パートナーを解消しようか悩むときもこのことは一番大事なことで自分で知っておくべきです。

そして誰しも共通して求めていることは「愛情」です。
この「愛情」は誰もが求めていることです、この「愛情」を感じることができなくなってしまったら関係は難しいです。
愛情で言っているのかそうでないのか悩むのもわかりますが、悩むということはそこまでの絶対的な信頼関係が出来ていないのでしょう。
絶対的な信頼関係という言葉は理想で綺麗事かもしれませんが、私はそれを追及しています。

これからパートナーを探そうとしている女性、何度も別れて傷ついている女性、今パートナーのことで悩んでいる女性、
男性と脳のつくりが違うことを認識してください、同じ人間であっても違う種類の人間だと認識し、じっくりと考えてみてください。
その中でも失敗や裏切りはあるでしょう、でも少なくてもこれらのことを分かっていれば今までとは違った感覚にはなると思います、傷も浅くなると思います。

無理にパートナーを探すこともないし、パートナーから逃げることも大切なことなんです。
苦しまず、傷つかずにいれたらそれだけでどんなに幸せなことか。
あなたの心の隙間を埋めてくれる人が現れてくれるのが一番なんですけどね^^

お仕置きを求める若い女性が増えているわけとは

このブログを書き始めるきっかけになったのは、お仕置きを求める女性が意外に多いと実感したからなんですね。

その理由は現在はストレス社会であり、叱れない親や教師がたくさんいることも関係していると感じます。
また、ネットという匿名性の高い媒体があるから自分の欲を追求することができる、出会いも簡単に探せる、さらに最近の女性は自分の意見を主張したり表現することが比較的しやすくなってきていて、心がオープンになったからかなぁとは感じます。
昔は電車で痴漢に会ったら恥ずかしくて声を出せなくて泣き寝入りだったのが、今じゃ声を上げて痴漢を取り押さえるという女性が多くなったのも立場の変化からだと思います。

そういうことも関係してか、最近はお仕置きされたいという欲求を抱える人も昔と比べて増えているみたいなんですよね。
最近お話をするようになった女性がいて、この人は20代前半の「キーさん」なんですね。
最近の若い女性にお仕置き好きの子が増えているという話をしている時に彼女は

「ちやほやされて育ってきたせいかなって思うんです、個性やゆとりに重点をおかれていた世代なので、どんな自分でもいいんだよってなんでも受け入れられすぎて、逆にどうしたらいいか分からないというか。だからこそ、はっきりダメって叱られてお仕置きを受けることに憧れるのかなぁって思います」
と答えました。

根っからの”キー”である若い彼女の言葉にはとても説得力がありました。
彼女がいっているとおりで、ゆとり世代の代償も大きいのかもしれません。
今の時代、教師の体罰は絶対に禁止です、昔も禁止されていましたが体罰は当たり前でそれに文句を言う人はいませんでした。
しかし今の先生は、生徒や親の顔色を伺い、勉強を教えるだけで躾をしようとしません。
たとえ躾をしたとしても生徒に触れることはできません。

家庭でも過保護な親が増えましたよね、逆に虐待する親も増えました。
過保護な親はきちんと叱ることができず、虐待する親は愛情を持って叱ることができません。
虐待までいかなくても、すぐに感情的になってしまい冷静に論理的に説得できない親は多いものです。
そうなると精神的な部分で何かを欲してしまうのでしょう。
根底にあるものは温もりや愛情に触れたいということだと思います。

叱られることがなく、のびのびと自分が思うままに生きてきたとしたらこれでいいのかと不安になるでしょう、悪いことをしているのに何も言われなかったら自分が存在しているのか疑問に思うでしょう、本当に愛されているのか不安にもなるでしょう。
駄目なことは駄目なんだよとしっかりといってあげることは大切なことだと思います、あなたがが大事だから叱っているんだよ、ということが本人に伝わればそれが愛情です。
そういう精神の不安定さがお仕置き好きの女性が増えている要因の一つなんだと感じます。

スパの世界を知らない人はもちろん、スパをかじっている人でも理解できないことかも知れませんが、根っからのキーはMというわけではないんですよね。
ここら辺のややこしいとこは、昨日の記事で説明してあるので分からない人はみてください。
(ここでいう根っからのキーとはディシプリン派のキーさんで、躾としてのお説教とお仕置きを好む人です)
純粋に悪いことに対して叱られて罰を与えてほしい人は、それ以外のSM的なことや性的な事には興味がないんです。

逆に根っからのカーというのはどういうものかを考えてみましたが、躾の一環で、本当は叩きたくはないけれども悪い事の罰として仕方なくお尻を叩く人なんですよね、それ以外欲求がない、親がそうであるように。
ただそこに問題があると思うんですよね。

私は思うのですが、根っからのキーはたくさんいるのは分かります、そしてみんな本物です。
でも根っからのカーは存在するのかが疑問なんですね。
根っからのカーがいるとすればキーとカーは長続きしますが、それが根っからのカーでなければ違和感や価値観の違いから別れることになり、キーが傷つく要因となるのです。

実際興味本位のカーが多すぎて「叩きますよ」というのは簡単で、出会い系のノリでどんな人か見てみたいだけの人もいて、そういう人たちはすぐにその行為に飽きて去っていきます、体目的の人もいるでしょう、彼女を探している人もいるでしょう。
そんな自称「カー」に騙されてほしくないんですよね。
ただ、これはカーさんと会って時間がたってみないと分からないことですから難しいんですが、会う前にこういったことをきちんと確かめることは大事なことだと思います。

親兄弟や先生ではない、第三者が、その人のために間違ったことを正し、お尻を叩くという行為だけをする。
本当は叩きたくないけれどもその子のために心を鬼にしてお尻ペンをする。
それが欲求だといえる本物のカーというのは存在するのか、私は理解に苦しみます。

恋人がパートナーとなったとしても、叱るときにはお尻を出して叩かなければいけない、それは仲のいいときはいいけれど、喧嘩っぽいことをしている時は感情的になるため、そういうことはできないですよね(私はしてますが・・・。)
実際喧嘩になるような悪い事柄があるときこそ、そのときこそ本当のお仕置きが必要で、本気でお尻を叩かなければならないのに、それができないとしたら本末転倒ではないでしょうか。

でも私の場合はお尻を叩く行為というよりも別のものをより多く求めているから成立しているんだと思います。
それは相手が私に心を見せてくれることなんです。
誰にも言えないことや心の闇を私に打ち明けてくれるということは私を信頼しているということで、それで私は愛情を感じ満たされることにつながります。

愛情を感じれば真剣に相手をを見るので、お説教を通じてダメなものはダメといい、いろいろな選択肢や方向性を話して、少しでも良い方向にいってほしいと思うんですね。
そこで心の安定、心の癒しを感じてもらったら相手も満たされるし、私もより満たされるんです。

そして悪い子であればお尻ペンをしますが、演技ではなく、痛みで素に戻った本物のその人の姿が見れること、そしてそれは他人には見せない本質的な姿だから私はそこに魅力も感じています。
そもそもは悪い子には罰を与えて痛い思いをしてもらう、二度としないように懲らしめる、という事が私の基本姿勢ですが、そこに至るまでには信頼が必要で、その信頼は人に言えないような悪い事を告白したり、自分の闇や悩みを打ち明けることで短時間で構築でき、それができるカウンセリングはとても重要な事なんですね。
だからお尻を叩きたい普通のカーさんとは性質が違うと自分自身自覚しています、そもそも私は悪いことがない限りお尻を叩きたいとは思いませんからね。

だから私がもしキーさんと個人的に長くお付き合いをするならば、その関係性は友達関係(疑似親子関係)なら可能だと感じます。
友達になるには、気が合う事はもちろんですが、話が出来て人間的に好きにならないと無理ですよね。
でも気が合えば友達として遊びにいったり飲みに行ったり楽しめるはず、その中でリアルに悪いところがあればその場でお仕置きをする。

いちいち会ったからといって理由をこじつけてプレイみたいにするよりも私にはそれが一番自然であっているんです。
ま、友達感覚といってもお仕置きのときは子ども扱いにして子供に返ってもらいますけどね。
そこら辺の空気のつくり方はキッチリとしているつもりです。

だいぶ話がそれてしまいました・・・。
いつものことですが(笑)

とにかくストレス社会、叱れない親や教師、過保護や放任主義など、それらとゆとり教育などがあわさり今は自由すぎて子供たちが何が正しいのかという判断もできないんだと思います。

ほっとかれている子の寂しさ
感情的に叱られている子の叫び
放任で自分が愛されているのか不安な子
自分の存在意義を主張しても反応がなく折れてしまっている子
叱られたことがない子の切なさ
甘え癖がついていてそれをまだ欲している子、甘えることに憧れている子

これらを感じている人は多いと思いますし、このような環境で育てている親もかなりいると思います。
世の中的に許しすぎ、自由すぎるから誰かに叱って欲しいとお仕置きを求めてしまうのかもしれません。
自分で自制できない人はたくさんいます、叱られて気持ちを立て直すことができるならば勇気を持ってそのような環境に触れてみることもいいのではないかと思います。

お説教やお尻叩きをお仕置きという形で表現していますが、結局は愛情です。
愛情表現の一つにお尻叩きがあり、愛情を持って叱られた経験のない人たちはお仕置きに憧れを持つことがあります。
元を正せばお尻を叩かれたいのではなく、極論は人間の心を求めているだけだと私は思います。
真剣にその人に向き合えばそれで満たされることかもしれません、実際にそうやって欲が薄まっている人もいますからね。
それに気づくまではお仕置きを経験し続ければいいと思います、そしていずれ愛情の受け取り方や与え方に気がつく時が来るでしょう。
私はそう思います^^

キーとカーの不思議な関係

キーとカーってあまり聞きなれない言葉ですが、スパの世界では基本的な用語なんです。
私はこの作り上げられたスパの世界にはあまり入り込みたくないのですが、このブログを主張していくためにはスパという世界を経由しないと難しいのでそこは利用させてもらっています^^;

キーとかカーというのは
まあ、スパ用語というのですが、
キーとはお尻を叩かれる側(お尻を叩かれたい人)
カーとはお尻を叩く側(お尻を叩きたい人)
のことをいいます。

それってS(サディスト)とM(マゾヒスト)のことでしょ?
ってスパの知識がない人は当然そう思うのでしょうが、違うんですね。
自らのことをキー、カーと呼んでいる人たちはSとMとは違うと思っているから、わざわざそう名乗って区分けしているんですね。

スパの住人は基本的にお尻叩き以外のことには興味がなく、そのお尻叩きにもそれぞれこだわりがあります。
基本的にはお尻を叩くにはきちんとした理由があり、それについてお説教をし、お仕置きとしてお尻を叩き反省を促す、反省できたら最後にはフォローをしてあげる。
いけないことをした自分をしっかりと叱りつけて正しい道に導いてほしいという「キー」という存在が主役です。(と私は思います)

まぁスパと一言でいってもいろいろなものがあり、私が説明したスパはディシプリン派のスパであり、それは性的要素の一切ない躾としてのお仕置きで、しかもSM要素もないという一般的にはなかなか理解できないようなものですが、これは基本的に遊びのお尻叩きではなく真面目なお仕置きの取り組みです。
お尻を叩く行為を好む人が集まる世界を”スパ”というので、他にもいろいろなお尻叩きの形はありますが、このブログではディシプリン派の家庭的なお仕置きのことを”家庭的なお仕置き”と表現しています。

こんな私ですが、実は過去私はスパの世界をちょっと理解できませんでした、それはキーさんとの関係をSMのように支配関係で考えていたからです。
キーさんを理解するにはその支配関係の部分を解いていかないととても難しいんです。
そして現在のスパの住人達も自分のことを理解できず悩んでいる人も多いようで、理解できていないがためにキーとカーのパートナー関係は長続きしないことが多いんです。

私は過去にSという立場(支配欲)でキーさんとお付き合いをしたことがあるのですが、違和感があったんですね、それが何だったのかというと支配関係なんです。
SM的な関係でもある”主従関係”は支配したい者(S)と支配されたい者(M)なんですね。
よって支配したい側の”S"が主導なんです。

当然Mが主導でもいいのですが、主従関係である支配と服従の関係であればやりすぎはちょっと違いますよね。
まあ、人間ですから願望というものがあり、多少の要求はいいのですが、それが度を越えてはどうかと思います。
でも主従をごっこ遊び的にするのであればまぁ有りですし、Mが主導でもそういうパートナーなのであれば理解できますけどね。

で、SMの主従関係を好んでいたこともあって、私はキーさんとの関係も当然支配関係で接していたんです。
心も支配下において、言った事には絶対服従的な。
理想のお仕置きを聞いたところでそれをするかしないかはこちらで決める、こちら主導で全てが動く的な発想です。

当然そんなんじゃキーさんとはうまくいくはずもなく、価値観の違いで長くは続きませんでした。
私も引くことはせず、相手は「私はキーだから」ということを主張してたのですが、支配関係に囚われていた私は聞く耳を持ちませんでした。
まぁ結局私はその時、キーさんはMの卵とでも思っていたんですね、調教のようなことをしたらMの部分が出てくるみたいに思っていたところがありました。

でもそれからだいぶ後に、全くMっ気のない根っからのキーさんと出会い、そこでとことん討論する機会があったんですね。
何週間にも及ぶ討論でやっとキーさんというのを理解できて、それでキーさんとの支配関係は違うなと思うようになったんです。
キーさんとの違和感はこの支配関係だったとやっと気が付いたんですね。
それまでは”ご主人様と奴隷”的な主従関係でお仕置きを捉えていて、キーさんに対してはお仕置き理由には正当性があり、性的な事をしなければそれがスパのお仕置きだと認識していましたんです。

でもそのキーさんと関わってからは支配関係で物事を考えるのではなく、キーさんとの関係は全て家庭的な親と子の関係で考えるようになったんですね、それは私にとっては革新的なことでした。

Sは主導権を握っているので、したいことをMが受ける、それが逆転するとエゴMとかわがままMとか言われますよね。
キーとカーの関係はカーさんが主導権を握ってキーさんがそれを受けると思われがちですが、基本的にキーさんの理想のお仕置きをカーさんがしてあげる構図が出来上がっているので、受け身のはずのキーさんが根本的には主導になるんですよね。

不思議ですよね、キーとカーの関係は。
そうなんです、SM的に考えたりするから不思議なだけなんですよね。
シンプルに考えればいいだけなんです。

つまり分かりやすく言うと、悪いことをしたときは、親は愛情を持ってお仕置きしますよね、時にはお尻を丸出しにしてペチンペチンと。
そうやってシンプルに捉えることが出来れば、SM的に考えてたことが滑稽に思えてきます^^;

昔は結構お仕置きはありましたが、最近の親はしなくなってきていますし、学校での体罰もできない世の中になってきています。
お仕置きがあるとしても親や先生は叩きたくて叩いているわけではありません、二度と悪いことさせない、しっかりとした人間に成長させたいがためにお仕置きをしているんです。
そして当たり前のことですが、お仕置きをすることは個人の欲求でも何でもありません。
欲求であれば叩きたいから叩いているということになりますからね。

私の場合も叩きたくて叩いているわけではなく、親子関係に似たものがあって悪いことがあったらお仕置きをするだけなんです。
悪いことをしたときにお仕置きをして懲らしめなければ、その子の為にならないと思うから叩いているんです。
悪い事をしたら罰を与えたくなったり懲らしめたくなるのはS要素があるからかもしれませんが、ゴールはその子の成長というのは間違いのないことです。

キーさん側から考えるといい子で生きてきた子や叱られた経験がない子が多いんです。
そこで、しっかりと叱ってほしいと考えるようになりお仕置きを求めてしまうということにもつながるんですね。
悪い子でも叱られない子や奔放に育てられた子は同じように感じます。
それは叱られている人たちを見て、悪いことをしているのにも関わらず、なんで大人が振り向くのか、なんで良い子である自分より愛情を与えれているのかと思ってしまうからです。

大人が真剣に向き合って説教したり叩いたりするという光景をみると、実感が湧かないためにそのように写ってしまうんです。
そこから真面目な子や叱られることが少ない子はお仕置きに憧れを持ち、お仕置きにより甘えたくなるという現象に陥ることがあります。
幼少期に実際にお仕置きされている人はお説教の嫌さとお仕置きの痛さで二度とされたくないと思うんですけどね(例外もいますが)

キーさんはこういう幼少期の影響が大きいものの、大人になった自分が悪いことをしても叱ってくれる人がいませんよね。
だからそれを叱ってほしいという単純なことで、それを親や先生に求めることは不可能だからパートナーを探すんです。
ずっと自分を見つめていて欲しい、構って欲しい、甘えたいという意識が強いんですよね。

ただ、こういうことを理解していないカーさんが多すぎてこれではお付き合いがうまくいきません。
精神的な部分では、キーさんはお仕置きをおねだりしているわけですからカーさんはそれを受け入れてお仕置きをしてあげる”立場”であって決してキーを支配しているのではないということを。
ただ、本当のお仕置きというものはお仕置きする人は絶対の支配者で、お仕置きをされる人は嫌でもそれを受け入れなければならない、よってお仕置きの要求など本来は有り得ないんです。

だからキーさんは形的にはお仕置きの最中のみは支配されていなければならないんです。
これは本質的なことで意識の問題でもあります。
そうであるからお仕置きを求めつつも”お仕置きを求めていない”という意識がないと多少の矛盾が生じてくるんです。
とっても難しいですけどそれを演出するのはカー側の問題だと私は思っています。

また、スパのパートナーを親や先生、兄弟におきかえてお付き合いをする傾向がありますが、それは関係性としては理にかなっているとは思います、まぁ個人的には意見はありますがここでは省きます。
ただ、恋人関係はどうなんでしょう、恋人にそれを求めるって一番の理想ですが、一番難しいような気がします。

それは恋愛は余計な感情を挟むからです、嫉妬もあるし、親兄弟、先生のように客観的に相手を冷静に見れるのかというのがとても難しいことだと思います、そして傷つく代償も大きすぎる。
一番理想な分、それなりのリスクが伴うと思います。

とにかくこの支配関係が複雑なキーとカーの関係はとっても難しいのだと思います。
周りのパートナーを見てみると私のしている事とはちょっと違う世界ですけど、とってもとっても不思議な関係ですよね。

親と子の支配関係 「お仕置き」

子供は親に支配されている、前記事に書きましたが、その支配の中にお仕置き行為がある家庭も存在しますね。
お仕置きを喜ぶ子供なんていません、そして悪いことをした子供を親は抵抗を許さず叩きます。
子供は逃げたくてあがいても親の力に屈服するしかなく、受け入れることを強要されます。

正当性のあるお仕置きは、まず愛情があること、感情的でないこと、そして正当な理由があること。
きちんと説教をし、手加減してお仕置きをし、反省させ、理解させる。
これがあれば私は虐待とは違うと思います。

逆に正当性がないお仕置きは、感情的になる、愛情がない、理不尽な理由、物を投げつける、暴言、足を使う、強制的に返事をさせる、育児放棄、無視、等々。
これはお仕置きではなく虐待だと思います。

最近はお仕置きという名の体罰はやってはいけないこととなりつつありますが、私は教育には必要ではないかと思っています。
子供は好奇心が旺盛で、赤ん坊のときはどんなに危ないものでも手で触ったり口に入れたりしてこれが何であるか認識します。
成長した子供もまだ分からない事だらけなのでいろんないたずらをして、それがどういう世界なのか、そしてどこまで許されるのかを探求しているのだと思います。

そして口で叱ってもなかなか分かってくれません、そこまで説得力のある人間はそうはいないし、説得力があったとしても子供が素直にいうことを聞くとは限らないからです。
口では分かってくれないからお仕置きをする。
これは仕方のないことだと思います。

説得の仕方が分からない、口でうまく説明できない、そういう人ほどお仕置きという形で教育をしてしまうんでしょう。
でも愛情のあるお仕置きは子供を正当な道へ導くための手段なんですね。
ただ、前記事で触れましたが、未熟な親が増え、教育の心理学的な部分を分かっていない親が多いので、子供を正当な道へ導く言葉のチョイスには間違いが多く、それが困った問題なんですけどね。

最初にお仕置きを喜ぶ子供なんていないと書きましたが、実はそんなことはないんですね。
実際には構ってほしいというサインであることもあるんです。
意識的にも、そして無意識にも、わざと悪さをして自分に目を向けてもらいたいというのがあるんです。
まあ、それはみなさん、なんとなくは分かりますよね。

私の実体験です。
水商売をやめて九州の友達夫婦のところにいったときのことです、1週間ほど世話になるつもりでいったのですが、その間、なんと喧嘩して奥さんが出て行ってしまったんですね、結局そのまま離婚したんですけど・・・。
で、友達は小さいながらも割烹料理屋をやっていて、しかも2歳(男)と4歳(女)の子供もいてどうにも回らない状況だったんですね。
私は特に次の仕事も決まっていないし、料理も教えてもらいたいというのがあって、「俺が面倒みようか?」ということになり、なんとそのまま1年間同居していたことがあるんです。

私はその子供に対して、駄目なことは駄目と叱り、自分の子供のように接していました、それは友達も知っていたし感謝してくれていました。
子供の眼力は凄いです、大人が少しでも油断をすると言うことも聞かず小ばかにします、逆にきちんと接していれば一目置くんですね、人間のずる賢い部分がこういう小さいときから出来てくるんですね^^;

まあ、私はも昔は子供嫌いだったこともあり、下手に遊んでしまうと後が大変ということは分かっていたのでそういうメリハリをつけて接していました。
褒めるときには本当に些細なことでも大げさに褒めて、叱るときにはわざと怖い顔をして「駄目だよ」って感じで。
おかげで演技力が付きました(笑)

2歳(3歳になっていたかな?)の男の子が困ったいたずらをすると私は
「こらー、悪い子だなぁ、こっちきなさい!」
といって、膝の上でお尻を丸出しにして、軽い音が鳴る程度に叩くんですね、もちろんまだ3歳くらいなので泣く様な叩き方はしないし、私も冷静で楽しんでいたんですけどね。
そうするとお姉ちゃんのほうが、弟とまるっきり同じいたずらをするんですよね。
しかも私のほうを見ながら満面の笑みで^^;

シカトしていると、「ねー○○にもして」っておねだりするんですよ、だから同じようにお仕置きしてあげていました(笑)
このお姉ちゃんは弟がお仕置きをされると必ずこういう態度をとっていました。
お仕置きでなくても私が弟を構うとやきもちを焼くのか、すぐに来て弟を私から奪おうとするんですね。

可愛いから、何度かなんですが、ちょっときつめに叩いたことがあって、そんときは子供だから泣いちゃうんですよね(私は可愛い子をいじめたくなってしまうタイプなので…)
「お兄ちゃん嫌いー、もうお兄ちゃんなんて大っ嫌いだからねーだ」と(私はお兄ちゃんと呼ばれていました)
必死に泣きながらしゃべる姿がとても可愛くて、それが癖になって、その子には申し訳なかったんですが、たまーにそんなこともしていました。

そんな泣くようなことがあっても次の日にはまた同じことの繰り返しなんです。
だからお仕置きという嫌な方法だとしてもどんな形でも構ってほしいんだなって、このときからそう感じ、子供の切ない気持ちを実感していました。

この兄弟は母親が出て行った次の日から一切母親の話はしませんでした、子供心に父親に気を使ったのか、幼い心に何かを言い聞かせたのかはわかりませんが、凄いなぁと感じました。
そしてこのお姉ちゃんは弟思いのしっかりした子で自分のわがままも言わず、山登りも何をするにも弟を助けてあげて、精神的にはかなり大人な子だったのですが、母親がいなくなってしばらくして弟が母親の元に行ってしまってからは物凄くわがままになって自分が自分がと本当に聞き分けのない子供になってしまったんですよね。
子供の頃に付く心の傷って本当に恐ろしいものだなと感じたのはこのときが初めてでした。

親と子の支配関係「生誕編」

親と子供との支配関係について書いてみようと思います。

こんなことあまり考えないことですが、子供って親に支配されているんですよね、
親は子供を育ててるっていう感覚はあるものの、支配しているとは意識していないものです。
子供ももちろん支配されたいという願望は自意識としてはありません。

人はこの世に誕生した瞬間、生きようとして泣きます、肺呼吸をしなければ死んでしまうことを本能で分かっていてそれを取り込む方法が泣くこと、初めて体験する呼吸です。
一説には
「この絶望の世界に産まれてしまったから泣き叫ぶ」
という話がありますが、それもなるほどと思ってしまいます、確かに泣き叫んでいますよね、呼吸とは違うような感じがしますし。
それにおなかの中はとっても居心地がいいそうです。

その後赤ちゃんは生きるために母乳、もしくはそれに代わるものを与えられる。
無意識の中の本能の部分で、母親がいないと生きていけない、絶対的な存在だということはこの瞬間に既に植えつけられているのかもしれません。
そう、親がいないと生きていけない。
授乳を卒業しても自分で食料は調達できない、真冬の寒いときでも真夏でも自分では何も出来ない、親がいなければ死んでしまう。

そういうことが何年も続いたら親に依存するのは当然のことでしょう。
幼稚園くらいになれば自分で食料を探して自分で食べることは出来てもそれは親が用意した食料です。
外に出て一人で暮らしていけるかというと無理ですよね。
そんな親に依存した生活がだいたい中学生くらいまで続くのが一般的です。

どんな親であったとしても、子供はその親を受け入れなければなりません。
育児放棄、虐待、過保護と様々な環境があります。
どんな親でも子供にとっては絶対的な存在で、生きていくには必要な存在なんですね。

でも親も人間です、完璧ではありません。
育児放棄や虐待、過保護、にみられるようになかなか子供の気持ちを分かってあげれない。
どういう育て方をしてもそれを”躾”という言葉で片付けてしまいます。
躾という難しい教育を子供を育てたことがない未経験者が自分だけの感覚で子供を支配してしまう。

広い視野で子供を見てあげれなかったり、子供の心理をよくわかっていない親は多く、それは本当に恐ろしいことだなと感じます。
子供をペットや人形のように扱い、躾とは関係なく可愛がるだけ可愛がって叱ってあげられない親、また逆にただ自分のいうことが聞かなかっただけで感情的に怒鳴りつける親がそれなりにいるんです。
それは間違いだと気がつきつつも自分を変えることができないでいる人がほとんどでしょう。

人間的に未熟な人、精神的に幼い人、人の痛みを分からない人、個性を受け入れない人。
こんな人ってこの世の中いっぱいいますよね、周りにも必ずいるはずです。
でもそういう人たちでも結婚し、子供を産み、子供を育て、支配してるんですよね。

どう思いますか?
こんな人が子供を教育して育てられるの?っていう感じの人が周りにいませんか?
まだ結婚していなくてもいいです、思い当たる人がかなりたくさんいるでしょう。
でもそんな未熟な親だったなんて子供が分かるはずもなく、どんな親でも自分には絶対的な存在と認識してしまうんです。
社会一般の評価はかなりの低レベルでも子供にとっては世界で一番の親になってしまうんです、少くても子供に自我が芽生えるまでは。

子供は家庭がどんな過酷な環境でもそれを受け入れそれが普通なんだと言い聞かせ、生きていく術を身につけていくものです。
そんな子供には家庭に逃げ場所なんかなく、誰にも相談できず毎日が地獄なんですね。
虐待系の場合は刑務所より酷く、自宅に軟禁され捕虜や奴隷のような生活を強いられることもあるでしょう。

でも人間の脳はそれに対応しようと反応して順応してしまうんですね、少しでも自分が楽に生きられるようにと無意識にです。
そしてあまりにも絶望感が続きストレスが続くと脳内ホルモンのバランスが崩れ感情のコントロールが出来なくなってしまうことに繋がります。
感情のホルモンってあって、通常は怒りや恐怖の感情と安心感がバランスをとって調整しているんです。
だから怒りっぽい人やおとなしすぎる人っていうのはちょっとだけバランスが悪いんですよね。

もっと過剰にストレスがかかり続けると自分では感情のコントロールできない体になってしまいます、脳が無意識に守ってしまうんですね。
ストレスは人によって感じ方が違いますが、真面目な人や純粋な人は素直に受け入れてしまうのでダメージが大きいんです、逆にいい加減な人や器用な人はそれを回避しやすいんです。
本当に皮肉なものですよね。
精神的に辛いことって、その出来事自体では比較は出来なくて、その人の心の繊細さのところなんですよね。

そこまで辛いことが家庭内であっても親に依存してしまっているからそれを受け入れなくてはならず、絶望の日々を送らなければならないんです、他の選択肢がなく、仮にあったとしても今まで依存してきた子供には行動ができません。
ここまで酷くなくても親子関係がギクシャクしたり子供が心に傷を負ったりするのは、親が子供の気持ちを理解することができないか、それができても子供より自分が大切だからでしょう。

それに自分の子供だからといっても所詮人間に全てを見通す力なんてないんですよね。
自分の心だってあやふやにしか分からないのに自分の子供の心の中まで完全にはわかりません。
それを理解しようと必死に子供を見つめ顔色や行動の変化、言葉の変化で何かを掴み取るしかなく、それを実行している親は理想の親と言えるのではないでしょうか。
まぁ親といっても普通の人間なので、しょうがない部分はありますが、子供を産むのならばある程度の心理学的な知識を持って育てていかないと精神的に歪んでしまう子供がたくさん出てきてしまうでしょう。

そして親も完璧ではない、間違いはある、それを子供に理解させ、些細なことでも間違ってしまった行動は、きちんと子供に謝ることが必要ではないかと思います。
そういう人間臭さを出していけるのが本当の親子関係であり温かい家族なんじゃないかなぁと感じます。

子供は親のペットでもなければ人形でもありません、親が思うように育てたいというのは親のエゴであって、そういう親の子供は、親の期待のためだけに人生を送ってしまうことになってしまう場合があります。
子供のことを思っての行動ですが、それは自分に当てはめての価値観であって強制することではありません、選択の余地を与えなければそれはエゴと呼ぶべきと思います。

しかし、子供は親に依存してしまっているので親の期待に応えることが自分の幸せと感じてしまう人もいます、そしてその狭間で葛藤している子供達がいて、そしてそのまま成長した大人もいます。
子供の世界は家庭と学校だけ、他に目を向けられません、学校に行くまでは家庭が全世界なんです、そして学校に行くようになっても家庭と学校の関係者が全世界なんですね。

学校に居場所を求めてもいじめや裏切りがあればその絶望感はこの世の終わりくらいに感じるでしょう。
もう死ぬしかないと自分に言い聞かせ、それでも死ねない。
生きたい、死にたくない、死にたい、生きたい、、、その繰り返しの毎日を送っている人もいます。

少し話が飛んでしまいましたが、支配をするということは愛情がないとしてはいけません、そして相手もそれを受け入れる気持ちがないと成立しません。
支配というとニュアンス的に違和感がありますが、要は親の支配下で自由に人間らしく愛情のある温かみのある生活や教育をということです。

甘えさせる愛情、叱る愛情、叩く愛情、これらをバランスよく相手に伝わるように育てていくことが大事で、その中でも全てにおいてアフターフォローが大切なことです。
叩く愛情とはもちろん手加減をしたお仕置きのことですが、そこにアフターフォローがあるならば私はとてもいいことだと思っています。

ただこれは子供のためのお仕置きであって親の怒りの矛先や感情的な親のためのお仕置きであるならば絶対に手をあげてはいけません。
そしてお仕置きとして叩く場所はお尻に限ります、頭はされる方も見ている方も愛情は感じませんから効果的なのはお尻のみです。
見た目というのは実際には肉体的なもので、お尻は体の中でも一番安全な場所だからです。

最後に愛情がない支配関係というは、昔のアフリカやアメリカ、欧州で奴隷制度があった頃の奴隷と同じです。
愛情とは相手に伝わらなければ愛情とは言わずだからこそアフターフォローが大切なんです。
叱ったりお仕置きをした後はしっかり甘えさせることです。
何のために叱ったのか、何のために叩いたのかを説明して、あなたが大事だからということをお話する時間が必要で、それができないのならば叩くことはしてはいけません。

大人のお仕置きの世界である非日常は、そういういわゆる”愛情”で満たされたい人の居場所としても必要ではないかと思います。
過去の子供時代に叱られる愛情が欲しかったという人や甘えたかったという人はたくさんいます。
それを今でも引きずりそれを求めてしまう大人が意外にも多いんです。

信頼して、全てを曝け出して、心を解放して楽になる、愛情を持ってお仕置きされ、甘えることによって喜びや愛を感じる。
今の日常では体験できないであろう、深い信頼関係の上の愛情というものを非日常の一時でも体験することが出来れば今とは違う何かが起こってくるかもしれません。

何かを探している人、変化がほしい人は、一歩踏み出してみないと何も始まらないということを認識しなければならないと思います。
大人でも子供に返ってお仕置きを受ける事は何ら変なことではないんです。
それで前向きになれれば、何か吹っ切れて前に進めればとてもいいことです。
心の問題、精神的な問題を抱えている人は特に必要です、細かいことで悩んでいる人、すぐに自己嫌悪してしまう人は一度お仕置きされてみることを真面目に考えてみたほうがいいかもしれませんね。

お尻叩きに目覚めたのは・・・。

私がお尻叩きに目覚めたのはいつだったのでしょう。

よく考えるとお尻叩きに目覚めたのはといわれると全くわかりません、それはお尻叩きはお仕置きの一種という認識だからでしょうか。
しかしその予備軍的な思考や性格が出来上がっている実感を覚えているのは中学生になった頃でしょうかね。
ま、それは直接お尻叩きには関係ないのですが今の私に通じる根本的な部分です。

実は私は、お尻叩きをしたいからお仕置きを好んでいるのではなく、精神的な部分である心を覗き、人の本質的な部分といつも接していたいからという理由が大きいと思います。
その中で悪い事があったら叱り、罰を与えたくなり、その罰は精神的でも肉体的でもいいですし、叩くところは別にお尻にこだわりません。

まぁそれによって相手が満たされたり、安定したり、少しでも気持ちが楽になったりすることは嬉しいですし、それによって私も満たされるんだと思います。
要は人間の嘘のない純粋な部分に触れていたいんですよね、そういうことは日常生活では難しいですが、唯一お仕置きの関係では可能だからとてもいいんです。

こうやって書くとお尻叩きとは全く違うんですけど、中学のときは女の子の嫌がることや恥ずかしがることをしていました。
お尻や胸を触ろうとして相手の反応を見たり、帽子を胸に投げつけて反応を見たりです。
それで怒ってもいいし恥ずかしがってもいいのですが、要は素の部分の顔を見たかったんですね。
ちなみに触るのではなく、触ろうとするだけです←ここ重要(笑)

さすがに空気を読んでいたので誰にでもやっていたわけではないんですけどね^^;
女性がそれでも動じないとエスカレートして軽く触れたりしちゃっていましたけど、その時の相手の素の反応がとても好きだったんです。
相手も予期していないのでその人の”素”が見れる瞬間でもあるからです。
お尻叩きというよりも完全なSっ気なんですけどね^^;

会話の中でもあえて話しにくいことや恥ずかしいようなことを聞いて相手の反応をじっと目を見て確かめたり、その微妙な瞬間を逃さないようにしていたりしました。
仮面をかぶっていてもそれが脱げる瞬間や、口先だけで繕っている部分を暴いたりとか、そこで人間の裏の部分や隠したい部分が覗けて人間の本質的な部分を感じて満たされていたんですね。

まぁ解釈によっては”ドS”ということになってしまうんでしょうかね^^;
まぁドSですけど(笑)
つまり私にとってそういう行動は人間の隠している部分に触れる手段であって、それがエッチな会話でも言いづらい事でもお仕置きでも、相手が絶対的NGでなければあまり大差がないんです。

こういう性格なのでお仕置きにとても相性がよく、相手からそれを望んで心の中身を見せてくれるので、これまでの一方的なものではなく、私にとってはとても居心地がいい場所なんですね。
でも、このお仕置きの関係が進んでとても仲良くなっていくと、相手は嫌われたくないという思いが強くなって嘘をつく要素にもなっていきがちです。
なのでそこは念を押して嘘で取り繕う事の無いようにいいますし、嘘をつく必要のない間柄を意識さえるように接しています。
そこに嘘があるならば私との関係は無意味なものとなってしまい、私と一緒にいる必要性がなくなりますし、私も本心が覗けないことになってしまいます。

一生懸命な姿、がむしゃらな姿、必死な姿、本能的な姿、素の姿、恥ずかしがる姿、嫌がる姿
これらに私は凄く魅力を感じるんです。
性格はSなのでしょうけど、私はただ単にお尻を叩くだけの行為だったら魅力を感じません。
すべてに共通していることは演技ではなく、素の部分を垣間見れること、その中で反省すべき悪いことがあるのなら、償いをさせるために演出し、様々な手段を講じるということなんです。

なので悪いことの理由が無ければ罰したいと思いませんし、理由があって初めてお仕置きをしたい、痛みをもって懲らしめたいという思いが湧き出るのですが、その痛みで罰する場所はお尻でなくても構わないんです。
そういう意味でも私はカーさんではないのでしょうね。
といっても素直に罰を受けさせるのに適した場所はお尻だとは思います、そしてそれを求める人がいるのなら(キーさん)罰する部位はお尻でも構わない、そういう考え方なんです。

10代の頃の話をすると、
彼女がベッドでお尻を出してぐうたらしていたとします、そうすると押さえつけてお尻ペチンします。
「いつまでお尻出してんだよ、パンツくらいはけよ」
といって何回か叩いたりしていました。
服を着ていても、失敗したり、だらしないことをしていたり、理不尽なことをしていたときには屋外屋内関係なく通行人がいても服の上からお尻を叩いていましたね、まぁ今でもそうですが(笑)

お尻叩きは相手側が嫌がるのに魅力があって、だからお仕置きが好きなんです。
かといって暴れてくださいという意味ではありませんので誤解しないようにしてください^^;
まぁお仕置き好きの人でもお尻叩きだけは嫌いでいてほしいんですよね、もしお尻叩き単体が好きならばそれはお仕置きにはなりませんから^^;

そして個人的な見解ですが、私は「ごめんなさい」という言葉が好きです。
なので「すいません」とか「ごめん」といったとしたら「ごめんなさい」といい直させます(汗)
ま、これは完全に個人的な好みです^^;

実は、今の日常でもそういうキーさんという枠ではなく一般の人に、お尻ペンを結構しています(汗)
話を普通に楽しく出来るような人が何か突っ込み所がある発言や行動をすると
「これはお尻ペチンだなー」
といってお尻を叩くふりをしてギリギリのところで寸止めをしたりします。
その時の女性の反応が見ていて楽しくてしょうがありません、しかも触れているわけではないので向こうも悪い気してないでしょうし。
ま、この部分はSでしかないのでしょうけど^^;

結構仲がよくてスキンシップも出来るような友達だったら普通にお尻叩きます。
これってソフトに叩くと触っているようでいやらしいので結構強めに叩いています。
「ちょっとー、いーたいーー」
といいますが、一応笑っていますよ。
って笑うしかないのかもしれませんが(汗)

今まで叩いてきた人の中にキーさんはいたのでしょうかね?
もしいたらその子はその日1日ドキドキして大変だったろうな・・・と思います^^;

今の私だったら少しお話したらキーさん要素があるのかどうかがわかるので、そういう子にはさりげなくスパのキーワードを伝えて反応を楽しもうと画策していますね^^

過去の自分

私の学生時代のお話をしたいと思います。
前記事に書きましたが、私は高校2年の秋に中退し、16の終わりから働き始めました。
なぜ中退したかというと、その時していたことを無意味に感じてしまったんですね。

私は中学1年ときは成績は悪く学級では下から2,3番目。
勉強もせず怒られてばかりで俗にいう悪ガキタイプだったんですけど、中学2年にあがる頃に小学校時、仲がよくて違う中学にいってしまった友達が塾に通い始めて、そいつと一緒につるみたいだけで私もその塾に入ったんです。
そこは結構人気のある進学塾でA1,A2,B1,B2,C1,C2と成績ごとに6クラスに分かれていて、もちろん私は最下位クラス。
塾に来ているのにふざけていて怒られてばかりでした、本当に迷惑な奴でした^^;

そんな時におもいっきりビンタされ、真剣に叱ってくれた講師がいて、その情熱に流され、真剣にやってみるかなと勉強を始めたんです。
キーさんみたいにキュンとすることはなく、ムカつきましたが、ビンタ後の講師の真剣さが伝わってなんかやってやろうという気持ちになったんですね。

勉強を始めてみるといろいろ理解してきて、そうなると勉強も面白くなってくるんですね、もっと知りたいと。
分からないところは居残りをして教えてもらったりして、それも家が近所だったこともあって深夜になることもありました。
もちろん無料です。
今思うと付き合ってくれた講師達も凄いですよね。

数学、英語、理科、国語に関してはどんどん成績を上げ、3年の受験前には国語こそA2でしたが、他はA1までいくことができました。といってもA1の底辺ですけどね。
社会は全く駄目でしたね、実用的でないものに興味がわかないというか過去に捉われない性格というか(笑)
今になると歴史や地理、世界のこと知っておきたいと思いますけどね、経済学につながることだし。

そんな形で短期間で成績を上げていった私が、学校では英雄扱いとまでは行きませんが、落ちこぼれで悪ガキな私が3教科では学年上位になってしまったのですから先生がもうはしゃぎまくりでみんなの前でいつも私を引き合いに出して話をするんですよね、本当に恥ずかしいというか迷惑でしたけど(汗)
ま、性格は優等生になれなくて悪ガキのままでしたけど。

高校もいいところを2校ほど受験したのですが、まさかの不合格、そして絶対行きたくなかった滑り止めの高校にいく羽目になりました。
高校に行ってもヤンチャしていたのですが、自分が何をしたいのか分からなくなってしまったんですね。
そしてサラリーマンや公務員には絶対になりたくなくて、それは私が天邪鬼的な性格からだと思うのですが、人と同じことはしたくないんですよね。
今考えると公務員はうらやましいし、サラリーマンもある意味いい面があるので大人達の言っていたことは正解なのかなとも思いますが。

それでサラリーマンや公務員にならないのなら学校に行っていても無意味だと感じるようになりました。
ろくに勉強もしないで遊んでいる連中(その中に混じっていましたが)がいて、学校が終わると制服でパチンコ屋にいったり麻雀をしたりと遊んでばかりで虚しくなってしまって。
こんな苦痛な生活するなら、同じような苦痛でお金を稼いだ方がいいやと気持ちが変わっていきました。
それで高校を辞めたんですね。
そして将来的には自分の店を持ちたいということで水商売の道を選んだのですが、本当に浅はかな考えでした。

当初一人暮らしをしたときは都内で家賃18,000円でした。
共同トイレ風呂なしのボロアパートです。
親の援助は受けられず渋々保証人にはなってもらったのですが、13万ほど自分で用意して一人暮らしを始めました。
3ヶ月ほどでアルバイトから社員になったのですが、主任という役職をもらい、その時の主任だった人は支配人に昇格。
でもその支配人は大学生で社員だったんですね。

話を聞くとこの人は高校を中退し、その後高校卒業の資格を試験でとり、早稲田大学に合格したということでした。
私はそこで働きながら大学いけるならやってみようかなと奮起して、深夜客のいないときに勉強したり、支配人にアドバイスをうけたりしながら2年半後、大検に合格、その翌年大学にも行くことができました。

金銭的には問題はありませんでしたが、両立なんて出来るわけもなく、上司がいない深夜の時間帯は熟睡していました(笑)
大学での勉強はしませんでした、ステータスのために単位だけをとる感覚でしたね、今思うともったいなかったです。

主任になってからすぐに深夜の責任者として店を任されていたり、店長がいないときはバイトの面接をしたりしていました、管理職なので細かいチェックをし、アルバイトに注意するのが仕事なので重箱の隅をつつくように神経を張り巡らせていました。
点呼で大きい声を出させ、そういう支配感に酔っていたのだと今思うと恥ずかしい限りです。
でもそのおかげでいろいろなことに気がつけるようになっていたのは事実です。
今は水商売ではありませんが、あのときの経験がなければ今の自分はありません、貴重な財産だとつくづく思います。

ちょっと若気の至りで恥ずかしいのですが、私の学生時代のおはなしでした^^;

人間観察

私は今でこそ感覚は鈍っていますが、18~25歳くらいまではかなりの洞察力があり、年齢当てが凄く得意でした。
まずはずれません、はずれても1歳くらいという驚異的なものです。
顔での判断に限らず、老けていたり幼かったりしてもその人の雰囲気で分かっちゃうんですね。

「笑っていいとも」の年齢当てクイズなんて余裕だったし、ニューハーフもすぐに分かります。
少し話をすればその人がどのような人物か大体分かってしまっていました。
なのでそのときに占いの勉強をして占い師になっていてもよかったかなと少し思います。

これは特殊能力でもなんでもなく人間観察をしてきた結果なのだと思います。
私は高校2年の秋に中退をして水商売の道に入りました。
その経緯は次のお話にでも書くとして。

キャバクラではなく、当時はやった「パブクラブ」というところです。
まあ、キャバクラとクラブの中間の雰囲気といえば分かりやすいでしょうか。
キャバクラやクラブと違い、女性は席に座ることは出来ないのですが、床に膝を付いて接客するような形です。
そういうところで働いているといろいろな年齢層の人が来るんですよね、そしてバイトの女の子も。

水商売に入ったのは16歳の終わりでもうすぐ17歳になるころ、年齢を偽って3歳もサバをよんで面接に受かりました。
でももう時効なのでそこは目をつぶってください。
その仕事はバイトで入ったのですが3ヶ月で社員を進められ、主任という役職をもらいました。

その会社はフランチャイズではないのですが、チェーン店化しているところで、その店はたまたま人材不足で運がとてもよかったので役職をもらえたんですけどね。
しかもまだ17歳(汗)
そこでいろいろな女性と話し、悩みを聞いたり飲みに行ったり、お尻を触ってスキンシップをはかったり!?((笑))
そしていろいろなお客さんの話を女の子から聞いたりしているうちにそういう感覚が身についたのだと思います。
恋愛禁止ということを徹底していた店だったのですが、内緒で付き合ったりもしていました。

とっかえひっかえという言葉は当てはまりませんが、別れてもしばらくしてまた店の中で誰かと付き合っていましたね^^;
といっても決してイケメンではありませんよ(汗)
まあ、管理職ということと、スキンシップのおかげかもしれません(笑)

極めつけはその彼女にスパイ行為をさせていたんです。
私は仕事ではとても厳しく、アルバイトに対して女性でも男性でも駄目なところは叱っていました。
朝礼に始まり、お説教やそのフォローをしていたので、仮にそこにお尻ペンがあったらお仕置きの世界を日常でしていたのと同じでしたよね。
でもその管理職の経験が、今のお仕置きスタイルが定着した要素ではあると思います。

そこでは年齢というコンプレックスがあって、私は17歳ですからみんなは年上なんですよね、一応20歳ということで働いていましたが。
だから余計になめられないように威勢を張って威張っていたんですけど、はっきりいって従業員にはうるさい奴と嫌われていたと思います。
だからそんな私の彼女だなんて女の子は同じ従業員に口が裂けてもいえませんよね。

で、私はバイトたちが自分のことをどう思っているかを知りたい、みんなの心の中身を知りたいということをいつも思っていて、それは私の支配欲でもあるんですが、そういう思いで自分の彼女にスパイをさせていろんな裏話を教えてもらっていました。
私の悪口ももちろんありますが、普通では聞けないような悩みや秘密な行為、いろいろな裏情報を耳にしていましたね。

私の変わっているところだと思いますが、自分の悪口をいっている人を目の前にしても感情のコントロールをしてなんとも思わないんですね。
冷静に、「この人は俺のことこういう風に思っているんだ。」と認識をしているだけで普通に接するし仲良くするし飲みにもいったりもします。
前記事の絶望感の後遺症だと思うのですが、裏切りや人の気持ちは所詮そんなものだと冷めて解釈してしまうのでしょう。
そして相手は知らずとも、相手の心の中身を自分が知っているという形の支配欲が満たされて嬉しくなるというか、そういう意味ではそれで怒るとかは全くなく、逆にそれは快感でしたね^^;

変人ですよね(汗)
まぁそんなことを繰り返していくと、ちょっと話をしただけである程度相手の感情が分かってしまうんです。
そういうことが好きなのでいつも人間の心理や裏の心なんかをいつも考えてそれが根本として今のお仕置きに通じています。

「細木数子」って占い師、今はテレビに出ていませんが、昔は良く出ていましたよね。
あの人の意見や見解は私と殆ど一緒なんですよね、彼女も昔水商売でいろいろな経験をしたから私と同じく人間観察をしらずしらずのうちにしていたんでしょう。
そして占い師として成功したんだと思います。

細木数子の「こうしなさい」というアドバイスがあるとします、それをそのまま受け取ってしまいがちですが、その中の心理的なものを考えると奥が深いなと考えさせられます。
みなさんはそのままを受け取るのでしょうが、私はその裏の意味まで心理的に考えて理解するので、そうすると細木さんの見解は理にかなっていて凄いなと思ってしまうんです。
私と同意見なのですが、そこまでしっかりと人に口で説明できる能力は素晴らしいと思っています。

今現在の私はあまり人と接するような仕事をしていないので年齢当ては全然ダメになってしまいましたけどね。
ただ、いろいろな人の悩みや苦しみを吸収してきているので昔よりもその人の苦しみや嘆きが理解できるような気がします。
人の話は自分におきかえて感じますので、決して飲み込まれはしませんが葛藤や恐怖を味わったりもします。

そんなことしても苦しんでいる人の痛みや焦燥感はその本人にしか分からないことですが、一般の人よりは気持ちをわかってあげられることで楽になってくれたらなと感じます。
そういうものを私が受け取っても私がマイナスになることはなく、むしろその負のエネルギーが私の体の中で正に変換されて私が満たされるような感じです。
だからこそ親身に人に寄り添うことが好きなんだと思います、変わった人です^^;

信頼関係→裏切り→絶望

ブログを書き始めてまだ日が浅いのですが、何故自分は他人の心に興味があるのかを考えるようになりました。
心の中身を覗いてみたいんですね。
以前までの私は心の中身に”興味がある”としか考えていなかったのですが、何故興味があるかまでは考えていませんでした。
今回ブログを書いたのは人生初のことなので、そういった部分でも自分を見つめることができているんだなと感じ、少しだけ嬉しくなりました。

心の闇を抱えている人の殆どは「人間関係」で傷つき苦しんでいます。
まあ、事故や災害、その他でも原因はあるのですが、人間関係がもたらす精神的な苦痛は誰しも経験しているのではないでしょうか。
また、自分が頭で考えている常識と今の自分の行動に格差があり心の中で葛藤したりする人もいます。
様々な要因があって自分の心を安定させる手段を持たない人は精神的にボロボロになり、生きていくことに疲れてしまいます。
それは人からの裏切りや仕打ちによって絶望を感じ続けると脳内に異変が起こってくるからです。

でも生きている、苦しみながらも消えてしまいたいと思っていても肉体は動き続けている。
そういう葛藤やひたむきさとか一生懸命なところ、そして本能的な欲求や行動のような人間臭さが私は凄く好きなんですね。
そしてそんな人たちの心を少しでも満たしたり癒してあげられたらと私は思っていて、少しでも気持ちが楽になってくれるとそれで私も満たされることにつながるんです。

まぁ自分で言うのもなんですが、私自身凄く冷めています、何があってもすぐに気持ちの切り替えをし、動揺しないようにしてしまいます。
よくテレビで見るのですが、身内が死んでしまったときの感情的に乱れた姿、韓国人なんかが特にすごいのですが、あの体全てを使って泣く姿、あれを見る度に私もああやって感情を表に出せる人間になりたい。
と思ってしまいます。
実際はしたくても出来ないんですけどね。

だからそういう人間臭さや一生懸命に生きている人には、私に欠けている部分がそこにあるのか、凄く魅力を感じてしまうんです。
しかしその中に駆け引きや嘘、打算等があると一気に冷めてしまったり、嫌悪を覚えたりしてしまいますけどね。
相手を思ってついた嘘はしょうがないと思います、でもそのことについて例えば私が「正直に教えてくれ」といった時に相手がどうでるか。
「実は。。。」と本心を教えてくれると、とても嬉しいんですね、そのことで私が傷つくとしても正直に言ってくれた勇気についての方が勝りめちゃくちゃ嬉しいんですね、そしてそういうところで人に好意を持ちます。
そこが私の変わったところです(笑)

そう、相手の人の心の中身は全て知りたいんですよね、それが私を傷つける内容だとしてもそれを知りたいし、それをきちんと教えてくれた人には怒りなんてなく、逆に感謝をします。
それだけ人の心の中身が知りたいんですよね^^;

で、最近ブログを通じいろいろな人と接し、気が付いたことがありました。
それは何故私が心の中身や闇を求めているのかという根本的な問題のヒント的なことです。
結局は私も裏切られ、絶望を体験し、おそらくそれが原因で今の冷めた自分が出来上がったんじゃないかと感じたんですね。
いや、実際は最近感じたのではないんだと思います。

その絶望したことに対して現実はこういうものだと解釈をし、
「これからは自分を傷つけないために世の中はこういう目で見よう」
という感じで何かあるたびにそのことを思い出し、比較し、自己防衛して生きてきたような気がします。
そう。トラウマですね。

私の場合、刹那的な絶望だったため病的にはなりませんでしたけど人生観が変わったといっても過言ではありません。
何故今頃そのことに気が付いたのかというと、それはトラウマではなく、”教訓”だと思っていたからです。
でもそれによって自分の感情を無意識にコントロールしてしまう人間になってしまったのだからトラウマと呼ぶべきでしょうね。
つまり、私も心の闇があったんですね、これが心の闇とは考えもしなかったのですが、ここでいろいろな人と知り合い、自分を見つめているうちに気がついたという感じです。

中学3年、その当時の先生像というのは絶対的に信頼できる存在として認識されていました。
父兄が文句をつけに来るなんてことは殆どなく尊敬され、体罰も一任されていた時代です。
今まで大人たちが子供に言い聞かせてきた言葉、今もきれい事の代名詞として使われていますが、(この時点でトラウマ出てますね(汗))
それを純真無垢に信じていた私がいました。

そしてそれに向かって人生最大の努力をしてました。
勉強というものではなくまぁ他のことで誰にも負けていない自負がありました。
2年間ですが、死ぬ気で頑張りました。

そして中3の夏。
裏切りです、
その言葉がきれい事だったということを思い知らされました。
そして絶望。 

それからは自分の心が苦しい思いをしないように、傷つかないようにと冷めてしまいました。
人も信用できないようになってしまいました、とはいっても99%は信用しているんですよ、でもどうしても1%は信用していません。
それがどんな人でもです。
そしてその1%があるから傷つかないですんでいるんでしょう。
でもこういう私みたいに切り替えが出来ない人は実際いますし、そういう人はものすごく苦しんでいますね。
居場所も吐き出す場もない人は病的になってしまうでしょう。

結局私が心の闇に興味があるというのは自分と同じく絶望を知っている人と何かを共有したいからなのかもしれません。
そういう人となら分かり合えるかもしれないと。
熱い人間になりたい、がむしゃらな人間になりたい、一生懸命な人間になりたい。
でももうなれない。
だったらそういう人の心を一時的でも吸収して自分を浄化したい。
そのことで少しでも気持ちを楽にしてあげられるものならそうしてあげたい。

そんな気持ちなんだと思います。
もともとSっ気があるので、支配や管理という意味で人に興味があるのも否めませんが、私のすることで相手が満たされ私も満たされるのであればウィンウィンの関係ですよね。

それがお説教やお仕置きを通じて実現させ、最終的にはそういうものが無くても満たされるような関係になる、それが私がしていきたいことなのかなと思いました。

A子の友達の友達のお話

前記事の続きです。

一番最初にA子に友達を紹介されたまでは「こんなこともあるんだなぁ」と多少の驚きでしたが、更にですね、その友達が更に友達を紹介してきたんです(驚)

今回はその友達の更に友達のお話をしたいと思います。
2ヶ月もたたないくらいでこれだけ立て続けにネット経由以外で4人の若い女性のお尻を叩くなんて思いもしませんでした。
そして、人は誰でも心に何かを抱えているんだな、それを誰かに知ってほしいと感じているんだなと思いました。
でも今回は友達同士の会話での軽いノリという部分が大きく影響したようですが、自分もされてみたいという部分は多少あり、相乗効果があったのでしょうね。

A子の友達(A子の友達一人目)からメールが来たのは、お仕置きをしてから2週間くらいたった頃でした。
「またしてほしいのかな?」と思いメールを読んでみると、友達がお仕置きしてほしいとの事でした。
電話をして聞いてみると、やはりこれも飲んでいるときにお仕置きの話を面白おかしくして盛り上がり、されてみたいとなったとのこと。

「んー、最近の女性はこういうことはもうアブノーマルと呼ばないのだろうか、ま、それも嬉しいけど・・・。」
と思いつつメールアドレスを聞いて連絡してみました。
連絡をするとその女性のメールの返信はかなり軽いのりだったんです(汗)
仕事前に会いたいとの事だったので7月初旬、13時に渋谷で待ち合わせをしました。

109入り口にいき、メールをしてみたら携帯を確認している娘がいたので声をかけました。
すると「どうもー」と軽いノリで挨拶してきました^^;
茶髪、ミニスカ、露出系、化粧も濃く、とにかく派手な娘でした、そしてかなりなれなれしい・・・。
ま、いろいろ考えてもしょうがないのでホテルに入って話を聞くことにしました。

ホテルへ行き、仕事は何をしているのか聞いたところ”風俗嬢”とのこと。
風俗といってもいろいろありますがこの子は「イメージクラブ」俗にいう「イメクラ」というところとのこと。
簡単に説明すると「ごっこ」的なことを楽しむ場所で、設定は様々、先生と生徒とか電車で痴漢とか夜這いとか、逆セクハラとか、客の妄想している設定をお互いに演じて男の性処理をする場所です。
「んー、やっぱり風俗嬢の雰囲気十分出てるや」と言葉には出しませんでしたが内心思いつつお話していました(汗)

風俗嬢って心に闇を抱えている人が本当に多くて、借金を抱えててみたいなことが多いんですよね、でも最初は借金返済までの我慢とやっていたことが大金を得ることで生活感が変わってしまい、派手な生活になり質素な生活に戻れなくなる、そしてもっと金がほしいと風俗のレベルを上げていき最終的にソープ嬢になる子も少なくないんです。
この子はお仕置きされたいという願望と、風俗という特殊な職業からかなり精神的に重いものを持っているのだろうと思い、そこらへんを聞いてみました。

すると・・・。
「えっ、お金のためだよ、遊ぶ金ほしいし」
「最初抵抗なかったの?」
と聞くと
「別に。高校の時から援助系してたし」
「両親いるの?、この仕事知っているの?」
と聞くと
「両親いるよ、可愛がられてる、私も好きだし。仕事はOLってことにしている。今はアリバイ会社というのがあって親が電話しても大丈夫なようになっているんだよ、だから親にはOLってことになっているんだ」

他にも闇を探るようにいろんなことを聞きましたが本当に金目的だけで罪悪感もない感じでかなり拍子抜けをしてしまいました。
そういう考え方にお仕置きをしたかったのですが、そこは人それぞれの価値観がありますから相手がその部分に罪悪感を持っていない限りお仕置きをするわけにもいきません。
だからお仕置きをするにあたっての理由もないんですね・・・。

しかし本人的にはこれまでの人生を送ってきてつらい面もあったわけで逆に見せかけの自分を出し、明るく幸せな自分を演じているだけなんだと私は感じていました。
実際トラウマを隠して空元気な子っていますからね、そんな子は痛々しいです。
でもせめてこういう場なんだからそういうことも含めて心を出してくれないと私も楽しくないし虚しくなってくる部分もあります。
まぁ友達の紹介だからこそ隠したい部分は隠してしまうんでしょうけどね。

で、どういう感じでお仕置きをされたいのか聞いてみると
「いたずらしているところをお父さんに見つかってお尻を叩かれるんだけど、その時に逃げ回って、捕まえられて、それでもバタバタしてそれを押さえつけられて叩かれたい」
みたいな感じのことをいっていました・・・。

こっちはちょっとテンションが下がっているのにこの内容はかなりきつい、そしてモチベーションもそのときなかったんです(汗)
「せめて追いかけっこはやめて、抵抗する感じにしてくれない?」
といい、了解を得ました。

じゃぁ始めようかといってお仕置きごっこ(笑)をすることになりました・・・。

「〇〇、部屋の壁に落書きしちゃ駄目だろ」
「あ、パパ」

という展開から始まり、茶番劇が始まりました^^:
かなり茶番なのでその後の展開、結末は想像にお任せします(汗)
ここでは省略させてください。

まあ、子供が悪いことしてお尻丸出しにされてペンペンされるのですが、その時子供は嫌がってバタバタしますよね、そんな感じです。
違う感情(恥ずかしいことさせてという)もあったので100回ほど叩きましたけど、しかも最後はかなりの力をこめて(汗)
終わってみてお尻を見るともうまっかっかでした。

お仕置きを終えた後、いろいろなお話をしました、お仕置き後は真面目に落ち着いた感じで話をし、先ほどの軽いノリは封印していました。
こういう演技付きのお仕置きは今後はちょっとできませんが、こうやって最後でも自分の本音を語ってくれることは私はとても嬉しく感じます。

会話の中で
「えー、お尻の痕消えるかなー、仕事やばいかも、しかも座れないし」
といっている横で私は嘲笑っていました。
「こんなのお客に頼めばいくらでもしてくれんじゃないの?」
と聞くと
「一応女の子の希望は言っちゃいけないことになっているし、M男君とか優しい人(恋人気分)が殆どだから」
「Sの人もいるけど見ず知らずの人に頼むのはちょっと抵抗あるかな」
と、仕事は仕事としてきちんと頑張っているんだなって感じました。

しかし、この2ヶ月もたたないうちにネットを介さないで計4人のお尻を叩いたわけですが、
きっかけであるA子も想定外の展開だったのに、更にA子から3人の女性が食いついてくるとは思ってもみませんでした。
しかも最後の子の子はキーさんですが、それでも遊び感覚の小説そのもののお仕置きを体験したかっただけでしょう。
その他の子はM性を多少匂わせていたり、そうじゃなかったりという感じでした。

しっかりと心と心の対話が出来なかったのは、きっとA子の存在があるからで、話が漏れるかもと思って本性を出せない部分はあったはずです。
それがずっと間感じていた違和感じゃないかと・・・。
そして私が求めていることとは違うものだと感じました。

後日、A子を含めNの友達3人に連絡を取って、今後は興味を持った友達がいたとしても紹介はしないでくれとメールをしました。
なんでかというと、今後はブログを通じて私の方向性や考え方を発信して、それに賛同する人たちと関わりたいと思ったからなんです。
それは同じような価値観の人をお仕置きを通じて見ていきたいなという思いからです。
こんな思いからブログを書いてみようと思ったんですね、意外にお仕置きに抵抗がない子っているんだなぁという思いが後押ししました。
そして自分はおかしいのではないかと悩んでいる人に、それは人間の本来の姿なんだよと教え、心を癒せればと思いました。

まぁ私はお仕置き云々よりも精神的な部分を大事にしていきたい、そういうところではつながっていたいという気持ちがあります。
非日常という居場所はストレスの処理や欲している何かを満たす場所であってほしいし、心の闇を癒す場所であってほしい、そして自分の精神をコントロールするヒントを見つける場所であってほしいと思ってます。
恐怖や絶望で闇を抱えてしまい思い悩んでいる人、自分の性癖に対して隠し続け葛藤している人、欲求で心がどうにもならない人と様々な人がいると思います。
そんな人たちにこういう生き方、感じ方、考え方もあるんだということをアドバイスし、広い視野で考えてほしいんですね、その上で欲しているものを満たしてあげたいと思ってます。

人それぞれの抱えている問題、悩み、ストレスは違うもので、同じストレスという言葉でも考え方が180度違うこともあるでしょう。
ただ、ブログで表現する様々な言葉を頭を使って理解して、自分の生きる何かをつかんでほしいと思います。
精神的なことなので表現の仕方で反感を買うところは多々あると思いますが、それも含め理解していただきたいと思います。

自分で何かを見つけなければそこからは何も生まれません、もがき苦しんでいる人には酷な言い方ですが、生きていくには前を向かないとつらいだけです。
前向きになれない人、何も見つけられない人、それで十数年も苦しみ続けている人も実際にはいます。
だからこんなことは綺麗事でしかないのでしょう。
それは、その苦しみを味わった人でないと分かりえないことだからです。
ただ私はこのブログを通して一人でも救われる人がいればそれだけで書いていてよかったと思えます。

所詮自己満足だろ、と突っ込まれそうですが・・・。
ま、それで私の心が満たされるから自己満足なんでしょうかね。

A子の友達 二人目

ブログの書き始めにお話した”A子”が紹介してきた二人目のお話です。

やっぱりこの子もA子と飲んでいたときにお仕置きの話になり興味を持ったそうです、全くどんな面白おかしく話をしたんだか^^;
その子と会ってみたらなんか暗い感じの子で人見知りというか後悔しているのかという感じでした。
雑談するよりもストレートにカウンセリングしたほうがいいと思い、とりあえず流れでホテルに入り、いろいろお話をしてみました。

実は酔った勢いでお仕置きされてみたいとは言ったものの実際連絡されるとは思わなかったと・・・。
いきなりメール来てびっくりして今さら断れないと思って・・・。みたいな感じでした。
でも本当に興味がなかったら来ませんよね。
その子は人見知りもあるのだろうが暗い、そして顔を見て話をしないんです。

しかし話をしているうちにだんだんと心を開いてきました。
仕事と家の往復で何のために生きているんだが分からない、部下も数人いて、責任のある仕事を全てこなさなければならず、それが自分の限界を超えていて、それでも上司の期待を裏切れず無理をしている毎日だそうです。

親からも自慢の娘として今の仕事のことを親戚中に言いふらされ、そこから逃げられない状況になっているようです。
失踪したい、死にたいと思ったことが何度あるか、でもできないという心の葛藤。
どうせなら責任なんて与えないで、自分の全てを支配してもらって人形のようになりたい。
こんな感じのことを訴えていたのでかなり追い詰められていたようです、もう精神が疲れきっていたようなんですね。

とにかく心が病んでいるのは明白でした、非日常を経験して現実逃避したい。
素の自分をさらけ出して楽になりたい。
毎日抱えているこの心のモヤモヤ感を静めたい。
そんな感じが出ていました。

心をどうコントロールすればいいかわからない人、ストレスを解消する術が分からない人、不安な気持ちを解消できない人、そういう切り替えがうまく出来ない人っていますよね。
そしてそのことを誰にも打ち明けられないような人はストレスがどんどんと蓄積し押しつぶされそうになっていくものです。
なので今回は非日常を体験して気持ちの切り替え方や、自分の居場所の探し方のヒントでも得てくれればと思いました。

でも今回はただ単に叩かれてみたいということで、彼女の悪いことも見当たらなかった(言おうとしなかった)ので、今回もお説教もなくお尻叩きだけで痛みのみを感じてもらいました。
厳密に言うとこれはSM行為の部類になってしまうんだと思います。

相手は感情がない感じで私の誘導で膝の上に乗せ、スカートをまくり、お尻を出して平手で叩いていきました。
私がいろいろな問いかけをして話をしながらお尻叩きをしていたのですが、その言葉に反応したようで涙を流している感じでした。
とにかく今回は叩くことで気持ちを切り替えさせるという趣旨で叩いていたのですが場の空気が悪すぎでした^^;
そのままお尻叩きを終え、気まずいお互いに雰囲気で帰り支度を始めました。

そんな感じでお互いに嫌な感じいたと思いきや、ホテルを出る間際にその子が「また気持ち新たに頑張ります!」という元気な言葉を言ってくれたのでよかったです^^
結局口数が少なくあまり自分を表現したがらない性格みたいだったようで、本心を聞き出すことはその日1日では無理な感じの子でした。
でもお互いになにか共感し、同じ空間で共有したものを何も話さずとも感じることができたような気がします。

駅で別れる時には「なんか気持ちの切り替えができて、明日から違う気持ちで頑張れそうです」
と自分の気持ちを伝えてくれ、去っていきました。

言葉って人間にとって重要で魔法のようなものだと感じました。
気持ちで分かり合えていてもその言葉一つでその気持ちが何倍にもなる。
そしてそれが私の中の何かが満たされる元なのかもしれないと感じざるを得ませんでした。

でもやはりお説教とお仕置き後のフォローがないとしっくりきません、そもそも悪いことがあってのお尻叩きじゃなければお仕置きとは言いません。
私自身が周りに流されずに、私の方向性を示していかなければなぁと真剣に思うきっかけの一つだったかもしれません。

と、ここで終わりません、またまた驚きの展開になりました^^;

信頼関係

信頼関係で悩んでいる人、多いですよね。
家族は信頼できるが、他人とは信頼関係を築けない。
逆に他人は信頼できるが家族とは信頼関係を築けない。
更には家族も他人も全てに対して信頼関係を築けない。
ま、どれにしても精神的に辛いのは確かです、自分の心を吐き出せないって辛いものです。

他人との信頼関係が築けず、家族に依存してしまう人は確かに心に傷があり闇を抱えていますが、唯一家族は信頼できるということであれば、まだましなのかもしれません。
ただ通常は生まれてきてから一緒にいる家族と信頼関係を結びますが、それが出来ない人はどうなのでしょう?
他人や友達を信頼し、そっちに居場所を求めれば問題ないように思えますが、それが出来ない人もいます。
家族と信頼関係を結べない人たちはそれで精神的に参り、他人とも信頼関係を築きにくくなることもあるんです。

自分のこと全てを他人に話しすることは勇気のいることです。
それは、その結果次第では嫌われて自分の居場所がなくなってしまうという不安に陥ることに繋がるからです。
そんな時は子供のころの無邪気な自分に戻りたいと思うこともありますが、そんなことは妄想の世界でしかありません。

家族の裏切りや、誰も認めてくれない、誰も理解してくれないという心の葛藤、
自分は誰にも必要とされていないと感じる絶望感。
こんなことを毎日毎日考えていたら誰でも精神的におかしくなります。
そしてこういうデリケートな話はなかなか他人には出来ません。
そう日本は特にそういうことを話すとすぐに変な人扱いしてしまうからです。

好奇な目で見られ、あなたは精神的に異常だと罵られ仲間はずれにされることもあるでしょう。
偽善者ぶった人には同情され、普通に幸せに暮らしていて傷みも分からない人に限って能天気にアドバイスをします。
こんな人ばかりの世の中だから余計自分の殻に閉じこもってしまうんですよね。
みんなと足並みをそろえて生活していくにはそういった苦しい部分を隠していくしか方法がないのですが、でもそれでは自分の心が壊れてしまいます。
肉体は、心が壊れても消滅したくても生きています、一瞬のうちに消滅できるのであればどんなに幸せかと考えてしまうこともあるでしょう。

こんな毎日では何かに依存していくのは当たり前のことでそれは人間の本能でもあると思います。
病院にいったとしてもそれは他人には隠していなければならない。
カウンセラーも話を聞いてくれますが、結局は仕事であって本当の意味で向き合ってくれていないのかもしれません、それは金銭という見返りがあるからです。

しかしまぁ一つの足がかりとなるからカウンセリング的な場所があるのですが、カウンセラーは一生その人たちと信頼関係を結ぶことはしませんよね、結局仕事ですしお金で動いているのですから。
心を開いて楽になり、精神的に落ち着いたとしても自分の居場所がなければまた戻ります。
本当に難しい厄介な問題だと思います。

しかし実際信頼関係を築けている人ってどのくらいいるんでしょうね?
信頼関係=何でも話せる相手という定義で考えます。
こういう究極な信頼関係ってあまりないように思います。
自分の駄目なところ、卑しいところ、汚いところ、腹黒いところ、性癖まで全てさらけ出して話せる相手なんてそうはいないでしょう。
私はいません。

じゃあ、信頼関係って何なんでしょうかね。
多分、適当なものだと思います。
「お前のこと信頼しているよ」の言葉は心の声に直すと
「お前のこと90%信頼しているよ」なんじゃないかなと私は感じます。
だから人によっては信頼度は変わり20%もいれば50%もいるでしょう。
ま、社交辞令みたいなもので、そんな適当な言葉なんだと思います。

信頼100%であれば嘘をつく必要はないはずです、自分のことはすべて話せるはずです。
しかし人は傷つくことを恐れ、バリアをはり、最小限のダメージになるように、嫌われないように、引かれないように無意識に調節するものです。
100%信頼して裏切られたときに心は壊れてしまいますからね、そういうことがないように。

逆に言えば、人間関係で心に深い傷を抱えている人は純粋で心から人を信頼できる純真無垢な人間なんだと思います。
信頼できるではないですね、信頼できたというべきでした。
しかしその結果深く傷ついてしまい心に傷を負ってしまう、なんという酷く理不尽なことでしょうか。

でも私はそういう人がうらやましいです、そういう人になりたいのではないんですけどね。
なんでなりたくないかというと、心無い人間に心を壊されてしまい精神が破綻するという恐怖からです。
そこからは未知の領域で、まさに生き地獄ですよね。
しかしそういう純粋な人たちに触れ合うことで私の心も浄化されてくような気がするんです。

100%の信頼関係って理想です、それを達成するためにその部分にだけ非日常の世界があってもいいと思うんです。
逆にその非日常の中でなら100%の信頼関係は十分可能だと思います。
恋愛感情ではなく、それを超越したところにある信頼関係は無敵だと思います。

自分の苦しさやどうしようもない思いを吐き出し、一人の人間として客観的に見てもらいたくありませんか?
私はそういう世界を作っていきたいと思っています。
絶対に裏切らない、絶対に引かない、絶対に見放さない、それが私です、相手が聞く耳を持っている限りは。
よくこういうところが変わっているといわれますが、私にとってはこれはしたいことで、これが日常なんですよね。

自分の居場所

自分の居場所ってありますか?

と聞かれて、考え込む人ってそれなりの居場所はあるものなんですよね。
でも即答で「ない」と答える人はどれだけ苦しんでいるのでしょう。

器用だったりズル賢かったりする人って居場所はいくつもあるものです、ここが駄目になっても他にいく、そうすることによって自己防御をし傷つくことや孤独になることを避けているんですよね。
これって無意識に作り上げていく人が多く、また傷ついたことの知恵として意識して作っていく人もいます。
でも問題なのは、不器用な生き方しか出来ない人間もいて、自分の居場所を求めて彷徨い、日々何かと戦いながらそして苦しみながら生きている人もたくさんいるということです。

器用な人にとって見れば居場所なんていくらでも作れるんだからとアドバイスしたがりますが、それはあなただから出来ることであって、不器用な人には真似できないことなんですよね。
しかもそれが普通のことだと言い負かし、それができなくて落ち込んでいる人が駄目なんだと責め立てます。

日本人は特に足並みがそろっていないと、そいつは普通ではない、変だと偏見を持ち責めたがります。
日本人って島国ということもあり特にそういう人種なんですよね。
アメリカのように様々な人種を受け入れてきた国は様々な人間の様々な意識や行動をそれぞれの個性として尊重しています。
ま、国民性というものなのでこれは変えることは難しいのですが。

何が言いたいのかというと、そういう不器用な生き方しか出来ないような人もそれを一つの個性として、普通として捉えられないのかな?ということです。
誹謗中傷したり、同情したり、変に気を使ったりということをしないで普通にです。

私は逆にそういう心の闇を抱えた人に見える切なさがとても愛おしく感じます、変な言い方ですが魅力みたいなものです。
本来そういう不器用な人達の姿が人間の本質なのかもしれません、そこから人間はずる賢く様々な自分を守る知恵を得て今の普通があるのかもしれません。
そうだとしたら不器用な人たちはとても純粋で綺麗だと思いませんか?宝石でいうと原石でしょうか。

不器用な人たちは、自分は本当の意味で生きているのか?と疑問に思ったり、存在している証や生きている実感に疑問を持ったり、このまま消えていなくなりたいとまで思ってしまったり、そういう不安から様々な形で悩んだりしてしまいます。
人それぞれ心に抱えている闇は違うので解決策もそれぞれで難しいし、結局は本人が器用にならないと無理なのかなとも思います。

人は誰でも認めてほしいと思い、他人がいるから生きているのだと思います、しかし他人がいて自分が否定されれば自分の存在意義がないと考えてしまいがちです。
といっても世界には70億人いるわけで、広い視野で見るとその70億人全てが一人の人間を否定するなんてありえません。
しかし未成年の場合は特にですが、家族、近所、学校関係者の存在がもう全世界と同じなんですね。
社会に出ればそんな小さな世界と思いますが、その時は視野が狭いので考えることも出来ないわけです。
だからどれだけ苦しいかは想像くらいではきます・・・。

でもそうしたときに自分の居場所が確保できればと思うんです。
居場所としては人の温もりが一番です。
恋愛に求める人も多いし、親や友人に救われている人もいるでしょうし、人間の温もり以上に満たされる居場所はないでしょう。
しかし、居場所のすべてを恋愛に求めてしまうのは非常に危険です。
悲しいお話ですが、それはその人と一生幸せでいる確率は残念ながらかなり低いからです。

恋愛以外では親友を作ることが一番いいのですが、親友ってなかなかいるものではないですよね。
いるといえる人はうらやましいです、なんでも打ち明けられる友達はなかなかいません。
私の場合、友達はたくさんいても全てを打ち明けられる親友はいません、本心はほしいのですが、無理なような気がします。
親に関してはいずれ自立をしなければならないし、長い目で見ると居場所に適してはないかもしれません。

それ意外の居場所としては非日常を作るということもあります。
特別な関係であり、秘密を共有するような、ここのブログでいうとお仕置きの関係で人生を見つめてもらう的な。
心の中を少しずつ開いていき、信頼関係を築いていき、更に心の奥まで開いていくみたいな。
その方が自分を出しやすいこともありますし、そうなったとしたらお仕置きなんて必ずしも必要ありません。
そこにお仕置きが無くて居場所にできる、最終的にはそういう場所を作り上げていきたいと考えています。

まぁ、人を居場所にするのが困難な方は人ではない空間に求めるということもできます。
しかしそれは温もりというものがないので完全ではないんですけどね。
例えば、カラオケ、公園、屋上、お風呂、本屋、自分のブログ、趣味等、人間を居場所として確立できない環境であればそういう何かで確保できると少しは生きやすくなるのではないでしょうか。

今の世の中、周りの人たちは輝いて見えますがそれは幻想の部分が大きいと思います。
自分で決断できない人、考えがまとまらない人、寂しくて孤立してしまっている人、いろいろな悩みを抱えている人、欲求に振り回されている人、お仕置なんてなくてもそういう人の最終的な居場所でありたいと思います。

交通事故目撃

昨日車を運転中に交差点でバイクと車の事故を目撃しました。

原付バイクが直進しているところ車が右折をしてしまい正面衝突。
そのまま右折した車はバイクの運転手を車の下に巻き込み10Mほど進んで縁石にぶつかり停車。
この瞬間私はもう即死だと思いました。
事故現場から停車位置まで血が線のようについていました。

車を運転していたのは50代くらいの女性、バイクの運転手は30代くらいの女性でした。
小さい交差点でしたが、近くには家も店もあり、すぐに数人が駆けつけました。
私もすぐに車を止めて救助に向かいました。

女性は車に挟まれて動けません、意識はあるものの頭からは相当な血が出ています。
男数人で車を持ち上げましたが女性を引きずり出すくらいに車を上げるのは不可能でした、逆に少し持ち上げ無理でまたおろす、そうすると下敷きになっている女性の負担が更に大きくなります。

また人数もまだ少なかったので車を全員で持ち上げたとしても女性を引きずり出す人手が不足しており、救急のプロでもないので人の配置の指示なんかもできるはずもなく、救急車の到着を待つことにしました。
10分後、救急車が到着したましたが、レスキュー隊はきていません。
そんな中、一人の若者が自分の車の中からジャッキを持ってきてくれ、それで車を持ち上げることに成功。

救急隊員が下敷きになっている女性の足を引っ張りタンカに引きずる。
下はコンクリートの地面なので頭は地面にこすり付けられて引きずられています。
タンカに乗せると救急隊員の指示で私も含む男数人でタンカを持ち上げ、救急車に入れ込む用の滑車の付いたタンカに移動しました。

ジーンズは破れ、服も破れ、額もぱっくりと切れていました。
道路には近所の主婦が持ってきたであろうタオルが置いてありましたが血で染まり真っ赤でした。
救急隊員は女性に話しかけ意識の確認をしていましたが、昨日はかなりの炎天下、湿度も気温も高く、それなのに炎天下の下で話しかけていました。

たまらず私はしゃしゃり出て「せめてそこの木陰まで移動したらどうですか?」というと
隊員も我に帰り、太陽を見上げながら「そうですね」といい少しだけ移動しました。
そんなことしなくてもすぐに車に乗せればいいのにと思いながらも見ているとしばらくは外で話しかけていて、やっと救急車に乗せました。

しかし警察は遅い。
救急車が到着してから10分くらいたってやっと警察が到着、そしてレスキュー隊も到着。
警察くらい救急車の前に来れるだろうと思い、文句でもつけてやろうかと思いましたが・・・。
その後、パトカーが到着、事故処理の警官であったためやっと現場の片付けに着手しました。

交差点ど真ん中に放置してあったバイクやメット、破片にチョークで印をつけ、その後、集まった一般人数人で破片等を歩道に移動させました。
車のとおりもまあまあある道路で間接的な事故が起きてもおかしくない状況だったのでこれで一安心です。
その後、目撃者や当事者の聴取が始まり、手伝うこともないのでそこを後にしました。

しかしまだ救急車は停車したままです。
救急車というのは事故現場に到着し、患者を救急車におさめてから病院を探すため、受け入れの病院がなかなか見つからないのでしょう。
その間も患者の頭からは血が流れ続けているのだと思うといたたまれません。

その女性は必死に生きようとしている、流れ出る血にびくびくしながらもきっと救助してくれた人達や救急隊員に感謝をしているでしょう。
これからの手術やリハビリに何らかの感情を抱き、自分が生きていた、そしてこれから生きていくことを認識し実感していくのでしょうね。
それによって自分の存在意義、使命感、罪悪感などを考えるのかもしれません。

この女性はこの事故によってこれからの人生に変化が生じるでしょう、今後、この事故で死んでいればよかったと思うか、生きていて良かったと思うかはわかりませんが、少なくてもこの事故によって歯車が変わる可能性は大きいでしょう。
でもこれも宿命なのかもしれないですよね、どのようなことがあってもそれを現実に受け入れることが一番重要で自分と向き合うことで前に進めるのではないかと思います。

どんな結果になっても前向きに生きてほしいです。
一生懸命に救助活動をしてくれた方々には人間の温かみを頂くことができました、困った人がいたら助けるという当たり前のことが当たり前にできない世の中になりつつあるような気がしていたので少し心が救われた気分です。

A子の友達一人目

前記事に書いたブログを書くきっかけになったお話の続きと成ります。

A子からメールで「友達がお仕置きされたいって」というメールが来てびっくりしたのですが、しかし喜んで引き受けました(笑)
A子のマンションの上の階に住んでおり、結構長い付き合いみたいです、上の階に住んでいるから友達になったわけではなく友達なので同じところに住もうといったいわゆる親友ですね。

A子からその友達のメールアドレスを教えてもらい、「当日にいろいろ話を聞いてからどういう方向でいくか考えます」ということを連絡し6月初めに会うことになりました。

当日、待ち合わせ場所の新宿アルタ裏にいくとそれらしい女性が。
飲食店勤務の彼女は慎重は160センチくらいで普通体系の男受けのする今時の女性でした。
その子はA子と飲んでいて、この間の体験の話を聞き興味を持ったとの事。
まあ、私がA子の長年の付き合いの人だということであまり不安がなく気楽にという感じだったんでしょう。

ホテルに入ってお茶を飲み彼女の緊張をほぐすためにしばらく雑談をしました。
ま、共通の話題はないのでA子の話や、今回の内容はA子には内緒でというようなことを話しました。
かなり打ち解けたところでカウンセリングを開始しました。

彼女の希望は「悪いことが見つかってお父さんにお尻ペンのお仕置きをされる」ということでした。
話をしているとストーリーを作ってそれに沿ってやってほしいとのことで、私は気が進まなかったのですが、彼女の希望にあわせてお仕置きのイメージプレイをしてあげました(汗)
かなり恥ずかしい内容なのでここでは省かせてもらいますが・・・。
ま、私も知り合いの知り合いだし違う意味で楽しみながらお仕置きをさせていただきましたけど^^;

今回は今時の女性というか、なんかやっていることは非日常のはずなのに食事感覚的な軽い部分と羞恥心がかけているところがあるので私的にはあまり魅力は感じなかったです。
心の闇も探ってみましたが、普通の人生を送ってきて心の傷も見当たらないし、
まぁ、隠しているのかもしれませんが何か物足りなさを感じたお仕置きでした。

やっぱり私の友達の紹介ということが響いているのでしょうか、もっと真の心を引き出したいと今回は何かもてあそばれた感じでした。
やっぱり作り話のお仕置きはプレイ的で私には駄目ですね、A子が面白おかしく話をして、それが楽しそうって感じたのかもしれないですね^^;

ブログを書くきっかけになったお話 2

A子と約束をしたので私はB子に連絡を取りました。
B子とは過去にお仕置き関係がありましたが、とても遠距離なので会うことは殆どなくたまにメールをするような仲なんです。

早速内容を本人に話すと戸惑いながらもオーケーの返事。
何故オッケーしたかというとB子は叩かれたい欲求のある女性(キーではなくM)だったからなんです。
で、3人の予定を合わせ、5月中旬に会うことにしました。

池袋でまず私はA子と待ち合わせをして、その後B子との待ち合わせ場所に向かいました。
合流し3人で挨拶をすると、二人とも顔を伏せて気まずい雰囲気に。
「まあ、今日は軽い体験だから緊張しないで気楽にしていてよ」
とフォローしますが場は硬いままです(汗)

とりあえずこれからどういうことをするのか食事をしながら打ち合わせをすることにしました。
まあ、打ち合わせといってもメインはA子が体験するということなのですが、一応お互いに誤解のないようにいきさつや意味合いを話しをしました。
そうすると二人も少しずつ話をするようになり、少し打ち解けたところでホテルに向かいました。

ソファーに座り、お茶を飲み、少し会話をしたところで切り出しました。
「そろそろ始めてみよっか」
この瞬間、静まり返り、二人の緊張がまた甦ってきました。

私はB子にテーブルに手をついてスカートを捲り上げるように指示をしました。
彼女は震えながら、そして戸惑いながらスカートをあげていきます。
中途半端にあげていたので一括すると全て捲り上げ、お尻が丸出しになりました。
私はA子に鞭を持たせ、
「思いっきり叩いていいから」
というと
「ちょっと、、、できない・・・。」
というので
「大丈夫だからやってごらん」
と何度も勧めるが体が動かないようでした。
仕方ないので私が見本で軽く叩いて見せることにしました。
こういう風にしてごらん、といい、ようやくA子はB子にむけて鞭を使いました。
一発目はなんとも軽い一撃、私はもっと強く叩かないと駄目だよ、というと二発目はもうちょっと力が入ったのですが、まだまだ軽い。
何度も駄目出しをしたのですがそれ以上は遠慮しているのか何なのか力が入らないみたいでした。
そこで私が鞭を奪い、改心の一撃を食らわしました。
私が
「こんな風にやるんだよ」
といい、鞭を渡すとNは
「いや・・・、そこまではちょっとできません、叩くのは駄目みたいです」
と言い出してしまいました。
私はちょっと初心者にはやりすぎたかなぁって思いながらこう切り出しました。
「じゃあ、今度はA子のこと叩くからお尻出してごらん」
というと
「いや。。。、ホント無理です、これ痛すぎますよ。軽くならいいですけど。」
というので
「じゃあ、最初は軽く叩いてみるから、それで駄目なときは言ってくれればそれでやめるよ。」
といい、強引に姿勢をとらせました。
何度か抵抗を続けながらも叩いていると途中A子は涙を流しはじめました。
A子は心の中で何かを感じているようでした。
私は泣いている理由を聞きながらいろいろお話しをしながらお尻叩きをし、A子が全て吐き出したように感じたのでお仕置きを終了しました。

今回お説教やお仕置き後のフォローはありませんでしたが体験という意味では面白かったのではないかと感じました。
まぁこれはスパ的なお仕置きではなく、SM的なお仕置きなんですけどね^^;
余韻に浸ったあと、3人でホテルを出て、A子はバイトにいき、B子には協力してくれたことにお礼をいい、その後、二人で食事をして帰りました。

しばらくした5月末頃にA子と再び会いました。
「いい経験ができてよかったかも」といってましたが、またお仕置きしてほしいとはいってきませんでした。
なのでこれで終わりのはずでした、そしてこれで終わりならばブログなんて書くことはなかったかもしれません。

ところがそれからしばらく日にちがたってから、A子がメールで
「友達がお仕置きされてみたいっていってる、二人いる」
といってきたんです。
結局その二人はお仕置きをしたのですが、その二人のうち一人がまた紹介って形で更にもう一人お仕置きすることになったわけです。
ここでかなり驚いたわけですが、その子たちとの会話からも結構お仕置きを求めている若い女性が多いみたいなんです。

最近の若い女性は自分の気持ちを素直に出したり、主張するのにあまり抵抗がないんでしょうね。
ネットが普及している今はそれが表現しやすいのでしょう。
みなさん勇気を出しているのですが、昔だったら勇気を出しても主張することさえできなかったと思います。
でも、現代人は主張できるといってもお仕置きされたくても言えない、怖い、SMのイメージがありその世界には入れない、自分から募集なんてできないし応募もできない、というのが現状では多いのではないでしょうか。

そんな偶然的で奇跡的な出来事があったのでブログでも書いてみようかなってことにいたりました。

ブログを書くきっかけになったお話 1

初めまして、京介といいます。

今日からブログを始めるのですが、まずはこのブログを書くことにしたきっかけのお話をしてみたいと思います。
実は私自身ブログというものを書くのは生まれて初めてなんです^^;
今まで長続きしたためしがなかったのでどうなっていくのかはわかりませんが、私の主張したいことを訴えていきたいと思いますのでよろしくお願いします^^
それではきっかけとなったお話です。

私の友達で24歳のA子という女性がいまして、その子とはもう7,8年の付き合いだったんです。
まぁ彼女が高校2年生のときに知り合ったのですが、背が小さくかわいい子でした。
その子は私的には妹感覚だったので性的な関係は一切ありません。
ただ、可愛くて楽しい子だったのでふと「付き合いたいなぁ」と思ったりしてしまったのは事実ですが・・・、それは彼女には言っていません(いまだに)
でも今は家族的な目でしか見られないのでそのときの感覚は今はありません^^;

A子とは仲間内で集まって、バーベキューをしたり飲みに行ったりとしていましたが、二人きりで飲むことはありませんでした。
去年あたりからちょくちょく食事をしたりして、家庭の相談とかうけていたんですが、お酒は私が飲んでもA子は飲みません、ま、それはその後にバイトがあったからなんですけどね。

今年の5月の始め、話がしたいということで誘われて和食系の店に入りました。
話というのはやはり家庭の話で、まぁお母さんなんですが、ちょっと大変らしくて、解決が難しいことがもう2年くらい続いていて、要は自分では抱えきれなくてはけ口がほしかったらしいです。
いつものように話を聞いているとビールを注文しだして「えっ?仕事は?」と聞くと珍しく今日は休みとの事。
それで話はいつもより深い話しまで行き、私の意見もいったりして、まぁそこまではいつもと変わらなかったんですが。

悩み相談はひと段落して、彼女が一言
「実は、今ちょっと浮気をしていて・・・。」
とカミングアウト
ずっと彼女を見ていたからかなり意外でした、そしてお互い割り切っていてあまり罪悪感を感じないと。
なんかいろんなことがあって結構病んでいるなと思い、彼女の闇を探っていくと過去にリストカットがやめられなかった時期があって、その時は回りに気持ちを分かってもらえなくて余計いらいらいしたと。
私がそのことについて私の解釈をし始めるとすごくうれしそうな顔で「そうなんですよー」と普段結構無表情な彼女が本当の笑顔で答えてくれたんですね。

それで話の流れで軽い感じでこう言ってみたんです。
「そんなに生きている証を確認したかったのなら、そのときにお尻ペンして痛みを感じさせてあげればよかったよ」
そしたら彼女は「ああ、でも人に構ってもらいたいとか叱ってほしいとかあったからそれいいかも」とまた明るい笑顔で答えたんです。
こうなると私はいろいろ語りだしたくなって、A子には普段なら言わないことを言ってしまったんですね^^;
「今度お尻叩いてあげようか?」
というと
「え~、無理無理~」というのですが、それがまた嬉しそうなんです(笑)
まあ、そこで本来なら話は終わっていたはずなんですが・・・。

その日はたまたま、とある部品を買いに行っていたところで、それは私が愛用している”あるお仕置き道具”の部品なんですが、
本当にその日たまたまその部品を探すために道具を持参して東急ハンズで買い物をしたところで、鞄の中には本当にたまたま道具がありました。

そのお仕置き道具とは「鞭」です。
普段のお仕置きでは鞭は出すことはありませんし、余程の悪いことがない限り使用することがない最終兵器なんです(汗)
鞭といってもSMっぽいような怪しいものではなくて、シルバーで加工されたとてもお洒落な感じの鞭なんです。
以前から修理しなくてはと放置していたのですがたまたまその日に買い物に行ったんですね。

さすがにいくら酔っているとはいえ、鞭なんて見せれないし、でも見せたい衝動に駆られてしまったんです。
で、私は
「今面白いもの持っているんだ」
というとA子は
「何?」
といったのですが、いざ出そうと思ってもこっちが躊躇してしまい
「やっぱいいや、なんでもない」
というとやはりそこは人間だからA子は気になってしょうがない。
前置きというか説明というかグダグダ話をして、ようやく決心をして、
「いやー、鞭なんだけどね」
といい愛用の鞭を見せてしまいました^^;
先ほど説明しましたが、この鞭はSM道具のようなグロイ感じではなくお洒落な感じの鞭だったのでそれもあったのか、
「え~~~!!すごーい!」
といい、第一声が
「叩いてみたい!」
と目をキラキラさせて私に言ってきたんです(汗)
酔っているノリもあったと思いますが、彼女のはしゃぎように私も調子に乗ってしまい
「叩きたいならそういう人用意してあげてもいいよ、その人は女性だけど連絡すればおそらく大丈夫だと思う(キーではなくMの子です)」
というと、
「本当に叩いていいの?」
といい、和室の畳を鞭で叩き出し、鞭の感触を楽しむかのようにニコニコしているんです(汗)
軽くだけど畳を叩き出し、店の人もいるしそれやりすぎだろ、と思っていても酔っているA子には周りが見えないみたいでした。

まあ、そろそろ出るしいっかと思いつつも、店の人もチラチラこちらをみているしやっぱり気になり、
「ほら、店の人が見てるよ」
というとA子も我に返り一時的に叩かなくなったのですが、それでも鞭はしっかりと握っているんです^^;
そしてまた叩き出す・・・。
話題を戻し
「本当にやってみなよ、その女性は叩かれたい人だし遠慮することないから」
というと彼女は
「えー、本当にやってみたい」
というので、
「叩くのもいいけどその時はA子のこと叩かせてよ、その場の雰囲気で決めてもいいからさ」
というと、
「じゃあ、その場の雰囲気で」
と、酔った勢いで話が進んでしまい、お仕置きの理由も何もなくトントン拍子で話が決まってしまったんです(汗)
振り返って見ると15時過ぎから飲み始めてすでに21時。
じゃあ、3人の予定が合うときに会おう、連絡するから、ということでその日は別れました。

その後の3人で会った話はまた書きますが、ここからいろいろと続いていくんです。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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