良い人を演じてしまう人

良い人を演じる事って誰しもあることですが、それが過度であると、他人の頼みを断れなかったり自分の意見をはっきり言えなかったりして、結果的に自分が嫌になって心が窮屈になっていくものです。
特に良い子を演じているキーさん的な性格の人や、人の評価を気にしてしまう人、人の顔色を見たり他人の機嫌を損なわないように気を使ったりする人は、自分の意見を言いたくても言えないなんてことがありますよね。

ここでいう良い人というのは、自分の意思に反したとしても我慢して人に良い顔をしてしまう人のことです。
例えば、どこかに誘われたりお願い事をされたりした時に、本当は嫌なのに断れずに良い顔をして言いなりになってしまうような感じです。
これは断れない性格の人も含めてそうなのですが、もし断ったとしたら嫌われてしまうとか、不快に思われるんじゃないかとか、流されやすかったりとか、相手の気持ちが過度に気になってしまうからでしょう。

ただ、人間誰しも嫌われたくないと思うし、人に好かれたいと思います。
問題なのはそれが強すぎるためになかなか断れずに良い顔をしてしまうことなんですね、そしてそういう自分が嫌になり、心がモヤモヤとしてどんどんと生きづらくなっていくのです。
こういう性格は女性に多いのですが、それはおそらく女性は優しさがあり、人に尽くすことが良しとされている日本だからこそなんでしょうね。
特に若い女性は大人しくて言いなりになっている方が可愛いとされたりするので余計でしょう。

しかし本当に嫌なのに断れないということが何度も続くと、次第に心が辛くなっていくものです。
自分の意見も言えない自分自身も嫌だし、だからと言って嫌われて孤立するのは怖いし、結局はそこから抜け出せないで悶々としてしまうんですね。
そうなると心には負のオーラばかりが宿ってしまい、その都度落ち込んだり悲観的になったり消えてしまいたくなったりしてしまいます。

逆にいうと、そういう性格の人だからこそ、周りも気軽に頼みごとをしたり誘ったりするわけで、それで好かれたりすることももちろんあるでしょうけど、利用されているということもあるかもしれません。

ではどうしたらいいのでしょうか。
どうしても断れない人に「自分を守るためにも断ったほうがいい、思っているほど他人は他人を気にしてないものだから」といったところで、断れる性格にはなかなかなりませんよね^^;

でもその事で心が病んでしまったらどんどんと負のオーラが溜まっていってしまいます。
なのでこのような考えはどうでしょうか。
もう良い人を演じている自分を嫌悪するのではなく、良い人を演じられる自分をプラスに考えて正のオーラを出していく方にシフトしていく。
無理やり感満載ですが、自分を犠牲にして人のために何かをしてあげるというのはなかなかできるものではないですからね、そういうことをできる誇らしい人間ということです。

断れない相手なら、その人を友人と思って接する、友人には何かをしてあげたいと思うものですから、そうやって思い込めばそこまで落ち込む必要はないし、自己満足でもいいのでその人に何かをしてあげたという気持ちで自分を満たしてみたらどうでしょうか。
んーー、それをするから落ち込むのに、逆転の発想過ぎて無理があるかもしれませんけどね、一度試す価値はあるかもしれません。

この友人と思うことに対しては補足もあるので、それはまた次回書いていきます。
ま、どうしても断れない人というのは、何をアドバイスしたとしてもどうしても断れないですからね^^;
そういう人はどのように気持ちを切り替えていくか、負のオーラを最小限に、更に0に、もっと言えばプラスに転じさせるように持っていきたいですよね^^


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いい子を演じる辛さ

いい子を演じている人って、いい子といわれている人達の中のほとんどではないかと私は思っています。
まず”いい子”というのは自己評価ではなく他者評価なわけですから、いい子と呼ばれている子たちは間違いなくいい子なんです。本人の心で悪い子と思っていても、他者がいい子と判断したならそれが評価となるんですね。

しかしいい子といわれている子たちは決まって「私は本当はいい子じゃない」といいますよね、それは自己評価です。
その自己評価と他者評価のズレが生じると、自分が過大評価されていると感じ、自己嫌悪に陥ることもあります。
それはそうですよね、自分のことは自分がよく分かっているわけで、明らかに他人が思っている自分は違うわけですからね。
それが”いい子を演じている”ということです。

いい子を演じているのにはそれぞれ理由があります。
「心配をかけたくないから」「感情的に怒られるから」「期待されているから」「見捨てられたくないから」「褒められるから」「周りが嬉しそうな顔をするから」「反発できないから」「嫌われたくないから」「親を助けたいから」等々。

でも最初は些細な気持ちでいい子な振舞いをしたとしても、それが当たり前となり、いい子のレッテルを貼られてしまうと、その呪縛から逃れることができず、面倒くさいことや嫌な事、反発したいことがあってもそのキャラから抜け出すことができず、結果いい子を演じてしまう傾向にあります。

本当はいい子じゃないし、出来も悪いと本人は思っています。
それでも周りの期待に応えようと精一杯背伸びして頑張ってクタクタなのに、更に期待されるからもっともっとしなければならない。
これが続くのは辛いし苦しいし、本当の自分をわかってほしい、本当の自分を出して楽になりたいと、そんなことではどんどん心が重たくなっていくでしょう。

すべて投げ出したいと思ったり、このまま消えてなくなりたいと思ってもそうはいかず、演じることを自分でもやめれず、本当の自分をわかってくれる誰かを探し続けてさまよっているように感じます。
表の自分と裏の自分とがいて、それがどっちかわからなくなったりして、本当の自分がなんなのかよくわからなくなって苦しんでいる子もいます。

いい子を演じるということではなくても、一般社会でのことで、一度信頼されて何かを任されたとしたら責任をもってやらなければならなくなったり、出世して部下を持ったら上司としての立場を演じたりとかってありますけど、それと似たような感じでもあると思います。

別の例でいうと親の器が無くても子供が産まれれば親を演じなければなりません、最初から親の器のある人なんてそうはいませんし、誰でも子育ては初めてで素人ですから、やはりそれは子どものために自分を封印して親を演じていかないといけませんよね。

しかしこれらの例は大人になってからの試練なので何とかなるでしょうが、いい子を演じている子は幼少期から演じているわけですからそこから歪みが生じてくるはずです。
幼少期に周りの期待に応えようといい子になろうとしていたら、その時期に必要なわがままや本心をだすこと、また、反発や冒険心を養うことができないまま大人になってしまうので、それは不健全な成長なんです。

幼少期から背伸びして良い子してれば疲れてしまいます、それだけの演じる力がついてない時点でそんなことしていたら無理があるし、気づいたころには辛く、自分が自分ではないと感じて、自分が根っからの良い子だったらよかったのにと思うようになるでしょう。

先日「嘘の許容範囲」というブログを書きましたが、それは幼少期に我慢して、甘えることやわがままをだす経験をしなければ、健全な心の成長ができず、心の認知が歪んでしまうというような記事です。「嘘の許容範囲2」
いい子を演じてそれが苦悩に思ってしまうというのもそれに関連していることだと思います。

同じように悩み苦しんでいる人は沢山いると思います、本当の自分を出したいけど身内や友達には話せない、そういう人がいたら私が話をききます。
一度吐き出してスッキリしたい人は沢山いるはずです、そういう人はサイトの方から気軽に連絡してみて下さい。

ここの活動のメインはお仕置き活動ですが、話を聞くだけのカウンセリングもしていますし、お仕置きに全く興味がない人でもたまに連絡が来ていますので、そこら辺は気にせず連絡してみて下さい。
そういう人にはお仕置きをすることはありませんからどうぞ心配しないでくださいね^^


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いい子の呪縛

はたからみると間違いなく”いい子に見える”キーさんは、口をそろえて「私はいい子じゃない、真面目じゃない」といいますが、そう考えてしまうのは”いい子の呪縛”に囚われすぎているからなんだと私は思います。
それはキーさんに関わらず、真面目でいい子と言われ続けてきた人全般にも当てはまるでしょう。

「いい子の呪縛」とは、「いい子でいなければ私は愛されない」「認められない」「見捨てられてしまう」というような不安な気持ちが心にあり、そうならないようにという理由でいい子を演じ、その不安から逃れようと無意識に行動してしまうことです。

そんな子たちは、第一印象で「いい子だね」「真面目だね」とレッテルをはられ、そういわれるといい子にしていないと受け入れてもらえないのではないかと錯覚をしてしまい、ついいい子を演じてしまうことがあります。

演じるといってもそう簡単には演じられないものですが、根が真面目だから演じられるものなんですね。
演じる理由の多くは「愛してほしいから」「認めてほしいから」「見放されたくないから」というようなことですが、そんなよこしまな気持ちで”いい子を演じているからこそ、「いい子でも真面目でもない」と思ってしまうのでしょう。

ま、はっきりいって私はよこしまな気持ちとも思わないし、人間が愛されるためには普通の行動であって、それがいい子だと思うのですが、やはり根が真面目な子はそういう理由のためにいい子を演じるのは違うと思うようですね^^;

そうやって自分が納得できない動機でいい子を演じているからこそ、「いい子」といわれるのが嫌で、「私はいい子なんかじゃない」と心の中で反発してしまうのでしょう。
人にいい子と思われたくてそうしてきたわけではなく、そもそもは大人に見捨てられないため、嫌われないため、そして愛される子になりたい一心で頑張っていたわけですからね。

しかしそうやっていい子にしてたつもりでも、肝心な両親には伝わらなかったりして虚しくなることもあるようです。
他にも明るく振舞う苦しさと葛藤したり、いい子を演じ続ける生きづらさを抱えていたりと、苦悩を持っている子は多い気がします。
そうやっていい子を演じて生きていると、いい子でいても何かいいことがあるのか、その先に何があるのかと考えてしまうでしょうね。

これはよくあることなんですが、真面目だからできて当たり前と思われてしまい、頑張っても頑張っても褒めてくれないし、認めてもらえない・・・。
いい子だからこそ、些細な悪いことも見逃されてしまう・・・。
人に嘘をついたり、一生懸命に反抗してみても気づいてくれない…。
これじゃ真面目にいい子を演じても何もいいことが無いと悲観的になってもしょうがないのかもしれません。
大人からしたら手のかからないいい子としてみているだけなのですが、本人からしたら放っておかれて相当寂しいはずです。

かたや悪い子はちょっと頑張ったら褒められて認めてもらえる。
当たり前のことしただけなのに大絶賛で注目を浴びる。
悪いことをしたら大人がしっかりと向き合って叱ってくれる。

いい子は褒められるべき立場なのに放任で、悪い子ばかり構ってもらうというのは、よくよく考えるとおかしな世の中ですよね。
本来、いい子といわれている子たちは、叱られたいのでもなく、悪いことをしたいわけでもなく、ただ単に同じように認めてほしいだけなんですけど、それを大人がしてくれないために、不平等感を抱える子が多いような気がします。

いい子にしてても認めてはもらえない、逆にいうといい子だからこそ結果放っておかれる。
そんな生活を繰り返していたら、必然的に叱られたい欲求、構ってもらいたい欲求というものが湧き出てくるのは自然な事で、そうであるからこそ、子供のように叱られて甘えたいという気持ちにもなるんでしょう。
大人になった今なら子供に返って、子供の頃に満たされなかった心の部分を満たすことができるかもしれないと思って当然です。
そしてその心を満たすものが一連のお仕置きの流れで、それがぴったりとはまってしまうんでしょう。

どこで目にしたのかは様々ですが、幼稚園や学校、アニメ、童話などからお仕置きの光景を目の当たりにして、そこに自分の欲している部分があると心の隙間にすっと入り込んでしまうんでしょう。
殆どの子は無意識ですが、心の中ではこのようにお仕置きに惹かれるのは必然だと私は思います。

また、そういった目で見たお仕置きではなく、ただ単に悪いことは叱ってもらいたいと思う子もいます。
また、お仕置き関係なく、大人に構ってもらいたいと思って、気を引くために何かちょっかいを出したり悪戯をする子もいます。
叱られたり、罰を受けたり、愛情をもって向き合ってもらうことこそが、構ってもらうにあたって一番しっくりと満たされる愛情表現なんででょうね。

それと、私は演じることが悪いこととは一切思っていません。
人は他人がいて初めて人間らしくなるんです。
人とのコミュニケーションにおいて演じるということは大切で、それができなければそれは単に自己中で関わりたくない人間となるでしょう。

少なからず人間は演じていて、その究極を追求していくとそれは自分の為。
相手のためにというのはそう思い込んでいる幻想なだけで、深層心理下での本当の気遣いは自分の為ではないでしょうか。
だから自分のために演じていてもそれは人間らしさだと感じます。

たとえいい子を演じていたって周りから見た印象はいい子です。
悪いことをする人は不快に感じます、でもそういう人でも演じればいい人になります、でもそれができない人が悪い人なんです。
だから演じていてもいい人になれるのならそれがいい人なんだと私は思っています。
もともと人間は残酷な生き物でそれに蓋をして今を生きているんですからね、腹黒さなんて誰しも持っているものなんです・・・。

だからいい子の呪縛は別に解かなくていいと私は思います、演じてしまえるのは自分を抑えることができるからで、それは人間生活、社会生活を送るうえで一番必要なスキルだと思いますし、そういう子は尊敬に値すると思っています。
それでも「いい子の呪縛」を解きたいと思っているなら、”いい子を演じているという想いに囚われすぎない”ことですかね。

でもまぁ、一時でもいい子の呪縛を完全に解きたいのであれば、私のところにくるのも選択肢の一つです。
子供に返って解き放てばいいんですからね^^
カウンセリング依頼の場合はお仕置きはしませんが、それでも過去と向き合うことができれば何かが変わってくるはずです。
何かが変わればそこに新しい何かが生まれるはずですからね^^
こういうキーさん的な心理はみんな抱えているものです、一人だけではありませんから心配無用です。



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真面目な子とは、いい子とは

前記事で「キーさんを見て思う事」という記事を書きましたが、それを読んで、いろいろな人からのコメントをいただきました。
ちなみに勝手ながらコメントには返事はしていません、ですが楽しみにしているのでドシドシくださいね^^
キーさん的な意見はとても参考にもなりますから、コメントはしっかりと読んでいますよ^^

で、その前記事の中で、私が「キーさんは純粋な人、根が真面目な人が多いんです」と書いたのですが、やはりキーさんらしいコメントが届きました^^;

「私は真面目でも純粋でも無い」とか、
「私は真面目でもないし今はとても一生懸命生きてると言えない状況だからとても恥ずかしい」とか
「本当の自分は真面目ではなく、真面目を装っているだけ」とか
「周りから真面目といわれているけどそんなことはない」とか・・・。

こんな意見もキーさんならではですね^^;
自分を落として見てしまうとか、自己評価が低いとか、マイナスに考えてしまうところとか、そういうキーさんって多いように思います。

それでも私がキーさんを見るとやはり、真面目そう、いい子そう、純粋そうだと感じます、それは表向きの印象ではなく、心の中身で対話して人間性的に感じるものです。

また、キーさんも他のキーさん達を見ると、純粋さは置いといても、真面目そう、いい子そうだと目に映るはずです。
実際に私も直接キーさんに聞いてみると、自分自身は真面目ではないと答えるのですが、自分以外のキーさんは真面目そう、いい子そうに見えるとこたえていました^^;
きっとキーさんが100人いて、それを他のキーさんが見たとしたら100人全員を真面目そうとか、いい子そうとか思うはずです^^;

それなのに自分だけ真面目じゃないとか、いい子じゃないというのはおかしな話なんですね(笑)
まぁ実際に真面目だとかいい子というのは他人の評価であって、その人が持つ雰囲気と言動によって決まるわけです。
自分の心の中身が汚ないだとか、性格悪いことを考えているからとか、腹黒いことを考えてしまうとか、そういう部分で自分は真面目ではないし、いい子でもないと考えてしまうんだと思います。

しかし、私から言わせると、そんなことで真面目じゃないとか、いい子じゃないとか考えてしまうところが真面目なんですよね(笑)
真面目な子だ、いい子だと言われるから余計にそうじゃないと思ってしまうんでしょうし、だからこそ、いい子と言われるのが嫌な人もいるんでしょう。

ま、実際は人間なんて邪悪さを確実に持っているので、そこまで自分を落として考えたら、真面目な子もいい子もほぼ存在しなくなってしまうでしょう。
人間は自分らが生きるために生き物の命を殺し、それを食して生命を維持しています、そして人間に害があるものは排除し殺してる現状があります。
自分には関係ないと思っているでしょうが、我々一人一人が実際にそれをしているのと同じなんですよね。
金を払ってそれを依頼しているわけですから、我々は残酷な生き物ということを心においておくべきと思います・・・。

話が飛んでしまいましたが、そういう邪悪な心、腹黒いところは人間誰しも抱えているもので、それに蓋をして、周りに対して真面目にいい子で生きていれば、それが真面目な子であり、いい子なんです。
だから自分は普通のキーさんと違って真面目じゃないんだ、いい子ではないんだと考えるのはやめましょう、心はまた別物であり、どうしてもそういう邪悪的な事が頭によぎるものですからね。

人それぞれ何かしらの葛藤を抱えています、それを必死に耐え、人によっては限界を超えてしまって疲弊しきっている子もいます。
不器用だからこそ、突っ走るしかできない、息抜きもうまくできない、それでも一生懸命に生きようとしている。
そんな子たちを私は認めてあげたいし、よくやっていると声をかけてあげたい。
上から目線みたいですが、そうではなく、私に欠けているものを持っているような気がして、そういう子たちを私は尊敬しているんです。

仮に自分の本当の中身が不真面目で、悪い子で、純粋ではないと思っていたとしても、それを私だけにでも素直に言えれば、それが純粋さであり、真面目さであり、いい子でもあるわけです。
そしてそれは普通の人にはなかなかできない素晴らしいことなんだと私は思っています。

誰にも打ち明けず一人で重い荷を抱えたままこの世を去るよりも、一人だけでもそのことを知っていてくれるというだけで心が軽くなるものです。
私はどんなに邪悪な事、忌まわしい事でも一切引くことはありませんし、二人きりでの場所の話はそこから外に持ち出すことも一切しません。
一度重い話をして相手に引かれた経験のある方はなかなか勇気が出ないでしょうが、気になった方は勇気を出して思い切って連絡をしてみて下さいね。


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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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