前記事の続きです。
歪んだ愛情というのはつまり、相手を困らせ、その反応で愛情をはかり、相手対応で愛情を感じて満たされるということです。
本来は、悪い所を愛情を持って叱られて、罰として愛情を感じさせるようなお尻ペンペンをされ、その後許され、対話したりスキンシップすることで愛されていると再認識し、結果愛情で満たされるわけです。
歪んだ愛情を求めるとは、幼児プレイのようなものを持ち込み、駄々をこねて、わがままを言って、いたずらをしてわざと相手を困らせ、それで構ってもらったり優しくされたり叱ってもらうような対応で愛情を感じるという、本来のお仕置での愛情の受けとり方とは違うものとなっているんですね。
親は子供を見捨てたりしないので、子供が困らせるような行動をしたとしても愛情をかけます、その再現をしたい欲求なんでしょうか。
これに味を占めてしまうと、親や恋人、配偶者等にはできないので、スパの世界からなかなか離れられなくなってしまいます。
これはお仕置きの関係だからこそこういったことは起こりやすいのですが、そういう幼児プレイ的なことをして満たされるというのは、相手に依存する要素が強くなっていき、知らず知らずのうちにそこに執着してしまいキーを卒業できないという現象が起きることがあります。
で、それがどんどんとエスカレートしていってしまって、自分でコントロールできなくなってしまうのは、心理的な快楽でもあるからです、というところまで前回は書きましたね。
迷惑や困るような行動をしても見放されないという安心感で満たされるのは当然これが精神的な快楽なわけです。
お仕置きでも悪いことを叱られてお尻ペンペンされて、いい子いい子されると愛情を感じて満たされるので、これも精神的な快楽ですから、どういうもので満たされるかの差だけなんですね。
シンプルにいえば相手側に迷惑をかけたり困らせたりして愛情を得ようとするのは歪んだ愛情の求め方です。
一方家庭的なお仕置きは、相手側に迷惑もかけないし、困らせてもいないわけですね、躾けのために悪い所を叱るだけで、相手は迷惑や困らせるために悪いことをしているわけではないので、叱られたい、その上でお尻ペンペンされたいというのは真っすぐな愛情の求め方といえると思います。
相手側に迷惑をかけたり困らせたりしてそれをお尻ペンペンの理由にして、結果満たされるとしたらこれも歪んだ愛情の求め方です。
例えば赤ちゃんは自分の意思を伝えるために泣いてアピールをするものです。
そうしたアピールで反応してくれ、ミルクを与えてもらったり、不快だったオムツを変えてもらったり、そばに来てもらったりと、そこで安心感と同時に愛情を感じていますよね。
そのコミュニケーションを繰り返しながら養育者との愛着関係を築き、絶対的な安心感と自信というものが芽生えてくるものです。
泣いたり大声を出してアピールをすれば面倒を見てくれる、振り返ったら誰もいなくて怖くなり、泣いてアピールすれば駆けつけてくれる。
そういった日々を過ごしていくことで、自分が守られているという実感、そして不安な時に帰れる居場所の確保というものを、心の中で築いていくものなんですね。
それはエスカレートするもので、ワザと泣いて困らせ、それでも面倒を見てくれるというところに心理的な快楽を覚え、甘える快感の一つとして利用し、それによって更に養育者との愛着関係を深めていくのが幼児の本能というものです。
アピールすれば受け入れてくれる、そういう意識を持っているから一生懸命に訴えるんですね。
なので、そういう愛情の求め方は乳幼児的であり、自分でいろいろとできるようになってきたら自立していくわけなので、やっぱり大人がそういう行動をとるとしたら幼児プレイという感じですよね。
もし乳幼児の時に十分に構ってもらっていなかったとしたら、またはそういう部分が満たされないまま大人になってしまったら、甘えたい、愛されたいという意味で、歪んだ愛情の求め方をしてしまってもおかしくありませんね。
またそういう愛情を再度与えてもらいたいと思ってそうなるでしょう。
その部分がスパのお仕置きにスッポリと心にはまってしまったらそういう行動になるのは不思議ではないですけどね。
でもその部分の快楽だけを求めてしまうと、そこには男女の情も絡むので、それが依存のように癖になり、エスカレートしその行為から抜け出しにくくなってしまうのです。
本来はその部分の欲求を子供の頃に満たし、成長し、その欲求は薄れていくものですからね。
そもそも人を困らせる行為というのは、成長するに応じて子供のいたずらや悪さにつながっていくものです。
背徳感を感じるものはスリルとかゾクゾクわくわくするような感覚があり、すなわち楽しさや興奮と同じ快楽です。
自分のアピールやいたずらで人が反応し、それを面白く感じてしまう、それは人間は持っているものですが、成長とともに理性で抑制していくものです。
大人になっても相手を困らせることに執着してそれをやめられない人や、それで快楽を感じたり満たされ感を得たいという人はいますよね、それはまた犯罪的な人や構ってちゃん的な人、快楽の為と、それぞれですが・・・。
まぁそうやって相手を困らせる行為がエスカレートしすぎると、相手を困らせないと愛情を感じられなくなり、そこまでなってしまう事が問題なんですね。
そういった癖がついてしまった人は歪んだ方法で愛情を求めるようになり、望んだ反応がないと満たされなくなります。
もし私が相手側とするならば、その部分を直してその歪みを正し、正常に愛情を求められるように対応していきます。
まぁあくまでキーを卒業したい人にはお仕置きの魅力だけを感じればよく、更に幼児プレイの魅力を感じるようなことがあればなかなか卒業はできないでしょう。
相手を困らせることで意思の疎通をしてお互いに楽しみたいという人はそのままでも全然かまわないですけどね^^;
これはお仕置とか関係なく一般の人もそうですが、相手が優しくて、全て受け入れてくれるからといって、それが快感になってしまっている人は結構いるものです。
暴言をはいて感情的になってしまったり、意固地になって相手が折れてくれない限り拗ねてしまう人、、、そういう態度をとっても相手が優しく構ってくれて許してくれる、それが嬉しく感じてやめられなくなっていませんか?
困らせなければ愛情は得られないと行動してしまっている人はしっかりと考え直す必要がありますよ。
そこが自立への第一歩かもしれません。
ま、実際にはそういう大人はいますけどね、そういう大人は本当に困った人ですから、そうはならないように、なったとしてもそこはパートナー同士、幼児的なプレイの中でおさめるようにしてくださいね^^;
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