女性の暴言についての補足

前記事では女性議員の暴言について書きましたが、その補足です。

女性議員が暴言を吐いたことについての記事を書いてから
「私の周りにはそんな人がいないのでびっくりでした」とか「自分もそうなりそうで怖い」とか「人間としてどうかと思う」とかいろいろな意見が私のところに来ました。

でも周りにそんな人がいないからびっくりというのは当たり前の話で、それは親子や兄弟間、恋人同士の前でしか出さないから、自分が感情的に怒ってしまう人間でない限り、女性がヒステリックになって男言葉を使うという現状がわからないし、そんな人がいたとしたら異常だと思ってしまうんです。
甘えられる相手だからこそだしてしまう、そして感情を出して怒る事がイライラのストレス解消になり、快楽にもつながっているために一度暴言を吐けた人間には癖のようになって繰り返してしまう事になるものです。

実は、そういう行為がどうしても直せないということで悩み、それで私のところに相談に来る人も結構います。
それぞれその人なりに真剣に悩み、自分で直したいけれでも、どうしても感情的になったら出てしまい、そのたびに自己嫌悪に陥り、悩み苦しんでいるのです。
そういう人は子供を持つ親でも普通にいますし、そういう親に育てられた子供もそうなりたくないのに出てしまうと苦しんでいるのが現状にあります。

実際に感情的に怒る行為というものは一度身についてしまったら自分ではなかなか直せないものなんです。
それは周りの環境でそうなるからで、その環境というのは生まれた時からずっと一緒だった親の言動であったり、仕事場やプライベートな仲間内の影響であったりです。

その人たちが感情的に怒ったり、汚い言葉遣いをしたり、怒った時の表現が暴力的だったりすると、自然とそういう表現が身について、怒った時の怒りの表現が暴力的に、暴言的になってしまうものです。

それはちょっとしたイラつきでは出てこないのですが、更に感情的になり、それが自分の我慢の限界を超えてしまった時にでてきてしまうものなんです。
ある程度怒りの沸点を高く設定できたとしてもそれを超える怒りが訪れるとやはり出てきてしまうんですね、だから心を広くしたとしてもそれを超えてしまう事があると抑えることができない、とても厄介な事でもあるんですね…。

我慢の限界を超えて感情的になった時には怒鳴ったり、それで収まらなければ男みたいな言葉遣いで暴言を吐いたり、それでもまだという人は物を投げたり人を叩いたり、物に当たったり、とエスカレートしてしまいます。

しかも、一度そういう感情的な暴言を体験してしまったら、その場では心がスッキリするものなんですね。
それは大声を出すこともそうなんですが、それによって相手を威圧し、加えて、乱暴な言葉遣いで相手を怖がらせ、物を投げることで威嚇したりと、そうやって相手をとっちめることにある種の快楽を感じてしまうんです。
しかも一度経験すると、それがないとイライラが収まらなくなってしまうからどうしてもやめられなくなってしまうのです。

ただ、そういう態度を出せるのはある特定の人だけで、一度成功した相手にはまた繰り返してしまい、もう止められない麻薬のようなものになってしまうんですね。
特定な人だからこそ、表には出ず、感情的に怒ることをしない人にとっては「信じられない、周りにはそんな人いない」となってしまうことにつながりますが、実際は結構いるものです。
だから単に女性の暴言といってもかなり深刻な問題なんですよね。

そして深刻に悩み苦しんでいる人は結構います、これは親が子供を虐待してしまうというものに非常によく似ていて、そういう人はその自分の行為に後悔し、やめたくてもまたしてしまうという罪悪感、嫌悪感、絶望感に苦しんでいるわけです。

特にこういう感情的になってしまう人は真面目な職業に多いのも特徴的です。
前記事に書いた議員さんもそうですが、学校や幼稚園の先生、公務員の人等、人前ではしっかりとしていなければいけない人や聖職者的な人に意外と多いものです。
仕事場ではしっかりとしていても、家に帰ると親であれば自分の子供や、子供であれば自分の親に暴言を吐く、また自分を出せるくらい近く、そして甘えることができる恋人に暴言を吐いてしまうんです。

他の人に対しては大人しく真面目で通っているのですから、まさかこの子がなんて想像もつかないことでしょう。
でもこういう人たちは真面目だからこそうまく息抜きができないで、ストレスばかりが溜まってしまうのでそれが一番の原因なんだと思います。

ある程度いい加減な人は適当に息抜きしたり、サボったり、ダメな部分を出して解消するのですが、真面目な子は特に不器用で、息を抜くことを知らずにストレスばかりをためてしまいます。
だから真面目な職業の女性に感情的な人が多くなってしまうのかもしれません。
はたからみたら真面目な人ほど意外って思うでしょうが、私からしたらそれは当たり前のように感じます。

自分を見つめてそういったところを直していこうと思う気持ちは大切なことです。
まずはそういった気持ちが無いと始まりません、何度も繰り返してもその気持ちだけは持ち続けることが大事なんです。
自分ではうまくいかず自己嫌悪を繰り返しているのはあなただけではありません、そういう人はたくさんいるんです。

もし本気で直したいのであれば私も話を聞きますし、そういったことを第三者に話し、客観的に話をしてもらい、自分の決断をより固めたり、違う方向から物事を見つめられることにつながりますので、まずは今までと違う変化へのチャレンジをしてみて下さい。
そうすることによって何かが変わるはずです、変わった何かでまた気が付くことも出て来るでしょう。
成長とはそういう事でもあるのでまずは自分を変えるために今の現状から一歩抜け出してみてはどうでしょうか^^





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親の躾で大切な事 4 終わり

続きです。

見放され不安や自信のない性格、親に自分の意見を言えない、自己肯定感が持てなくなってしまったなどの様々な要因、そしてそのことをどう捉えていくか。
解決に向けた心の持ちようをどうしていくかというお話しからですね。

親の躾として一番大切なことは、自信をつけさせることと最初にお話ししましたが、それは人間の生きる力や意思を持たせるためにとても重要な事なんです。
簡単な例を言うと、野生の動物の子供は親から離れ、自分で狩りをし、自分一人の力で生きていかなければならず、親はそうできるように無意識である本能で躾け、生きていく力をつけさせるわけで、これは同じ動物である人間も同じなんですね。

だからこそ動物や人間の本質である、生きる力や自分の意思がないと、自分の人生を歩んでいる実感や、生きている実感を持てなかったり、虚無感に襲われ、自分の存在価値を否定し、存在していいのか、生きていていいのか、必要とされていない、死にたいと病んでしまうことにつながるのです。
自信のある人でもそう思うことはあるのに、それが自信がない人だとかなり自分を追い詰め苦しんでしまうでしょう。

親の期待のために生きてきたり、親の顔色を見て生きてきた人も同様で、ふとした時に、人生において自分自身の意思や中身がないということに気づき、それを考えると虚無感に襲われるものです。
親に自分の意見を通すことができない人も同様、泣かれてしまったり、親に心配をかけたり、嫌な思いをさせたくないというのも、追求していくと、親に嫌われたくない、見捨てられたくないということに関係しているものです。
まぁ実際は親は子供を嫌わないもの、見捨てないものというのが当たり前なんですけどね(例外はありますけど^^;)

親としてはどうしたらいいのか。
子供が自分の意思で動いて、決断でき、生きる力を養い、自信を持つようになるためには、親は様々なことを子供に決めさせる事を基本に育てることをしていかなければならないと私は思います。
全ての選択を好き勝手させられないというならば、いくつかの選択肢を与えてそこから決めさせることはできるはずです。
そして子供本人が決めたことに対して余裕を持って見守ってあげることです。

決して心配しているという顔をせず、お前ならできるという心で信頼して見守ることです。
ここに心配そうなそぶりが入ると、「自分はダメだから心配されるんだ」と自信が持てなくなり、親がいないと何もできないと無意識に感じてしまうものです。
子供に任せて失敗したとしても、そんなの長い人生においては大したことではありません、そしてその失敗が成長につながり、身をもっての経験で決断の仕方を学ぶものなので、違った見方をすれば喜ぶべきことでもあるのです。
あくまで支える側の姿勢とアフターフォローの言葉かけ、愛しているんだよというスキンシップがカギを握ると私は考えています。

まぁ普通は子供が決められないでいると親が決めてしまいがちですよね、それは遊びでも食事でも習い事でも何もかもです。
でもそれが原因で、大人になっても決められなかったり、決断できず、自信がなく、自己肯定感が持てない人間になる可能性が強まるわけですから、子供に決めさすことはとっても大切な子育ての一つだと感じます。

それではそのように育ってしまった人はどのようにしていけばいいのでしょうか。

このような性格を直すのはなかなか難しいものです、切り替えることができる人は単に「自信を持つ、失敗を恐れない、プラス思考で取り組む」ということでいいでしょうが、大半の人はそんなことができないから苦しんでいるんです。

私がよくお話ししていることですが、それは育ててくれた親の意図や、その時の気持ちを理解してあげるということです。
理不尽な親、感情的に怒る親、自分の機嫌一つで言う事が変わる親に対しては、それは人間的に未熟だったと理解することです。
前もブログでチラッと書きましたが、初めての子どもは、親にとっては手探りの子育てです、全員素人なんですね。
そして人間の心理などの勉強しているわけではないので、自分の育った環境や自分の性格で子育てをしてしまうものです。

逆に子供というものは、親は絶対的な存在であり、全てが正しいと思いこみ、それは本能的な事です。
それで心を支配されて、コントロールされてしまうのですが、実は親もただの一人の人間に過ぎないんです。
こんなことは当たり前のことなんですけど、本気でそれに気づいている人は少ないものです。

分かりやすく説明すると、学生の時の同級生の中には「この人が親になれるの?」という人は結構いるものですよね。
会社でも周りを見渡せばそんな人は結構います。
でもそんな人でも親になり、子供を育てることになるんですね、周りから見たら子育てなんて無理だろうと思っても、子供にとっては絶対的な存在であり、正しい人であり、親が人間の見本のように思ってしまうものなんです。

ただ、それは幻想で、親はただの一人の人間であり、その中には未熟者も沢山いるんです。
なので、そういう幻想的な囚われからは抜け出さないといけません。
ある程度大人になったら、そういうパーフェクトではない親を認めてあげる事、友達や知り合いと同じような、一人の人間を見る目線でこれまでのことを理解してあげることです。

うらみつらみを考えても、そういう性格であったのだからしょうがないと受け入れることをしていく、その中でも感謝できる部分を探していくと、少しずつでも親を理解できるようになるものです。
ここが満たされなかったからずっと不満を持つ、なんてことは自分の親がパーフェクトではない欠陥人間だと思い込んでいるのと一緒で、実際にパーフェクトにすべてを満たせる親なんて存在はしていませんし、自分でもできるわけがありません、そこを理解するということをしてみて下さい。

スキンシップがない親はその重要性が分からなかったり、恥ずかしくてできなかったり、子供とどう接していいかわからなかったりするものです、特に自分の親にそうされなかった人は自分の子供にはできないものですし、両親がいなかったり、片親だったりすると、父親としての接し方や母親としての接し方が分からないということが普通にあるものです。
自分とは違う考え方や性格を理解することが大切で、あなたの考えは実際にはあなただけであって、親だからといってまるっきり一緒ではないんです。

実際に子供自身が感じた満たされない部分は、周りと比較した愛情であって、それがないから愛されていないんだと思うのは違うんですね。
スキンシップがなくてもお金をたくさんかけてみたり、他の部分で労力を使っているならば、そういう愛情を認めてあげること、そしてそれに対して感謝することをしてみることです。
もちろん大切なのはお金をかけることではないのですが、そう思ってしまう親や、そう思わせてしまう親もいて、それでも子供を思う気持ちは変わらないものです。

また、全てにおいて決めてしまう親、人生のレールを敷いて子供の意思を尊重しない親、自分の期待や価値観を押し付けてしまう親についてですが、そういう親は結構いるものです。
親が決めるにしても子供の意思を尊重しながらうまく誘導していかないと子供にとっての将来は自信を持てないために辛いものになります。
それは親の操り人形であることがそのうち分かるからで、自分のやりたいことができなかったり、やりたいことすらも考えられなくなってしまい、何のために生きているのか、親の言いなりに生きて自分に魂はあるのか、と必ず悩むようになります。

しかしこのような育て方の親でも、それは深い愛情があってのことで、親が感じた挫折や失敗は味合わせたくない、こういう人生を送れば絶対に幸せになれると思い込んでいるからです。
自分がしたかったことを実現させたらきっと幸せになるだろうというエゴもありますけどね^^;
不幸にしようと思ってお金をかけることはしませんし、自分が思う理想の幸せな人生は、子供にとってもきっと幸せだと思うのは当然で、これも不幸にしようとしてしているわけではありません。

子供としてはかなりの不満であっても、そこには違う意味での愛情があったということを理解することで親を受け入れてみてはどうでしょうか。
そんな愛情いらないと思うでしょうが、まずは愛情でそのようにしたんだということを理解することをしなくてはなりません。

人間の価値観とは人それぞれで、それによって愛情のかけ方が変わってきますが、人間というのは足りない部分の愛情をより望む傾向があるんです。
ないものねだりの心理というものがあって、普段与えられている愛情は当たり前に思って感謝もできないのですが、足りない愛情に対しては欲求が膨らみ続け、それが不満に変わっていくというものです。
叱られて育った子供は優しい親を好み、叱らない優しい親の元で育った子供は叱られることに憧れを持ったりということはお仕置きの世界ではよくあるものですが、他にも無いものねだりなケースはたくさんあります。

また、価値観の中でも勉強に価値を置きすぎて、コミュニケーションをおろそかにすると、社会生活で重要な人間関係が円滑に運ぶことが困難となります。
正解のある勉強は努力によってなんとかなっても、答えがあるわけでもない人間関係や、ある種の仕事に関しては、努力でできることでもない場合が多く、勉強で答えを導き出すことだけをしてきた子たちはそれが挫折につながります。
それでも親としたら勉強ができたらいい就職先が見つかり、良い収入を得られ、良い人と巡り合え、最終的にそれが子供の幸せ、と考えているからで、そういう親の根本の愛情を理解することも大切です。

さらに「いうとおりにできたら愛してあげる、できなかったら愛さない」というような躾は、親のいう事を聞けば愛情が手に入るとインプットされてしまい、愛情を見返りに行動してしまう、親のために何かをしないと愛されないんだ、見放されてしまうんだと錯覚してしまうことにつながります。
実際には、「もうそんな子は知りません」とか、見捨てるような言動は躾の為にすることはよくありますよね、その一言でトラウマになってしまう子もいるので、本来は好ましくない言葉ですが、親は子供を絶対に見捨てることは無いということは知っておくべきです。
まぁもちろん見捨てる親はいますが、それこそ子供過ぎる、未熟すぎる、人間として欠陥があるのだと思います…。

「親の躾で大切な事」の最初の方にお話ししましたが、親には絶対に見捨てられることが無いという自信がある子供はたくさんいます、見捨てられ不安が多少なりともある人にそういう話をしてみると、それが信じられないといいます。
でも何もしなくても、もっといえば犯罪行為をしたとしても絶対に見放さないと思い込んでいる人はたくさんいて、親とはそういう絆が自然と出来上がっているんですね。

自分に自信が持てない子や親に自分の意見が言えないような子は、とても不器用で根が真面目な子ばかりです。
親に見捨てられないという根拠のない自信というのは、自然と感じる空気のような曖昧なものでしかありません。
真面目だからこそ根拠がない事に対して、真に受けたり、適当に受け入れることができないのでしょう^^;

そういう子はどこか論理的で、自信を持てるような確証が無いと自信が持てない、それは勉強では努力によって答えを見つけるということができ、答えを見つけるからこそ安心できるという構図が出来上がっているからだと感じます。
冷静に考えると、未知の領域にチャレンジするにしても、根拠のない自信ほど馬鹿らしいことは無いと気づかされます。
これは勉強せずに100点を取ると言っているようなものですからね(笑)
そういう意味で論理的に確信が持てないことに対しては不安になってしまうんでしょう。

でも人生を生き抜くということは正解がない、だからこそ、そこが生きにくいことにつながるのでしょう。
今まで自分で決めて、失敗や後悔をして、それを教訓にして成長し続けてきた人はチャレンジすることに楽しみが芽生えるのですが、そうしてこなかった子は、答えのないものに飛び込むのはストレスでしかなく、不安でたまらないようです。

自信のある人は10の内、1の可能性があれば「何とかなるかも、やってみよう!」となりますが、自信のない人は10の内9の可能性があったとしても、1の不安材料があれば「ダメかもしれない、失敗したらどうしよう」と悲観的に考えてしまいます。
そもそもそこの思考回路が違うわけです、それは育ってきた環境によるものが大きいんでしょう。

でも、実際はうまくいく可能性は同じなんです、同じだけども「成功する」という自己暗示が成功に結び付く力となり、逆に「失敗するかも」という不安の自己暗示が失敗に引き込んでしまうものなんです。
なので、不安要素を考えてしまう人は、それを考えないように持っていくこと、根拠のない自信を持つように意識を持っていくことをしてみて下さい。

まずは自分が自信がない、不安でしょうがない、親に操られているようで生きている実感がない、見捨てられ不安が強い、自己肯定感が持てない、というような人は過去を振り返り、両親を一人の人間として、同じ土俵に立って受け入れ、感謝することには感謝をすることをし、前向きに考えてみましょう。

このようなことで一人で抱え込んでいる人には私はいくらでもお話を聞きますし、何かしらの助言もできると思います。
基本はお仕置きサイトですが^^;その中ではお仕置き行為は一切無しの、対話のみのカウンセリングも受けつけていますのでお話をしたいと思う方はサイトの方から連絡ください^^

かなり長くなってしまいますが、この辺で終わりにしたいと思います^^




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親の躾で大切な事 3

先日の続きです。
この「親の躾で大切な事」は、お尻叩きという枠を超えたお話しです。
子育てにとっても大切な事なので、お仕置きに全く興味のない方もご覧になってみて下さい。

どうして自分はここまで悲観的で自信がないのか、そうやって悩んでいる人は増え続けています、その要因の一つに焦点を当てています。
まずは悩んでいるのは自分だけではないということを知ることです。
このように育てられた子は、特に平気な顔を演じて空元気に過ごしている人が多いので、はたから見たら気が付かないものですが、真面目で不器用な子ほどこういう傾向にあるものなんです。

自分自身を知ることで何かが変わるかもしれません、そして自分が育てる立場になった時に気を付けなければならないことも参考にはなるかと思います。
現在子育て中の方も、少し意識を変えて子供と接してみるなどしてみてはどうでしょうか。


それでは前記事の続きです。
実際自信がない人はどうすればいいのか、どう解決していけばいいのか…。

ここまで書いてなんなんですが、実は解決というのは無いのかもしれないと私は思っています・・・。
解決というよりも、過去の生育環境を振り返り、その際の親の考えを想定してそれを受け入れ、自信がない自分についての捉え方を変えていくことで心の重荷を軽していくしかないのではないでしょうか。
満たされない部分を満たすことや、なかったことにするような解決法も、自信のない性格の人たちには特に難しいのです。

自己啓発本やマニュアル本のようなものがありますが、そうできないから悩んでいるのであって、できる人というのは元々プラス思考なんだと私は思っています。
もちろん本を読んだり話を聞いたりした瞬間は心がすっきりするかもしれませんが、それで性格や考え方が変わるわけではなく、根本が変わらないのですぐにマイナスな考えで物事を捉えてしまうことになってしまうんです。

だから単純に「自信をもっていいんだよ」「プラスに考えよう」「みんなと変わらない、気にしすぎだよ」といったとしても、もともとマイナス思考の人にはその場しのぎの気休めにしかならず、解決にはなりにくいんです
一時的な解決はあっても、永久的な解決というのは難しいと思うんですね、解決できるのはプラス思考を持つ人だけかもしれません。

実はこういう話はタブーなんですね、悩んでいる人に解決はないなんて、それは弱っている人に引導を渡すようなものですから。
性格とは先天的(生まれる前)な要因があるものの、後天的(生まれた後)な要因が人格形成において強い影響を与えます。
そのできあがった性格の部分を変えていこうとすると、もっと心が辛くなっていくことになりがちです。

例えば、暗い性格の子が明るくなりたいと思って頑張っても、そのうち次第に疲れてきて、結局元のまんまが楽だとなっていくものです。
でもそんな自分が嫌いで明るくなりたいという思いは消えずにさまよい続けます。
逆に明るい子が暗くなろうとしても長続きはしないものです、ただこういった性格は幼少期での人間関係で変化することはよくあります。

じゃあ解決はないのでしょうか。
解決は無くても、”どうして自信が持てないのか””どうして悲観的に物事を考えてしまうのか”
その要因を知れば、自分というものが分かり、捉え方が変わり、そのことで心の重荷も多少は軽くなるものです。
精神分析療法的に過去を見つめ、自分自身を知ることで根本の捉え方を変えていく。
これはとっても必要なことだと私は思います。

これ以上書くとかなり長くなってしまうので、また持ち越します^^;

見放され不安や自信のない性格になってしまった様々な要因、そしてそのことをどう捉えていくか。
解決に向けた心の持ちようをどうしていくか。

そういった話を次回にしていきます^^




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親の躾で大切な事 2

先日の続きです。

それでは自信がない人はどんな感じで育ってきたのでしょうか。
自信のない人とは、すぐに不安になる人、悲観的な人、決断ができない人、親に背けない人、などがその部類でしょう。

例えば、無理矢理でも言う事を利かすような虐待的な親もいます、未熟な親はカッとなったら人格否定をしてでもうっ憤を晴らしたりもします。
そのような親に支配されてしまうと、自分を守るために親の言いなりになり、生き抜くために必死に親の機嫌を取るようになり、次第に自分の意思というものを養えなくなるものです。

我慢して成人したらすぐに家を出ようと思っていても、実際は自分の心の奥底の親の支配は消えず、なぜか家を出れなかったりします。
仮に家を出たとしても、こんなにも憎い親の機嫌を取り、そういう親との関係に苦しんだりするケースがあります。
このような環境で育てば、自分の意思というものは育たず、自分で考えて行動するという能力に欠けてしまいがちになります。

しかしこれは普通にあり得る話で、誰でも想像はできるのではないかと思います。
特に問題なのは、虐待的なケースではなく、”過保護的”に育てられた人に自信のない人が多く存在していることです。
親が良かれと思っていしてることが子供のためにならず、将来の子供の心を苦しめる結果になってしまう可能性が大いにあるんですね。

過保護的というのは悪いことではありませんが、その中で大切なことは、”子供の意思を尊重して育てる”ことをしなければ自信のない子供に育ってしまいがちです。

例えば、
やることなすことが心配だからと不安そうに見守っていると、子供は親が常にいないと不安になってしまうものです。
他にも、子供が困っていたらすぐに答えを出してしまう。
子供の人生の全てのレールを敷いてしまう。
勉学や学歴が人生の価値と思わせてしまう。
金銭的な不自由を感じさせず、奔放に育ててしまう。

これらに共通していることは、人間の生きる力である”意思”や”決断力”が育たないこと、そしてそれが”自信のない人間”へと導くことになるということです。
このような子は、いわゆる聞き分けの良い子が多く、親に余計な心配をかけたくないとか、嫌われたくないとか、家族がバラバラにならないように自分を抑えたりとか、性格的にも真面目で良い子が多いようです。

また、こういう性格の子は、「自分は親の期待に応えてるからこそ愛してくれている」と考えるようになり、親の期待に沿えなかったり、親に逆らったりすると見捨てられるんじゃないか、という不安が絶えず脳裏にあるものです。

子供はそんな親をどう思っているでしょうか。
「嫌いでしょうがない」と思う子もいれば、「優しくしてくれる親が大好きでしょうがない」という子もいますが、中間というのがあまりなく極端に偏っているものです。
両者は全く違いますが、共通していることは自分に自信がない、見捨てられ不安が強い傾向があるということです。

それではどのように解決していけばいいのでしょうか。
これは育てる側にとっては簡単でも、育てられてしまった側にとってもとても深刻な問題なんですよね。

そこら辺の話を次回にしてみたいと思います。





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親の躾で大切な事 1

親の躾で一番大切なことは子供に”自信”をつけさせることに尽きると私は思っています。
自信には根拠が無くて構いません、自信満々に生きている人は根拠のない自信を持っているものですからね。

自信がどうして必要かというと、自信がないと生きていてとても辛いからです。
虚無感のようなもの、自分の存在を否定してしまったり、人生に意義を感じなかったりしてしまう事が多いので、そうならないように躾けることは勉強以前に大切なことだと感じます。

勉強以前にというのは、勉強より先にそういったことを躾けるというわけではなく、これは赤ちゃんに食事を与えて育てるのと一緒で、勉強しながら毎日ご飯を食べているようなものです。
結局は勉強と自信をつけさせるような躾は同時進行できるわけですが、勉強だけでは将来生きるのがつらくなることにつながるという意味です。

それではどうすればいいか
実際にマニュアル通りに子育てしても理想の子供には育たないものですから、こうすれば自信がつくというものはありませんが、少なくても効果的な事、もしくは逆効果な事かはある程度は答えのようなものはあります。

それは小さい頃から人格を肯定する事、何でもできる子だよと言い聞かせる事です。
これは暗示のようなものですが、これによって根拠のない自信が生まれることにつながります。

それに加えて、親は子供を絶対に見捨てることは無いと理解させる事です。
これは言葉と一緒にスキンシップを取るということで、見捨てられないという鉄壁な自信が芽生えてくるものです。

ただ、どんなにいい関係であったとしても一回でも見離すような言動があると、その一言で親に見捨てられるかもしれないという不安が芽生えてしまったケースは実際にあります。
まぁそれは稀ですし、実際にそういう躾はありますよね。
そのケースの場合、アフターフォローができていたかどうかは不明ですけど、やはりその後のスキンシップや愛情表現が修復には必要なはずです。

また、子供を肯定してあげるといっても、もちろん間違ったこと、ダメなことに関しては叱ることはしなければなりませんが、その際の言葉かけや叱った後のアフターフォローはとっても大切です。

仮に体罰であるお尻ペンをしたとしても、その効果が大きく”吉”と出るにはその後のアフターフォローが不可欠です。
どうしてそこまでアフターフォローが必要かというと、もしお仕置きをした後にそのままほっておいたら「愛されているから叱られたんだ」という確信が持てず、「叱る=嫌いなのではないか?」と心に残り、叱られた行為によって愛情を感じられなくなってしまうからです。
なのでアフターフォローのない叱りやお仕置きは大きくマイナスになってしまう危険性があります。


それでは自信がない人はどんな感じで育ってきたのでしょうか。
この続きはまた後日します。

子育ての最中の方はもちろん、大人になりかけの方、成人になっても自信が無くて悩んでいる方、悲観的に物事を考えてしまう方、などには何かのヒントを見出せたらと思います^^



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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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