「子の心、親知らず」 その2

前回記事の続きです。

親と一緒にいるのは苦痛でしかないのに、親には良い子のふりをし続けているケースは意外と多くあり、その親自身子供とはとても良い親子関係が築けていると思い込んでいるのですが、実際は違うというかなり恐ろしい現状があるというお話でした。

そんな子供達は成人してどういう気持ちでいるのか、どう親と接しているのかということが今回の本題です。
成人して親と同居しているケースもあります、普通に考えたら家を出ればいいのにと思うのですが、親に反対されるのが分かっているからそれが言い出せない、というよりもそれさえも言い出せない子もいるんですね。

また一人暮らしを許してくれて別で暮らしている子達や結婚して別々に住んでいるケースもたくさんあります。
それでも年末年始や一般的に言われている帰省時期には必ず顔を出すのはもちろん、そういうことがなくてもたまに会いに行ったりしたりします。
いや、それは当たり前のことだし、親孝行だし、とても素晴らしいことなんですけが、親に会うことがとてつもなく苦痛であるなら会わなければいいと思うのですが、それができないんです。
たまに家に帰らなければ親に叱られたり、嫌味を言われたりする、そうなると嫌われる、見捨てられる、家族の輪を乱すという恐怖心があり、辛くても会いに行ってしまうようです。
また、反抗できなかったり決断ができないので、他の選択肢や考え方自体が分からないということもあるんですね。

親不孝な話ですが、本来親子関係が強固なものであれば親の所なんかに帰らなくてもある程度は平気でいられるものです。
「便りがないのは無事な証拠」と、ことわざがあるように、成人した大人は、楽しかったり忙しかったりすると、親よりも優先したいものができ、「実家に帰らなきゃな」と思っていてもつい先延ばしにしてしまうものです。
2年、3年帰らなくて、そのことに多少の罪悪感があっても、親を後回しにしてしまう人は多くいます。

でもそれが良い子を取り繕っている子にはできないんです。
親の期待を裏切ること、親に叱られるであろうことをすることができないんですね。
成人しても子供のまま、そういう心理状態になってしまっているんです。
もしそんなことをしたら、それこそ見放されてしまうかもしれない、家族がバラバラになってしまうかもしれないと不安になり、子供の頃同然、全てを支配されてしまっているんですね。

子供時代に何があったのかは様々なケースがありますが、その殆どは体罰のような虐待ではありませんし、むしろそうでないケースの方が圧倒的に多いんです。
まぁこれは今回のテーマ(子の心、親知らず)だからこそですから、体罰的な虐待なら親は子供の心を少なからずわかるわけですから当然ですね^^;

そんな様々なケースがある中、共通して言えることは子供は親に愛されるために頑張って努力し続けているということです。
親の期待に応える、それをすれば愛情がもらえると思って必死に頑張る。
親の敷いたレールをそのまま突っ走るのもそうです、勉強していい成績を取るのもそう、良い学校に入るのもそう、反抗しないのもそうです。
反抗しないのが行き過ぎて反抗期すら知らないというケースが殆どかもしれません。
親の期待する良い子でいれば褒めてくれるし、愛情を貰えると思って頑張り続けますが、その愛情はいつまでたっても手に入りません。

なぜかというと、その親たちは子供がいくら頑張っても、その子供の”心の部分”を満たしてあげることに対して軽視してしまっているからです。
勉強や躾を重視し、学費や経済的に支援してあげているというだけで満足してしまっているのでしょう。
もちろん、それはそれで大きな愛情ではありますが、子供の心を埋めるものでは決してありません。

大切なのは”体”と”心”のスキンシップです。
頑張っていたり、良い子していたら、その都度抱きしめてあげればいい、そういう”体”のスキンシップが欠けているんだと私は感じます。
子供を信じてあげる事、子供の話を真剣に聞いてあげること、傷ついた時にはどんなことでも味方になってあげること。
そういう”心”のスキンシップが欠けているんだと思います。

精神論も行き過ぎで、何事も頑張れ頑張れというだけでは人間の心は維持できません、悩みや愚痴、そして心の傷はしっかりとケアしてあげる。
子供を信用すること、しっかりと話を聞いてあげること、そして抱きしめてあげること。
これが愛情の中で一番大切なことなはずです。
でも「そんなことでくじけるな、負けるな、そんな子は知らない」と突き放し、それの限界点が分からずに教育して取り返しのつかない精神状態へと追い込んでしまう。
でも親はそれは精神を鍛える手段であり、子供を幸せにするために必要なことでそれが愛情と考えているんですね。

だから子供はいくら頑張っても認めてもらえないという絶望感を感じ続け、親に背くことを恐れるんです。
そして親の気に食わないことをすると一番欲している愛情を受け取れない・・・・、でもいくら良い子でいても自分の求めている愛情を与えてもらえない、そんな心情でいるから親と一緒にいると苦しいし、それでも離れられないでいるのではないでしょうか。
離れる決断ができないといってもいいかもしれません、全て親が決めてしまって、良い子でいるためには従うのが一番で、だからこそ反抗もせず、自分で決断する能力に欠けてしまう事にもつながるんです。

親は何とかできなかったのでしょうか、心と体の愛情を与えることはできなかったのでしょうか。
子供たちは実は必死のSOSを発信しているのですが、それに親は気が付かない、もしくは大したことないと判断してしまう。
でもこれだけは断言できます。自分にとっては小さな悩みでも、その人にとっては生死にかかわる悩みということは普通にあることなので、悩みの大きさは個人の価値観で測っては絶対にいけません。

だからただ真剣に子供と向き合って話を聞くだけでいいと思います、傷ついた心をケアしてあげればいいと思います、嘘つき呼ばわりされたりいじめられても子供の言うことを信じて応援してあげればいいんです。
そういうケアがないから子供は親から何かしらの屈辱を受けたと感じ、それが心の傷となってしまうんです。

と、そうやって成長してしまったわけなので、そんなことをいまさらグズグズ言っていても過去は変えられませんよね^^;
ま、通常は親と話し合うのは必要ですが、それができないから難しいことなんですけど、頑張っても話ができないのであれば、これまでのことを受け入れるしかありません。
受け入れるという本当の意味は今の苦しい状況と同じではなく、親といても苦痛ではなくなる、もしくは少しは薄れるということです。
苦しんでいては受け入れるとは言い難く、これまでと何ら変わりはないですからね。

まぁ私がそういう子たちにいつも言っていることは、間違いなく愛情はあったということです。
心と体の愛情を与えられなかったのは、親はそれよりも躾や学業、経済的な支援という愛情の方が大切と思っいたんでしょう。
自分の人生での失敗や後悔という経験をいかし、あらかじめレールを敷いてみたり、物事を決めつけてみたりして子供には不自由な思いをさせたくないという愛情。
はたまた自分の夢を子供に託したり、自分が幸せと感じることをしてあげることが子供の幸せと思い込むそういう愛情。
子供にとっては迷惑なことですが、これも立派な愛情には変わりありません。
本当に愛情が無かったら、そんな育て方はしないし、支援もしないはずですから。

親も人間です、全てをわかるわけもなく、子育ては素人ですからね、人間心理もわからないだろうし手探りで必死だということは理解しなければなりません。
そういう子供たちが満たされなかったのは、心と体のケアやスキンシップという愛情ですけど、それでも親は子供に対する愛情はあったんだと理解することで受け入れる。
他人の家庭を比較せず、他の家庭の愛情を欲しがったりうらやましがったりをしない。
自分の理想の愛情ではなくても自分の親はその親なりの愛情表現をしてくれたという事実を受け入れてみてはどうでしょうか。

そして自分が経験した愛情不足は、付き合った相手側には与えてあげる、また子供ができたらその子供には与えてあげる。
そういう経験をしたからこそできることでもあります。
負の連鎖はもうおしまいにして、これからはその経験を活かし、幸せを与えられるように成長していきましょう^^

今まで満たされなかった愛情不足を埋める場所はどこにもないかもしれません、でも自分の思いを吐き出す場所、願望を叶える場所、満たされなかった愛情を感じられる場所を少しでも感じたいのならば私はいつでも受け入れています。
力が及ばないこともありますが、このブログに共感できるのであれば少なくても他の人よりも気持ちは理解しているのではないかと思います。



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「子の心、親知らず」 その1

「親の心、子知らず」または、「子の心、親知らず」ということわざがありますよね。
それにまつわることなんですが、”うちは子供とは仲がいい”と思い込んでいる親御さん、実はそうでないかもしれませんよ、、、というちょっと深刻なお話です。

「親の心、子知らず」とは、簡単に言うと、親が愛情をもってしつけや教育をしているのに子供はそれを理解していないということ。
その時は分からなくても、成長していくうちに、もしくは自分が子供を授かって育てた時に初めて理解できるんだよというような事なんですが、これはいずれ解決するというお話しなんですね。

でも実際は理解しないまま解決できずに苦しんでいる”成人した子供”も世の中にはいるんです。
しかも深刻に苦しんでいて、親と一緒にいるのは苦痛でしかないのに、親にはいい子のふりをして良い関係を保つように頑張っているんですね。
しかしそれを親は知らず、むしろ親は子供とは良い関係を築いていると思い込んでいたりするケースが結構あるようです。
本来苦痛であればそのことを親に伝えれば解決にもつながりますが、そういう子たちは未だに反抗できないため愛想をふりまいて親の機嫌を取ってしまうのです。

そういう子たちとは、真面目な良い子で不器用な人が多く、このブログで言うキーさん的な性格な人なんですね。
良い子だからこそ親の言うことを聞き、親に背くことができない、自分の嫌なことさえも親の顔色を見てしまうんです。
もちろん親とめちゃくちゃ仲良しの子もたくさんいるのですが、親との関係に苦しんでいる子も結構いるようです。
はたから見たても、そして親から見ても良い関係が築けていると思っても、実際は違うという少し恐ろしい現状なんですね。

よくあるのは、親子関係は悪いのに世間体を気にして良い家族を装っているというケースです。
これははたから見たら仲の良い家族でも実際は違うという一般的によくあることで、どの家族がそうなのかは聞かないとわからないものですよね。
しかしそうではなく、親だけが仲の良い親子と思い込んでいて、実際は子供は親が大嫌いで一緒にいると苦痛にしか感じないというケースで、こればかりはその子供本人にしかわからないことなんです。
もちろんそんな事実は親にはもちろん、友達にも言えないことなので、その闇は封印されており、表には出ないんですね。

でも子供だった子が今は大人になり、その大人が私のところにきて子供時代の話、そして現在の心境を吐き出すのですから、これは子供に聞く以上にリアルな子供の心理なはずです。
しかもそうやって話を聞くことで、闇を抱えた子供がどのような大人になっていくのかという結果が分かることでもあるわけです。

普通、親に不満があれば、子供の時から直接親に文句を言ったり、反抗期に爆発したりします。
少なくても大人になり自立すれば自分の意思を親に伝えることができるはずです。
もちろん親を敬うことや、気を遣うことは当然するべきで、自分の気に食わないことを何でもかんでも言うというのは逆に子供のままで成長していない、単なる自分勝手な人です。
そうではなく、問題の解決のためには自分の気持ちを冷静に伝えるという行動にでることも一つの手段だと私は思います。
それは自分の精神の健康を保つことだからです。

しかし真面目で不器用な子はそんなことも親に言えないんですね。
言えないからこそ親と会うだけでも苦痛でしょうがなく、精神的に疲れ、それでも親はそんな子供の気持ちは全く知らず、良い関係だと思い込んでいるんです。
親がこの事実を知ったらかなりショックでしょうね。

さて、その子供はどういう気持ちでいるんでしょうか。
そのお話は次回に持ち越します^^





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自分らしく生きることについて

自分らしく生きるってどういうことなんでしょうね。
自分らしく生きるということは、偽りの自分ではなくありのままの自分でいるということなんでしょう。
ただそれがなかなかできないでいる背景には、自分らしくすることが必ずしも幸せにつながるとは限らないからなんだと思います。
自分らしく生きることができないでいることで自分を責めてしまう人はかなりいます、特に真面目に育った子というのは、少しでも自分をつくろっていると、それだけで嫌になったしまったりするようです。

そもそも自分らしさってなんなんでしょうね。
少なくても自我をそのままだし、自分勝手にやりたい放題行動することは違います。
それは理性をコントロールできない社会不適合者です。
自分らしさといっても最低限のマナーや気遣いは絶対条件です、それは守られた社会の一員としての義務だと思います。

では何事にも正直で、そして嘘をつかないことが自分らしさでしょうか。
私はそうは思いません、私は嘘には「ついてはいけない嘘」と、「つかなければならない嘘」とがあると思っています。
しかし真面目な人ほど、他人に思ってもいないことを言ったりすることをお世辞や媚びを売るというような解釈をしがちで、そういう自分が嫌になるようですね。
でも他人に気を遣ったり、不快にさせないようにすることは必要なことで、それはお世辞や媚びを売るということではないはずです。

私たちは他人がいるから存在価値があるわけです、それは間違いのない事実です。
もし人類が自分ひとりであれば自分が存在していること自体誰にも認識されないわけですからね。
そうだとすれば、他人というものはとてもかけがえのないもので、そういう人たちとのコミュニケーションというものはとても大事になってきます。

人の悩みの全ては対人関係と言い切っている心理学者もいるように、悩みの根本は全て他人と関連してくるものです、だからこそ相手を不快にさせない言動というものが大切になってくるんですね。
人間がそれぞれ正直にものを言っていたらとんでもない社会になるでしょう。
でも気遣いによって相手を思いやり、自分が思っていることと違うことを言うことは、他人とのコミュニケーションをとるためには必要なことです。
そのことにしっかりとした”信念”を持っているのであれば、自分に嘘をついているわけではなく、自分の信念に基づいてつかなければならない嘘をついているということで、それが自分らしさでもあると私は思うんです。
お世辞を言うとか、媚びを売ることについて、そこに信念がなければそれはただの卑しい言動です。
でも相手を気遣い、時には嘘をつくということは、極論で言うと、それが相手の幸せ、そして自分の幸せに繋がるはずと思います。

自分らしさとは、自分がしたいことをすることでもあり、それは幸せに通じることです。
自分がしたいことが「他人を不快にさせないこと」というのであれば、それが本人にとって、幸せな事であり、自分らしさであり、信念でもあるわけです。

他人を不快にさせないとか、嘘をつく、つかないというようなことを除いても、自分らしさというものは様々です。
自分のために生きることに自分らしさを感じる人
逆に他人のために生きることに自分らしさを感じる人
更には自分を苦しめることに自分らしさを感じる人(苦行等)

自分のしたいことというのは個人の欲求であり、その欲求が満たされれば幸福感を感じます。
その結果、精神的に安定し心の健康が保たれるわけです。
人生において何が自分の幸せなのか、何を目指して生きていきたいのか、どんな自分になりたいのか、自分が死んだときに後悔しない生き方は何か、何をしていたら満足できるのか。
出来上がった常識に囚われずに本当の自分と向き合うべきだし、それが自分らしさなんだと思います。

こういったことを整理していけば自分らしく生きることとはどういうことなのかということも分かってくるのではないでしょうか。



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真面目な子たちの葛藤

真面目な子って何が真面目なのかというと難しいですよね。
表向き真面目な子でも心の中では腹黒い人(人間ですからこれが多いです)
自分のダメなところを見せたくなくて必死な人
悪く思われたくなくていい子に徹している人

それぞれ考えは違えど、私はどれも根が真面目な子だと思っています。
不真面目な子はそんなことどうでもいいわけですからね(笑)
でも、真面目な子って完ぺきにこなそうとするから心の中はかなり追い詰められているんですよね。

自分の悪い部分やだらしない部分をさらけ出したくてもなかなかできない、悪いことをしようとしても勇気が出ない。
そういう子はいい子であることが当たり前になっていたり、見放されてしまうかもという恐怖があって、ありのままの自分を出したり反抗したりの冒険ができないでいるんですね。
そのままでいいんだよ、それでも好きだよ、と言われることで自分の甘えの欲求を満たしたいという思いがあるのに、見捨てられることに怯えて自分を出せないでいるのでしょう。

人間は一人では生きていけません、そしてどんなに頑張っても、人によって得手不得手があるようにできないことはたくさんあります。
しかし根が真面目な子たちは、できない自分を認識する度に自分を責めてしまい、自己嫌悪を繰り返し、自分の存在意義を問い、必要とされていないんじゃないかと思い込んでしまう傾向があります。
そんなことを日々考えて一人で抱えこんでしまっては、当然心がもたないですよね。
自分の嫌な部分を受け入れて、それを許して、ある程度自分を甘やかすことは精神衛生上必要な事ですから。

しかし、根が真面目な子は自分に対して厳しく、他の人よりもレベルの高い自制を自分に科してしまう傾向があります。
要は自分のいい加減な部分、至らない部分を認められないのです。
本来はそれを認めてあげることがストレスの発散や精神の安定につながるのですが、周りの目を気にしすぎて自分を追い詰めてしまうのです。
そういう子たちのほとんどは、悲観的でマイナス思考。
そして見捨てられ感も強いんです。

それは、これまでの人生、自分が良い子でいたから受け入れられていたんだと思い込んでいたり、逆に親や友達から受け入れてもらえなかった環境であったりと様々です。
悲観的であるが故に、優しくされたり、過保護であったり、叱られなかったことも「愛情がないんじゃないか」と思ってしまったり、感情的に怒られたり、理不尽な言動をされたりしたら当然心に傷を負ってしまうんです。

悲観的な考え方で生きていると、自分が悪い子だと親からも周りからも見捨てられてしまうという考えが植え付けられてしまうのも無理はありません。
子供のころからそういったものを引きずっていると、大人になっても「見捨てられてしまうのではないか」という意識で人と接してしまう傾向があるからです。

だからこそ甘えることに欲求を覚えたり、叱られても見放されない愛情を求めてしまうんだと思います。
その求める行為がお仕置きへとシフトしていくんだと思います。
それでも見捨てられる恐怖はあるのですが、その気持ちを受け入れる約束のお仕置きの関係は、3次元の空間としては唯一の居場所となっているのかもしれません。

『大丈夫、失敗したっていいし、過去に何があっても、どんなひどいことをしてしまってたとしても見捨てたりしないよ』
そんな大きな愛情を求めてお仕置きに惹かれていくのでしょう。
もちろん無条件というわけではありませんよね、しっかりとダメなことはダメと叱り、そういったことを清算するためにお仕置きがあります。
だけど、どんなに叱られても叩かれても見放されない愛情がそこにはあるんです。

そういう子たちは人に弱みを見せることは苦手です、でも逆に弱みを見せても嫌われることはないと無意識に求めている部分があり、実際に弱みを見せれるようになれば心が軽くなり、もっと心が満たされます。
見放されてしまう恐怖はいつまでも持ち続けることはありますが、それでも日常とは違うので、見放される恐怖に蓋をして満たされようとできるんですね。
そういうことを繰り返していけば、弱い部分を出しても嫌われることはない、というのが少しずつ確信へと変わっていけるんです。
自分のダメなところや弱さに向き合える場所、それがお仕置きの世界では可能なんだと私は思います。

お仕置きとはただ単にお尻を叩くだけではありません、心を満たして上げ、信頼関係の中から少しずつ自立を促したり自信をつけたりと、ある種のメンタルトレーニングでもあると思っています。
お仕置って本当に理にかなった行為だなって感じます^^

また、一言でキーさんといってもいろいろなキーさんがいます。
ここで書いたように悲観的でマイナス思考なキーさんから、闇を抱えている人、甘えたい人、愛情がほしい人、自制したい人、罪悪感を晴らしたい人、趣味として楽しんでいる人・・・。
でもそれぞれ、お仕置きによって何かを得て、心が満たされるわけですから最終系は同じなんでしょうね。
キーさんといっても一色単にはできないってことですね、M寄りのキーさんもいれば純粋なキーさんもいますしね^^

それはそれでいいし、まずは自分の心を満たして上げること、それが大切だと私は思います^^


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性癖とは

性癖についてお話ししたいと思います。

性癖っていう言葉の意味を理解している人って結構少ないんですよね。
以前から私はキーさんのことを「性癖ではなく性格なんですよ」と表現してきましたが、これは誤解を避けるための言い回しです。

性癖というと一般的に”性的嗜好”と捉えてしまいますが、これは間違いで、正確には人間が持っている偏った癖や嗜好、性格等の性質のことを指します。
性的嗜好は性癖の一部ではありますが、「性癖=性的嗜好」ではないのでそこは誤解しないように注意が必要です。
性癖の性とは”性的”の性ではなく”性質”の性ということなんですね。

綺麗好き過ぎればそれは性癖ですし(潔癖症)、万引きがやめられないのも性癖(盗難癖)、更には収集癖、虚言癖、放火魔等も性癖です、また、眼鏡好き、コスプレ好きなどのフェチも性癖です。
これらは全て性的ではないことですが、性癖というんです。

これと同じ解釈で、「性的でないお仕置きを求めているキーさん」も同じ部類の性癖であり、決して性的嗜好ではないと私は思っています。
これまでは、性癖と表現してしまうと”性的嗜好”と捉えられてしまうのでその言葉を使用することを避けていました。
今後もお仕置き好きを性癖と表現することはあまりないと思いますけどね^^;

それでは性癖とはなんなのでしょうか。
その正体は”その行為やその物”を欲し、求めてしまい、それによって心や体が満たされる”何か”です。
そしてその行為をすることや求めることをやめたくてもやめられない、それだけ強く求めてしまうものなのです。
何故かというとその行為によって何よりも、より満たされるからです。

人間は満たされようとすればするほどエクスタシーを感じたくなるものなんですね。
その行為をしたり妄想したりして気分が高揚し多幸感を得ますが、さらにもっと満たされたいと体が求めればそれが、自慰行為になるわけです。
自慰とはエッチな妄想ということではなく、単純に脳内ホルモンの分泌を促して更に幸福感を得られるように、よりエクスタシーに導けるようにするための手っ取り早い方法なだけです。
その証拠にエッチなことを妄想しなくてもエクスタシーを感じられる女の子は多いですし、このブログを読んでいる方の中にもそういう経験はしている人はたくさんいるはずです。
性癖で興奮を高めて、エクスタシーを得ようとすると本能的に直接性器への刺激へと進み身体の正常化を行うので、これは決してエロではなく、体の構造上の本能的な行動なのです。

人間の欲望は持って生まれたものなので、これは先天的に本能で求めてしまうものです。
しかしそれが偏ってしまうと性癖という表現になってしまいますが、それは誰しもが持っているものです。
全てにおいて偏りがなければ性癖がないといえるのでしょうが、そんな人間は存在しないでしょうね。

性癖はどうやって作られていくかというと、生きていく過程でたまたま出会ってしまった何かなんですよね。
よく記憶がないという人がいますが、おそらく記憶にないだけで何らかの形で遭遇しているものです。
幼児期、心地がいい時にたまたま目にしてしまった物や行為、たまたま偶然に性的刺激があったときに目にしてしまったものなど、きっかけやその時の環境は様々です。
同じ環境でも違う方向に行くことは普通に起こることですから、どういうきっかけでどういう性癖を持つかは、過去を振り返ればわかることが多いですが、予測は決してできません。

このブログでの性癖というとやっぱりお尻叩きのお仕置きが好きなキーさんということになりますが、このお仕置きの根本というものは性的なことではなく、単純に”愛情”なんですね。
しっかりと向き合って真剣に叱る行為、お仕置きを通じて人の温もりやスキンシップを通じて、包み込むような愛情が得られる行為です。
これは人間にとって一番必要な心と心のやりとりであるからこそ満たされるのです。
いろいろな性癖はありますが、人間対人間の愛情表現による性癖である”お仕置き”というのはとっても健全であり、これは性癖ではなく普通に求めてしまう愛だと私は思っていますよ^

人間は一人では生きていけません、孤独にも耐えられません、寂しかったら満たされません、そういう生き物なんですね。
心が苦しいひと、完璧を求めすぎてしまう人、失敗することを恐れすぎてしまう人、罪悪感を感じやすい人、そんな人は苦しみながら日々を過ごしています。
私は、心が折れそうなとき、前を向きたいときには、会話やお仕置きによってたくさんの愛情を補充して元気になり、そして生まれ変われるような活動を目指していきたいと思っています^^

このように性癖について説明してきましたが、お尻叩きのお仕置きが好きだからと言って自分が変だと思うのは違います。
確かにそれをより多く求めてしまう事では性癖という表現になってしまいますが、これは単純に愛情の補充です。
パパやママに抱きしめられたい、甘えたい。
恋人や尊敬する人に褒められたい、認めてもらいたい、抱きしめてもらいたい。
そして愛されたい。
こう思うことがどうして変なのでしょうか。

変ではありません。
正常です。
他の人がなんて言おうが私は正常だと思っていますから、正常どころかこれからの社会においては、とっても大切な心温まる行為だと強く感じていますからね^^






スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。
なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私の場合のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、よって敬語を使わせないようにしますし、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。
このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、精神的な心の部分を追求するために足を踏み入れました。
”人間の心や本質”を追求したくて入り込んだのですが、私の求めているものへの違和感がずっとあり、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている世界にたどり着いたのです。
その違和感を簡単にいうと、性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っているということです。
もちろんプレイ的には面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのかもしれませんが、性欲以外の部分を満たすためにはスパの世界が心地よかったんですね。
スパの”カー”からSMの”S”に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分がいるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。

こういう世界に入り込んでしまう人はそれぞれの心の闇を抱えているものです、その闇を全て吐き出すことは難しいですが、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいです。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

これだけは理解した上で私のブログをお読みください。
私のしているお仕置きとSM的なことは独自の価値観ではっきりと区分けしてあります。
ここでのお仕置きとは性的要素を一切含まないものであり、同じお仕置きでも性的要素が少しでも含めばそれはSM的として解釈しています。
独自の価値観で表現していますのでそこはご了承の上お読みください。

人それぞれ求めているものは違います、そして最初の入り口は頭の中のモヤモヤ感や欲求、焦燥感等を解消することからです。
大事な事は、それらを解消する事によって新しい何かが生まれるかもしれないということです。
そして新しい何かを見つけなければ、そこからは何も生まれません。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そのように思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでスパに対する概念は捨てて、客観的に自己を見つめることがとても大切なことだと思うんです。


こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感はしますが、同情はしないです。
悩みや相談がありましたら気軽にどうぞ、どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんので安心してください。


自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、どちらにしても歳を取ったら卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^


念のため、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください(笑)
これがないと意味不明となる場合がありますからね(汗)初心者さんのためにも紹介しておきます^^;

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