濡れるのが恥ずかしいキーさん

お仕置きのことを考えて濡れてしまうキーさんは多いのですが、濡れるのが恥ずかしいからお仕置き体験を戸惑ってしまうキーさんはいるようですね。

私の所には問い合わせなどがあり、「お仕置き小説を読んでいると濡れてしまうのですがどうしたらいいですか?」とか「叱られたりお仕置きされたりすると、気持ちいいとかではないのに濡れてしまうんですけど、気付いても気にしないでいてくれますか」とか、直接の問い合わせは少なくても、実際に聞いてみると濡れてしまう事に対する悩みは多いと感じます。

以前のブログにも書きましたが、家庭的なお仕置きで濡れてしまうのは、セックスなどの性的な事をしたくなっているわけではありません。
また、お仕置きを考えて自慰行為をするキーさんは多いですが、それもセックスの欲求であったり、エッチなことを考えてしているわけではありません。

もちろんそれは全員ではありませんが、少なくてもディシプリン派のお仕置き観を持っている人はそういう人が多いはずです。
そこにセックスのような性的な事が介在したら冷めてしまいます。
もしお仕置きに性的な事がはいりこんで興奮するとしたら、それはキーさんでもありますが、同時にMの要素があるんだと思います。
まぁそれはそれでいいんですよ、二者の感覚が違ってくるので一応補足ということです^^;

お仕置き依頼では、人によっては下着着用でのお仕置きを要望する人はいますが、本来はお仕置きをしっかりと実感するためには下着を下ろしたお仕置きが理にかなっています。
それはお仕置き欲を薄めるために、自分の理想のお仕置きを受けて欲を満たすことが一番大切なことだからです。
でも、濡れてしまう事が相手にわかってしまう事が恥ずかしくて下着着用とする人もいるのですが、どっちにしてもいずれ下着を下ろしたお仕置きを受けたいと思うようになっていくものです。

男性から見たら、女性が濡れるということは性的に興奮していて、エッチしたくなっているんだろうとか、もっと気持ちよくなりたいんだろうとか、そういう勘違いの目を向ける人がほとんでしょうし、世の中的にそういう認識でいるので、勘違いされたらどうしようとか、こんなことで濡れていたら恥ずかしいとか思っちゃいますよね。
当の本人がそういうつもりじゃないのに体が反応してしまう事は、戸惑いや悩みにもなっていきます。

ただ、その認識は間違っています。
身体は反応していても、それはセックスのようなエッチなことをしたくなって濡れているのではありませんからね。
そこを勘違いしてしまう男性は性的な事に発展させたりするのでしょう。
なぜ濡れてしまうのか、なぜ性的な事を求めていないのに性的な興奮をしてしまうのかについて気になる方は、お会いした時に直接お話ししますが、簡単にいうと、脳の回路の問題です。

家庭的なお仕置きで身体が性的に興奮してしまう要素は、”羞恥心””背徳感””被虐感””スキンシップ”そして”愛情”です。
それぞれは単体でも性中枢を刺激する要素でもありますが、キーさんはその中の一つでは興奮せず、すべての要素がはいったお仕置きセットである「家庭的なお仕置き」で性中枢が刺激されて興奮してしまうわけです。
でもその興奮というのは小説を見たり妄想した時に起こるのであって、実際のお仕置き時に興奮しているわけではないんですよね。
でも条件反射的に体は反応してしまうんです。

お仕置きで興奮してしまう時点で、その欲求を無くすことは難しいですが、体験によって欲求を薄めることは可能で、欲が薄まっていけばだんだんと濡れ具合もおさまってくるものです。
ただ、単に経験すれば薄まるわけではなく、スタンダードなお仕置きを繰り返し、キーさん自身の理想を満たしていく必要があるので、それにはお仕置きをする側が卒業させるたようなお仕置きをする必要があります。

もし濡れてしまう事が恥ずかしくて躊躇しているのであれば、それは卒業できないのと同じことです。
濡れてしまう事はキーさんであれば当然なことですから、それをエッチな事ではなく当たり前のことだと理解してくれる相手であれば何ら恥ずかしがることではありませんからね。
もちろん卒業ではなく、キーである自分を受け入れてお仕置き行為で満たしている人もいるので、そういう人は卒業をする必要はありませんが、歳を重ねていくうちに相手が見つからなくなると自分が辛くなるだけなのでそういう意味ではいずれは卒業は必要です。

濡れてしまう事はただの生理現象と一緒ですから私は全く気になりませんし、変に思うこともありません。
また、私は相手がエッチなことをしたいんだなんて思うことも全くありません。
ちょっとしたファンタジー的な要素もお仕置きにはつきものですけど、そこにエッチなことがあっては全てが台無しになりますからね。

ま、とにかくそういう子たちの生の声を直接聞いていますし、なにしろ私は見慣れていますからね、今更どうこう思うことはありません。
なのでそういったことを気にせず、本当の自分を、隠し続けている自分を解放してあげて、モヤモヤやどうしようもない気持ちを吐き出してみてはどうでしょうか。

ま、とにかくお仕置きや叱られることで濡れることは、キーさんであるなら当たり前であると認識しましょう、ほとんどみんな濡れるものですからね。
妄想したり、小説を見たり、動画鑑賞でも身体は反応しますが、それも当たり前のことです。
そういう部分を理解してくれる相手であれば価値観も合うし、キーさんの気持ちを理解してくれるでしょう。
実際に理解といっても男脳では難しい、そこが分かり合えないのでまぁ難しいことなんですけどね。

女性と男性とでは脳の仕組みも違うし、性反応に違いがありますから、男性は男性風の解釈で物事を捉えてしまいます。
そして世の中は男性側の意見が中心になってしまうので、そこに違和感が生じるわけですね。
そういう部分の理解っていうのは世界的にもされていないので、なかなか女性風の解釈を理解してくれる人は少ないですが、こういったブログを通して少しずつ浸透していけたらなと思います^^




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お仕置きで濡れる事

女性キーさんはお仕置きのことを考えたり、小説を読んだり、理想のシチュエーションを妄想したりすると、自然に濡れてしまうケースって結構あって、その事で悩んでいる人は多いものです。
そもそもお仕置きを考えているなんて人には言えないし、仮にキーさん友達がいたとしてもそういったことは聞きにくく、自分だけじゃないか、私だけ変じゃないかと1人だけで抱え込んでしまうんですね。

自分は変じゃないかと思うのは、一般的に濡れるというのは、エッチなことを考えたり、実際にエッチな行為をしている時に起こる現象だと解釈されているからです。
ディシプリン派のお仕置きは、性的な要素が一切ない、エッチでもない、正当な理由があっての躾としてのお仕置きであり、それを純粋に求めているのに、それで濡れてしまうということは、自分はキーではなく、Mなのではないか、私だけ特別なんじゃないか、と悩んでしまう要素なんですね。

しかし、それは特別なことでもでもなんでもなく、キーさんであれば当たり前のことです、それはM的な要素が一切ない根っからのキーさんであってもです。
もちろん濡れない人もいますが、そっちの方が少数ですから、そういう意味でも気にしなくて全然大丈夫です。

キーさんであれば
「お仕置き」
「お尻ペンペン」
「お尻出しなさい」
というような言葉に、萌えたりドキッとしたりと何かしらの反応をする子は多いですよね。

「悪い子はお尻丸出しにして真っ赤になるまでお尻ペンペンだよ、お仕置きするからこっちにきなさい」
こんな言葉を聞いたり読んだりすると、なんだか恥ずかしくなって、条件反射的に体の奥がゾクゾクとして、考えないようにしたとしても頭から離れなくなります。
こういうドキドキはキーさんだからこそ起こる現象ですが、エッチなことじゃないのに濡れてしまう脳回路はドキドキしてしまっている時点で出来上がってしまっているのです。

とにかく性的ではなく、エッチでもないのに濡れてしまうことに対して、自分だけが変だということはありません、それだけは認識しておいてください。
実際のお仕置き時に濡れてしまうと、勘違いされたり誤解されるんじゃないかと抵抗があったり、気まずい気持ちになってなかなか踏み込めない人はいると思いますが、私はそういう現象は脳的によく理解しているのでその心配はいりませんからね。

キーさんの場合は濡れたからといっても全てにおいて発情しているわけではないし、エッチをしたいと思っているわけでもありません。
そのように誤解をしてしまう男性は多いですが、それは女性の脳や濡れる仕組みをよく理解していないからなんですね。

以前も濡れることについて何度か記事を書いていますが、性的なことでなくても濡れることは女性にはあることなんですね。
それが性欲として体が反応して濡れていたとしても、妄想していることが性的なことではなければ、セックスという意味では発情しているわけじゃないんですね。
叩かれて追い詰められる描写で背徳感を感じ、興奮しているわけじゃないのになぜだか濡れているということも起こります。
その要因は背徳感からくるものですし、そういった現象が起きる人も当然いるわけです。

まぁそういうこともしっかりと理解しているカーさんじゃないと、安心してパートナー関係にはなれないでしょうし、勘違いされたまんまだと価値観の違いを生み、意思の疎通もなかなかできないことにつながります。
これは一般的には理解されていないことなので、悩んでいる本人も戸惑って誤った認識をしてしまう人もいますし、なにより男性自身が理解できないことでしょう。

とにかく「濡れるからM」ということはありません、濡れてもキーさんだし、そこに仮に性欲を感じていてもキーさんです。
Mとキーさんの思考回路は違いますが、境界的にいうとかなり微妙な違いですから難しいところではあります。
でもMに対して違和感を感じているのであれば、それはMではなく、キーさんということでいいでしょう。

何度も言っている通り、Mだけの人、キーだけの人、Mでキーの人と様々いますから、そこは別に気にしなくていいと私は思いますけどね^^
Mというのは被虐欲を持っている人をいい、叩かれたりいじめられたり恥ずかしめられたり、そういったことに性的興奮をします。
その一つでも興奮するのであればM気質があり、お仕置にそれを求めているのならM的といえるでしょう。
でもそうでないのならキーさんだし、キーとMと両方を持っている人は多くいるものですからね。

どうしてエッチなことではないのに”濡れる”という体の反応が生まれるのか、気になる方にはお会いした時に直接説明しますので、気軽に依頼でもしてください。



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お仕置きの欲求と性的欲求の違い

キーさんの多くはお仕置き欲を「性欲や性癖」だと思って悩んでいる人が多いというか、まぁ全員が一度は悩むところなんですが、そこが自分はおかしいんじゃないか変じゃないかと思う部分でもあるんですね。
このブログではSM的なお仕置きとスパ的なお仕置きの違いや意識の違いをお話ししていますが、今回のお話はそれに関連しています。

広い意味でいうと性癖とは偏った性質のことでいわゆるフェチというのは全て性癖です。
また、食欲や排便、恋愛感情も快楽を多少なりとも感じているのならそれは性欲の一種と考えられています。
そして性欲という広い範囲の中でもその解釈では大きく分けて二つに分類され、それが「性的な欲求」と「性的ではない欲求」です。

で、私たちが一般的に認識されている性欲や性癖というのはいわゆる「エッチなこと、エロいこと」です(本当の解釈は違いますが)
それではディシプリン派の性的でないお仕置きは一般的に認識されている性欲や性癖でしょうか?
答えはNOです。
ディシプリン派のお仕置きというものはエッチやエロい要素はありませんよね、だから性的な欲求ではなく単なる”欲求”なんです、これははっきりと区分けができるんですね。
まぁ親から子へのお仕置きを考えてみればわかるとおり、性的要素なんて微塵も存在しないんですよね。

それではなんでキーさんは悩むのか。
それはお仕置き欲が収まらないという気持ちの他に、お仕置きを考えたり、小説や画像を見て妄想したりすると興奮してしまう、更にはそれが自慰行為につながることもあることに大きな要因であるからです。
興奮して濡れるということや自慰行為は一般的には=性欲→エッチな事、エロいことという解釈になるので自分を見失うわけですね。

キーさんたちは興奮して濡れてしまうことについて、感じちゃっているわけだからディシプリン派のキーではないのかもしれないと考えてしまいます。
そして性的な事は嫌なはずなのに濡れてしまうことで、私はMなんだろうか、変態なんだろうかと一人悩んでしまうんですね。
でも実際のお仕置きでは意識をしない限り性的な興奮をすることはありませんし、もしそれで被虐感に浸って興奮していたとしたらM要素が強いということになります。

ただ、お仕置きを受けている時に興奮もしていないのに濡れてしまうのは脳内ホルモンの分泌の影響で、それは脳の錯覚によるものです。
よって直接的な性的快楽によって濡れているわけではないのでそこは安心してほしいと思います。
真剣にお説教をされている時は叱られているのですから余裕はなく、厳しくお尻を叩かれている時は痛すぎて余計な事を考えることはできないものです。
ただ余裕がある時に意識的に小説のような妄想を重ね合わせたら興奮するでしょうけどね。

濡れる要因としては”背徳感”からくることもあります。
例えば人が痛めつけられ追い詰められていくという類の小説(お仕置きや暴力的なもの)のようなものを見たり、人に対して痛めつけるようなことをしてしまったりした時に、性的興奮をしているわけじゃないのに濡れることもあるんですね。
濡れたことに対して自分はSだ、Mだ、変だ、と考えてしまうのですが、これは背徳的なものであるタブーを犯した事によって起こる性衝動で、これ自体は単なるありがちな身体の反応ですし、心理的興奮をしていないのであればこれは自然現象でもあるんですね。
でもこの感覚が癖になっていくと意識して興奮するようになり、これが自分の中でドキドキして満たされる要素となっていくわけです。

それとは別に、濡れる要因としては「愛情を感じながらお仕置き欲が満たされている」という感覚とともに、お尻を丸出しにされるという現状に恥ずかしさを感じ、満たされ感と羞恥心が混ざりあって余計にドキドキしてしまい、それが性欲中枢が刺激してしまうんですね。
これがまた背徳感と結びついてしまうので、濡れてしまう現象は抗えないことでもあると思います。
濡れてしまう事については過去に記事を書いていますから気になる方はこちらを参照してください。

ちなみにお仕置きを考えて自慰行為をしたとしても、頭の中では性的なことは考えていないんですから、この行為で悩む必要なんてなく、なんら気にすることはありません。
お仕置き欲求は愛情を求める通常の欲求であり、もともとは性的快楽のための欲求ではないことは自分自身がよく把握しているはずです、それを濡れたという曖昧なことで判断してはいけません。
もちろんその境界は難しいところもありますが、実際にお仕置きを受ける時に、快楽で性欲を満たしたいとは思っていないはずです。
そうではなく、根本は愛情を求めているのであって、その手段が一番ドキドキするお尻ペンペンであり、お仕置の一連の流れなはずです。

妄想している時や小説を読む時は自分の世界に入って興奮はしますが、実際のお仕置きの時はそういう感覚ではありません。
ただ、実際のお仕置きの時に思い描いていたものが実際に起きているという困惑と背徳感、それに加えて小説や妄想のシーンが頭によぎるとドキドキ感が増して興奮してしまうことはあるでしょう。

そもそも人間の脳はいい加減です、錯覚も勘違いもすぐに起こします、そして脳内ホルモンは同じ物質が量や種類を変えて分泌するだけなので似たような現象で体が反応してしまう事も普通にあるんですね。
今まで幼少期から思い描いていたドキドキするお尻ペンペン。
その後お仕置き小説などを見たり妄想したりすると更にドキドキして興奮したり背徳感を感じたりして、知らないうちに濡れるようになってしまう。

それが脳内にインプットされてそういう回路が出来上がってしまうと、お説教だけで錯覚して濡れたり、お仕置されても当然錯覚します。
ましてや実際に人と会ってお仕置きをするとなると、お尻を丸出しにして叩かれるという秘め事のようなものなので、妄想時とは違う種類の背徳感がでてきます。

こういうことからも濡れてしまうのは、心理的には興奮はしていなくても脳が”お仕置き”ということで妄想部分と紐づけることによっておこる現象で、単なる脳の錯覚でしかないでしょう。
こういったいい加減な脳の制御下で起こる体の反応よりも、自分の純粋な心を信じたほうがいいですし、その方が確実です。

こういう話はブログで書くよりも、直接話したほうが分かりやすいんですけどね、話せば簡単です。
ちなみに私のこの見解は様々な実験や研究などの文献を参考にしているので単なる推測とは違いますからね^^;



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濡れてしまう事について

以前、お仕置きの記事の中の補足的な形で、体の反応で”あそこ”が濡れてしまう事について書いたのですが、みなさんかなり気にしているようなのでそれについてです。
結構前に書いたのですが題材が違う内容だったのでどこかに埋もれてしまっています^^;
なので今回は濡れてしまう事について、重複しますが書きたいと思います。

よく相談があるのですが「私はキーなのかMなのか」と悩んでしまう要因というのがあります。
それはお仕置きのことを考えていたり、小説を読んでいるだけで”アソコ”が濡れてしまう事です。
当然、リアルで会ってもそうです。
お説教をしてるとき、お尻叩きをしているとき、性的興奮をしているわけでもないのに”アソコ”が濡れてしまうんですね。

普通に考えると濡れるということは、性的興奮をするからと考えられているので戸惑ってしまうのは当然のことです。
「濡れるということは性的興奮をしていることだから私はM(マゾ)なのかもしれない」
「性的でない家庭的なお仕置きを求めているのに本当は違うのかもしれない」
このように考えてしまうのは濡れてしまう事への知識が乏しいので仕方ないのかもしれません。
そして私はMなのかもしれないと思って、SMの世界に入り込む人もいます。

まぁ実際には女性の多くはM的要素があるのでMであってもそれはそれで構わないのですが、仮にMの人でも、お仕置きに関してはSMではなく、性的要素の一切ないお仕置きを受けたい人がいるのが現状で、その時点でキーさんなんです。
つまり”キーでありMである”ということです。
逆に、SMには全く興味はなく、M要素の一切ないキーさんも当然のことながら存在しています。

性的な感覚やいやらしい気持ちでお仕置きを考えているわけでもないのに濡れてしまう。
「エッチな事→性的興奮→濡れる→性欲を処理」
というのが一般的な捉え方ですが、この図式に当てはめてしまうのは普通の性知識では当然のことですし、戸惑ってしまうでしょう。
だからこそ自己嫌悪の対象にもなりうるし、そんなところを相手側に見られたくないという気持ちも当然働きます。

この体の反応は実際に人と会ってお仕置きを受ける時にも出てくることがありますが、これは性的興奮によってのものではありません。
この濡れる現象は、自分の欲しているものが満たされる時に起こるのですが、これは実は脳の錯覚であって、それで濡れてしまうんですね。

そしてこの現象は体内のいくつかのホルモンの影響によるものです。
これらのホルモンは性的興奮と同じような神経伝達物質の配分なのでこのようなことが起きるのですが、肉体の刺激によって起こるものではなく、脳内の反応です。
特に分泌が増すホルモンとしては、オキシトシン、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンです。

欲していたお仕置きが実現することによる満足感や安心感、そしてその一連の行為で愛情を感じとることによって肉体が反応することがあります。
それに欲していた妄想が現実化してもホルモンは同じように分泌するものですし、現実では興奮はしていなくても脳内が妄想時と錯覚してその時と同じような体の反応が出てしまうのは不思議ではありません。

妄想時は性的な事を考えているわけではないですが、性的に興奮する時と同じようなホルモンを分泌してしまうんですね。
なので当然エッチな事を考えてなくても濡れてしまうし、性的に興奮をしていなくても勝手に体が反応してしまうんです。
こうやって心と体と違う反応が出るのは仕方のないことで、脳はそこまで精密にできているわけではなく、そういった意味では脳は結構いい加減な器官なんですね。

それにプラスしてこれからスカートをめくられてしまうとか、お尻を丸出しにされると思ったり、そして実際にお尻を丸出しにされてしまうとかなり強烈な羞恥心や背徳感がでてきてそれが強く影響してきます。
お仕置きにドキドキし過ぎていたり、お仕置き行為に慣れていなかったり、恥ずかしさがいつまでも消えなかったり、いけないことをしている感覚に陥ったりすると、その羞恥心や背徳感が濡れることの手助けをしてしまいます。
また、男性の前で服を脱ぐ行為はだいたいはエッチをするときくらいですし、普段見せないところを異性に見せるというのは恥ずかしいしエッチに感じる人は多いので、その特殊な羞恥心を脳が勝手に錯覚してしまうこともあるかもしれませんね。

脳というものは本当に簡単に錯覚してしまうものなので、”強烈な羞恥心と背徳感”だけで体の反応に出てしまうことがあります。
そしてこの脳内の反応は無意識下なので止めることが出来ません、よって"濡れる"ということも止められないんですね。
緊張したり恥ずかしかったり好きな人と手を握ったりしたときの”心臓がドキドキ”は止めることができませんよね。
それと似たようなことなんです。

例えば卑劣で許せない痴漢行為ですが、痴漢されてメチャクチャ嫌な思いをしているのに濡れてしまう場合があるのも、エッチな事をされているという意識、そして大事なところを触られるなんて絶対にダメな事だ、周りの人にバレてはいけない、という強烈な羞恥心と背徳感によるものが大きいんです。
決して性的な事やエッチな事を考えているわけでないのにこうして体が反応するということはあるということです。

濡れてしまう要因は単純にこういうことから起きるので、体が反応してしまうと落ち込んでいる女性はもう悩む必要はありません。
カーはそこで性的興奮として捉えてはいけませんし、それを煽るような発言はダメですね。
もしそんなことをしたらキーさんとしては一気にお説教やお仕置きの陶酔感が冷めてしまいますよね。
決して性的興奮をしているわけではなく、お仕置きの時は純粋なキーであることは間違いない事実ですし、それはわかっているので安心してください^^

濡れてしまったことはキーさんにとってはそれは屈辱でしょうし見てもらいたくない部分ですよね。
でもそれを見られたくないからといって下着を下ろしたくないとか、お仕置きを受けられないとか、そういう考えは捨てたほうがいいです。
私はそんなことは込みでキーさんを見ていますし、私にとってはそんな些細な事なんです。

それなのに我慢して欲求に翻弄され続ける方を選ぶのは間違った選択だと思います、まずはその欲求を薄めるためにお尻を出してお仕置きを受けることです。
真面目な話、それってかなり重要な要素なんですね。

濡れてしまう事に対してはこれまで説明したように悩む次元ではないので安心していいんです^^
それに何度も同じ人にお仕置きをされていればそのうち脳は正常に判断していき、いずれ濡れなくなりますからね、そしてその時がキーを卒業する一つの目安にもなるのかもしれません^^

ちなみに”実際のお仕置き時”に被虐的な感覚で興奮したり快楽を感じる人はMです、当然濡れるものです。
キーさんは実際のお仕置きの時には興奮はしませんが、これまで思い描いていたものが実際に起きているという困惑と背徳感、それに加えて小説や妄想のシーンが頭によぎるとドキドキ感が増して、それが興奮につながることはあります。
それは小説を読んだり妄想するときはエッチな事でなくても性欲中枢を刺激するような興奮は少なからずあるからです。
なのであえてそういうことを考えてお仕置きに浸るというならばお仕置きで興奮していることになりますが、まぁそれはそれでいいででしょう。

その感覚が被虐欲からくるものでなければMではないということなんですが、まぁそこまで明確にどっちかって悩む必要はないでしょう。
それはどちらでもいいですし、もし被虐欲求があるならば教えといてくれると私も感覚を変えてお仕置きをしてあげられます。
といっても性的な事は絶対にしてあげれませんからね^^;
そういう目で見てあげる、そういう感覚でお仕置きをしてあげるってことです。




※いろんな角度から検証したい方は下記の関連記事もご覧ください。
お仕置きの欲求と性的欲求の違い
お仕置きで濡れる事
濡れるのが恥ずかしいキーさん
惹きつけられる”背徳感”とは
性癖とは

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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