良い子と悪い子の理不尽な扱いの差

良い子とは社会のルール、親や先生の言うことを聞く子、悪い子とは社会のルールを破り親や先生の言うことを聞かずに反発する子という解釈でお話します。

良い子と悪い子ってどちらが良いかと聞けば皆声をそろえて”良い子”と答えるでしょう。
でも良い子であっても、良い子であることを褒められるってあまりないですよね。
逆に悪い子が少しいいおこないをしただけで手の平を返すくらいに褒めますよね。
この差っていったい何なんでしょう。

電車で席を譲ったり、優しい言葉をかけたり、ちょっとした手伝いをしたり、見ず知らずの人を助けてあげたり、いろいろと親切なことはありますが、風貌が悪い子がそんなことをすると「いまどきの若い者も捨てたものじゃない」と絶賛されてしまいます。
企業の成功者、芸能人等の様々な著名人も昔少しぐれているとものすごく持ち上げられますよね、よくぞ立ち直ったって。
悪い子っていうのは好き勝ってやって、我慢することなく回りに迷惑をかけて、自分の立場を訴えるために自己を主張し行動しているだけなんですけどね。

かたや良い子はそれらを我慢して生きてきている、その我慢をすること自体、普通では出来ないことだってあまり皆さん気付いてないように思えてなりません。
子供時代に必要ないたずらや反抗的行動さえも我慢して、良い子でい続けてしまうことの弊害に気がついていないのではないでしょうか。
ちなみに良い子によっては、我慢するって事は本当はいい子じゃないんだと思っていたりもします。

で、子供が成長過程で誰しもぶつかる思春期ですが、この時期に反抗期とかもあります。
そしてこの時期あたりにこれまで純粋な気持ちで教えられてきた”綺麗事”が現実社会では矛盾があると肌で感じたりする時期とも重なります。
しかしそれを認めることはまだ精神的に未熟で不器用すぎる子供には到底出来ません。

そのうち全てを否定的に捉えるようになり、親や教師等大人に反抗したり、支配から抜け出そうと思う人もいます。
親から離れ、社会的にも経済的にも自立していくにつれそういう気持ちは解消していきますが、それまでの間はとても不安定な精神状態であることは間違いありません。
そこからもがく為に悪い子となったりもするんですね。

でもだからといって悪い子がより褒められることがあってはいけないと思うんですよね、良い子こそ、その時期を耐えて頑張ってきたのですからね。
良い子だって悪い子だって精神的に強い弱いはあります。
悪い子になったのは家庭環境や友人関係のせいにして、それはあたかもしょうがないように認知をしてしまっては良い子がかわいそうで仕方がありません。

良い子だって悪い子と同じ環境である場合はたくさんあるのですからね。
学校でも社会でも悪い子はほんの少しの良いことでたくさん褒められるのに、良い子はそれよりもより良いことをしても当然の顔をして褒めてくれないことが多いですよね、本当に理不尽だと思います。
良い子は本当に切ないですね。

悪い子は若いときにストレスを発散してすっきりして精神的に悩むということは少ないです。
他人に迷惑をかけてきたのにのうのうと生きてストレスもあまり抱えず過ごしますよね。
でも良い子はその悪い子達に迷惑をかけられながらも必死に耐えてストレスを抱え込み精神的に悩むこともあったでしょう。
そして成人してからもそれを抱え続けてしまう人もいるくらいです。

だからといって悪い子になってストレスを発散し、人に迷惑をかけていいことなんてないですが、成長過程では反抗期があるからこそ人間の成長があるので、そこはとても難しい問題だと思います。
それと良い子は我慢して悪いことをしてこなかったということではなく、悪いことをしたくても出来ないという良い子も多いようです。

結局は良い子が良い行いをしても当たり前と捉えられて褒められない傾向にあるのは、大人が悪い子や落ちこぼれを救うことに情熱を注ぎすぎているからなのだと思います。
それは悪いことではないのですが、真面目に良い子でいる子達にも同じくらいの情熱を注いであげなければならないはずです。

悪い子から立ち直ったといったからといって立派でもなんでもないんですよね、それが当たり前のことで、過去は悪い子で悪いんですから。
それよりも良い子であった人をより褒めるべきなんですよね、よくぞ我慢して生きてきたって。
そうやって見てあげないから良い子は自信というものがもてないことがあるし、情熱を注がれてこなかったので自分の正当性や方向性もわからなくなってしまうこともあると私は思います。

そしてなにより構ってくれることへの愛情、叱られることへの愛情にも触れてみたくなるんだと思います。
そこにはとっても暖かい何かが隠されているのではないかと想像し妄想しているからです。
手間がかかる子ほど可愛いといいますし、実際そうなんですけど、でもそれって自分が手間をかけ、苦労したから自分で自分を褒める自己満足の何者でもないと思うんですけどね。

世の中って本当に理不尽なことばかりだと感じます。
叱られたことがない人、叩かれたことがない人、感情的にしか怒られてこなかった人。
こういう人たちは温かみのある叱りに憧れがあるんですね、遠い過去に置いてきてしまったその部分の欲求が果たされていないんですよね。

真剣に向き合い真剣に叱ることは構ってあげているということで、甘えさせている行為です。
その未知なる部分である愛情に触れてみたいと感じている大人はたくさんいますし、なんら異常ではないんです。
人間誰しも持っている欲求ですからね^^

ですから自分を無理やり”お仕置き好き”と当てはめる必要はなく、ただ単に愛情を受け取りたい、甘えたいという気持ちが強いだけだと、心の中でわかってくれればと思います。
少なくても私はそういう人たちを理解し受け入れることをしたいと思っていますからね^^

正しいお仕置きの方法

前記事のつづきでお仕置きの方法を説明したいと思います。

まず、お仕置きであるお尻叩きは体罰という意識よりもコミュニケーションツールという意識を持つことが大切です。
怒りをぶつける行為ではないということは認識してほしいです。

子供を叱るのに感情的になったり理不尽なことをいってしまったり無視をしたり、子供を精神的に追い詰めるような行為をするのであれば、それは絶対的な”悪”です。
そして、その”悪”をするならば、愛情のあるお仕置きは”善”であり、愛情表現の一つになると思います。

また、感情的になってつい手が出てしまったというのは”悪の中の悪”であってそれは虐待的行為でもあり絶対にやってはいけない事です。
正当な理由があり、それを子供に説明でき、そして冷静にお尻を叩ける人だけお仕置き行為をしてください。

○叩く場所
叩く場所は”お尻”だけです。
他の場所を叩いてはいけません。
なぜお尻かというとお尻は肉付きがよく、多少力が入ってしまっても体の中では一番安全な場所だからです。
ただし尾骶骨があるお尻の上部は確実に避けてください、骨が直にあるので危険です。
頭はもちろん危険ですが、他の部分も骨が直接あり、皮膚が薄く、また心臓の近くなども危険ですからそういう考えからもお尻が安全な場所といえます。

更にお尻を叩く利点としては”冷静になれる”ということがあります。
感情的になるとやはり頭や背中、手やほっぺたを叩いてしまいますが、お尻を叩くにはそれなりの準備が必要です。
服の上からお尻ペンをするにしても一瞬その体勢にさせるまでにタイムラグがあります。
その間に一呼吸できるため多少は冷静になれることがあり、その間に本当に正しい理由で叩こうとしているのかという判断も出来たりします。

また、パンツを下げてお尻を叩く場合でも、嫌がる子供のパンツを下げるのは時間のかかるものです。
その時間で感情的になった心を静められることもできるでしょうし、きちんとお尻を叩く目的が頭にあるのでその時点でつい手を出してしまうことが少なくなり、しっかりと冷静になって加減してお尻ペンできる準備ともいえます。

○正当な理由
お仕置きをするには正当な理由が必要です。
子供が自分で悪いことをしたと認識できる理由であり、それが親だけの価値観であってはなりません。
ただ、家庭の教育方針の一環で親の価値観を植えつけているのであればそれはしかたがないですが、それならば子供にしっかりと説明をして説得させておく必要があります。
正当な理由がないお仕置きは虐待と同じで子供は愛情を感じることはありません。

ただし、正当な理由だとしても子供が納得していない場合、親の勘違いの場合、子供の勘違いの場合のお仕置きはとっても危険な行為です。
そのことによって子供心に傷がつき、一生を左右するトラウマにもなりかねないからです。
なので100%確信できる理由でない限りはお尻叩きはするものではありません。
また、お仕置き理由が家庭の教育方針である場合、そこが子供に通じるかが微妙なのでとても難しいとは思います。


○お説教(お仕置きの始まり)
子供が悪いことをしたり、言う事を聞かなかった場合、まず子供の意見を聞いてあげてください、なぜ悪いことをしたのか、何故いうことが聞けないのか。
子供はなかなか理由をいえないで黙ったりしてしまいますが、誘導尋問的なことはせずしっかりと子供の言葉で告白させることが大切です。
これは根気の要ることですが、自主性を育てるにあたり大変重要なことです。
絶対に怒鳴ったり感情的にならず冷静にゆっくりと話すことは絶対条件だと思います。
そして黙っていれば済む、正直にいわなくても大丈夫という考えを植えつけないように注意が必要でしょう。


○お説教(意図説明)
悪いことや親が子供にしてほしくないことには必ず理由がありますよね、子供にはしっかりと理解できるようにその理由を説明し、理解させないといけません。
「駄目なものは駄目」という説明は絶対にしてはいけません。
「あなたのためにしていることだから」なんてことも駄目です。
子供は子供ながらに「自分(親)のためでしょ」と考えていますからね。

子供の為にしていることは間違いないのですからそれを具体的に説明しないと子供は理解しないのです。
だからこの”説明”という作業はとても難しく、しかしこれができたら一番のお仕置きの難関をクリアすることとなります。
子供に納得させるのは結構難しい作業で、道徳的に悪いことだったらある程度説明はつきますが、それでも”なぜ駄目なの?”と聞かれると説明ってとても難しいものなんですよね。
だから仮にその理由が分からなければ「自分で考えてごらん」といい、その時に自分自身でも必死に考えたりするのもいいでしょうね。

しかし教育的なことは正当な理由というよりも家庭の方針ということがあるので、いつ聞かれても応えられるように夫婦で話し合って子供が納得できるような理由を前もって考えておく必要があるでしょう。
「あなたのためだから」「駄目だから」「怒られるから」「常識だから」という叱り方は絶対に駄目でもっと掘り下げてそれはなぜかということを説明しないと子供は理解できずにお仕置きを受けることになるのでそれは悪いお仕置きです。
子供はそんな親を自分本位な感情をぶつけているだけと感じ、心を閉ざすきっかけとなる場合があります。


○お尻叩きの姿勢
お説教が終わったらその子供の反応を見てお仕置きをするかどうか判断してください。
事の重要性によって決めてもいいですし、子供の反省態度を見て決めてもいいと思います。
また悪い事、言う事を聞かなかった場合に必ずすることに決めてもいいでしょう。

理想の姿勢は膝の上にうつぶせに子供を乗せ、そのままお尻を叩きます、子供が逃げようとしてもその姿勢ならば抑えることが簡単に出来ますし、なにより体が密着しているので温もりを感じ愛情を感じやすいということもあります。
注意点は子供がお尻をかばって手を出してくることがあるのでそれを想定しながら叩くことです。
暴れて手をお尻に出してきたら、もう片方の手でその手を握っていれば阻止できます。
間違って出してきた手を叩かないように注意してください。

また、うつぶせにした時に服の上から叩く場合と、お尻をむき出しにして叩く場合とがありますが、お尻をむき出しにした方が痛みは強く感じます。
そしてその方がお尻が赤くなったりするのが見えるためダメージも掴みやすいでしょう。


○お尻叩きの回数
これは決める必要はありませんが、一回だけというのもありだと思います。
最初は軽く一回だけ、同じことを繰り返したら強めに一回だけ、次は二回、、三回と増やしていくのが子供には有効かもしれません。
人として絶対にしてはいけないことをしてしまった場合、それを分からす為には強めのお仕置きをしたり、そのしたことによって強弱をつけることは必要だと思います。
子供に対しては道具を使用せずに平手でのお尻ペンが理想でしょう。
最後に子供にこれからどうしたらいいのかを口頭で言わせごめんなさいを言えたらお仕置きは終わりです。


○アフターフォロー
お尻ペンのお仕置きの後の一番重要な時間です、それは甘えさせる時間です。
普通の子供ならばその時には涙を流して泣いていると思います。
そして痛さがゆえに怒りの中でごめんなさいというだけかもしれません。

しかし開放され抱きしめられたときにはその怒りは飛び、親の愛情を感じて受け入れるでしょう。
お尻ペンのお仕置きが終わったら必ず抱きしめて頭を撫でてあげててください、時間は無制限で子供が甘えたいだけ甘えさせてあげることが重要です。
そして子供が話したいことがあれば聞き、子供に話したいことがあったら愛情を持って話をしてあげましょう。

そうすることによって子供は普段の生活では味わえないような愛情を感じます。
「自分は嫌われて怒られたわけではないんだ、自分を必要としてくれているから、愛されているから叱られたんだ」
と感じさせることがお仕置きの仕上げとして一番大切なことです。
これを失敗するとお仕置きの効果は半減します。

どのように声をかけどのように子供と甘える時間を接するのかはそれぞれの関係性で変わってくるでしょうが、子供を思う気持ち、大切さは必ず伝えてあげましょう、そしてそこで親子関係や信頼関係を作っていくことも出来ると思います。
ただしそこで言ってはいけない言葉があります。

それは子供に対して謝ること。
「叩いてごめんね」「厳しくしてごめんね」的なことですね。
謝るなら叩かなければいいと子供は思ってしまいます、謝るのというのは悪い事をしたときですからね。
お仕置きをするにはその理由に正当性があることが条件と書きましたが、これらの言葉はその正当性が揺らいでしまうので思っていても口に出してはいけません。

子供が泣いても痛いと訴えてもそれは「悪い子だから痛くしたんだよ、そうやって一つ一つ分かっていけばいいんだよ」と心を鬼にして返答するようにしたほうがいいでしょう。
子供は親の心を読み解くのがとても上手いです、躊躇していたり迷っていたりしていたらすぐに見透かされます。
叩くと決めたなら堂々と自信をもって接する、それが子供の為であり自分自身のためでもあると思います。


簡単に説明しましたが、これらがお仕置きの一連の流れです。
正当な理由があること、なぜ駄目なことか理由を説明すること、手加減してお尻を叩くこと、しっかりと反省の言葉を言わせること、そして最後に一番大事な甘えさせることで完了です。
ちょっとコツをつかめばとてもシンプルでやりやすいことだと思います。

怒りは感情的なことであり自分の為にすることです、しかし叱りは声を荒げず冷静に話をすることで相手のことを思っての行為です。
子供を叱るのに感情的な叱りはよくありません。
体罰がなく感情的に怒らない教育はとても根気の要ることで普通の人間にはとても難しいことです。

今現在私は大人へのお仕置きをしていますが、その大人に対しても全く同じ考えでお仕置きをしています。
大人でもしっかりと駄目なことは駄目って叱ることは必要で、そういう愛情に飢えている人たちは結構いるものです。
お仕置きは痛いものなのでお仕置き自体は嫌なのですが、本気で向き合ってくれる人を求める気持ちからお仕置き欲が膨らんでしまいスパの世界に入り込んでしまうのです。

お仕置きに憧れを持っている人は、愛情を持って叱られることに喜びを感じています。
その方法としてお尻ペンのお仕置きに魅力を感じているんですね。
学校でもどこでも誰かが真剣に叱られているのを見て「羨ましい」と思ってしまい、その心の裏には自分にはされたことのない愛情表現というものがとても強く印象に残り、その積み重ねで成長し叱られる愛情を求めてしまう子もいます。

真剣に叱ってあげないと叱ってほしい欲求が強くなるものです、感情的に叱ったり叩いたりしてしまっても同じで、愛情を持って冷静に叱られたいという欲求が芽生えたりします。
そんな時にお仕置きシーンを目撃すると心にスッポリとはまってしまい、そこからお仕置き欲に翻弄されることになるので、まぁ悩ましいことでもありますね^^;

教育のための体罰は善か悪か

最近お受験に熱心な教育ママさんが増えていますが、それと比例して子供を叩くことは悪いこと、してはいけないことという風潮が広がってきています。
まあそれは日本だけではなく世界的に広がってきていることで「子供を叩くこと=悪」ということが常識になりつつあります。

私立の幼稚園、小学校、中学校に入学させる為に子供の自由を奪いって躾や教育をする人もいますが、それがどれほど大変か、もしかしたら子供よりも親の方が遥かに大変なのかもしれません。
子供の自由を奪うことはそれが子供の為であり、将来のことと思ってやっていることですが、その信念が揺らぐ時もたまにあるでしょうね。

幼児教育の一環で塾に通わせることも多いと思いますが、そこで子供が叩かれたりすると過保護な親は悩んだり塾をやめさせたりしようとしますが、それはどうなのかなと考えさせられます。
また、躾をしたり勉強を教えていても子供が中々理解してくれない、言う事を聞いてくれない、集中してくれない等の要素が重なると体罰反対派の親でさえつい手が出てしまい叩いてしまうこともあるようです。
そういう人は自分を責め、後悔して罪悪感にさいなまれたりします。

子供を叩くことや体罰って悪でありしてはいけないこととなっていますが、果たして本当にそうでしょうか?
虐待的な体罰、理不尽な体罰、躾以外の体罰、感情的な体罰は私も絶対にあってはいけないと思います。
しかし、冷静に加減をした体罰は必要不可欠な行為だとも思います。

ここではこの体罰をお仕置きといい、お仕置きはお尻叩き、お尻ペンのこととします。
ただ、この叩く加減は普通の人間では難しく、つい感情的になってしまったり愛情がゆえに虐待的になったりととても危険な行為だとは思います。
だからこそ「体罰は駄目」としているのかなぁと感じたりします。

子供のことを絶えず考えている真面目な親達の殆どは「体罰が悪いことだからそれはしない」と心の中で決め事をしています。
でもそれがゆえに言う事の聞かない子供に腹を立て、ストレスがたまり感情的に怒ってしまう、更にはつい手が出てしまうことがよくあります。

そういう親達はその感情的な行為が子供の心にどれだけの傷をつけているかあまり分かっていないのでしょう。
感情的に言葉で叱りつけるよりも冷静な体罰の方が子供の心に対して負担が少ないはずです。
そして感情的な怒りは冷静なお仕置きであるお尻叩きとは比べようがないくらい「悪」だということは間違いありません。

感情的になってしまってはそれは憎しみだし子供もそこからは愛情を感じることはできません。
しかし冷静な体罰であるお仕置きのお尻ペンはその行為の方法や、やり方によっては一つの愛情表現に変わり、子供と親の信頼関係が深くなりえる行為だと思います。
つい感情的になって子供に手を出して後悔している方たち、また感情的に怒ってしまう方たちに「お仕置きの仕方」を分かってもらえたらなって感じます。

その前に、
愛情表現ってそれこそ無限にたくさんありますよね、その中でも表裏のどちらも愛情という面があるんです。
その一つが「叩くこと」と「叩かないこと」なんです。
しつこいようですが、ここでいう叩くとは”お尻を叩く”という意味でお尻ペンのお仕置きのことです。
そしてこれは虐待的要素を含まないようなきちんと加減をしたお尻ペンのことです。

普通に考えたらお仕置きしないほうが子供は愛情を感じると思ってしまうでしょう。
手を上げず大切に育てたからといって愛情で満たされていると思うことは考えが浅はかです、それこそ自己満足の世界ですね。
実はお仕置きをされたことがない子供にも不満要素があるんですね。

このブログでも何度か書いていますが、いい子で真面目な子を持つ親は自慢の子供と思っていますが、実はそれは親のご機嫌伺いの為であったり、怒られるのが嫌で仕方なくだったり、親の喜ぶ顔がみたいという切ない思いだったりで親の思うとおりに過ごし、いい子でいることが自分の中で楽で、そういう歪んだいい子ちゃんなことが多く見られます。

子供がいい子だと嬉しいのは親だけで子供は子供らしさである自由を奪われ、子供のときに発散すべき欲求を我慢してストレスを溜めて成長してしまいます。
それによって自主性を奪われてしまうという弊害もでてきて、自分では何も決められない、そして子供のころに味わえなかった叱られるという行為を求めてしまいます。
叱られたいというのは甘えたいというのと同じ意味で、思いっきり子供に戻って好き勝手して真剣に叱られることで心から愛されているって感じたいということです。

叱られたいが為にする悪戯、構ってほしいからする悪戯って子供にはあって、それに応えてあげるのが親で、子供は勇気を振り絞って悪さをすることもあるという事を分かっていてほしいです。
でもいくら悪戯をしても、叱られるという形の愛情が得られないと本当に愛してくれているのか不安になり、その不安が更なる不安を呼び、それによって満たされなくなってしまうという面もあるんですね。

叱られることは大人が自分に真剣に向き合ってくれていると無意識に思っているものです。
そんな子達は幼い頃から”叱られること”に魅力を感じるようになってきてしまうんですね。
早い子では幼稚園くらいでその魅力に取り付かれ叱られたいという欲求が膨らんでいきます。

そんな中でテレビ番組やアニメ、絵本などでお仕置きシーンがあるとなにやら温かいものを感じ、一気に引き寄せられることで、お仕置に対してドキドキとして惹きつけられるというケースがキーさんには多いんです。
身近な人がお尻を叩かれているのを見てしまうこともそうですが、大人が真剣に向き合ってぶつかってくれている、真剣に叱ってくれているんだと愛情を感じ羨ましく思ってしまうんですね。

自分が叩かれたことがないからこそ思う”妄想”なのですが、「お仕置き=構ってもらえる=甘えられる=愛情のある行為」
と認識してしまいますし事実それは間違いがないことです。
だから叩かれることで愛情を感じるし叩かれないことでも愛情を感じるということがあるんです。

私は活動を通して悪い子にお仕置きをしていますが、お仕置きの世界に入り込んでくる子は、そういう環境で育ってきた大人が少なからずいるんですね。
実際にそうやって育てられた子供が大人になった姿を私は見て実感しているのである意味”心理学的統計”であると思っています。

今の若い子達で男女問わずお仕置き願望がある人は昔と比べ非常に多いと私は思います。
それはゆとり教育の代償であったり、学校での体罰禁止の徹底、家庭での体罰の自粛等が重なって自分を真剣に叱ってくれる存在がいないというのが根底にあるのだと思います。
お仕置きの世界に足を踏み入れる勇気のある女性はほんの一部で、本当は物凄く多い隠れキーさん(お尻を叩かれる側)が世の中にはいると私は思っています。

そういう子たちがお尻を叩かれることやお説教自体を求めているのは、深層心理の部分では自分を見てほしい、構ってほしい、甘えたい、ということを求めていてそれで”愛情”を感じ、心が満たされることにつながっているんだと思います。
これは無意識な部分なので自分で分かっていない子がほとんどで、だからこそなぜ自分がお仕置きにドキドキしてしまうか悩んでしまうんですね。

叩かれている自分を妄想したり小説を読んで快楽を感じてしまうのは、お説教やお仕置きで温もりや愛情を感じたり、許されたり甘えることによって心が満たされるからだと思います、快楽を感じるといってもそこに性的要素はなく、ないからこそ快楽を感じるわけです。

お仕置きに興味ない人にはこういう気持ちは理解できないでしょうが、全くの方人で一切構ってもらえないで育ったら気持ちは理解できるでしょうし、そうであれば誰しもお仕置きを望み、そしてそれが心の安定につながると思います。
自分の事を見てもらい、悪いところがあったら指摘してほしいと願う人ならばお仕置きは必要でしょう。
だから私はお仕置き好きな子という枠ではなく、お仕置きは人間には必要な心のケアであり心の癒しであり、心の安定であると思っているんです。

結局お仕置きに憧れを持つ子たちは子供心にこのようなことを思っていて、その欲求が破裂しそうになってお仕置きの世界に入り込んでいるわけでが、そのような心境の時にたまたまアニメや絵本などのお仕置きシーンを見てしまったり、学校や日常でお尻叩きを目撃してしまったりすることで、全てがリンクし、脳裏にお仕置きが刻み込まれて頭から離れなくなることがほとんどです。

かなり話がそれてしまいましたが、感情的に子供を叱りつけてしまう方、つい手を出して後悔してしまう方、罪悪感にさいなまれている方、その方たちに正しいお仕置きの仕方を教えたいと思ってしまいます。

「お仕置きは良い行為だ、正しいことなんだ」といっているわけではありません。
しかし感情的に怒鳴ったり、つい手をあげてしまっているということを前提に考えれば、それらの行為はマイナスであることに間違いはなく、それに比べお仕置きはプラスな行為だと思います。

お仕置きの方法はいたってシンプルな流れです、
その方法は次回に。

子供の躾け、子育て

子供を教育し躾をし、立派な人間に育てたいというのは誰しも思う親の気持ちだと思います。
それを実現する為には自分が育てられた環境を元に基準を設けて子供と接している人は多いと思います。
また、子育ての本、お受験の本などたくさん出ていますよね、それを参考にしている親達も多いと思います。
それだけ教育熱心、子育てに一生懸命なんですよね。

でも、私が思うに本の知識はなかなか行動にはうつせないと思うんですよね、というよりもそもそも根底にある子育ての心理的要因を理解するには普通にマニュアルを読んでいては駄目なんですね。

私は子育ては心理学であり最も難しい分野だと思っています。
というよりもそのように考えて取り組まないと子供を教育することは出来ないと思っています。
本を参考にするのは大いに結構ですが、その一つ一つの言葉にはとても深い意味が必ず隠されています。
それを言葉として認識するのではなく、心理学的に読み解かなければあまり意味がないんですね。

子育ての本というものはそもそもは心理学の本であり、その深層心理の部分を理解しないと役に立ちません。
意味を理解しないで本のまま行動しても、子供には真意は伝わりませんし応用が利きません。
だから本のマニュアルを覚えるのは、それについての心理を根底に考えた上でないと意味がないのではないかと思います。

人の気持ちを理解することは心理を読み解くことと同じことです。
自分の価値観で「この子はこう思っているはず」と決め付けるのはとても危険なことであり、親としては様々な要素を想定する必要があります。
子供に関する一つの問題に対して、子供が何でこういうことをしてしまったのか、何を考えているのかということを何通りも考え、それぞれに対応できるようにしておくことが大切です。

悪いことをしたとしても、
「分かっていて悪いことをしたのか、構ってほしかったのか、むしゃくしゃしてやったのか、塾や学校のストレスがたまっていたのか、つい軽い気持ちでしたのか、悪気はなかったのか、虐めにあっているのか、精神的に追い詰められているのか、何かの信号なのか」等々
それらを総合して考える必要があります。

その状況により接し方や叱り方は違うわけであって、だからこそ一方的な個人の価値観だったり感情的に怒るということは絶対にやってはいけない事なんですね。
ただ、冷静にわざと感情的にというのは躾の手段ということもあります。
本の内容はこれらのことが根底にあって初めて生かされるバイブルだと思ったほうがいいと思います。

実際子育てっていうのは物凄く難しいことです。
それはいくら心理学を駆使したとしても自分の思うとおりの人間にはならないからです。
自分の方針と違う方向にいってしまったらがっかりする人もいるのでしょうが、それは親の理想でありエゴでしかないと思うんですよね。

本当のところは自分の子供は健康で幸せであればそれだけでいいと思うのですが、そこに親の価値観が入り込み複雑になっていってしまうんです。
だから親としては子供の未来にいろいろな可能性を見出してあげるという考えの下に教育をしていくことこそが大事だと思います。
しっかりとした躾も、お受験も、習い事も、塾も、全て強制だとしても、将来の可能性が広がる手段であると考えているのであればいいと思うんです。

でもそれで期待のしすぎはいけません。
いろいろなことを体験させて可能性を広げている、選択肢をたくさん与えているだけという考えを崩してはいけません。
後は子供の人生なのだから、それ以上は望まないことが理想だと思います。
まぁこれは出来そうでなかなか出来ないことですけどね。

過度な期待をすると子供は親の期待のために生きる人生になってしまいがちで、親の期待に沿うことが自分の幸せと感じるようになることがあります。
そうなると挫折にとても弱くなったり、期待を裏切ることは許されないというストレスで精神的に歪む原因となることもあります。
親としては土台造りをしてあげている程度に思っていたほうが自分も子供も気が楽に人生を生きれるはずです。

私は活動で大人に対してお尻ペンのお仕置きをして躾のようなことをしていますが、そういう大人達を見ていて幼少期の躾や教育がとても重要なんだなってとても感じるんです。
子供の心理は子供に聞いてもわかりませんが、その子供が大人になれば幼少期の心理をしっかりと説明してくれます。

そのことにより、親の教育の仕方が子供心にどのように感じていたのか、どのような大人に育ってしまうのかがわかり、それを私は聞いていろいろな観点から分析すると、親の教育によって子供がどう成長したかがわかるんです。

叱るだけでも駄目、叱らないのも駄目、叩くだけも駄目、叩かないのも駄目。
叱らない、叩かないのはなぜ駄目かというと、そういう教育だと子供はないものねだりで叩かれたい、叱られたいと少なからず思ってしまうんですよね。

友達の話や目撃した光景、またテレビやアニメで叱っているのを見て、そこに愛情というものを感じ求めてしまう部分が少なからず出てきます。
要はその部分の小さな欲求が膨らみ、叱られる愛情というものを求めてしまい、それが成長するにあたりより大きくなってしまうからです。
だからバランスのよい愛情のかけ方が必要なんです。

叩くというのは危険な行為なのでここでいう叩くというのはお尻ペンのことです、お尻叩きですね。
それ以外の場所は感情的に手を出す行為であってお仕置きではなく虐待的行為だと私は思っています。
お尻を叩くといっても”子供”の場合は手加減をして軽めで十分だと思います。

で、叱られたり叩かれたりされたことがない子供ってそういう場面を目撃するとうらやましく思ってしまうことがあるんですよね。
大人に真剣に叱られている、大人が真剣に向き合ってくれている、そしてそこには自分には向けられなかった大きな愛情があると感じて、だからこそ、その未知な部分を追求し、満たされない部分を補いたくなるんです。

実際叱られたり叩かれている張本人はそんなこと思っているはずもなく、嫌だし、むかつくし、親なんていらないなんて思ったりもするのですが、見ている人は自分がされたことがないからそこに愛情を感じてしまうことがあるんです。

普通の環境でバランスよく育てられた子供やお仕置きを受けてきた子供は、叩かれるのは嫌なことっていう意識があるので、自分の子供には叩かないという考えになり、今それが増えているんですね。
でも虐待的な体罰ではなく、愛情のあるお仕置きの場合はそれがトラウマになっているわけでもないし、親を嫌うなんてこともないし、むしろ親が好きだし、愛情も感じていたしという子が多いんですよね。
間違っていることを正されていたわけなので大人になればお仕置きの意味が理解できるようになり、自分のためであり、愛情からだと気がつき、より親が好きになったりもします。

でも叱られたり叩かれたりの体験をしていない人は、悪戯をしてこっぴどく叱られている人を見たり、アニメやテレビでお仕置きシーンがあるとそこに自分には与えられていない愛情や魅力を感じ、ドキドキするようになってしまうことがあるんです。
いい子でいる子は叱られたいと思っても悪いことや悪戯ができないでいて、勇気を振り絞って些細な悪戯をしたとしても普段いい子でいるからということで大人はみて見ぬ振りをして叱らないことが殆どです。

だからこそいい子ちゃんは特に”お仕置き”に目覚めることが多いのでしょうね。
今は体罰である躾やお仕置きは否定され、いけないこととして世界中に広がっていますが、私はお尻叩きのお仕置きについては愛情表現の一つだと考えています。
それは実際の成長した大人を見てそう思うようになったんです。

今は叱られてきて、お仕置きや体罰を受けてきた子供が大人になり、子供を産んでいます。
過去に嫌な思いをしたからこそ体罰はなくそうと世界中に広めています。
そして叱られたり、お仕置きを経験しない子供たちが今はもう成人になっています、ゆとり世代ですね。

でもその子供たちの一部はとてもとても愛情に飢えていて、その愛情というものは大人に真剣に向き合ってもらうことであり、間違っていることをしっかりと叱られることなんですよね。
だから今まで与えられなかった愛情をお仕置きという形で受け、心の隙間を埋めているというのが現状にあります。
子供のころに甘えられなかった部分を体験したい、そして満たされたいと思ってしまうんです。
人間ならば誰しも持っている甘えたい欲求なんですよね。

そういう子たちがスパ(お仕置き)の世界に入り込むと、本来のシンプルなお仕置きとは違う、作られたスパの世界でのお仕置きの価値観を無意識に植え付けられてしまいます。
昔から興味のあったお仕置きをネットで検索してみるとそこには大人のお仕置きである”スパ”しかないわけでその世界に染まるしか方法がないからなんですね。
だから私は、そういう作られた世界に洗脳され、依存していってしまう子たちに、本来のシンプルなお仕置きを思い出してほしいという気持ちでこのブログを書き、サイトでも発信しているんです。

お仕置きの世界に入り込むということは一部の欲求が満たされなかったから起きる現象でもあり、それは人間はないものねだりだからだと思います。
だから均等に愛情を与えることが大切なのですが、そのサジ加減は個々によって違い、とても難しいことです。
ただそういうことも踏まえて、均等な愛情を与える意識を持って子供と接していれば今とは違う新しい子供との関係が築けるかもしれません。

子供のころのいい子はいい子ほど問題があると思います。
いい子だからよしとするのではなく、子供がいい子でいるのであればそれこそ問題だと思って子供を真剣に見てあげることが大切です。
親に気を使っていい子でいる子もいますし、親の機嫌をとるためにいい子でいる子もいます。

そしてそういう子は感情を上手く表現できなくなったり、自分で判断する能力も低くなりがちなので、自分で行動できるような試練を与えることが大事だと思います。
たまに悪いことをするようになったらそれは喜ぶべきことでありますが、そこは悪いことは悪いときっちりと叱らなければなりません。
それを嫌悪するのではなく、子供の成長という面で安心するという気持ちを持てば苦にならないでしょう。

結局は子育てに正解はないんですよね、その個人の性格もあり、学校の環境もあり、出会った人の影響もあり、親はただ子供の人生のサポート役でしかなく、それを十分に理解して接することこそが子供の為であり、その事を理解して教育、躾、子育てをしていくのが自然だと思います。

あまり周りと比較せず、自分の思い通りになるなんて考えず、一人の個性のある人間として尊重してあげることが大事です。
頑張りすぎず、肩の力を抜いて、何のために子供を教育しているのか、子供ではなく、まず自分を見つめなおすことが一番大切なのかもしれません。

親と子の支配関係「生誕編」

親と子供との支配関係について書いてみようと思います。

こんなことあまり考えないことですが、子供って親に支配されているんですよね、
親は子供を育ててるっていう感覚はあるものの、支配しているとは意識していないものです。
子供ももちろん支配されたいという願望は自意識としてはありません。

人はこの世に誕生した瞬間、生きようとして泣きます、肺呼吸をしなければ死んでしまうことを本能で分かっていてそれを取り込む方法が泣くこと、初めて体験する呼吸です。
一説には
「この絶望の世界に産まれてしまったから泣き叫ぶ」
という話がありますが、それもなるほどと思ってしまいます、確かに泣き叫んでいますよね、呼吸とは違うような感じがしますし。
それにおなかの中はとっても居心地がいいそうです。

その後赤ちゃんは生きるために母乳、もしくはそれに代わるものを与えられる。
無意識の中の本能の部分で、母親がいないと生きていけない、絶対的な存在だということはこの瞬間に既に植えつけられているのかもしれません。
そう、親がいないと生きていけない。
授乳を卒業しても自分で食料は調達できない、真冬の寒いときでも真夏でも自分では何も出来ない、親がいなければ死んでしまう。

そういうことが何年も続いたら親に依存するのは当然のことでしょう。
幼稚園くらいになれば自分で食料を探して自分で食べることは出来てもそれは親が用意した食料です。
外に出て一人で暮らしていけるかというと無理ですよね。
そんな親に依存した生活がだいたい中学生くらいまで続くのが一般的です。

どんな親であったとしても、子供はその親を受け入れなければなりません。
育児放棄、虐待、過保護と様々な環境があります。
どんな親でも子供にとっては絶対的な存在で、生きていくには必要な存在なんですね。

でも親も人間です、完璧ではありません。
育児放棄や虐待、過保護、にみられるようになかなか子供の気持ちを分かってあげれない。
どういう育て方をしてもそれを”躾”という言葉で片付けてしまいます。
躾という難しい教育を子供を育てたことがない未経験者が自分だけの感覚で子供を支配してしまう。

広い視野で子供を見てあげれなかったり、子供の心理をよくわかっていない親は多く、それは本当に恐ろしいことだなと感じます。
子供をペットや人形のように扱い、躾とは関係なく可愛がるだけ可愛がって叱ってあげられない親、また逆にただ自分のいうことが聞かなかっただけで感情的に怒鳴りつける親がそれなりにいるんです。
それは間違いだと気がつきつつも自分を変えることができないでいる人がほとんどでしょう。

人間的に未熟な人、精神的に幼い人、人の痛みを分からない人、個性を受け入れない人。
こんな人ってこの世の中いっぱいいますよね、周りにも必ずいるはずです。
でもそういう人たちでも結婚し、子供を産み、子供を育て、支配してるんですよね。

どう思いますか?
こんな人が子供を教育して育てられるの?っていう感じの人が周りにいませんか?
まだ結婚していなくてもいいです、思い当たる人がかなりたくさんいるでしょう。
でもそんな未熟な親だったなんて子供が分かるはずもなく、どんな親でも自分には絶対的な存在と認識してしまうんです。
社会一般の評価はかなりの低レベルでも子供にとっては世界で一番の親になってしまうんです、少くても子供に自我が芽生えるまでは。

子供は家庭がどんな過酷な環境でもそれを受け入れそれが普通なんだと言い聞かせ、生きていく術を身につけていくものです。
そんな子供には家庭に逃げ場所なんかなく、誰にも相談できず毎日が地獄なんですね。
虐待系の場合は刑務所より酷く、自宅に軟禁され捕虜や奴隷のような生活を強いられることもあるでしょう。

でも人間の脳はそれに対応しようと反応して順応してしまうんですね、少しでも自分が楽に生きられるようにと無意識にです。
そしてあまりにも絶望感が続きストレスが続くと脳内ホルモンのバランスが崩れ感情のコントロールが出来なくなってしまうことに繋がります。
感情のホルモンってあって、通常は怒りや恐怖の感情と安心感がバランスをとって調整しているんです。
だから怒りっぽい人やおとなしすぎる人っていうのはちょっとだけバランスが悪いんですよね。

もっと過剰にストレスがかかり続けると自分では感情のコントロールできない体になってしまいます、脳が無意識に守ってしまうんですね。
ストレスは人によって感じ方が違いますが、真面目な人や純粋な人は素直に受け入れてしまうのでダメージが大きいんです、逆にいい加減な人や器用な人はそれを回避しやすいんです。
本当に皮肉なものですよね。
精神的に辛いことって、その出来事自体では比較は出来なくて、その人の心の繊細さのところなんですよね。

そこまで辛いことが家庭内であっても親に依存してしまっているからそれを受け入れなくてはならず、絶望の日々を送らなければならないんです、他の選択肢がなく、仮にあったとしても今まで依存してきた子供には行動ができません。
ここまで酷くなくても親子関係がギクシャクしたり子供が心に傷を負ったりするのは、親が子供の気持ちを理解することができないか、それができても子供より自分が大切だからでしょう。

それに自分の子供だからといっても所詮人間に全てを見通す力なんてないんですよね。
自分の心だってあやふやにしか分からないのに自分の子供の心の中まで完全にはわかりません。
それを理解しようと必死に子供を見つめ顔色や行動の変化、言葉の変化で何かを掴み取るしかなく、それを実行している親は理想の親と言えるのではないでしょうか。
まぁ親といっても普通の人間なので、しょうがない部分はありますが、子供を産むのならばある程度の心理学的な知識を持って育てていかないと精神的に歪んでしまう子供がたくさん出てきてしまうでしょう。

そして親も完璧ではない、間違いはある、それを子供に理解させ、些細なことでも間違ってしまった行動は、きちんと子供に謝ることが必要ではないかと思います。
そういう人間臭さを出していけるのが本当の親子関係であり温かい家族なんじゃないかなぁと感じます。

子供は親のペットでもなければ人形でもありません、親が思うように育てたいというのは親のエゴであって、そういう親の子供は、親の期待のためだけに人生を送ってしまうことになってしまう場合があります。
子供のことを思っての行動ですが、それは自分に当てはめての価値観であって強制することではありません、選択の余地を与えなければそれはエゴと呼ぶべきと思います。

しかし、子供は親に依存してしまっているので親の期待に応えることが自分の幸せと感じてしまう人もいます、そしてその狭間で葛藤している子供達がいて、そしてそのまま成長した大人もいます。
子供の世界は家庭と学校だけ、他に目を向けられません、学校に行くまでは家庭が全世界なんです、そして学校に行くようになっても家庭と学校の関係者が全世界なんですね。

学校に居場所を求めてもいじめや裏切りがあればその絶望感はこの世の終わりくらいに感じるでしょう。
もう死ぬしかないと自分に言い聞かせ、それでも死ねない。
生きたい、死にたくない、死にたい、生きたい、、、その繰り返しの毎日を送っている人もいます。

少し話が飛んでしまいましたが、支配をするということは愛情がないとしてはいけません、そして相手もそれを受け入れる気持ちがないと成立しません。
支配というとニュアンス的に違和感がありますが、要は親の支配下で自由に人間らしく愛情のある温かみのある生活や教育をということです。

甘えさせる愛情、叱る愛情、叩く愛情、これらをバランスよく相手に伝わるように育てていくことが大事で、その中でも全てにおいてアフターフォローが大切なことです。
叩く愛情とはもちろん手加減をしたお仕置きのことですが、そこにアフターフォローがあるならば私はとてもいいことだと思っています。

ただこれは子供のためのお仕置きであって親の怒りの矛先や感情的な親のためのお仕置きであるならば絶対に手をあげてはいけません。
そしてお仕置きとして叩く場所はお尻に限ります、頭はされる方も見ている方も愛情は感じませんから効果的なのはお尻のみです。
見た目というのは実際には肉体的なもので、お尻は体の中でも一番安全な場所だからです。

最後に愛情がない支配関係というは、昔のアフリカやアメリカ、欧州で奴隷制度があった頃の奴隷と同じです。
愛情とは相手に伝わらなければ愛情とは言わずだからこそアフターフォローが大切なんです。
叱ったりお仕置きをした後はしっかり甘えさせることです。
何のために叱ったのか、何のために叩いたのかを説明して、あなたが大事だからということをお話する時間が必要で、それができないのならば叩くことはしてはいけません。

大人のお仕置きの世界である非日常は、そういういわゆる”愛情”で満たされたい人の居場所としても必要ではないかと思います。
過去の子供時代に叱られる愛情が欲しかったという人や甘えたかったという人はたくさんいます。
それを今でも引きずりそれを求めてしまう大人が意外にも多いんです。

信頼して、全てを曝け出して、心を解放して楽になる、愛情を持ってお仕置きされ、甘えることによって喜びや愛を感じる。
今の日常では体験できないであろう、深い信頼関係の上の愛情というものを非日常の一時でも体験することが出来れば今とは違う何かが起こってくるかもしれません。

何かを探している人、変化がほしい人は、一歩踏み出してみないと何も始まらないということを認識しなければならないと思います。
大人でも子供に返ってお仕置きを受ける事は何ら変なことではないんです。
それで前向きになれれば、何か吹っ切れて前に進めればとてもいいことです。
心の問題、精神的な問題を抱えている人は特に必要です、細かいことで悩んでいる人、すぐに自己嫌悪してしまう人は一度お仕置きされてみることを真面目に考えてみたほうがいいかもしれませんね。

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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