スパ=お仕置き?

”スパ”というと”お仕置き”という発想で考えてしまう人は多いと思います。
ディシプリン派の人はもちろん、スパ=お仕置きですよね。
また、ディシプリン派ではなくても何かしらの罰でお尻を叩くのであれば、スパ=お仕置きでしょう。

普通に考えれば当たり前のことなのですが、実はお仕置きじゃない「スパ」もあるんですね。
私もいろいろな人とお話ししている中で知らない人が多いと感じたので、ここでお話ししたいと思います。
そこをわかっていないと、いろいろな考え方のカーさんがいることに気づけないですからね。


もともと”スパ”というのはスパンキングの略でお尻を叩くことであり、そしてお尻を叩くこと自体はお仕置きではありません。
お仕置きとは、何かをしたことによる罰であって、それはお尻叩きでも、ビンタでも、げんこつでも、罰であればなんでもお仕置きです。
つまり、スパンキングが何かの罰であった場合はお仕置きと呼び、罰でない場合はお仕置きとはいえないということです。
よって悪い事がなく、罰でもなく、ただお尻を叩くだけのスパはお仕置きとはわないんですね。

で、「スパ」というのはお尻叩きに惹きつけられる人たちが集まる世界のことをいい、キーさんとカーさんが存在して成り立ちます。
「SM」はSM行為に惹きつけられる人たちが集まる世界で、そこにはSさんとMさんが存在して成り立ちますよね、そしてどういう事をするかは人それぞれです。
スパも同じで、お尻を叩くことは共通でも、悪いことの清算としてお尻叩きのお仕置きをするのか、そうではなく単純にお尻を叩いて遊ぶのか、どのようにお尻を叩くのかは人それぞれで決まりはないですし、スパという言葉にそういう区分けは全くないんです。

人によってはお尻を叩くことだけ、叩かれることだけに興奮する人たちもいて、そういう人たちはそこに性欲を感じたり、または愛情を感じたり、楽しんだり、盛り上がったりという感覚でいるもので、これもスパです。
まぁそういうお仕置きではないスパは、明るく楽しむ、もしくは直接的な快楽目的のスパって感じでしょう。

また親から子への家庭的なお仕置きも同じ「スパ」です。
この場合はお仕置きを楽しむというのではなく罰であるために厳格な雰囲気になっていくでしょう。
半分じゃれあうみたいなお仕置きもあるようですが。私は厳格なお仕置きをしています。

更に、お仕置きといっても一般的には家庭的なお仕置きと考えがちですが、SM的なお仕置き、虐待的なお仕置き、性的なお仕置きと、スパのお仕置きといってもカーさんの中でそれぞれあるんです。
それを知らないで、スパだからとかカーさんだからとかいうことで、全てがディシプリン派で家庭的なお仕置きだと思ってしまうのはとても危険です、ということを知ってもらいたかったんです。

スパ一言でいっても区分けがあり、お仕置き一言でいっても区分けがあり、そういう中身を確かめないで、単純にスパだから家庭的なお仕置だろうという思い込みでそカーさんに会うのは避けたほうがいいでしょう。
いろいろな好みのキーさんやカーさんが存在し、スパと一言でいってもいろいろなお尻叩きがあり、その中のお仕置き一つとってみても家庭的なものから性的なものまであるんです。
そういったことを認知してスパの世界を覗くとリスク軽減できることにつながります。

ちなみに私はディシプリン派で、性的ではない家庭的なお仕置き、つまりスタンダードな家庭駅なお仕置きを好むので、そこに性的要素は一切ありません。
まぁ要望があれば虐待的なお仕置きも可能ですが、それでも性的な要素は排除しています。
性的なことが介在するとそれは全く別物のお仕置きになってしまいますから、お仕置きには取り入れたくないというのが私のお仕置きの方向性で。




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前記事 「お仕置き」と「スパ」と「スパンキング」 の補足

とある読者から前記事に対して分かりにくい部分があると質問があったのでお答えします。
まぁ前記事というのはキーさんにも色々いるっていう説明でもあったんですけどそれが分かりにくかったようです。

どんなことかというと、エッチな行為を含むお尻叩きやエッチなお尻叩きであってもキーさんというのか、それはMさんだけじゃないのか
という疑問です。

簡単にいうと、スパでも性的要素のあるスパはありますし、性的要素の無いスパもあります。
SMでも性的要素の無いSMはありますし、性的要素の有るSMはあります(大多数は性的要素の有るSMです)

キーさんとは、お尻叩きに興味があるという事なので、そこに性的かどうかは関係はありません
Mとは、被虐感や被支配に興味があるという事なので、そこに性的かどうかは関係はありません

性的要素が有るのか無いのかは大きい違いで、それだけで全くの別物になってしまいます。
それでもお尻叩きという行為で両者とも「キーさん」と呼ばれていますよね。
ただ、性的要素の無い躾としてのスパ(お仕置き)はディシプリン派と呼んで区分けはされてます。

それを踏まえてもう一度下記の区分けをご覧ください

〇性的要素が一切無いもの
スパのお仕置き→ スタンダードなお仕置き→ 生粋のキーさん
SMのお仕置き→ 虐待的なお仕置き、精神的に追い込むお仕置き→ キーさん&Mさん
スパンキング→ お説教なしで叩かれるのを楽しむ→ キーさん&Mさん

〇性的要素が有るもの
スパのお仕置き→ エッチなお仕置き→ キーさん&Mさん
SMのお仕置き→ Мさん
ラブスパ→ エッチな行為を含むお尻叩き→ キーさん&Mさん
スパンキング→ エッチなお尻叩き→ キーさん&Mさん

キーさんかMさんかというのは本人のお仕置き行為やそれに類似する行為の捉え方となります、そこの部分は複雑ですが、これまでも何度となくブログやサイトで書いているので考えてみて下さい。
それでもわからない人は、私と直接対話して自分を見いだしてみましょう^^
文字での説明ではなかなか難しく、心理状態や実際の体験等でしかわからない人も稀にいますからね^^;



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「お仕置き」と「スパ」と「スパンキング」

「お仕置き」と「スパ」と「スパンキング」って同じに思っている人は多いと思いますが、どうなんでしょうね。
これらの言葉に”これだ”という言葉の決まりはないのも困ったことでもあります^^;

キーさんと一言でいってもいろいろなタイプのキーさんがいて、ただ共通することは、それぞれの理由により、お尻を叩かれることに何かしらの魅力を抱いているということなんですね。
ただ、みなさん叩かれるのは同じでも、お仕置き観が違うとこれは全く違うものになってしまいます。

人それぞれ持っているお仕置き観はありますが、自分のお仕置き観が当たり前と思っていると、パートナーと巡り合ったとしてもなかなかうまくいかないものです。

まず、「お仕置き」ですが、お仕置きには必ず理由が無ければいけませんよね、なんでかというと”お仕置き”だからです(笑)
辞書を引いてみたらわかるように、お仕置きには理由が無ければお仕置きにならないんですね。
当たり前の話ですがこの世界にいると、お仕置きというのが=お尻叩きという錯覚に陥りがちなんです^^;

次に「スパンキング」ですが、これは言葉の通り、「お尻叩き」です。
キーさんの中には、お尻を叩かれることが好きで、お説教とかスキンシップとかを求めるのではなく、お尻を叩かれれば楽しいという感覚の人もいるわけです。
言葉からすると、お仕置きは理由があってのお尻叩きで、スパンキングは理由がないお尻叩きとなりますね。
スパンキングにプラスお説教がつけばそれがお仕置きですけどね。

それでは「スパ」とはどういう意味でしょうか。
私のブログでは当たり前のように書いていますが、親から子への家庭的なお仕置きであって、お説教から始まり、お尻を叩いてのお仕置きをして、その後反省できていい子になれたなら許して迎え入れ、頭をなでたりしてのスキンシップをすると私は解釈しています。
もっと言えば普通(性的要素の無い)のお仕置きなので、これはディシプリンスパのお仕置きです。
ただ、これが当たり前と思っていたらパートナー探しの時にうまくいかない場合がありますから要注意です。

”スパ”という言葉がクセモノなんですが、まぁおそらく”スパ”という言葉はSMの対義語のようなものなんでしょうね、対義語というと変ですが、区分けする言葉とでもいいましょうか。
”SMのお仕置き”に対して、”スパのお仕置き”みたいな。

それと、キーさんの”お尻叩かれ観”も様々で、そこにM要素が混在する人もいて複雑になっていますが、少しわかりやすくまとめましょう。
ま、言葉が曖昧なので、これは勝手な解釈なのかもしれませんが、ここで言葉決めをして世の中に広めてもいいかもしれませんね(笑)

〇性的要素が一切無いもの
スパのお仕置き→ スタンダードなお仕置き→ 生粋のキーさん
SMのお仕置き→ 虐待的なお仕置き、精神的に追い込むお仕置き→ キーさん&Mさん
スパンキング→ お説教なしで叩かれるのを楽しむ→ キーさん&Mさん

〇性的要素が有るもの
スパのお仕置き→ エッチなお仕置き→ キーさん&Mさん
SMのお仕置き→ Мさん
ラブスパ→ エッチな行為を含むお尻叩き→ キーさん&Mさん
スパンキング→ エッチなお尻叩き→ キーさん&Mさん

ちなみにお仕置きの時は生粋のキーさん、エッチの時はMさんという人も普通にたくさんいるので、どちらかということではなく、お仕置きをどう捉えるかの問題なだけです。
つまりスパは性的でないものしかないと思い込んでいる人もいますが、実際は性的なものもあり、理由が無くお尻を叩いて楽しむというのもあるということです。

私のブログではスパのお仕置きは性的要素の無い家庭的でスタンダードなお仕置きとしていますが、もしパートナーを探すのであればそうでないお仕置きも実際にあることも認識していた方がいいと思います。
性的なお尻叩きを好むキーさんやカーさんがいるのは確かですし、それぞれの価値観でしている事なのでそれは別に構わないのですが、そういうこともあり得るということは知っておきましょう。
全く別物のお尻叩きの世界があるっていう事は理解できたでしょうか^^;

私の場合は性的要素が含むお仕置きは興味ありませんので、例え依頼があったとしてもお断りします^^;
そのような考えのキーさんやMさんも私のところに来たりしますが、それはそれで全然構いません、私がそれをしないだけですからね^^



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性的なお仕置きと、性的ではないお仕置き

お仕置きって一言でいっても大きく分けて性的なお仕置きと性的ではないお仕置きがあります。
家庭的なお仕置きを好むキーさんは性的ではないお仕置きを求めているものですが、どんなお仕置きを求めているのかよくわからないキーさんもいるんですね。

性的なお仕置きを求めるキーさんというのはもちろんいます。
性的な分類というのはピンからキリまであります、ピンまで行けばモロにSM的なお仕置きだし、キリであればSMのお仕置きとまではいい切れないけど性的なことを連想させるようなお仕置きですね。

そういうことがわかっている人であればいいのですが、SM的なお仕置きのSMというものが何なのか理解できていない人も実際にいます。
そうなってくると自分がどのようなお仕置きを求めているかが見えない状態になってしまいます。
お仕置き的なアニメやドラマ、様々なシーン、そして単純にお仕置きという単語に「ドキッ」っとしてしまう自分って何なのか。
当然自分は変だ、他の人とは違う、Мなのか、変態なのかと一人悩んでしまう人が多いようです。

だからといってお仕置き欲は抑えることができなくて、体験したければ必然的に掲示板を利用するかサイトの人に依頼することになります。
そしてお仕置きについて何もわからない状態だと、出会ったカーさんのするがままのお仕置きを受けることになります。
しっかりと打ち合わせもできていないと当然に性的なことをされることもありますが、「これがこの世界のお仕置きなんだ、自分のお仕置き欲を満たすには多少の性的なことはしょうがないんだ」と無理に納得する人もいます。
だけどやっぱりそこに違和感が生じ、様々な人を渡り歩き、更に自分自身を嫌悪し、病んでいってしまうこともありますよね。

それではどのように心の整理をして、どのように求めるお仕置きを考えたらいいのでしょうか。
これは大事な問題で自分を知るために必要な第一歩ではないかと私は思っています。

私の場合、性的なお仕置きか、性的ではないお仕置きかをどこで区分けしているかの基準を設けています。
まぁそれは誰にもいっていることですし、これまでもブログで書いてきたことなんですけどめちゃくちゃ単純なことなんですね。
それは単純に”親から受けるようなお仕置きと比較”するだけです。

親から受けるお仕置きにその行為は許容されるかどうか、違和感がないかを考えてみてください。
それは妄想の世界でもいいんです、まずは自分が妄想するお仕置きを考えるのですが、それが親だったり、アニメだったり、小説だったり、その人が憧れているお仕置きのイメージです。
それを考えた時に何がNGかということは見えてくるはずです。

そこが第一歩目でそこから本当の意味で求めているお仕置きを探していく作業をしていけば自分を見つめることができるし、その過程でいろいろなことがわかってくると思います。
スパという曖昧な世界に惑わされずに、理由なく叩かれるのは嫌だとか、そもそものキュンと来るお仕置きは何だったのかとか、自分の理想の人が現れなくてもその方向性を変えることが無いようにしたほうがいいと思います。
スパという世界に合わせるのではなくて、自分の持っているお仕置き観を持ち続ければいいんですね。


で、性的なお仕置きとは例えば、
フィギング(生姜をお尻の穴に入れる行為)浣腸をする、おむつをはかせての排出、お触りをする(性器、肛門、乳首等の性感帯)、罰と称して性的なことをしたりさせたりする、お尻や性器に物を挿入する、等です。

フィギングや浣腸は微妙な部分ではありますが(人によっては性的快楽ではない為)こういったお仕置きで興奮するのであれば性的なお仕置きを求めていることになりますし、こういった行為を嫌悪するのであれば性的でないお仕置きを求めているということになります。

お仕置きを受けたい欲望を抑えることができないので、その欲を満たすためには多少の性的なことは我慢するという子は実際にいますが、そうであればパートナーは必要ではなく、私のようなサイトを利用したほうがいいのではないかと感じます。
それならば自分の理想のお仕置きに沿ってできますしね。

この活動でキーさん達に実際の会ってみると、過去そういう悩みがあったという話や、現在もそうで、そのことの相談とかをしてくる子が結構います。
もちろんメールの段階でそのような相談もありますし、私のこのブログをきっかけに心の整理ができたという人もいます。

自分の心が謎のまま理解できない辛さは相当なものです、しかもその謎は人には言えない背徳的なことですから一生そのことを抱えていかなければなりません。
だからこそ唯一の吐き出せる場所として私のようなブログやサイトは必要だと思っています。

性的でないお仕置きに対する心の動きをしっかりと理解できる人間というのは一般的にはいませんからね。
みんながみんなお仕置きはSMだと考えるでしょうし、単なる痛みを求めるMだと勘違いするでしょう。
丁寧に説明しようとしても相手側のキャパが狭ければ無理ですしね。

実際に親友に自分がキーだと打ち明けるために、自分の言葉よりも私のブログやサイトを見せて理解してもらったという人もいます。
とにかく一言では説明できない複雑さを持ち合わせていますから説明は難しいですよね。
でも私のブログを通してでもしっかりと説明ができれば、”私もキーかもしれない”という人はたくさんいるんじゃないかなって私は思っているんです。

そしてキーさんの割合が少しでも上がればお仕置き自体、後ろめたい行為ではなく、普通の行為となります。
変かどうかはただ単に少数かそうでないかで決まりますからね、人数が増えれば必然的に一般的となるんです。
そのような世の中にしていきたいと思ってます^^
けどまぁ、現実的には難しいですね…^^;

話を戻します。
人によってお仕置きは、そのイメージが好きで楽しみたいとか、軽いお尻ペンでお尻がうっすらと赤くなるのが好きとか嗜好は様々です。
お仕置き理由はなくても単純にお尻を叩かれたいと思ったり、単純にお仕置き欲を満たしたいと考えるキーさんもいて、それは人それぞれです。

厳しくないお尻ペンも最近するようになったのは、毎回厳しすぎるお仕置きもどうなんだろうなと感じたからです。
もちろんしてしまったことの重大性に応じては厳しくしますが、どんな罪でも限界ぎりぎりのお仕置きをしていては、逆に痛みを求めてしまう結果になりかねないので逆効果な面もあるはずです。
そういうこともあって、たいした悪さでなければ軽いペンで終わらせたり、人によっては厳しくと希望する子には厳しくしたりと、最近は独自観を貫き通すというよりも、臨機応変にお仕置きをしています^^

ちなみに性的でないお仕置きの中には、大きく分けて家庭的なお仕置きとSM的なお仕置きがあって、簡単にいうと温かみを感じたいというようなタイプは家庭的で、被虐感を味わいたいと思う人がSM的なんです。
SM的でもそこには性的要素が一切ないというお仕置きは存在しているんです、複雑ですね^^;



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様々なスパの嗜好

初めに、キー、カー等のスパ用語が分からない方はこちらを参照ください。


スパと一言で表現してもいろいろな世界があるんですよね、そしてそれぞれに求めていることの違いもあり単純なようでかなり複雑な世界です。
共通していることはお尻叩きなのですが、お尻叩きに対する精神的な部分が少しでも違うとガラッと違う世界になってしまうんです。
それによって満たされたり満たされなかったり違和感を覚えたりするもので、キーとカーといっても相性以外にそういう世界観というか嗜好というものがとっても大切なことでもあるんです。

キーさんは”とりあえず”カーさんを探してしまいがちですが、しっかりと自分の求めているお仕置きを認識した上で探さないと意味がないんですね。
でもたまたま合致したということもあるし、相手のスパ感に引きずられて自分の価値観が変わってしまったということもよくある話なので一概には言えませんけど。

未経験に近い人は何を求めているのか大雑把にしかわからないので、それもあって出会いを求めることに躊躇してしまうことはあるのでしょうね。
それでなくても出会いは不安と恐怖がつきものですから女性であればかなり勇気のいる行為だと思います。
ま、自分が憧れている、こうされたいというものが何かしらあればそこから想定していく作業は大切です。

スパの表現方法、嗜好については大きく分けて下記6つくらいに絞られるのではないかと認識しています。
もちろん他にあってもいいと思いますし、もしあったらそのスパ観を教えてくれるとありがたいです。
その時は是非メールでもください^^;

①親と子供的
②兄と妹的
③先生と生徒的
④恋人的
⑤感情を挟まないタイプ
⑥性的

私はどれに当てはまるかというと親と子供的なお仕置きです、これが根底にあって全てが成り立っています。
それぞれどんな感じかどんな違いがあるか説明していきます。

①親と子供的
これはもう説明しなくてもお分かりですね。
親は子供を見捨てません、成長を願い、良い事と悪い事の区別を認識させて悪い子には罰としてお尻ペンのお仕置きをするのです。
親は子供を愛していますから何度悪いことを繰り返してもそれが直るまでしっかりとその子を見つめて見放さない、無償の愛なんですね、決して見返りを求めた愛ではないんです。
そしてよりよい人間に成長させるためにいろいろなアドバイスをしたりいろいろな考え方を教えたりして可愛がる感じです。
悪い子の時は厳しくお説教してお仕置きをしますが、反省ができたらしっかりと甘えさせて頭を撫でてあげたりして愛情を与えてあげます。


②兄と妹的
お兄ちゃんに甘える妹的なものですが、これは親と子供と同じ気持ちなのですが、”兄妹”ということで親子とは全く違う感覚なんですね。
親子であるか、兄妹であるかだけでお仕置きの感覚がまるっきり違ってくるんです。
実際はお兄さんがいない人、妹がいない人が過去に兄妹が欲しかったという欲求が再燃しているのでしょうが、きっと兄や妹がいる人は求めないことだと思います。
実際に考えたら親が子供にするスキンシップを兄が妹にしていたらちょっとなぁ・・・、と私は感じてしまいます。
まぁ小説の世界では可愛いですけど、実際の世界では違和感が出てしまいます、ファンタジーなお付き合いならありかもしれませんが^^;


③先生と生徒的
師匠と弟子というのもこれに当てはまりますかね。
まぁこれもお仕置きの流れ的には親と子供と同じなのですが、微妙なニュアンスが違うと心を埋めるものも違ってくるんですよね。
教師の愛情って熱血感のようなものであって他人が自分のために熱くなって叱ってくれることが嬉しくて満たされることにつながるんですよね。
成長のために、個人のために必死になって悪いことを直し、いい方向に導こうとする。

ただやっぱり先生と生徒の関係性は一線があってここから先は踏め込めない領域があるんですね。
その領域まで踏み込めるのが親と子供の関係性と言えばわかりやすいでしょうか。
つまり教師と生徒というのは所詮仕事であり指導であるゆえに機械的というか冷たい一面も多少なりとも感じてしまうところがあるんですよね、スキンシップのしすぎにも限界があるし違和感が出てきてしまいます。

でもそれが先生と生徒的なコンセプトのとてもいいところでもあるんです。
相手の心にあまり入り込みたくない人や自分の心にあまり入り込んで欲しくない人にはうってつけなんですね。
親と子供的な関係性はちょっと心に入り込みすぎるなと思う人はこれがいいかもしれません。
そして一番の違いは対等な関係ではないことです、そこには上下関係が存在するのである意味絶対服従の中での体罰ということになります。
暴力と紙一重なこともあるでしょうし、上下関係であり服従関係でのお仕置きという指導法は好きな人は好きなんでしょう。


④恋人的
恋人的はお尻を晒す関係でいうと一番キーさんが望んでいる関係かもしれません。
ただ一番難しいことでもあるんですね、喧嘩になったときにこそお仕置きが必要なのにそういう時に出来ない人がほとんどです。
恋人的といってもラブスパではありません、エッチもするしお仕置きもしますが、きっちりとお仕置きとエッチを分ける前提でのお話です。

キーさんとカーさんがパートナーとなってそれから恋人になるケースも結構聞きますが、だいたいはうまくいかないようですね。
多いケースはそのうちお仕置きがなくなってきたり、少なくなってきたり、好きなっていくにつれて可哀そうで叩けなくなったり、カー側の悪い面が見えてきて素直になれなくなってきたり。

また愛している人に嫌われたくないので本当にいけないことを隠して嘘をつきながら付き合うことになることが多いんです。
それでも黙っていられなくて告白すると実際嫌われちゃったなんてこともあるので、そういう子はトラウマになってもう言えなくなり、
そうなってくるとそういう理由でのお仕置きは他の人で発散したくなりますよね。

ただ、良い関係性を保つことができれば私はこの恋人関係が一番だと思います。
もちろん結婚して一生続く前提ですけどね。
一番難しい半面、うまくいけばとっても幸せになれると思います、それにはカーの資質が必要ですね。
カー欲がいつかなくなるような人では絶対にダメですし、母性や父性の両方を持ち合わせていて子供のように無償の愛でキーさんを見続けられる人であれば、ですから非常に難しいでしょう…。


⑤感情を挟まないタイプ
これもあるんですね、これまでのタイプは基本的に理由があってそれについてお仕置きをするのですが、この手のタイプは特に理由は必要ではないんです。
ようはただ単にお尻を叩きたい人とただ単にお尻を叩かれたい人なんです。
そこにシチュエーションや感情、精神的な面などはあまり重視しないんですね。
かと言って性的なものを求めているわけでもなく、純粋に叩きたい叩かれたいだけの嗜好です。
今までの①〜④までと全く違う種類のお仕置きですが、これもスパでキーとカーを求めているものだからごっちゃになってしまったりするのでしょうね。
遊びのお尻叩きも有り、叩いて興奮したり、叩かれて興奮したり、ちょっとSMチックなお尻叩きですね。


⑥性的
ま、これは説明するまでもありません。
性的なスパは私の中ではSMという認識なので省こうと思ったのですが、カーさんは少なからず性的な面を求めてしまう人がいるのでとりあえず入れてみました。
口では性的なことをしないと言っても会ったときには求めてきたりします、確信犯は最初は手を出さなくても2回目、3回目には何かしらのアクションを起こしてくるのでそこまでは要注意です。

実際これがあるからSMとスパを同じように考えてしまう人が増えてきてしまうし、まあスパと言えばスパなんですけどね。
だからディシプリンスパのジャンルを違う言葉で表現したいと常常思ってしまいます。
ラブスパも性的ですね、でもこういうのを求めている人もいますからそれはそれで認めています。
ただ、募集やパートナー作りの時には嘘偽りなくさらけ出して欲しいんです。



最後に
お仕置きに求めている度合いも大切ですね、
自分を見つめてくれることや真剣に叱ってくれることをより多く望む人、お尻叩きをより多く望む人、お仕置き後の甘えタイムをより多く望む人、それらを均等に望む人とそれぞれです。

寂しい心を埋めたい人、不安感や焦燥感を解消したい人、満たされない何かを満たしたい人、親、先生、兄妹、恋人、他人等からの愛情が欲しい人、罪悪感を取り去りたい人、悪いことの罰をしっかりと受けたい人と理由はそれぞれですが、お仕置きを通して埋めることはとても理にかなっていると私は思います。

他人に悪いところを指摘されるなんて大人になったらあまりありません、それが性格的なことや癖的なことならなおさら。
そして指摘や注意されてもそれだけで終わってしまい、それが愛情で言われたのか憎しみで言われたのか嫌味なのかなんなのかわかりませんよね。

しっかりと罰を受けさせ反省させて理解してあげることが大切なのにそこまでされる機会なんて大人にはもうないんですよね。
だから”スパ=お尻ペン”という概念を捨てて、このような思いでスパの世界に入り込んでくれれば健全な世界が作れるんじゃないかと感じます。
誰にもいえないことをお話しする心の安定、心の癒しとして。

アントニオ猪木さんの闘魂注入ビンタと同じです、
まぁあれには理由もなくただ気合を入れる為だけのもの。
しかも叩く場所はほっぺたですから少し違和感がありますが、でも弱い自分や悪い自分に喝を入れてもらって活気を見出すというところでは根本的には猪木さんのビンタを受けたいと思う人はスパ的に言うと全員キーさんですよね。
だからそういう感覚でディシプリンスパを体験するような簡易的な入口を見出してあげれたらなと最近感じます^^

勝手にスパ講座 最終回 「キーとM(マゾ)の違い」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、最終回は「キーとマゾヒストの違い」について考えてみたいと思います。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。
スパ用語、SM用語を簡単に説明してあります。

一般的にキー=マゾヒストと認識しがちですが、これがまた違うんです。
どこが違うかというと、これは捉え方によっても違うのですが説明したいと思います。

まずマゾヒストは屈辱感、被虐感、羞恥、痛み等により性的興奮を得る性質があるのです。
支配され、奴隷や人形のように扱われたり、からかわれたり苛められたり、言葉責めされたり、恥ずかしいことをされたり、そういったことを快楽と認識し心地良さを感じたり興奮したりするものです。
この全てに当てはまるのではなく、どれか一つでも当てはまっていればMといってもいいかと思います。

羞恥心を煽られ言葉で虐められることで性的興奮を得る、例えそれ以外のことには興味がなくても立派なマゾなんですね。
マゾといってもいろいろな嗜好があり、とくに支配感を求めるマゾはどんな命令でも従いたいという気持ちがあり、総称してMは何でもあり的な目で見られますが、それは一つの例で、Mが全てそうかというとそんなことはありません。
要は虐げられることによって少しでも性的興奮を感じるかどうか、それが被虐欲であり、マゾということです。

主従関係を例にとると、支配されることは受け入れることであり、パートナーのどのような理不尽な命令も従わなければならないという被虐感により興奮し、それが達成できたことに更に喜びを感る人もいます。
達成できない場合は躾と称してお仕置きがあり、そのお仕置きでも自分をおとしめて自己陶酔することもあります。

屈辱を味わうにはやはり性的苦痛が一番なのでどんどんと究極を求めるようになってしまうのでしょう。
そのような屈辱を味わい、拘束され鞭に打たれ言葉で罵られることにより絶望を感じ心の全てを解放するということを望むことがあります。
それをどう操るかがサディストであり、調教であり、絶望の後の安らぎの与え方で信頼関係はより深まります。

ちょっと難しいですかね、かなり一方向に話が進んでしまいました(汗)
これもマゾの嗜好の一つということは理解してください。
いろいろなマゾがいるなかで、ここまでのマゾは少数派かもしれませんね(汗)
マゾとは精神的な奥底の部分なのでとても複雑でそれを伝えるのは難しいです^^;

一方キーは性的興奮の為のお仕置きは望んではないんですね。
甘えたい、構って欲しい、見ていて欲しい、褒めてもらいたい、導いて欲しいということが前提にありますが、駄目なことは駄目としっかりとお説教で叱られ、お仕置としてお尻を叩かれ、終わった後にフォローをしてもらうということで愛情を得ているんですよね。

自分自身をしっかりと見てほしいと願うのは、それは愛情がないと出来ない行為なので、それによって大事にされている、愛されていると実感したいというのが深層心理の中にあると思います。
結局お尻叩きの行為は痛いし嫌なのですが、お仕置という行為に惹きつけられている為、それがなければ意味がなく、結局愛情を求めて満たされるにはお仕置きが絶対に必要になって求めてしまうのです。

今の若い子はアニメやドラマ、小説などでお仕置きを目撃する事が多いと思いますが、全てに共通していることは親から子供、教師から生徒への深い愛情から来るお仕置きなわけなのでそれを見てその主人公は愛されているのだと感じてしまい、それが自分に向けられていく事が多いと感じます。

またアニメ以外でも小中学生のときに悪い子達は先生に構ってもらえ叱ってもらえ真剣に向き合ってもらえます。
それに対して羨ましいという憧れを持ちつつ成長して行き、幼少期に得ることのできなかった叱られることへの欲求が膨らみ、叱られることを望む結果になるわけです。
だから性欲ではなく真剣に向き合ってもらいたいという甘えの部分であり、これは人間なら誰しも持つ承認欲求でもあるんです。

ただお仕置き時にお尻叩きされることにより性的興奮をするならばこれはマゾの部類になると思います。
性的快楽の為にお尻叩きを望み、その手段として悪いことをして説教されお仕置きをされるのであればそれはマゾです。
流れはスパのキーかもしれませんが求めている先が性欲の部分なので立派なマゾでしょう。
性的快楽のために悪いことをするという設定からのスパンキングは、動機が既にSMであり、マゾヒストの考えであるからです。

Mとキーを区分けしているのはそこの部分が違うからだと思います。
ただ、そこらへんが曖昧になって履き違えているキーさんも結構多いので誤解されてしまうのでしょう。
それはそうです、誰しも最初はお仕置きに惹かれる時点でMだと思うでしょうし、もともとM要素が少しでもあればわけがわからなくなるからです。

私が感じるスパのキーさんは性的興奮を目的としていないんですね。
もちろん小説や動画などを見る時は性的に興奮してしまうでしょうが、実際に人と会ってお尻を叩かれている時には性的な興奮はしません。
痛い痛い、嫌だ嫌だの心境です。

自分自身の戒めの為や、自分自身を罰する為であり、優柔不断な自分を正しい道に導いてほしい、悪いことをしたらきちんと叱ってくれる人がほしい、それが本来の目的であり、その罰がお尻ペンなんですね。
口で言っても結局は繰り返してしまうので厳しくお尻叩きで罰し二度としないように躾けてほしい。

それが前提にあるのだと思います、ただ叩かれる場所はお尻で、そこはいつのまにか脳裏に埋め込まれてしまい、どこかで目にしたお仕置き像なんです。
そこに至るまでには幼少期の体験がかなり多く影響しています。
そこらへんのキーの資質については次回に書いていきたいと思います。
自分に自信がなかったり、存在を認めてほしかったり、構ってほしかったりと結局は甘えたいということが深層心理にあるんです。

よく相談があるのですが「私はキーなのかMなのか」と悩んでしまう原因があります。
それはお説教してお尻叩きをしていると性的興奮をしているわけでもないのにアソコが濡れてしまうからです。
キーさんにとってはそれは自分でコントロールできないのでとても恥ずかしくて見てもらいたくない部分なんですね。
まぁでもほとんどの人はそういう反応が出るわけで、私はそれを気にするなんてことはありません。

この体の反応はどこからくるのかというと、性的な刺激や性的な事を考えてのことではなく、憧れていたお仕置きを実際に体験していることで満たされていることによるものです。
性的なことで興奮しているのであればそれはMの捉え方です。

キーさんは幼少期からお仕置きシーンにドキドキし、それがきっかけでお仕置きに惹きつけられ、お仕置きの小説や動画などを見るようになるのですが、その時は少なからず性的興奮があるものです。
しかしお仕置きの内容は性的な事があってはならず、性的な事がないからこそ興奮できるんですね。

でもそれは小説や妄想の世界だけで、実際にお仕置きを受ける際は性的興奮などはしません、それはそんなことは求めていないからです。
とはいっても普段からそういうシーンをドキドキしてみている関係で体が勝手に反応してしまうといったほうが正しいかもしれません。
私も何人もキーさんをお仕置きしましたが、性的に興奮している人はいませんでした(本当はしている人もいたかもしれませんが)

そして濡れてしまうのは脳内の反応なので、勝手に脳が勘違いして普段見ている小説や妄想している時と似たような反応をしてしまい"濡れる"という形になってしまうんですね。
脳って結構そういうところは鈍感な器官なんです。

「キーなのにどうして体が反応してしまうの?」と落ち込んでいる女性はもう悩む必要はありませんよ。
カーはそこで性的興奮として捉え、それを煽るような発言をしてはいけません。
カーとしては禁句なんですね、それでキーさんは一気に興覚めしてしまいます。

それと相手と知り合ったばかりだと羞恥心が強く出すぎて濡れてしまったり、お仕置き初心者だと濡れやすかったりしますね。
また、男性の前でお尻を出す行為は性的な事をするわけじゃなくても恥ずかしくてエッチに感じてしまう人もいるので、そうなると体が誤反応してしまうこともあります。

同じドキドキ感で似ているため脳のほうで勘違いしてしまうことがありますから、濡れてしまっても何の問題もないです。
まぁ確かに恥ずかしいのかもしれませんが、それも全て受け入れてくれる相手、こういうことを理解してくれる相手だとすべて身を任せられるのではないかと思います。
濡れるのは決して感じているわけでもなく、マゾというわけではないので安心してください^^

で、マゾとキーの徹底的な違いは性的快楽を求めているか求めていないかの部分だと結論付けたいと思います。
それに加え、被虐感を求めているのならマゾであり、そうでなければキーだといえると思います。
その深層心理の部分では微妙なところもあると思いますが、考えかたとしては明らかに違いますよね。
9割がたキーだけど1割Mという人もたくさんいますし、その割合は人それぞれなのでそこはM要素があってもスパのお仕置きを求めているのならあまり深く考えることはしないほうがいいと思います。

また、恋人同士の俗にラブスパと呼ばれている行為を好むのは”キー”ではなく”マゾ”であり、SM行為だと私は思っています。
恋人同士のエッチありきのスパはSMです。
ただ、お仕置きの後にエッチをしたらSMかというとそうではありません。
お仕置きをして反省をしてそれが全て終わって、仲直り的なエッチであればそれはSM行為ではないですよね。
カップルがセックスするのは別にいいと思いますが、お仕置とは別物だということは絶対で、切り替えという事が一番大切です。

それと根底にある精神的なものはキーもマゾも同じかもしれませんね。
それは自己表現であり愛情を求める行為であるとかそういう部分です。
自分の居場所の一つであり、安らぎの場所であることには違いがありません。


最後になりましたが、
5回にわたり初心者向けに大雑把な方向性を書いてきましたが、自分の嗜好を再度見つめなおし、自分の性癖や求めているものを再認識してみてください。
これらの違いは明らかな違いですが、実際は些細な意識の違いなんです、だから自分の立ち居地がいまいちよく分からないんですよね。
結局5回とも同じようなことの繰り返しを説明してしまいましたが(汗)

このように極端に結論付けたのも、自分の求めているものを分かりやすく判断してもらう為だったんですね。
安らぎを求めて入り込んだ世界で傷つき不安定になる女性が多くいます、ほとんどがそうなのかもしれません。
まずは自分を守ることを覚えてください、そして安らぎの世界で傷つくことのないようにしっかりと自己防衛する術を身につけてください。
大変に難しいことですが、私が書いた記事からヒントを見つけ役立ててくれればと思います。

勝手にスパ講座 第四回「カーとサディストの違い」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、四回目は「カーとサディストの違い」について考えてみたいと思います。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。
スパ用語、SM用語を簡単に説明してあります。

私は「S」同士の交流は過去にありましたが、「カー」との交流がないんですよね、だからはっきり言って「カー」がどういう嗜好なのかよく分かりません。「S」ではなく、あえて「カー」と名乗って区分けをしている以上、Sとは違う、もしくはカー要素のほうが強いと考えているのでしょう。

なお、このブログでのスパについてはSMとはっきり分けている為、性的快感を得るような気持ちでのスパンキングはSM行為としています、ご理解ください。


これまでスパとSM、キーとカー、サドとマゾについて書いてきましたが、スパがディシプリンである以上、カーは自分の価値観を押し付けたり性的要素を少しでも感じさせてしまってはいけないと私は思います。
まぁそういう家庭も学校もあることはあるんですけど、それは子供の為といえないと思っているので。
教育的躾の為にする行為がディシプリンであり、お尻叩きのお仕置きなんです。

毎回持ち出しますが、分かりやすい例が、親と先生です。
この親と先生は躾の方法として体罰をしているわけであり、叩きたいから叩いているわけではないんですよね。
叩きたくないけど、体罰によっていい方向に向いてくれればという思いで叩いているんです。
なので理由もなく、叩きたくて叩く加虐嗜好を持ったサドであってはいけないんですね。

しかし今のスパというものはキーとカーは「お尻を叩きたい人と叩かれたい人」という解釈になっているのでそこからねじれて真相が見えなくなってきているような気がします。
お尻を叩きたいならそれは加虐嗜好をもった立派なサディストなんです。
本当のカーは「説教好きで一人の人間を良い方向に導き、成長させたい」と考えている人なんだと思いますよ。
他人に対して何の見返りもなくそんなことができる人なんて殆どいないでしょう。
でもぶっちゃけそんなことをいっていても始まらないのでそこんところは少し目をつぶっちゃいましょう(笑)

まあ、お尻を叩く行為をしたいと思っている時点で殆どのカーはサディストが少しは入っていると思います。
それはそれで仕方のないことです、お尻を叩いて興奮してしまってもそういう性癖であれば仕方ありません。
でも、ここが大事なところですが、カーと名乗る以上、お尻叩き以外の行為をしてはいけません。

カーの違和感でもある”加虐嗜好”はどうしても抑えることはできません、でもその感情とそれ以外の部分はコントロールはできるはずなんですね。
そういうカーであれば少ないけどまだ人数はいると思います。
まぁ根っからのキーから比べるとはるかに少ないと思いますけどね。

結局カーとサディストの違いは何なのか、カーという考え方が一般的にどこから来ているのか。
カーという位置づけが定まってはいないのでよく分かりません。
それは本人にしか分からないことだし、S要素のないカーがいるのかを突き止めたところでしょうがないのかもしれませんね。

本当のカー、本当のサディストなんてそれぞれの意識の問題であって本人が認識していればいいと思うんです。
ただ何故こういうことを突きつめているかというと、そこまで自分のことを知っておかないといいパートナーとめぐり合えないからです、結局はその二人で作り上げていくのがスパであり、SMであり、それらに決まった形などないんですよね。

結論的にはカーと名乗るならばサディストの部分を相手に見せてはいけない、そしてそれさえ見せなければカーとして成立するのではないでしょうか。
性的要素はもちろん出してはいけません、性欲を煽るようなお仕置きもしてはいけません。
あくまで相手の成長を願うという愛情でお説教しお尻叩きのお仕置きという罰を与え、アフターフォローをしっかりする。

それで満たされるのがカーであって、それで満たされなければ長続きはできません。
私は精神的な部分を探求したいので単なる加虐したいだけのサディストとは違い、性的な部分はスパのお仕置きに求めていないのでスタンダードなお仕置きなんて簡単にできますけど、そうでなければカーのほうが精神的に疲れてしまうのではないでしょうか。
ま、本当に純粋なカーさんって難しいのかもしれませんね。

SMでのサディストであればもう好き勝手やればいいんです、相手を苛め、辱め、征服し、それで満たされて喜ぶだけですからね。
ただそこにはしっかりとした相手もそれを求めていなければ成立しません。
愛情がほしいMさんには愛情を与えたいサディストが合うでしょうし、愛情がない関係を求めるMさんにはそういう形を好むサディストが必要です。
どちらにしても興味がなければ長続きはしません。

ただ、やはり人間ですからいくら自分勝手がサディストとはいえ、そこの根本的な部分の愛情だけはしっかりともち、相手を思いやれる気持ちを持って関係を持ってほしいものです。
ま、言葉も含む性的虐待行為で性欲を満たされるのもサディストですけど、相手の心を傷つけてそれでよしというのは私は好きではありません。

結局はカーでもサディストでも、そしてキーでもマゾヒストでも構わないでしょう。
それをスパの行為に出さなければスパのお仕置きとしては成立するわけですからね。
意識の持って行きようで全ては変わるからです。
でも自分の求めているものや方向性を曲げていたら長続きしないことは明らかです。

だから基本的なことを押さえて、それをお互いに確認した上でパートナーにならないと、すぐに別れてしまったり、依存してから捨てられたり、途中で違和感が生まれたりと様々な弊害がおきて傷つく結果となります。
そうならない為に、探し方や付き合い方のヒントをここから得てほしいと思います。

実は本当のスパとか本当のSMとか、そんなものは存在しません。
二人の心の隙間を埋めあう行為であれば、そして十分な愛を感じられればいいんです、それが本来の目的であって一番大事なことなんですから。
そしてそうなる為にみんな苦しみながら彷徨っているんですよね、
だからこそ初心に戻り、原点を見つめられるように、この世界に何を求めているのかを再確認してほしいと願います。

勝手にスパ講座 第三回 「カーとキー、サドとマゾの関係性」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、三回目は「カーとキーの関係性とサドとマゾの関係性」です。

キーやカー、スパ、SMについてが分からない人は用語説明をご覧ください。

まずはスパのキーとカーについてです。
補足ですが、性的要素の一切ない、純粋な根っからのキーとカーについてですからね。

何回かお話していますが、純粋なキーはたくさんいるのですが、純粋なカーは殆どいないのではないかというのが私がいつも感じている事です。

SとMは支配関係で成立しますが、キーとカーはかなり複雑です。
たしかにお仕置きのときはカーが支配をしているのですけどね。

まず性的要素のない純粋なスパというものの根本はディシプリンであり、簡単にいうと子供に対しての教育的な体罰、いわゆるお尻叩きをすることを指すんですね、悪いことをしたら罰を与える的な。
これは相手の価値観ではなく一般的の道徳的な価値観での教育が基本です。

そしてここで違和感を感じるのは子供はお仕置きを望んでいないということです。
しかし大人になってからは違いますよね、自分から望んでお仕置きを受けに来るわけです。
でもこれは子供ではなく大人だからと私は解釈しています、自分の悪いところを指摘され、それを直すためにお尻を叩かれたい。
悪いことをした罪悪感を取り除く為に叱られたい、そしてそれらを繰り返さない為に自らの意思でお尻叩きを望むという真面目な大人の考えがあるからだと感じます。

更に突き詰めると、親や先生がする躾という概念から考えるとカーは本当はお尻を叩きたくないはずなんですね、その子に良くなってほしくて、それで仕方なく教育としてお尻叩きをするのが根本だからです。
でもスパの世界のカーというのは一般的にお尻を叩くことが好きな人なのでこの時点でまた違和感が生まれてきます。

まぁ私の場合はお尻叩きが好きだからカーさん的なことをしているわけではなくて、精神的な部分を見たいから、そして本当に悪いことに対して罰として痛い思いをしてほしいからという理由であって、本当はお尻じゃなくても罰を与えるのであればどこでも構わないんですね^^;
ただキーさんの要望はお尻叩きなのでお尻を叩いているというだけのことです。
なので悪い事がない限り罰を与えたいとは思いません。

それと実はスパの世界は、キーが全て支配をしているということなんですね。
あくまで私の考えですよ。
カーは奉仕者でしかありません、キーの要望に応えて叱ってあげ、方向性を見出してあげて、戒めの体罰を科すわけですから、お尻叩きのときだけは支配関係があっても実際は違うんですね。
その奉仕者という一面が私は過去に違和感があり、嫌であった部分でもあるんですけどね。

こう考えると叩くのが好きなのがカーではなくて、その人のために親身に叱っていい子になるように躾る事が好きで、本当は叩くのが嫌いなのが本来のカーなんだと思います。
ま、例を大人が子供にするお仕置きに例えるとこうやっておかしくなりますね(笑)

大人になるとお互いにお仕置きを求めあっているから引き寄せあうのであって、キーがはお尻を叩かれたい、カー側はお尻を叩きたいが当然なのですが、キーさんは「お仕置きは嫌だけど叩かれたい」という設定だとしたらカー側は「お仕置きはしたくないけどいい子になってもらいたいからお仕置きをする」という形をとらないとカーとカーが成立しないでしょう。
本当の意味で親と子のお仕置きを表現すると設定の上ではこのような心持ちとなり、そこをカー側がそういう気持ちでお仕置きが出来ているかでキーさんの満たされ度も変わってくると思います。

しかし実際はお尻を叩くことによって性欲を満たしたいと思うカーさんは多いですし、数は少ないですが、キーさんもお尻を叩かれて性欲を満たしたいという人もいるので、やっぱりそこがお互いに合っていないとキーとカーの関係性は難しいんですよね。

またカーによっては性的なことをしたくてスパの世界に入ってくる人がいます。
性的なことをしてくるカーが多いとキーさんからよく聞きますが、それは目的が違うからなんですよね。
カーが性欲を抑え続けられず性的悪戯のような行動をしてしまったり、それができなそうだから自ら離れてしまったりするようです。
結局女性が傷つく結果になり誰も信用できなくなり、救いを求めていたはずなのにどんどん悪い方向に落ちていってしまうんですね。

だからキーとカーがパートナーとなることは違和感が生まれやすくてうまくいかないことが多いんだと思います。
お互いの嗜好は違っても男側が会いたいからと嘘をついていたら女性側はわかりません、それだけ複雑な関係性なんですね。
お仕置きを求める事って子供心には殆どない事だしお尻を叩きたいと思うことも本来のお仕置きとは違ってきますよね、結局はその矛盾点を修復して違和感が出ないように意識を切り替える事が必要になってきます。
キーの心理、カーの心理を読み解くと親子間のお仕置きが無理があると思いがちですが、ただ、カー側の意識の持って行き方次第ではそれは成立します。

それは私が性的欲求がなくお仕置きに取り組んでいるのでよくわかります。
私が求めているものは精神的な部分であり、相手の心を知り、良い方向に導いてあげたいという思いからです。
もちろんそこに悪い事があれば罰を下したくなりますが、なければ叩く行為は必要なく、話をするだけで満足なんです。
そういうつながりを求めているので私を必要としてくれる人には魅力や愛着が湧き、なんとか助けてあげたいと親身になってしまうんです。


続いてSとMの関係性についてです。
S=加虐嗜好、支配欲 M=被虐嗜好、服従欲という意味です。
性的嗜好を持たない精神的な部分でのSとMも存在しますが、今回は性的なSとMについてお話します。

SとMの性癖は上記のとおりですが、この二人がパートナーとなることにより必然的に支配関係が成立します。
なのでS=支配するもの、M=支配されるものとなります。
支配したい人と支配されたい人というのが正しいでしょうか。

サドは加虐したいわけですからそれをどう表現するかなんですね、私の考えですが、人間として一番屈辱的なことをすることが最大の加虐となるわけですからそう考えるとやはり性的虐待となるのではないかと思います。
精神的に最も嫌なことを相手に強要し、受け入れさせる。

どんな理不尽な命令でも受け入れさせ、行動させ、それによって支配感を味わう、その一つが躾であり、落ち度があればお仕置きという形になるんです。
もちろん落ち度がなくても調教という名目や叩くプレイという形をお仕置きと表現することもあります。

この逆がマゾであって支配されて追い詰められたいので、恥ずかしくて嫌なことでも感じてしまうんですね。
痛みで感じてしまう人は上級者レベルですが、ほとんどのMさんは痛いのは痛いのでそれを快楽と感じることはありません。
ただ、痛みで苦しんでも打ちのめされている自分に陶酔するということはあります。
まぁちょっとハードな事を書いてしまいましたが、手加減すればソフトSMとなりますから、初心者でも興味があればその世界には簡単に入れます、相手の手腕次第ですが^^;

まぁ加虐だからといって暴力というわけではなく、怪我のないように手加減をし、その代わり精神的な部分で更に加虐感を煽ることする人もいますね。
怪我をするようなことを望んでいる人いません、鞭や緊縛等は精神的に加虐し、追い込むための一つの道具でしかないんです。
俗に言うハードなSMというのはそういうことを繰り返しやってきた人たちだけのものなんです。
何でハードになるかというと人の欲求には限りがないからなんですね。

欲求が達成できても次にそれと同じレベルでは満足できない、だからもう少し踏み込むみたいな事は日常でもありますよね、それと同じことなんですね。
最初は超軽め、次は軽め、その次はもうちょっと厳しく、その次は・・・・と繰り返していくといつの間にかハードになっているみたいな感じです。
だからパートナーになったばかりでいきなりハードということは、相手がそれを望まない限りしないのが普通です。
徐々に痛み具合を大きくしていく、自分好みのMにしていくことが調教と呼ばれている行為です。

よくSMは痛いから嫌だという人がいますが、痛みがなくても加虐、被虐は出来ます。
そういう人にはお尻ペンだけでもいいんですね、そのお尻叩きによって、肉体的に反応し、それによって更に精神的に感じることができるんです、だから痛くないSMもあり、叩く行為は精神的高揚を煽る一つの方法として認識されるとSMの理解も少しはできるのはないかと感じます。
そしてそのサジ加減を見れるのがSなんです、きちんとした知識を持ったSならば加減が分かるんですね。
サドとマゾの関係性はお互いの求めている根本が合致してるのでパートナーとして成立しやすいと思います。

ちなみに、ソフトSМと呼ばれているのはより軽い加虐と被虐です、それが羞恥責めであったりラブスパであったりで、無意識ですが、厳密には加虐と被虐の関係として知らないうちに成り立っているものなんです。
だから私から見ればハードもソフトも根本は一緒なんです。

ブログを書いてみて最近思うことは、自分を見つめることが出来るってことです。
こういうことを分析していくと自分のことも気が付くんですね。
どういうことかというと、私は日常では奉仕者なんだと、そしてそれを喜びとしているところ。
精神的に悩んでいたり、落ち込んでいたり、様子がおかしかった知り合いがいると必ず声をかけ話をしています、
そこで相手の気持ちを理解し、客観的に話をし、アドバイス的な物の考え方、いろいろな方向性を話してヒントを与えたりしています。

これは決して偽善なんかではなく、本心からです。
まあ、その本心が問題なのですが、何度も書いていますが、私は人の心の闇にとても魅力を感じてしまうのです。
不謹慎ですね^^;
そしてその闇って信用した人にしかカミングアウトしないわけでそれを告白してくれた嬉しさもあります。
何事もなく生活していて数ヶ月してから「あの時はありがとう」といわれた時には私の言動により救われたのかという満足感があり、自分を必要としてくれたことにより私の心の中の隙間に物足りない何かが埋まったような気がします。

だから悩み的なことや間違ったことを正すようなものであれば性欲無しに出来るし、奉仕もしたいと思うようになりました。
実際は奉仕は嫌なのですが、深く考えてみると奉仕そのものだったんです(汗)
奉仕の見返りはやはりその人それぞれの心の闇を覗くことや、信頼してくれることです。
悩みも心の闇ですからね。

過去はSという自意識が強く、奉仕なんてプライドが許さず毛嫌いしていたのですが、それは非日常の自分であって奉仕的な自分を否定したかったんでしょう。
こう考えるとなにか新しい道が切り開かれたみたいな感覚になってしまいます。
だからこそディシプリンスパの性的な事のない家庭的なお仕置きがしっくりとはまっているんだと思いました。

また話が脱線してしまいましたが、こんな感じでカーとキーの本来の関係性とSとMの関係性とは全く違います。
難しいのですがこう考えたらどうでしょうか、
キーとカーは日常生活で親と子供のような関係性であり、SとMは非日常であり、性癖を満たすために加虐と被虐、もしくは性欲を満たす関係である。

人は性欲を持っていても子供をお仕置きするときに性欲を満たすことはしません、でも性欲はちゃんと持っていてちゃんとその処理はしています、それが非日常です。
スパのお仕置きの本当の目的が仮に性欲だけだとしても、それは心に留めておいてお仕置するときにそれを表に出さなければお互いに納得のいく関係は維持できると思います。
それが出てしまったら関係は続かないでしょう。

前記事と同じような事を書いてしまっていますが、結局はお互いの関係性は意識の持って行き方なんです。
それを双方確認し合っていれば問題のないことです。
ただその意識のもって行き方によってスパ的関係にもなりSM的関係性にもなるってことです。
この根本を理解したうえで自分のこと、自分の求めているものを探す判断基準にしてみてください^^

勝手にスパ講座 第二回 「お尻叩き」

スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座、二回目は「スパのお尻叩きとSMのスパンキングの違い」について考えてみたいと思います。
キーやカーなどの簡単なスパ用語はこちらをご覧ください。


スパっていうのはご存知のとおりスパンキングの略語なんですよね、スパンキングというのはお尻叩き、お尻ペンペンの事をいいます。
だからスパのスパンキングはスパンキングのスパンキングとなってしまいちょっとおかしいのですが、この言葉こそがややこしくなる原因なんだと思います。

それでは本題に入ります。
まずディシプリン派のスパのお尻叩きは躾けによる体罰の事をいいます。
親や先生が行う教育的な指導のための体罰で、虐待的な体罰ではありません。
大人がお仕置きを受けるのには自分の悪いおこないを誰かにお説教をしてもらって叱ってほしいというのが前提にあります。
また、不安な自分、寂しい自分、優柔不断な自分を見つめていて欲しいと望む気持ちも含んでいるものです。

その前提の上で二度と同じ過ちをしないようにという思いを込めてお仕置きを望むのです。
お仕置きの痛みは恐怖です、痛くて辛いことです。
だからこそ意味があり、同じことをしてしまったらまたお仕置きされてしまうという気持ちから自分を立て直していきます。
他にもお尻叩きで罰せられることにより、罪悪感が解放され心がスッキリすることもあります。

でも深層心理では構ってほしい、甘えたい、見ていてほしいというところがあるので、無意識に悪さをしたりしてしまうこともあります。
そうなるとお仕置きされたくて悪さをしているんじゃないのって思われてしまいますよね。
そこの部分がSMに通じるところがありMと誤解されやすいのではないでしょうか。

でも無意識に構ってほしくて悪さをするのは子供がそうであるようにSMを求めているわけではないのです。
大人になるとそういうことを意識できるようになるので「私は変じゃないか」「おかしいのではないか」「Mではないか」と悩む種になります。
しかし、大人も子供も同じで、結局は構ってほしいという甘えの部分の欲求や過去叱られてこなかった人の叱られる憧れという部分があるだけで正常な心の動きだと思います。
ただ少しだけ叱られることへの欲求が強いだけ、それがお尻ペンペンとの融合で相乗効果でドキドキしてしまうんでしょう。


で、SMのスパンキングもスパ同様に躾けによる体罰もおこないます、そしてSMの世界は広く深いのでSMのスパンキングの中にはスパのお尻叩きの要素を全て含みます。
そして教育的な躾もありますが、Sの価値観を受け入れさせる躾もします。
それだけにとどまらず様々な性癖が錯綜してなんでもありなのがSMの世界です。
なのでいくら性的要素や快楽のない純粋なスパのお仕置きをしようとしても一般の人はどうしてもそれを”SM”と判断してしまうのはその為です。

でもやはりお仕置きを受ける側の意識は全く違います。
被虐要素の強いMさんは、人形や物として自分をおきかえたり、存在意義を否定され絶望感を感じたり、支配されている喜びを感じたり、苛められ叩かれている悲惨な状況の自分に酔ってしまったりと、そういう感覚でスパンキングを受けることが多いでしょう。
スパンキングを求めるほとんどのMは痛みを快楽と感じたり、痛みを我慢している自分自身に感じたりしています。
また、SMのスパンキングには羞恥的な性的なスパンキングも含まれます。
恥ずかしい行為を我慢させるのもお仕置きであり、性的で嫌な部分も全てお仕置もきだからと片付けてしまいます。

そうなると、スパのスパンキングはSMのスパンキングの一部なの?
となりがちで、そこでまた誤解が生まれる原因なのですが、やはり区分けは必要だと感じます。
なぜかというと、それだったら家庭や学校での体罰はSMプレイの一部ですか?ってなるからです。
そういうことになってくると本当に体罰がなくなるのかもしれませんが、でも気持ち的に全く別物ですよね。
スパの中でもラブスパとか叩くだけのSM的なスパとか快楽を求めてのスパとかをする人がいて、そういうものがあるからまたまたぐちゃぐちゃになってしまうんですよね。
だから性的な要素のあるラブスパはSMとして認識していくほうがいいと思います。

ということで勝手に結論を出してしまいます。
躾としてのスパのお尻叩きは性的要素を含まない、お説教がありお尻叩きがあり、アフターフォローのある成長の為のものです。
なお、お尻を出して叩いたり立たせたりというのは日常にあるものなので性的要素としません。
つまり親と子供間での日常にある光景のお尻叩きを躾としてのスパのお尻叩きとします。

それとスパでもお尻を叩いて楽しむ遊び的なスパを好む人もいます、それも性的要素がなくスパなのですが、やはり親から子供にする躾としてのお仕置きとは全く違うものですよね、それもややこしい原因です。
まぁスパは全く趣旨の違う2種類のお尻叩きがあるということになりますね。
そしてそれ以外の性的要素やいじめ、虐待的なスパンキングをSMのスパンキングとします。

まぁ、ぶっちゃけていえば、スパ趣味の人でもSMプレイをしたっていいんですよね、キーとカーはスパの世界とSMの世界を分けたがりますが、その中でもきちんとしたお仕置きの後にSMプレイをしている人も必ずいるわけで、くだらないこだわりを捨てて”これはスパではなくSMだ”と、認識をしていくことが大事なことなんだと思います。
要は意識の問題で、叩く側も叩かれる側もその意識の持っていきかた一つでスパ的でありSM的となってしまうということです。

そもそもキーとMは別物であってどちらか選ばなければならないという事はありません、キーであってMな人もいますしキーであってMじゃない人もたくさんいて、それはどちらでも自然な事です。
そもそもSMは人の性の部分なので孤立しているんです、躾としてのスパは性ではないので全くの別物ですが、意識の持っていき方の違いなだけなのでそれはダブってもいいものなんですよね。

女性であれば出会いは簡単です、でもこれらの認識のずれは必ずあるものです、特に弱い立場の女性側には重要な要素となりますのできっちりとした区分けこそ一番重要なのだと思います。
特に初心者のキーさんにはこの記事を通して自分自身の再認識、スパとSMの微妙な線、スパの種類等、そこらへんの敏感な部分を感じ取ってくれれば幸いと思います。

とにかく純粋なスパを好む人が誰しも思っていると思うのですが、スパ=性風俗というイメージが定着してしまっていること、本当にそれは悲しく思います。
なんて人間は勝手なんだ、他人のことを深く理解してあげようとしないのかと虚しくなります。
こんな世の中だからこそ苦しくなるんですよね。

スパは性癖だと考えてしまいがちですが私は性癖という表現はしたくありません。
ただ人より真面目で、叱られることに憧れを持っていたり、叱られることで自分を維持できたり、前向きに生きれたり、心が安定したり、そういう欲求が強いだけなのだと思います。
子供のころに見てしまったお仕置きシーンが脳裏から離れないからこそお仕置きを通じてそれらを満たしたいと思ってしまうんでしょうね。
つまりこれは人間ならば誰でも持っている承認欲求であると私は確信しています。

スパに関してはそれをエッチな目で見てもらいたくないというのが純粋なキーの訴えでありますが、当然ですよね。
不器用で、ストレスも溜め込み、自分をどう方向付けていいか分からず、正しい道を教えてもらいたくて、間違っている自分を正したくて、、、
日々葛藤している人、苦しんでいる人がいることは事実です。
そんな子達をおとしめるようなふしだらなイメージは余計その子達を苦しめているんですよね。

まぁ大人がお尻を出してペンペンなんて、それはなかなか言えないでしょうけど^^;
とにかくそういう人たちの内緒の居場所はここにもあることですし、そういう人はたくさんいるので気にしないようにしましょう。
こういう後ろめたい気持ちからくる悩みや他の事でも心の闇を抱えている人は本当に切ないですね。
私はそんな不器用な生き方しか出来ない人たち、闇を抱えている人に魅力を感じるんです。

それがカウンセリングとお仕置きで多少なりとも満たされるのであればどんどん利用すべきだと私は思います^^

勝手にスパ講座 第一回 「スパとSMのお仕置きの違い」

「スパとSMのややこしい関係 勝手にスパ&SM的講座」と題して二つの関係性の違いを考えてみたいと思います。
キーとかカーとか、スパ用語等が分からない方はこちらを参照ください。

スパとSMは違いますが、捉え方は人それぞれなので曖昧になっていますよね。
そしてごっちゃになっているからこそに弊害があり誤解も生じてきます。
まず、ここでいう”スパ”は性的要素が一切ないものをいいます、つまり親が子供にするお仕置きって性的なものは一切ありませんよね、それがここでいう”スパ”です。
ラブスパなど、性的要素が少しでも含まれるものはSMと定義づけていますのでご了承ください。

講座内容ですが、

1、スパのお仕置きとSMのお仕置きの違い
2、スパのお尻叩きとSMのお尻叩き(スパンキング)の違い
3、カーとキーの関係性とサドとマゾの関係性
4、カーとS(サド)の違い
5、キーとМ(マゾ)の違い

この5点について精神的な違いを分析してみたいと思います。


第一回目は「スパとSMのお仕置きの違い」です。

これらはですね、全てごっちゃになってしまっているからややこしくなってくるんですよね。
ごちゃごちゃしているのは区分け自体の捉え方や感じ方が違うため、結局はその人がどう感じるかになってしまっています。
しかし、それによってパートナーとの違和感が生じて望んでいないことをされてしまうこともあります。
そういうこともあり、ちょっと考えてみようと思いました、そして自分の立ち居地をよく把握できていない方々のアドバイスにでもなればと思います。

純粋なスパのお仕置きは簡単にいうと親や先生的な人が子供を躾けるために行う体罰のようなもので、そこには性的なことは一切ありません。
間違っていることを直し、正しい道へと導くのですが、それは道徳的に間違っていることであって親や先生の価値観を押し付けることとは違います。
虐待ではなく、愛情を持って叱り付けて反省させ、直させる行為なんですね。
まぁ反省したかしないか、直るか直らないはまた別として、悪い事をしたらその罰としてお仕置きがあり、スパのお仕置きはお尻叩きということになります。

この行為を俗にいうディシプリンといいますが、このディシプリンという言葉もややこしくて、SMもある意味ディシプリンと表現することもあり、同じ言葉なためごっちゃになってしまうんです。
ディシプリンとは躾け、教育、体罰というような意味でヨーロッパの方では最近まで躾としてのお仕置きは日常のことでした。
親や家庭教師、先生等が行うわけですから当然のことに性的な意味は全くないんですよね。

普通に考えてみても、お仕置きのときに子供のお尻を丸出しにして興奮していたずらしてしまう父親、母親なんていないでしょう。
そういう考え方をしてくれると分かりやすいと思います。
それが一般的で正当なディシプリンで正当なスパのお仕置きだと私は思っています。

キーさんは基本的に何か悪さをしてしまったことに罪悪感を覚え、それを吐き出したくてお仕置きを望みます、お仕置きを望んでいるから吐き出したいということもありますが^^;
または自信のない事、駄目な自分を叱って欲しい、構って欲しい、ずっとそばで見ていて欲しいとも願っている人もいます。

だからキーさんは必ずしも痛い行為を望んでいるわけではなく、その痛みがあるから自分のいけないことに向き合い、そして二度と過ちを犯さないと約束でき、精神的な心の安定のためにお仕置きを求めているんです。
例え同じことを繰り返してしまっても本質的な部分は痛みを求めているのではない人は多いです。

私の実践しているスパのお仕置きとは、悪いことに対してお説教を通じて、それはいけない事だという理由を理解させ、罰としてお尻を叩き、反省できたら許し、全てを受け入れ甘えさせることです。
そこには前向きに生きることへ活力を与えたり心の癒し、心の安定などがあるものです。

スパのお仕置きは人間としての成長の為の躾でありたいと私は思っています。
マイナス要素で追い詰めたり、被虐や自虐を求めるようであれば、それは精神的にはSM行為ということになってしまうでしょう。
それはそれで全然いいんですけど、一応区分けをするならのお話しです。


対してSMのお仕置きは支配者対服従者の関係で、躾としてのお仕置きもあれば理由のない体罰もありです。
痛みや被虐感を求めているので家庭的なお仕置きとは雰囲気が違ってきますし、性的な事を含むケースがほとんどです。

まず最初に意識の違いというものがあります。
SMのお仕置きはいじめる事でもあって、Mは被虐願望や自虐感をもっているのでそれを求めます。
また、SMののお仕置きはスパと同じように道徳的に間違っていることもお仕置き対象ですが、一番の違うところはSの言う事が聞けない場合、それが全てお仕置き理由になってしまうこともあります。
そういうケースはSが理不尽なことをいっても受け入れなければならないので、Mは奴隷的な立場という関係性になります。

性的奴隷というのが人間として一番の屈辱でもあるので、Sは性的要素を含むお仕置きを中心に考えます。
人として最悪の性的奴隷に落としめ、自分の価値観を押し付けることによって支配関係を維持することに満足感を得て、M側も支配者に服従し、性的奴隷というみじめなことをされることで被虐感が満たされるという人もいます。
Mだからみんながこういうことを望んでいるわけではないのですが、SMのお仕置きとしてはこのような感じになっていくでしょう。

それとSMのお仕置きはお尻叩きに限定されず、さまざまな箇所を叩くのはもちろん、叩く以外にも拷問のように責める場合もあります。
そして叩く以外に恥ずかしめたり、性的なこともお仕置きとなります。
性器をあからさまに露出させたり性器や乳房に触れたりすることは性的なお仕置きでSMだと思っているので、ラブスパのような前戯的なものは私はスパではなくSM行為の部類だと思っています。
スパの中にディシプリンスパとラブスパという相反するものが混在しているから根っからのキーさんは迷惑していることもあるでしょう。

こういうことからスパとSMのお仕置きは全く違うんです。
仮にスパのように愛情のあるお仕置きをしていたとしても、道具の種類、言葉遣い、叩き方、叩く箇所、雰囲気などによっては性的な事がなくてもSM的な雰囲気になってしまいます。

お仕置きのとき縄で縛られたらどうですか?服を着ていたとしてもSMっぽいですよね。
言葉遣いが命令口調で乱暴だったらどうですか?
服を着ていなかったりバスローブや下着姿だったらどうですか?
そういう雰囲気一つでSM的となってしまうので、本当に意識の差というのは大きいところでもあるんです。


スパの場合、これも例えの話ですが、子供を例にとります。
子供によってですが、叱られてお仕置きを受けるときに泣きながら駄々をこねて素直に謝らないことがありますよね、お仕置きだからこそいやだいやだして逆切れして。
結局自分がした悪いことの代償を払わなければならず、痛みという罰がくだされます。
反省したかしないかは人によりますし、心では反抗しているけど反省した振りをしているなんてことも普通にあるでしょうけどね^^;
お仕置きが終わったらケロッとしてまた親や先生に生意気な口を聞いたりふざけたりしちゃいますよね(笑)

だからこれも実は支配関係なのですが、支配というよりも管理という言葉の方が近いかもしれません。
自由があるので完全なる支配ではないからです。(虐待の場合は完全支配ですがここは省きます)
親や先生は子供を管理して、悪いことは愛情を持ってきっちりと叱る、良かったことは褒めてあげる、頭を撫でてあげる、それが躾けであり正当なお仕置きだと私は思っています。

それに対してSMのお仕置きはSが絶対的な支配者であるから駄々をこねたら更に酷い責めにあうことになります。
お仕置きが終わった後に解放させる一つの手段として抱きしめて頭を撫でたりする行為もありますが支配関係がある限りMはSを小馬鹿にしたり生意気なことをいったりはしません。
それはSの前では絶対服従だからです。
お仕置きという共通の言葉で表現されていても、このように明らかな違いがあるわけだから違和感も生じてくるんですよね。

ということでいきなり結論ですが、
性的なことを含まないお仕置きがスパ(お尻を出すのは性的なことではありません)
性的なことに加えて、暴力的、拷問的、虐待的なものが含まれるのがはSM
こう結論付けようと思います。

俺達が違う!という人もいるかもしれませんが、勝手に線を引かせてもらいました^^;
実際性的要素のないスパのお仕置きとしてSM的なお仕置きをされている方もいます、それは精神的なものを求めてのお仕置きであって、そこには性的要素は一切ないんです。

このような線引きは必要なことだと私は思います。
みなさん”お仕置き”ときいたらどんな想像をしますか?
なぜだかほとんどがSMとか性的なことを想像するでしょう。
でも小さい子供に”お仕置きするよ”っていうのを聞いたらどうですか?
性的要素なんて想像だにしないと思うんです。

私はいくら大人相手でも人間にとっての心の維持に必要な、このお仕置きという言葉を浸透させていきたいんですよね。
どうしても大人になってお仕置きというと後ろめたい感じになってそれがアブノーマルになり性癖と考えてしまう。
そうではなくて純粋にお仕置きとは人間を成長させる手段であって自分のためにお説教や罰を受けて甘える行為なんです。

コミュニケーションツールとしてもいいでしょうし、一般的なカウンセリングと同じような意味合いでもいいでしょう。
痛みを求めていたり、お仕置きを求めていても、そこには必ず心を埋める何かを求めているはずです。
何かわからなくてもお仕置きによってそれが埋まり満たされればそれでもいいと思っています。
そこをよく理解して自分自身を受け入れてほしいと思います^^

スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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