親の躾で大切な事 4 終わり

続きです。

見放され不安や自信のない性格、親に自分の意見を言えない等の、自己肯定感が持てなくなってしまった様々な要因、そしてそのことをどう捉えていくか。
解決に向けた心の持ちようをどうしていくかというお話しからですね。

親の躾として一番大切なことは、自信をつけさせることと最初にお話ししましたが、その自信とは根拠のない自信というものであり、そもそもそれは自己肯定感が身についてないと持てません。

自己肯定感とは人間の生きる力や意思を持たせるためにとても重要な事なんです。
簡単な例を言うと、野生の動物の子供は親から離れ、自分で狩りをし、自分一人の力で生きていかなければならず、親はそうできるように躾け、生きていく力をつけさせるわけで、これは同じ動物である人間も同じなんですね。

だからこそ動物や人間の本質である、生きる力や自分の意思がないと、自分の人生を歩んでいる実感や、生きている実感を持てなかったり、虚無感に襲われ、自分の存在価値を否定し、存在していいのか、生きていていいのか、必要とされていない、死にたいと病んでしまうことにつながるのです。
自己肯定感のある人でもそう思うことはあるのに、それがない人だとかなり自分を追い詰め苦しんでしまうでしょう。

親の期待のために生きてきたり、親の顔色を見て生きてきた人も同様で、ふとした時に、人生において自分自身の意思や中身がないということに気づき、それを考えると虚無感に襲われるものです。
親に自分の意見を通すことができない人も同様、泣かれてしまったり、親に心配をかけたり、嫌な思いをさせたくないというのも、追求していくと、親に嫌われたくない、見捨てられたくないということに関係しているものです。
まぁ実際は親は子供を嫌わないもの、見捨てないものというのが当たり前なんですけどね(例外はありますけど^^;)

自己肯定感や根拠のない自信を持たせるために、親としてはどうしたらいいのか。
子供が自分の意思で動いて、決断でき、生きる力を養い、自信を持つようになるためには、親は様々なことを子供に決めさせる事を基本に育てることをしていかなければならないと私は思います。
全ての選択を好き勝手させられないというならば、いくつかの選択肢を与えてそこから決めさせることはできるはずです。
そして子供本人が決めたことに対して余裕を持って見守ってあげることです。

決して心配しているという顔をせず、お前ならできるという心で信頼して見守ることです。
ここに心配そうなそぶりが入ると、「自分はダメだから心配されるんだ」と自信が持てなくなり、親がいないと何もできないと無意識に感じてしまうものです。

子供に任せて失敗したとしても、そんなの長い人生においては大したことではありません、そしてその失敗が成長につながり、身をもっての経験で決断の仕方を学ぶものなので、違った見方をすれば喜ぶべきことでもあるのです。
あくまで支える側の姿勢とアフターフォローの言葉かけ、愛しているんだよというスキンシップがカギを握ると私は考えています。

まぁ普通は子供が決められないでいると親が決めてしまいがちですよね、それは遊びでも食事でも習い事でも何もかもです。
でもそれが原因で、大人になっても決められなかったり、決断できず、自信がなく、自己肯定感が持てない人間になる可能性が強まるわけですから、子供に決めさすことはとっても大切な子育ての一つだと感じます。

それではそのように育ってしまった人はどのようにしていけばいいのでしょうか。

このような性格を直すのはなかなか難しいものです、切り替えることができる人は単に「自信を持つ、失敗を恐れない、プラス思考で取り組む」ということでいいでしょうが、大半の人はそんなことができないから苦しんでいるんです。

私がよくお話ししていることですが、それは育ててくれた親の意図や、その時の気持ちを理解してあげるということです。
理不尽な親、感情的に怒る親、自分の機嫌一つで言う事が変わる親に対しては、それは人間的に未熟だったと理解することです。
前もブログでチラッと書きましたが、初めての子どもは、親にとっては手探りの子育てです、全員素人なんですね。
そして人間の心理などの勉強しているわけではないので、自分の育った環境や自分の性格で子育てをしてしまうものです。

逆に子供というものは、親は絶対的な存在であり、全てが正しいと思いこみ、それは本能的な事です。
それで心を支配されて、コントロールされてしまうのですが、実は親もただの一人の人間に過ぎないんです。
こんなことは当たり前のことなんですけど、本気でそれに気づいている子供は少ないものです。
自分の親だけはそう見れない傾向にあるんですね。

分かりやすく説明すると、学生の時の同級生の中には「この人が親になれるの?」という人は結構いるものですよね。
会社でも周りを見渡せばそんな人は結構います。
でもそんな人でも親になり、子供を育てるんですね、周りから見たら子育てなんて無理だろうと思っても、子供にとっては絶対的な存在であり、正しい人であり、親が人間の見本のように思ってしまうものなんです。

ただ、それは幻想で、親はただの一人の人間であり、その中には未熟者も沢山いるんです。
なので、そういう幻想的な囚われからは抜け出さないといけません。
ある程度大人になったら、そういうパーフェクトではない親を認めてあげる事、友達や知り合いと同じような、一人の人間を見る目線でこれまでのことを理解してあげることです。

うらみつらみを考えても、そういう性格であったのだからしょうがないと受け入れることをしていく、その中でも感謝できる部分を探していくと、少しずつでも親を理解できるようになるものです。
ここが満たされなかったからずっと不満を持つなんてことは、自分の親だけが欠陥人間だと思い込んでいるのと一緒です。
実際にパーフェクトにすべてを満たせる親なんて存在はしていませんし、自分でもできるわけがありませんから、そこを理解するということは大切な作業だと思います。

スキンシップがない親はその重要性が分からなかったり、恥ずかしくてできなかったり、子供とどう接していいかわからなかったりするものです、特に自分の親にそうされなかった人は自分の子供にはなかんかできないものですし、両親がいなかったり、片親だったりすると、父親としての接し方や母親としての接し方が分からないということが普通にあるものです。
自分とは違う考え方や性格を理解することがとても大切で、あなたの考えは実際にはあなただけであって、いくら親でも一緒ではないんです。

実際に子供自身が感じた満たされない部分は、周りと比較した愛情であって、それがないから愛されていないんだと思うのは違うんですね。
スキンシップがなくてもお金をたくさんかけてみたり、他の部分で労力を使っているならば、そういう愛情を認めてあげること、そしてそれに対して感謝することをしてみることです。
もちろん大切なのはお金をかけることではないのですが、そう思ってしまう親や、そう思わせてしまう親もいて、それでも子供を思う気持ちは変わらないこともあります。

また、全てにおいて決めてしまう親、人生のレールを敷いて子供の意思を尊重しない親、自分の期待や価値観を押し付けてしまう親についてですが、そういう親は結構いるものです。
親が決めるにしても子供の意思を尊重しながらうまく誘導していかないと子供にとっての将来は自信を持てないために辛いものになります。
それは親の操り人形であることがそのうち分かるからで、自分のやりたいことができなかったり、やりたいことすらも考えられなくなってしまい、何のために生きているのか、親の言いなりに生きて自分に魂はあるのか、と必ずなにかしら悩むようになります。

しかしこのような育て方の親でも、それは深い愛情があってのことで、親が感じた挫折や失敗は味合わせたくない、こういう人生を送れば絶対に幸せになれると思い込んでいるからです。
自分がしたかったことを実現させたらきっと幸せになるだろうというエゴもありますけどね^^;
不幸にしようと思ってお金をかけることはしませんし、自分が思う理想の幸せな人生は、子供にとってもきっと幸せだと思うのは当然で、これも不幸にしようとしてしているわけではありません。

子供としてはかなりの不満であっても、そこには違う意味での愛情があったということを理解することで親を受け入れてみてはどうでしょうか。
そんな愛情いらないと思うでしょうが、まずは愛情でそのようにしたんだということを理解することをしなくてはなりません。

人間の価値観とは人それぞれで、それによって愛情のかけ方が変わってきますが、人間というのは足りない部分の愛情をより望む傾向があるんです。
ないものねだりの心理というものがあって、普段与えられている愛情は当たり前に思って感謝もできないのですが、足りない愛情に対しては欲求が膨らみ続け、それが不満に変わっていくというものです。
叱られて育った子供は優しい親を好み、叱らない優しい親の元で育った子供は叱られることに憧れを持ったりということはお仕置きの世界ではよくあるものですが、他にも無いものねだりなケースはたくさんあります。

また、価値観の中でも勉強に価値を置きすぎて、コミュニケーションをおろそかにすると、社会生活で重要な人間関係を円滑にすることが困難となります。
正解のある勉強は努力によってなんとかなっても、答えがあるわけでもない人間関係や、ある種の仕事に関しては、努力で出来ない場合が多く、勉強で答えを導き出すことだけをしてきた子たちはそれが挫折につながります。
それでも親としたら勉強ができたらいい就職先が見つかり、いい収入を得られ、いい人と巡り合え、最終的にそれが子供の幸せ、と考えているからで、そういう親の根本の愛情を理解することも大切です。

更に「言うとおりにできたら愛してあげる、できなかったら愛さない」というような躾は、親のいう事を聞けば愛情が手に入るとインプットされてしまい、愛情を見返りと考えてしまいます。
そうなると親のために何かをしないと愛されないんだ、見放されてしまうんだと錯覚してしまうことにつながります。

実際には、「もうそんな子は知りません」とか、見捨てるような言動は躾の為にすることはよくありますよね、その一言でトラウマになってしまう子もいるので、本来は好ましくない言葉ですが、親は子供を絶対に見捨てることは無いということは知っておくべきです。
まぁもちろん見捨てる親はいますが、それこそ子供過ぎる、未熟すぎる、人間として欠陥があるのだと思います…。

「親の躾で大切な事」の最初の方にお話ししましたが、親には絶対に見捨てられることが無いという自信がある子供はたくさんいます、見捨てられ不安が多少なりともある人にそういう話をしてみると、それが信じられないといいます。
でも何もしなくても、もっといえば犯罪行為をしたとしても絶対に見放さないと思い込んでいる人はたくさんいて、親とはそういう絆が自然と出来上がっているんですね。

自分に自信が持てない子や自己肯定感が身についていない子、そして親にも自分の意見が言えないような子は、とても不器用で根が真面目な子ばかりです。
親に見捨てられないという根拠のない自信というのは、自然と感じる空気のような曖昧なものでしかありません。
真面目だからこそ根拠がない事に対して、真に受けたり、適当に受け入れることができないのでしょうか^^;

そういう子はどこか論理的で、自信を持てるような確証が無いと自信が持てない、それは勉強では努力によって答えを見つけるということができ、答えを見つけるからこそ安心できるという構図が出来上がっているからだと感じます。
冷静に考えると、未知の領域にチャレンジするにしても、根拠のない自信ほど馬鹿らしいことは無いと気づかされます。
これは勉強せずに100点を取ると言っているようなものですからね(笑)
そういう意味で論理的に確信が持てないことに対しては不安になってしまうんでしょうか。

でも人生を生き抜くということは正解がない、だからこそ、そこが生きにくいことにつながるのでしょう。
今まで自分で決めて、失敗や後悔をして、それを教訓にして成長し続けてきた人はチャレンジすることに楽しみが芽生えるのですが、そうしてこなかった子は、答えのないものに飛び込むのはストレスでしかなく、不安でたまらないようです。

根拠のない自信がある人は10の内、1の可能性があれば「何とかなるかも、やってみよう!」となりますが、自信のない人は10の内9の可能性があったとしても、1の不安材料があれば「ダメかもしれない、失敗したらどうしよう」と悲観的に考えてしまいます。
そもそもそこの思考回路が違うわけです、それは育ってきた環境によるものが大きいんでしょう。

でも、実際はうまくいく可能性は同じなんです、同じだけども「成功する」という自己暗示が成功に結び付く力となり、逆に「失敗するかも」という不安の自己暗示が失敗に引き込んでしまうものなんです。
なので、不安要素を考えてしまう人は、それを考えないように持っていくこと、根拠のない自信を持つように意識を持っていくことをしてみるといいことが起きる可能性が高まるはずです。

自己肯定感とは、自分はこれでいいんだと自分を肯定することができるということです。
自分の存在意義を認めることができ、尊重でき、自分を好きでいられることでもあり、それはある意味自身なのですが、その上にある”根拠のない自信”というものを持たせることは、子育てにとって一番大切な事と私は考えています。

自己肯定感がなく、自分では決められなかったり、どこにも相談できないで一人で抱え込んでいる人には、私はいくらでもお話を聞きますし、何かしらの助言もできると思います。
基本はお仕置きサイトですが^^;その中ではお仕置き行為は一切無しの、対話のみのカウンセリングも受けつけていますのでお話をしたいと思う方はサイトの方から連絡ください^^

かなり長くなってしまいますが、この辺で終わりです。




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親の躾で大切な事 3

先日の続きです。
この「親の躾で大切な事」は、お尻叩きという枠を超えたお話しです。
子育てにとっても大切な事なので、お仕置きに全く興味のない方もご覧になってみて下さい。

どうして自分はここまで悲観的で自信がないのか、そうやって悩んでいる人は増え続けています、その要因の一つに焦点を当てています。
まずは悩んでいるのは自分だけではないということを知ることです。
このように育てられた子は、特に平気な顔を演じて空元気に過ごしている人が多いので、はたから見たら気が付かないものですが、真面目で不器用な子ほどこういう傾向にあるものなんです。

自分自身を知ることで何かが変わるかもしれません、そして自分が育てる立場になった時に気を付けなければならないことも参考にはなるかと思います。
現在子育て中の方も、少し意識を変えて子供と接してみるなどしてみてはどうでしょうか。


それでは前記事の続きです。
実際自己肯定感のない人はどうすればいいのか、どう解決していけばいいのか…。

ここまで書いてなんなんですが、実は自己肯定感を今から身につけさせる方法というのは無いのかもしれないと私は思っています・・・。
それでも多少の解決はできるはずです。

過去の養育環境を振り返り、その際の親の考えを想定してそれを受け入れ、自信がない自分についての捉え方を変えていくことで心の重荷を軽していくということは心の問題としてしていかなければなりません。
満たされない部分を満たすことや、なかったことにするような解決法は、自己肯定感のない性格の人たちには特に難しいのですが、そうしていかないと前には進めません。

自己啓発本やマニュアル本のようなものがありますが、マイナス思考の人はそうできないから悩んでいるのであって、できる人というのは元々プラス思考なんだと私は思います。
もちろん本を読んだり話を聞いたりした瞬間は心がすっきりするかもしれませんが、それで性格や考え方が変わるわけではなく、根本が変わらないのですぐにマイナスな考えで物事を捉えてしまうことになってしまうんです。

だから単純に「自信をもっていいんだよ」「プラスに考えよう」「みんなと変わらない、気にしすぎだよ」といったとしても、もともとマイナス思考の人にはその場しのぎの気休めにしかならず、解決にはなりにくいんです
一時的な解決はあっても、永久的な解決というのは難しいと思うんですね、解決できるのはプラス思考を持つ人だけかもしれません。

実はこういう話はタブーなんですね、悩んでいる人に解決は難しいなんて、それは弱っている人に引導を渡すようなものですから。
性格とは先天的(生まれる前)な要因があるものの、後天的(生まれた後)な要因が人格形成において強い影響を与えます。
そのできあがった性格の部分を変えていこうとすると、もっと心が辛くなっていくことになりがちです。

例えば、暗い性格の子が明るくなりたいと思って頑張っても、そのうち次第に疲れてきて、結局元のまんまが楽だとなっていくものです。
でもそんな自分が嫌いで明るくなりたいという思いは消えずにさまよい続けます。
逆に明るい子が暗くなろうとしても長続きはしないものです、ただこういった性格は幼少期での人間関係で変化することはよくあります。

じゃあどうしたらいいのか。
先ほど書いたように、解決は難しくても、”どうして自信が持てないのか””どうして悲観的に物事を考えてしまうのか”
その要因を知れば、自分というものが分かり、捉え方が変わり、そのことで心の重荷も多少は軽くなるものです。
精神分析療法的に過去を見つめ、自分自身を知ることで根本の捉え方を変えていく。
これはとっても必要なことだと私は思います。

これ以上書くとかなり長くなってしまうので、また持ち越します^^;

見放され不安や自信のない性格になってしまった様々な要因、そしてそのことをどう捉えていくか。
解決に向けた心の持ちようをどうしていくか。

そういった話を次回にしていきます^^




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親の躾で大切な事 2

先日の続きです。

根拠のない自信は自己肯定感がないと芽生えません、その自己肯定感がない人はどんな感じで育ってきたのでしょうか。
自己肯定感のない人とは、すぐに不安になる人、悲観的な人、決断ができない人、親に背けない人、などがその部類でしょう。

例えば、無理矢理でも言う事をきかすような虐待的な親もいます、未熟な親はカッとなったら人格否定をしてでもうっ憤を晴らしたりもします。
そのような親に支配されてしまうと、自分を守るために親の言いなりになり、生き抜くために必死に親の機嫌を取るようになり、次第に自分の意思というものを養えなくなるものです。

我慢して成人したらすぐに家を出ようと思っていても、実際は自分の心の奥底の親の支配は消えず、なぜか家を出れなかったりします。
仮に家を出たとしても、こんなにも憎い親の機嫌を取り、そういう親との関係に苦しんだりするケースがあります。
このような環境で育てば、自分の意思というものは育たず、自分で考えて行動するという能力に欠けてしまいがちになります。

しかしこれは普通にあり得る話で、誰でも想像はできるのではないかと思います。
特に問題なのは、虐待的なケースではなく、”過保護的”に育てられた人に自信のない人が多く存在していることです。
社会問題としては虐待の方が深刻なんですが、そういう意味ではなく、親が良かれと思っていしてることが子供のためになってないってことが別の意味で大問題ということです。
子供の幸せのために良かれと思ってしたことが、将来の子供の心を苦しめる結果になってしまう可能性が大いにあるんですね。

過保護的というのは悪いことではありませんが、その中で大切なことは、”子供の意思を尊重して育てる”ことをしなければ自己肯定感のない子供に育ってしまいがちです。

例えば、
やることなすことが心配だからと不安そうに見守っていると、子供は親が常にいないと不安になってしまうものです。
他にも、子供が困っていたらすぐに答えを出してしまう。
子供の人生の全てのレールを敷いてしまう。
勉学や学歴が人生の価値と思わせてしまう。
金銭的な不自由を感じさせず、奔放に育ててしまう。

これらに共通していることは、人間の生きる力である”意思”や”決断力”が育たないこと、そしてそれが”自己肯定感のない人間”へと導くことになるということです。
このような子は、いわゆる聞き分けの良い子が多く、親に余計な心配をかけたくないとか、嫌われたくないとか、家族がバラバラにならないように自分を抑えたりとか、性格的にも真面目で良い子が多いようです。

また、こういう性格の子は、「自分は親の期待に応えてるからこそ愛してくれている」と考えるようになりがちで、親の期待に沿えなかったり、親に逆らったりすると見捨てられるんじゃないか、という不安が絶えず脳裏にあるものです。

子供はそんな親をどう思っているでしょうか。
「嫌いでしょうがない」と思う子もいれば、「優しくしてくれる親が大好きでしょうがない」という子もいますが、中間というのがあまりなく極端に偏っているものです。
両者は全く違いますが、共通していることは自分に自信がない、見捨てられ不安が強い傾向があるということです。

それではどのように解決していけばいいのでしょうか。
これは育てる側にとっては簡単でも、育てられてしまった側にとってもとても深刻な問題なんですよね。

そこら辺の話を次回にしてみたいと思います。





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親の躾で大切な事 1

親の躾で一番大切なことは子供に”自信”をつけさせることに尽きると私は思っています。
自信には根拠が無くて構いません、自信満々に生きている人は根拠のない自信を持っているものですからね。
まぁそもそも根拠のない自信というものは自己肯定感を身につけていないと持てないものですけどね。

自信がどうして必要かというと、自信がないと生きていてとても辛いからです。
虚無感のようなもの、自分の存在を否定してしまったり、人生に意義を感じなかったりしてしまう事が多いので、そうならないように自己肯定感を持てるように躾けることは勉強以前に大切なことだと感じます。

勉強以前にというのは、勉強より先にそういったことを躾けるというわけではなく、これは赤ちゃんに食事を与えて育てるのと一緒で、勉強しながら毎日ご飯を食べているようなものです。
結局は勉強と自己肯定感をつけさせるような躾は同時進行できるわけですが、勉強だけでは将来生きるのがつらくなることにつながるという意味です。

それではどうすればいいか
実際にマニュアル通りに子育てしても理想の子供には育たないものですから、こうすれば自信がつくというものはありませんが、少なくても効果的な事、もしくは逆効果な事かは、ある程度は答えのようなものはあります。

それは小さい頃から人格を肯定する事、何でもできる子だよと言い聞かせる事です。
これは暗示のようなものですが、これによって根拠のない自信が生まれることにつながります。

それに加えて、親は子供を絶対に見捨てることは無いと理解させる事です。
これは言葉と一緒にスキンシップを取るということで、見捨てられないという鉄壁な自信が芽生えてくるものです。

ただ、どんなにいい関係であったとしても一回でも見離すような言動があると、その一言だけで親に見捨てられるかもしれないという不安が芽生えてしまってトラウマになってしまっているケースは実際にあります。
まぁそれは稀ですけど実際にそういう躾はありますよね。
そういうケースの場合、アフターフォローができていたかどうかは不明ですけど、やはりその後のスキンシップや愛情表現が修復には必要なはずです。

また、子供を肯定してあげるといっても、もちろん間違ったこと、ダメなことに関しては叱ることはしなければなりませんが、その際の言葉かけや叱った後のアフターフォローはとっても大切です。

仮に体罰であるお尻ペンをしたとしても、その効果が大きく”吉”と出るにはその後のアフターフォローが不可欠です。
どうしてそこまでアフターフォローが必要かというと、もしお仕置きをした後にそのままほっておいたら「愛されているから叱られたんだ」という確信が持てず、「叱る=嫌いなのではないか?」と心に残り、叱られた行為によって愛情を感じられなくなってしまうからです。
なのでアフターフォローのない叱りやお仕置きは大きくマイナスになってしまう危険性があります。


それでは自己肯定感や自信がない人はどんな感じで育ってきたのでしょうか。
この続きはまた後日します。

子育ての最中の方はもちろん、大人になりかけの方、成人になっても自信が無くて悩んでいる方、悲観的に物事を考えてしまう方、などには何かのヒントを見出せたらと思います^^



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「子の心、親知らず」 その2

前回記事の続きです。

親と一緒にいるのは苦痛でしかないのに、親には良い子のふりをし続けているケースは意外と多くあり、その親自身子供とはとても良い親子関係が築けていると思い込んでいるのですが、実際は違うというかなり恐ろしい現状があるというお話でした。

そんな子供達は成人してどういう気持ちでいるのか、どう親と接しているのかということが今回の本題です。
成人して親と同居しているケースもあります、普通に考えたら家を出ればいいのにと思うのですが、親に反対されるのが分かっているからそれが言い出せない、というよりもそれさえも言い出せない子もいるんですね。

また一人暮らしを許してくれて別で暮らしている子達や結婚して別々に住んでいるケースもたくさんあります。
それでも年末年始や一般的に言われている帰省時期には必ず顔を出すのはもちろん、そういうことがなくてもたまに会いに行ったりしたりします。

いや、それは当たり前のことだし、親孝行だし、とても素晴らしいことなんですけが、親に会うことがとてつもなく苦痛であるなら会わなければいいと思うのですが、それができないんです。
たまに家に帰らなければ親に叱られたり、嫌味を言われたりする、そうなると嫌われる、見捨てられる、家族の輪を乱すという恐怖心があり、辛くても会いに行ってしまうようです。
また、反抗できなかったり決断ができないので、他の選択肢や考え方自体が分からないということもあるんですね。

親不孝な話ですが、本来親子関係が強固なものであれば親の所なんかに帰らなくてもある程度は平気でいられるものです。
「便りがないのは無事な証拠」と、ことわざがあるように、成人した大人は、楽しかったり忙しかったりすると、親よりも優先したいものができ、「実家に帰らなきゃな」と思っていてもつい先延ばしにしてしまうものです。
2年、3年帰らなくて、そのことに多少の罪悪感があっても、親を後回しにしてしまう人は多くいます。

でもそれが良い子を取り繕っている子にはできないんです。
親の期待を裏切ること、親に叱られるであろうことをすることができないんですね。
成人しても子供のまま、そういう心理状態になってしまっているんです。
もしそんなことをしたら、それこそ見放されてしまうかもしれない、家族がバラバラになってしまうかもしれないと不安になり、子供の頃同然、全てを支配されてしまっているんですね。

子供時代に何があったのかは様々なケースがありますが、その殆どは体罰のような虐待ではありませんし、むしろそうでないケースの方が圧倒的に多いんです。
まぁこれは今回のテーマ(子の心、親知らず)だからこそですから、体罰的な虐待なら親は子供の心を少なからずわかるわけですから当然ですね^^;

そんな様々なケースがある中、共通して言えることは子供は親に愛されるために頑張って努力し続けているということです。
親の期待に応える、それをすれば愛情がもらえると思って必死に頑張る。
親の敷いたレールをそのまま突っ走るのもそうです、勉強していい成績を取るのもそう、良い学校に入るのもそう、反抗しないのもそうです。
反抗しないのが行き過ぎて反抗期すら知らないというケースが殆どかもしれません。
親の期待する良い子でいれば褒めてくれるし、愛情を貰えると思って頑張り続けますが、その愛情はいつまでたっても手に入りません。

なぜかというと、その親たちは子供がいくら頑張っても、その子供の”心の部分”を満たしてあげることに対して軽視してしまっているからです。
勉強や躾を重視し、学費や経済的に支援してあげているというだけで満足してしまっているのでしょう。
もちろん、それはそれで大きな愛情ではありますが、子供の心を埋めるものでは決してありません。

大切なのは”体”と”心”のスキンシップです。
頑張っていたり、良い子していたら、その都度抱きしめてあげればいい、そういう”体”のスキンシップが欠けているんだと私は感じます。
子供を信じてあげる事、子供の話を真剣に聞いてあげること、傷ついた時にはどんなことでも味方になってあげること。
そういう”心”のスキンシップが欠けているんだと思います。

精神論も行き過ぎで、何事も頑張れ頑張れというだけでは人間の心は維持できません、悩みや愚痴、そして心の傷はしっかりとケアしてあげる。
子供を信用すること、しっかりと話を聞いてあげること、そして抱きしめてあげること。
これが愛情の中で一番大切なことなはずです。

でも「そんなことでくじけるな、負けるな、そんな子は知らない」と突き放し、それの限界点が分からずに教育して取り返しのつかない精神状態へと追い込んでしまう。
でも親はそれは精神を鍛える手段であり、子供を幸せにするために必要なことでそれが愛情と考えているんですね。

だから子供はいくら頑張っても認めてもらえないという絶望感を感じ続け、親に背くことを恐れるんです。
そして親の気に食わないことをすると一番欲している愛情を受け取れない・・・・、でもいくら良い子でいても自分の求めている愛情を与えてもらえない、そんな心情でいるから親と一緒にいると苦しいし、それでも離れられないでいるんだと思います。
離れる決断ができないといってもいいかもしれません、全て親が決めてしまって、良い子でいるためには従うのが一番で、だからこそ反抗もせず、自分で決断する能力に欠けてしまう事にもつながるんです。

親は何とかできなかったのでしょうか、心と体の愛情を与えることはできなかったのでしょうか。
子供たちは実は必死のSOSを発信しているのですが、それに親は気が付かない、もしくは大したことないと判断してしまう。
でもこれだけは断言できます。自分にとっては小さな悩みでも、その人にとっては生死にかかわる悩みということは普通にあることなので、悩みの大きさは個人の価値観で測っては絶対にいけません。

だからただ真剣に子供と向き合って話を聞くだけでいいと思います、傷ついた心をケアしてあげればいいと思います、嘘つき呼ばわりされたりいじめられても子供の言うことを信じて応援してあげればいいんです。
そういうケアがないから子供は親から何かしらの屈辱を受けたと感じ、それが心の傷となってしまうんです。

と、そうやって成長してしまったわけなので、そんなことをいまさらグズグズ言っていても過去は変えられませんよね^^;
ま、通常は親と話し合うのは必要ですが、それができないから難しいことなんですけど、頑張っても話ができないのであれば、これまでのことを受け入れるしかありません。
受け入れるという本当の意味は今の苦しい状況と同じではなく、親といても苦痛ではなくなる、もしくは少しは薄れるということです。
苦しんでいては受け入れるとは言い難く、これまでと何ら変わりはないですからね。

まぁ私がそういう子たちにいつも言っていることは、間違いなく愛情はあったということです。
心と体の愛情を与えられなかったのは、親はそれよりも躾や学業、経済的な支援という愛情の方が大切と思っいたんでしょう。
自分の人生での失敗や後悔という経験をいかし、あらかじめレールを敷いてみたり、物事を決めつけてみたりして子供には不自由な思いをさせたくないという愛情。

はたまた自分の夢を子供に託したり、自分が幸せと感じることをしてあげることが子供の幸せと思い込むそういう愛情。
子供にとっては迷惑なことですが、これも立派な愛情には変わりありません。
本当に愛情が無かったら、そんな育て方はしないし、支援もしないはずですから。

親も人間です、全てをわかるわけもなく、子育ては素人ですからね、人間心理もわからないだろうし手探りで必死だということは理解しなければなりません。
そういう子供たちが満たされなかったのは、心と体のケアやスキンシップという愛情ですけど、それでも親は子供に対する愛情はあったんだと理解することで受け入れる。
他人の家庭を比較せず、他の家庭の愛情を欲しがったりうらやましがったりをしない。
自分の理想の愛情ではなくても自分の親はその親なりの愛情表現をしてくれたという事実を受け入れてみてはどうでしょうか。

そして自分が経験した愛情不足は、付き合った相手側には与えてあげる、また子供ができたらその子供には与えてあげる。
そういう経験をしたからこそできることでもあります。
負の連鎖はもうおしまいにして、これからはその経験を活かし、幸せを与えられるようなれればいいのではないでしょうか。

今まで満たされなかった愛情不足を埋める場所はどこにもないかもしれません、でも自分の思いを吐き出す場所、願望を叶える場所、満たされなかった愛情を感じられる場所を少しでも感じたいのならば私はいつでも待っています。
力が及ばないこともありますが、このブログに共感できるのであれば少なくても他の人よりも気持ちは理解していることになると思います。



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スパ的な毎日 お仕置きブログ 精神と心の部屋

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プロフィール

京介(きょうすけ)

Author:京介(きょうすけ)
初めまして、京介(きょうすけ)といいます。

スパといわれている世界ではいわゆるディシプリン派の”カー”という存在らしいです。
そしてお説教やお仕置きは私の日常です。
私の普段の言動や行動がスパでいう”カー”というものに似ているだけなので、スパという”作られた世界”の住人である意識は全くないんです。
それくらい日常的にお説教やお仕置きをしているってことです(笑)

お説教や相手との対話については私の中では”心の安定でありカウンセリング的な心のケア”と認識しており、お仕置きの中で一番重要視していることです。
相手の理由や言い分をしっかりと聞いた上で、客観的に「何故直さなければならないか」という説明をし、納得をさせる事がお説教と位置づけており、お仕置き後のアフターフォローとしての対話を含め、イメージ的にはカウンセリングのようなものです。

なので私はこじつけの理由ではなくリアルな理由でしかお説教やお仕置きはしません。
そしてお説教とお仕置きはセットでなければ意味はなく、更にお仕置き後のアフターケアがないと成立しません。
私のお仕置き基準は「他人を不快にする行為、約束を破る行為」について特に厳しく接しています。

お仕置きでの関係性は親と子供的なものです、それをコンセプトに全てが成り立っています。
つまり相手とはある意味対等な立場であり、私が命令口調で話したりすることもありません。
また、教師と生徒的のような上下関係の立場から物事を矯正するということも好みません。

このような上下関係のあるお仕置きは恐怖心により支配しているものでもあり、自尊心を傷つける場合もあるので親子間での愛情のあるお仕置きとは全く別物と認識しています。
こういう考えなので親子的でもあり友人的な立場という立ち位置が一番しっくりきます。

ここに至るまで、過去私はSMという世界を体験しました、SMの世界といったら大げさなのですが、最初はS的な欲求を満たすために足を踏み入れたのですが、どんどんと精神的な心の部分を追求するようになっていきました。
そうしているうちに”人間の心や本質”をもっと追求したくなり、そうなるとSMに何かしらの違和感もでてきて、その違和感を解消しようと模索した結果、スパといわれている今この場所にたどり着いたのです。

その違和感を簡単にいうと、SMは性的なお仕置きや理不尽なお仕置きがまかり通っていたり、性欲を満たすのに貪欲すぎるところです。
もちろんSM的な事は面白みはあるので、性欲のはけ口としてはいいのですが、性欲以外の部分を満たすためにはちょっと物足りなかったんです。

そんな中、キーさんと関りを持つことで心地よさを感じ、私の求めていた精神的な世界を見つけたって感じなんですね。
スパの”カー”からSMの””に移行する人ってたくさんいますが、私はその逆バージョンみたいな感じなんですね(笑)
SMの精神的な部分の究極を追求した結果、スパといわれている世界にたどり着いたので、過去の体験があるからこそ今の自分があるんだと思っています。

このブログを書き始めることになったきっかけですが、それはお仕置きに興味がある若い女性が結構いる事を知ったからです。
真面目に苦しんでいる人達を私の言葉により一人でも救ってあげれたらなという気持ちで書いていこうと思いました。
そういう人たちと出会い、関わっていきたいと思ってブログを書こうとなったんです^^

こういう世界に入り込んでしまう人は、幼少期に目撃してしまったお仕置きシーンがいつの間にか脳裏に焼き付いてしまい、いけないと思っても頭から離れないケースや、親子関係の確執や養育環境であったりと、何かしらのきっかけがあるものです。
みなさんは揃ってお仕置きの事を考えてはいけないと頭から消そうとしますが、脳裏に焼き付いてしまったキー気質は消し去ることはできません。

ではどうしたらいいのか。
どうにもならない欲求をなんとかしたいなら、経験して欲求を薄めることに限ります、勇気をもって経験することで欲求は薄まり、お仕置きのことばかり考えてしまって支障が出ていた日常生活も回るようになるものです。
欲求を解消する方法は欲求を満たすしかありません。

ここでは、悩みや闇を抱えている人はもちろん、欲求や思いを吐き出し、このブログを通じて自分の居場所を見つけ、少しでも心の安らぎを感じて欲しいと思っています。
そういった精神的な部分を私は一番大切にしています。

お仕置きに憧れを持つことは、叱られる愛情や甘える事を求めているからともいえます。
ドキドキしたりするのは、自分の求めていた愛情が受けられる、甘えられるという妄想で、それが無意識に反応してしまうだけです。
全ては無意識で起こる深層心理下での心の動きなんですね。

そしてこんな風に思える人は決して叩かれたいだけではないはずです。
なのでこの家庭的なお仕置きに対してSMのような概念は捨てて、客観的に自己を見つめる為に必要な、ある意味健全な事と解釈しましょう。
他人には言えなくても、ここはみなさんが本当の自分を出せる心の解放の場であり居場所でもあります、そして人生において成長の場と捉えれば必要な場所にも変わってきます。
なのでスパという概念も捨てて、客観的に自己を見つめるためにお仕置きに関わる、という意識になることがとても大切なことだと思います。

こんな感じの私ですが、様々な人達を見てきていますのでどんな内容でも私が引いてしまうことはありません。
みなさんそこが心配なようですが、世の中の裏も表も悪い人もいい人もいろいろと見てきましたし、そもそも人間は弱い生き物なので、人をだましてしまったり殺めてしまったとしてもそれを聞いてドン引きするようなことはありません。
人としてどうなの?ということだとしてもそれを話してくれたことに私は親身さを感じてしまう性格なんです。

また、私は概念や雑念に捉われません、客観的に受け止めますので共感は強くしますが、同情のようなことは基本的にすることはありません。
なので悩みや相談がありましたら気軽にしてください。
どのような立場の方でも個人情報を漏らすことは決してありませんのでそこは安心してください。

自分の満たされない思い、満たされたい思いをお仕置きを通じて体験してみましょう。
体験は若ければ若いほどいいです、歳を重ねると欲求を薄めていくことは難しくなり、どちらにしても卒業しなければならない必要性が出てきます、いつまでもパートナーがいるわけではありませんからそうなると心が苦しくなるだけですからね。
若いうちに体験しておくと卒業もしやすいですからそういう意味でも急ぎましょう^^

何度も言いますが、お仕置き欲求をなんとかするにはお仕置きを経験することです。
欲求が消えることはありませんが、薄めることは可能です、ネットでの出会いとなりますが、約束事はしっかりと守っていますので、勇気をもって連絡してみてください。

京介

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